アルファらしく
――十年前、秋。
学園祭のその日、僕――水城鋭利は教室で出し物の準備をしていた。僕の所属する文芸部は、歴史が古いもののどんどん所属する生徒が減ってしまって、今や僕と友人の二人だけだ。展示するのは僕らが二人で書いたアンソロジー一冊とそれぞれが発行した長編の冊子、それにお勧め本の紹介冊子。人気のある軽音部や野球部なんかの華々しい展示とは違って、見に来る人も少ない。
けれど、お客さんが少ないにもかかわらず、僕は意気揚々としていた。だって、自分で長編を書き上げたのも、オンデマンド印刷で本の形にしたのも、これが初めてのことだ。それをこうして展示できるのだから、誇らしいに決まっている。
それに、今日は両親が学園祭に来る予定だ。僕は自分の書いた小説を初めて父と母に見せるつもりでいた。親はずっと僕に兄のように活動的になってほしいと願っている。だが、それは僕の希望や興味とは違うのだ。僕には僕の特技がある――そのことを、展示を見せて証明したかった。
教室でまばらに来訪するお客さんの相手をしながら、二時間くらい経った頃だろうか。教室のドアが開いて両親が入ってきた。二人と一緒に大学生の兄・有利と中学生の妹・愛莉も来ているはずだが、二人は別行動なのか姿が見えなかった。
「ここだったのね、鋭利。もっと賑やかな教室にいると思っていたから、ずいぶん探したわ」母はそう言って教室の中を見回した。「ここではどんな展示をしているの?」
「ここでは、文芸部の展示をしているんだ」僕は答える。
「文芸部?」父がつぶやいた。「お前は文芸部に入ったのか、鋭利」
「そうだよ。僕が読書を好きなのは、父さんも母さんも知ってるでしょ? 見て、この冊子。僕が初めて書いた長編なんだ」
僕は机の上から自分の本を取って、両親に見せた。両親の眼差しが、じっと表紙に注がれる。その視線の温度が想定していたものと違っていて、僕は次第に不安になりはじめた。
そのときだ。教室のドアがそっと開いて、同じ文芸部で友人の少女・朝倉花梨が入ってくる。彼女は教室内の異様な雰囲気に目を見開き、心配するような眼差しをこちらに寄越した。それに大丈夫、と目配せで返して僕は両親に向き直る。
そのときだ。父が僕の手から本を取って――それを床に投げ捨てた。
「小説? 下らないことにうつつを抜かすな」
「父さん!? 下らないって何だよ? 初めて僕、長編を完成させてお小遣いで印刷して本にしたんだ。それなのに――」
「お前に小説は向かない。小説は……いや、芸術分野は昔からオメガ性の者向きとされる。アルファのお前ではどうせ成功できない。無駄なことをするな」
「成功とか、そんなの関係ない。これは僕がやりたくてやってることだ!」
僕は床に投げられた本を拾い上げ、父を睨んだ。しかし、父は構わず机の上にあった冊子をすべて払い落としてしまう。
「無駄なことはやめろ。アルファは、他のアルファと競わねばならない。余計なことに気を取られている暇はない。芸術なんて余分のことは、オメガ性の者の領分だ」
そう言った父は、床に落ちた冊子を踏みつけて踵を返す。両親が僕に優秀な兄のようになることを期待しているのは察していた。だが、まさか彼らの望みに反するからといって、僕の努力を踏みつけられるなんて。あまりのことに食ってかかる気力も湧かず、呆然と蹂躙されて汚れた冊子を見つめる。と。
「待ってください」と花梨の声がした。見れば彼女はドアの前に立ちふさがり、僕の父に相対している。「鋭利君が頑張って書いた小説を、踏みつけるなんてあんまりです。それに、アルファもオメガもただの性別の一種で、能力には何も関係ないはずです。私たちは学校で主性の男女も、副性のアルファオメガも平等だと教わってきました」
だから、鋭利君に謝ってください。花梨はそう言って父を見据える。その傍らから母が声を発した。
「学校でそのように習うのは知っているわ。でも、現実は違う。アルファにはアルファの競争があり、オメガにも有利とされる分野がある。花梨ちゃん、あなたもそう。オメガだと分かっていたから、早い段階でうちの長男の婚約者になってもらったのよ」
「うちの方針に従えないのなら、うちの長男との婚約を破棄しても構わないが」
両親の発言に僕はぎょっとした。
花梨とは家が近く、昔から家族での付き合いがある。その縁もあって花梨は小学生くらいから兄の有利と婚約していた。もちろん、二人に恋愛感情があったわけではない。ただ幼いうちから花梨の副性がオメガと判明していたからだ。後に分かったことだが、オメガの割合は稀少で、親世代ではオメガ女性との結婚はアルファ男性にとって一種のステータスのようなものだったらしい。要するに、両親は花梨をいずれ兄の妻にすることで、箔を付けようとしていたのだ。
僕はそんな事情を理解していなかったが、何か自分がきっかけで大変なことが起きつつあるように感じた。
「待って、父さん、母さん。花梨も落ち着いて――」
汚れた冊子を抱きしめたまま、僕は三人の間に割って入ろうとする。花梨はキッと涙目で僕をにらんだ。
「落ち着けるわけないでしょ! 鋭利も自分の小説を、読みもしないのに馬鹿にされてそれでいいの? アルファだから小説を書くななんて言われて、受け入れられるような……その程度なの?」
「そうじゃないよ。とにかく、婚約破棄とかそんな話はだめだ。たかが僕の小説なんかで」
「たかがじゃない!」花梨は叫ぶように言って、僕の両親を睨んだ。「婚約破棄でも何でも、どうぞお好きに。アルファがどうとか、オメガがどうとか、あなたたちの時代はそうかもしれない。でも、私たちは違う。絶対に違う!」
たたきつけるように言って、花梨は教室から走り去っていく。僕は呆然とその背中を見送った。腕の中にある汚れた冊子を抱きしめながら。
両親はその翌日、花梨の両親に婚約破棄を申し入れた。僕は罪悪感でいっぱいで、しばらく花梨と顔を合わせることができなかった。だって、僕が小説を書かなければこんなことにはならなかったのだから。
落ち込む僕に母は言った。
「お父さんのことを許してやりなさい。アルファは自らの権威や信念を侵害されそうになったら、相手をねじ伏せることで優位を示そうとする。そういう性分なのよ」
仕方がないことなの、と副性にオメガを持つ母はため息を吐く。兄も妹も、母に同意するように力なく笑っていた。
「兄さんは、花梨が許嫁じゃなくなってもいいの?」僕の質問に医学部へ通う兄の有利は肩をすくめる。
「元々、俺たちはお互いに好き同士ってわけじゃないし、許嫁になった理由がお互いの副性だ。でも、花梨の言うとおり『もうそんな時代じゃない』。婚約なんかない方が、お互いのためかもしれない」
確かに有利の言うとおり、花梨は婚約解消を喜んでいるのかもしれない。それでも、彼女の様子が気になって、僕は学園祭から一週間後のその日、花梨のクラスの教室に様子を見にいった。しかし、ドアのところからのぞいても彼女の姿が見当たらない。
通りかかった顔見知りの生徒を捕まえて尋ねる。
「あの、花梨……朝倉さんは来てる?」
「いや。もう三日間くらい休んでる」
「えっ? インフルエンザで出席停止とか?」
「いや……。先生もそんなことは言ってないけど」
困惑している相手に礼を言って、僕は自分の教室へ戻った。
そうして、花梨の家を訪ねて僕は知ることになる。学園祭の一件と婚約破棄の後、もともと不仲気味だった花梨の両親の仲が険悪になったこと。花梨が反抗して家出して、姿を消してしまったこと。そうして花梨はひと月経っても三ヶ月経っても戻らず、いつしか彼女の両親も引っ越してしまった。
あまりのことに、僕はひどくつらい気持ちになった。僕が両親に反抗しなければこんなことにならなかったのに。いや、そもそも小説なんか書きたいと思わなければよかったのかもしれない。
ぜんぶ、僕のせい。
何もかも嫌になった僕は、それ以来、小説を書くのを止めてしまった。自分の望みも夢も捨てて、言われるがままに勉強だけをして、手の届きそうな大学を受験。そうして、何も望まずにただレールの敷かれた人生を進みつづけていった――。