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『嫌がらせ』

 燐太郎さんたちと逃げるように別れてから、僕は自己嫌悪に耐えながら淡々と日々を過ごした。作詞や作曲はできなかった。創作は多かれ少なかれ自分の中に降りていき、思考や感情に向き合うことだからだ。自分が嫌いで目を逸らしたいのだから、自分の気持ちを見つめるなんて不可能だった。

 そんな風にしていても、今回は一向に自己嫌悪が薄まることはなかった。ふとした瞬間に自分がアルファだという事実が甦って消えてしまいたくなる。もしかしたら、この自己嫌悪はこの先も消えず、作詞や作曲もできなくなったりするのだろうか。このまま淡々と何も創らずに生き続ければ、そういう人生が続いていくのだろう。小説を書くことを止めたときだって、そうだった。少し寂しいような、それでも仕方ないことのような気がした。

 定期的に連絡を取っている花梨には、気が進まないながらも何があったかをメッセージアプリで説明した。

 そうやってひと月が過ぎていった。

 ようやく気持ちが落ち着いてきて、夜もいくらか眠れるようになりはじめて。最初の二週間ほどは何度となく燐太郎さんやリョウスケからメッセージや電話があったものの、僕が反応しないでいるとそれもなくなった。これでよかったのだろう。リョウスケや燐太郎さんは、人前に出る仕事をしているだけあって、やはり僕と住む世界が違うと感じることがあった。友達付き合いする分には何も問題はないが、価値観が違うなと思うときがある。こうして交流が途絶えていくのなら、それはそれでお互いのためと言えるだろう。

 ――これまでが異常だったんだ。これからは、ただ僕の生きる世界の日常に戻るだけ。

 そう思っていたある日のこと。残業して、帰宅するとマンションの前で声を掛けられた。リョウスケだった。

「よぉ、久しぶり」

 少し前に遊んで、普通に別れた友達のように、リョウスケは片手を挙げて挨拶をする。僕は目を丸くして、言葉に詰まった。

「――……。どうしてここに……」

「どうしてるか様子を見に来た。ちょっと話したいこともあるし」

 いったい何と答えたものか。僕がしばらく迷っていると、リョウスケはすぐ近くの公園に行こうと指さした。話を切り上げたくなったり、感情が昴ったりしたときに、公園ならば自宅や飲食店で話すよりはマシだろう。そう考えて僕は小さく頷く。

 季節は十一月に入っていて、空気の澄んだ夜空にはまばらな星と明るい月が見える。温暖化の影響で日中に気温が上がる日もあるけれど、夜は薄手のコートでも少し寒いかなという時期になりつつあった。つまり、公園で話すのならばさほど長話はできないということだ。

 公園に入るとき、リョウスケはふと傍にあった自販機の前に立ち止まった。こちらを振り返って「奢ってやるよ」と笑う。

「いいよ、申し訳ないから」

「俺が押し掛けたんだから、それくらい受け取っとけよ。何がいい?」

「じゃあ、ブラック」

「お前、夕飯食べてないだろ。ブラックだと胃を痛めるからせめて微糖な」

 リョウスケはホットの微糖のコーヒーを買い、僕に投げて寄越した。それから彼はもう一本、今度はブラックコーヒーを買う。

「自分だってブラック飲んでるじゃん」

「いいんだよ、俺は。ちゃんと晩飯食ったし、それに近々配信で全身映ったりするから、あんまりカロリー取るわけにいかないし」

「華やかだけど、大変な世界だよね。インターネットに発信するってことは気をつけないといけないことや、身を守る対策が必要なこともある。それなのに、動画共有サイトに配信すること自体は、誰でもできるんだから」

 車を運転するには免許が必要。飲酒が可能なのは二十歳から。そういう基準がインターネットにはあまり存在しないから、うっかり境界線を踏み越えてしまったりしそうだなと僕はリョウスケや彼の配信者友達を見ていて思うことがあるのだ。

 そう言った僕をキョトンとした顔で見つめてから、リョウスケは笑った。

「そんなのは今更だな」と彼は公園の中へ歩いていきながら呟く。僕はその背中にゆっくりとついて行った。リョウスケはベンチに腰を下ろし、両手を温めるように缶コーヒーを握る。公園を吹き抜けていく風が冷たく、体温を奪っていくのだ。

「……俺はただ歌いたくて、自分の歌を皆に聴いてもらいたくて、この生き方を自分で選んだんだ。その代償が平穏な生き方なら、そんなの捨ててもいいって思った。代償を払えば、歌に深みが出るだろうとさえ思った。――思ってた」

「過去形ってことは、今は違うの?」

 僕はコーヒーの蓋を開けて、口を付けた。空っぽの胃の中に温かなコーヒーが落ちていって、少しだけ身体に熱が戻ってくる。

 こちらの問いにリョウスケは答えなかった。代わりのように、彼は僕の方へ顔を向ける。

「一ヶ月前のこと、燐太郎から聞いたよ。お前は自分がアルファらしい行動をしたことで、自分が嫌いになってしまったんじゃないかって言ってた。最近、ちゃんと眠れてないんだろ。この一ヶ月で、作曲とかしてたか?」

 その言葉に僕は肩をすくめた。

「してないけど、別にいいだろ。僕はプロじゃないんだからそれは義務じゃない」

「義務じゃないとしても、何かは創りたくなるだろ、お前なら。半年くらい友達してたら、分かるよ」

 確かにリョウスケの言うとおりだった。いつもなら、何となくメロディを作ってみたり、作詞をしてみたり……そこまでしなくても、いつか曲を作るときのためにと普段は聴かないような音楽を聴いたりしている。けれども、このひと月、そういうことを何もする気が起きなかった。それでいいと思っていた。何かを創ることは、今の僕にとって楽しみではなくて苦痛になってしまうだろうから。

「……僕は一ヶ月前に自分が嫌いになったんじゃない。十代のころからアルファな自分が嫌いなんだ。嫌いが少し大きくなったところでさほど変わらない。今更、自分を傷つけたりもしない」

「受け入れてるんだな」

「むしろ絶望してる」

 リョウスケはその答えを聞いて、不意に歌い始めた。確か動画共有サイトの彼のアカウントで、代表曲とされる彼自身が歌詞を書いたという曲だ。歌詞の中では、適性がないと言われる少年が勇者を目指す物語が展開される。

 僕は目を閉じてリョウスケの声に聴き入った。

 一つの曲は音楽が世界観を作り、歌詞が情景を描写する。舞台を形作るメロディなしに、ただ勇者になろうとする少年を描写するリョウスケの歌声は美しいけれど儚かった。

 やがて歌い終わるとリョウスケは口を開いた。

「――知ってるか? 芸術分野への適性は、オメガの方が高いって言われてること。歌や演技はオメガの領域。アルファやベータもいるけど、余程の才能がなければオメガに負けるって言われてる」

「うん、知ってる」

「俺が最初からアルファだって明かして活動してたのは、証明したかったからだ。アルファで適性が低くても、歌えるんだってことを。そうすることで、適性がないって言われながらも夢見てる奴らの励みになったらいいとも思ってた。――でも、もう十分だ」

「えっ? 十分ってどういうこと?」

「アルファだって強調するために、燐太郎と運命の番として活動してた。それであいつを縛りつけて、いっそう傷つけた。……アルファでも歌えるって証明しようとして歌いつづけて、いつしか大事な奴の首を絞めながらアルファであることに固執してた。だから、もう終わりにする」

「終わりにするって、まさか……歌うのを辞めるつもり!?」

「実は何カ月も前から考えてたんだ。燐太郎が戻ってきて、俺は前みたいにフルパワーで歌えると思ってたけど、そうじゃなかった。燐太郎は変わっていたし、俺も前みたいにアルファでも歌えるって証明したい――そういう、世間の常識を見返したいみたいな気持ちを燃料には歌えなくなってた」

「そんな……。お前の歌は、見返したい気持ちだけじゃないだろ。前向きで、強くて――そんなお前の音楽は格好いいし、ファンの人たちも待ってるのに!」

 僕は思わずベンチから立ち上がって、リョウスケに食ってかかった。そうして初めて気づく。出会いは奇妙だったけど、いつしか僕もリョウスケの音楽に励まされて、彼の歌が好きになっていたことに。

 ひと月前の出来事やリョウスケの住む世界の不気味な華やかさは置いておいて、僕もまた彼に歌いつづけてほしいと思っていた。

「それは悪いと思ってる。まだ歌いたいって気持ちもある。けど、今の状態に無理がでてきてるのも本当だ。それを誤魔化そうとして、燐太郎を引き留めて……結果的にお前と燐太郎を引き離すことになった」

「それはそうだけど……」

 燐太郎さんと別れることになった件について、正直に言えば僕はリョウスケを恨んでいる。まだ彼のことが好きで、いまだに未練は捨てられそうもない。けれど、同時に僕にとってのリョウスケが憎めない奴で、いい友達なのも確かだった。だから、燐太郎さんのことを持ち出されるとどういう反応をしていいのか分からなくなる。

「燐太郎さんは何て言ってる?」

「自分をこっちの世界に連れ戻したのに辞めるのかって文句は言われた。けど、納得はしてくれた。――お互いがどういう状況であれ、引退するときの最後の曲は作曲するって約束をしてたから」

「そう……」

 まさか燐太郎さんも納得しているとは。僕は少し驚きを覚えた。考えてみれば、燐太郎さんはリョウスケと長い付き合いなのだから、僕には計り知れないものもあるのだろう。マンションの前でリョウスケの姿を見たときには先日、僕が逃げだしたことについて話に来たのだろうと思ったけれど、それどころの事態ではなかったな――。

 そんなことを考えていると、リョウスケが僕を呼んだ。

「それでさ、鋭利。詞はお前が書け」

「え? 何って?」

「俺の最後の曲、燐太郎と俺が作曲するから、お前が作詞しろよ」

「何言ってるんだよ? 僕が作詞するなんてそんな馬鹿みたいな冗談はやめてくれよ! そんな訳の分からない冗談を言うために来たのなら、僕は帰るから」

 僕はベンチから立ち上がって、その場から立ち去ろうとした。と、リョウスケが僕の手首を掴んで引き留める。

「自分の引退の話をするのに、冗談なんか言うかよ」

 そう言うリョウスケを、僕はじっと見下ろした。彼の眼差しは真剣で、残念ながら冗談のつもりはなさすだった。

「本気ならなおのこと悪いよ。……作詞したことがあるって言ったって、燐太郎さんの教室で練習したっていうだけだ。僕はリョウスケや燐太郎さんみたいなプロじゃない。いったいどうしたら、僕にお前の歌う曲の作詞をさせようなんて考えになるんだ」僕はぼそぼそと言った。

「嫌がらせだ」

「は?」

「燐太郎は今でもお前に惚れてる。この間、お前が他のアルファに絡まれて逃げ帰った日から、燐太郎はずっとお前のことを気にしてる。だから、昔のようにあいつと歌うのはもう無理なんだって気づいたんだ。……同時にアルファであることから逃げてるお前に腹が立った。俺は歌に向かないアルファだってことを跳ねのけてここにいるのに」

「そんなの僕には関係ないだろ。アルファなのが嫌なのも、僕の自由だ」

「アルファとかオメガとか、関係ないって言ったのはお前だろ。いちいちそんなことで揺れるなよ。見てて腹が立つんだよ。俺の生き方を否定するくせに、自分の足で立たずにふらふらしてるお前には」

「……それと僕が作詞することと何の関係があるんだ」

 低い声で僕は尋ねる。リョウスケが僕を気に食わないなら、単に交流を絶てばいいだけのはずだ。作詞なんてさせる必要はない。いったい何を考えているのだと、僕はリョウスケを睨む。

 リョウスケも僕を強い眼差しで見上げた。

「ちゃんと向き合ってみせろよ。自分の中にあるものと俺や燐太郎と……それに、お前をまったく知らない、価値観もさまざまな聴衆と。何にも向き合わない今のお前のどんな言葉も、何一つ理はない」

 僕はリョウスケや燐太郎さんみたいなプロじゃない。別に誰かに理解されたいわけでもない。けれど、それでも僕は彼の言葉に反発を覚えた。まるですべきことから逃げているかのように言われるのは心外だ。

 気が付けば、僕は「分かった」と答えていた。

「それなら、リョウスケの望みどおり僕が作詞するよ。……どんな詞ができても、後悔するなよ」

 低い声で圧するように言えば、リョウスケはニヤリと笑って「もちろん」と頷いた。




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