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09 出て行って

 シンシア嬢との一件では私も思うところがあったのだけれど……相変わらず彼に思いを告げる術をもたないまま、なんとなく、日々は過ぎていった。


 クライヴは本当にこれでいいのかしら。

 亡者に縛られたままでは人並みの幸せなんて、きっと得られるはずもないのに。


「幸福の尺度は人によって違う。君は何も気にする必要はないのだよ、オリヴィア」


 私の不安を見透かすように、彼は何度となくその言葉を繰り返す。

 ……まるで心が通じ合っているみたいだと、そんなふうに錯覚してしまうけれど――本当のところは、分からない。


 だって彼は、私が「亡者」だからこそ興味を惹かれているだけなんじゃないかしら?

 慣れてしまったら。他に目が向いてしまったら。私は、簡単にお払い箱にされてしまうのではないかしら――。


 朝からそんな不安をぐるぐると抱える私とは対照的に、まだベッドで寝汚くしていたクライヴは、ドンドンッという扉を乱暴に叩く音を耳にしても起きる気配すら見せなかった。


 掃除の通いの人が来るにはまだ早すぎるし、この家は"お化け屋敷"として忌避されているものだから、わざわざ訪ねてくる物好きがいるとも思えない。

 ……そういえば、何度か度胸試しに来た子どもたちがいたかしら。クライヴに捕まって「お化けとは何か」の講義を受けた結果、すっかり寄り付かなくなってしまったのよね。まあ、あの壁に飾ってあるお面なんて、普通に見ても怖いものね。


 それはさておき。今回の来訪者は無言を返されても諦める様子を見せず、ドンドンッと音を鳴らし続けていた。


 ――さて、どうしたものかしら。いったい、誰なのかしら。

 扉をすり抜けて顔を出してみると、そこにいたのは――なんと、ブレントン家の当主様。そしてその背後には、私の母と妹の姿まである。もう二度と会うことはないと思っていた人たちがそこにいたことに、思わず変な声が漏れそうになってしまった。


 慌ててクライヴの元に戻ると、彼はまだ夢の中にいる。

 私は指を弾いて、家中に響くほどの強烈なラップ音を鳴らした。


「んん……どうした、オリヴィア。もう昼であるか……?」


 寝起きのクライヴは少し気怠げで――そんな姿も素敵なのだけれど……今は見惚れている場合じゃない。

 先ほどの音に外の者たちが怯んだ気配はあるけれど、それでも再び、扉を叩く音が響いてくる。


「来客とは珍しいな……ありがとう、オリヴィア。知らせてくれたのだな」


 身なりを気にするという発想も無い旦那様は、空っぽの人形の頭をそっと撫で、適当なガウンを羽織って玄関へと向かっていく。

 扉を開ける前に「どなたかな?」と問いかけると、無遠慮だったノックの音がぴたりと止んだ。


「貴公の婚家であるブレントンの者でございます。……大事な話がございますので、どうか開けては頂けませんか」

「おや。我が義理のご両親殿であったか。遠路はるばるどうされたかな?」

「ここでは……人目も気になりますので……」


 ――赤い封筒を不法投棄しておいて、今さら「人目」だなんて。よく言うわ。

 あんな人たち、放っておけばいいのに。クライヴは「ふむ」と顎を擦りながら、静かに鍵を外す音を響かせた。


 開いた扉の向こうに立っていたのは、少しやつれた様子の父と母、そして興奮気味な妹。

 目を皿のようにして室内を見渡しているけれど――そりゃまあ、驚くでしょうね。

 怪しげな道具に、ろうそくの灯り。昼でも薄暗いこの家は、心霊研究家の住処といっても差し支えないのだから。


 それに、ブレントンの屋敷での私の騒ぎを、まだ引きずっているのかもしれない。

 あのときは存分に暴れ散らしてやったものね。きっと私の存在そのものを怖がっているんだわ。


「すまないね、来客は想定していないから椅子もなければもてなしの準備も整っていないのだよ。……それで。いったいどういった用向きかな?」


 立ち尽くす三人のうち、母に小突かれた父がようやく喉を鳴らして前に出る。


「まず貴方様のご状況について確認させていただきたいのですが……アシュウィン家から追放されたという話は本当でございますか?」

「追放、か。正式には絶縁であるが、それがどうかしたのかね」

「では貴方は今、どの家を名乗っていらっしゃるのですか!」

「名乗るも何も、もはや家門に属してもいないからな。ただのクライヴであるわけだが、何か不都合でも?」

「ああやっぱり……! そんな状況だから、オリヴィアはまだ現世に留まっているのではありませんか?!」


 ……何を言い出すのかと思えば。クライヴも顔色こそ変えないけれども、「何言ってんだこいつ」って考えていそうな薄ら笑いを浮かべている。


「ふむ。何か誤解があるようだが。現世に留まっていて何が困るというのだね。オリヴィアは我が妻だ。私の傍にいてもおかしな話ではあるまい」

「それでは困るのです! きっとアレが成仏できないでいるから、様々な厄災が止まないのです!」

「あれからというもの、我が家は社交界でもつまはじきにあってしまっております……! エルモレイン家からは抗議の声が毎日のように届き、イザベラも『アシュウィン家を敵に回したくはないから』と、離縁されてしまったのですよ!」


 ――エルモレイン家。確か、シンシア嬢の実家だったわね。なるほど。クライヴを失った腹いせに、矛先をブレントンに向けたというわけね。

 ……でもそれ以外の件に関しては――いいえ、それも含めて、自業自得と呼ぶのではなくて?


 まさかこの人たちったら、あんな常識はずれの真似をしておきながら、私を誰かに押しつけてしまえばすべて丸く収まるとでも思っていたの?

 もし本気でそう考えているのなら……本当に、なんておめでたい人たちなのかしら。嫌だわ。こんなのが自分の両親だなんて……。


「なるほど。それで文句を言うためにわざわざこんなところまで押しかけてきたと。……よくこの家が分かったものだな」

「散々探し回りましたよ! 幸いにして、人形に『オリヴィア』と呼びかけて愛を語る変人の噂が耳に入りましてね。これは貴方に違いないと、すぐに察しがつきました!」

「それは面白い。一つの都市伝説が生まれたようなものではないか!」

「笑い事ではございません……! どうか、この婚姻は無かったことにしてくださいませ。そして……できることなら、このイザベラを伴侶として迎え入れていただけませんか?」


 突拍子もないことを言いながら、父はイザベラをぐいと前に押し出す。彼女はぎこちない笑顔を貼り付けたまま、優雅に一礼した。


「亡者なんかと婚姻を結ぶから、クライヴ様も家を追われてしまったんですよね? ならば、私となら……アシュウィン家の当主様もお許しくださるのではないでしょうか? クライヴ様も、本当は家を出たくなどなかったはずです。どうか、私に――その関係を修復するお手伝いをさせてくださいませ」


 ――どうしよう。血のつながった家族のはずなのに、何を言っているのかまるで理解できない。

 自分たちの愚行を悔いもせず、平然と他人に責任をなすりつけて――。

 そんな父も、後ろで頷く母も、クライヴに身を寄せようとする妹も……まるで、得体の知れない何かのようだった。


 ああ、情けない。私の身内は、こんなふうに常識も外聞も投げ捨てた人たちだったのかしら。

 以前はもう少しマトモな人間だったはずなのに。それもこれもぜんぶ私のせいだというの?


 クライヴは、抱きつこうとするイザベラをすっと避け、冷めた目で一同を見つめていた。


「……結納金は運ばせたはずであるから、金には困っていなかろう。田舎にでも引っ込んでやり直してはいかがかな」

「まあ、なんて冷たいことを……! 仮にも我が家は、貴方の婚家でございましょう? 困っている婚家に手を差し伸べても、罰は当たらないのではなくて?」

「あの金はイザベラの婚家への賠償金に当ててしまいましたので、ほとんど残っておりません。それに……家も『幽霊屋敷』などと揶揄され、とても住めたものでは……」

「とはいってもこんな家じゃあ私も暮らしていけませんわ……。ねえ、クライヴ様。一緒にアシュウィン家へ謝りに参りましょう? わたくしもお義父様となる方に、ぜひご挨拶させてくださいませ!」


 クライヴの眉間の皺がさらに深くなっていく。……ああ、もしかして遠慮しているの? 私の血縁だからって――。

 だったらそんな必要ない。お願い、クライヴ。私ごと切り捨てて。そうしてちょうだい。


「……まあ!これはもしかして、結婚指輪かしら? 私の指に合うといいのですけれど……」


 目敏いイザベラがそう言って、ひょいと文字盤の上に置かれた指輪を持ち上げ、左手の薬指に嵌めようとした瞬間――。


 ――プチン、と。なにかが切れる音が、確かにした。


 地鳴りのような振動と轟音が家を揺るがせ、蝋燭の灯りが、ふっと消える。

 そして指輪を引ったくるように奪い返すと、妹の手の甲に私の爪痕がくっきりと浮かび上がり、「痛い!」と耳ざわりな叫び声が響き渡った。


 ――出て行って。


 ここは、私とクライヴの大切な家なの。

 誰にも――あなたたちなんかに、穢されたくないのよ。


 だから、今すグ、出テ行ッテ……!!


「オリヴィア……! なぜ早く成仏しなかった! お前さえ消えていれば、我らもアシュウィン家と縁続きになれたものを!」

「どうして死んでまで私たちを苦しめるのよ!? あなたのその痣のせいで、私がどれだけ責められたことか!」

「姉さん、もうやめて……! いくら私が妬ましいからって、こんな無様な真似はやめて……!」


 ――久しく忘れていた、あの感覚。


 どろりとした何かが、胸の中に広がっていく。

 全身を覆い隠すような、どす黒い感情が――もう、止まらなかった。

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