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07 彼と私の共通点

 ――その日から、彼とのふたり暮らしが始まった。


 身ひとつで追い出されたはずだけれど、どうやら彼の口座にはそれなりの貯えがあったらしい。浪費家というわけでもなさそうで、お金に困る様子はまったくない、慎ましい日々を送っていた。


 問題はお金じゃない。

 ――彼の生活態度だ。


 なにせ夜は明け方近くまで眠らず、ずっと何かの調べ物ばかり。日が高く昇る頃になってようやくのっそりと起きてくる。

 私はといえば、すっかり時間を持て余してしまっていて。傍らで眠る彼の寝顔をぼんやり眺めたり、生前の嫌な記憶を反芻したり、綴られることのなかった物語の続きを空想していた。


 あまりにも起きないときなんかには、心配になって水の入ったコップを頭上でひっくり返したこともある。さすがに驚いて飛び起きた彼は私の悪戯だと察したのか、「随分と過激な起こし方だね」と、どこか楽しそうに笑っていた。


 起きたあとは何をするのかと思えば、馬車に乗って遠方へ赴き、伝承の真意を確かめたり、その土地の民話を聞いて回ったり――彼曰く「フィールドワーク」に勤しんでいる。

 どうやら各地を渡るついでに、物珍しい交易品を売り捌いては小銭を稼いでいるらしい。本人はまるで意識していないようだけれど、さすがは大商会をいくつも抱えるアシュウィン家の嫡男。目利きや商才には、確かに恵まれているようだった。


「民俗学と馬鹿にする者も多いのだがね。その地の風土や特色を知るということに他ならない。掘り下げていけば、どこで何が必要とされているのかも容易に見えてくるのだよ」


 なんてことなさそうに言うけれど。馬鹿にされながらも、なおそれに打ち込めるというのは誰にでもできることじゃないと思うわ、クライヴ。

 なによりも、私を宿した人形を肩に乗せて歩き回るその姿は、きっと周囲の注目を集めずにはいられないはずなのに。当の本人はどこ吹く風で、まったく気にする素振りも見せない。

 

 「社会不適合」だなんて、シンシア嬢も酷いことを言うわと思っていたけれど、今となっては完全に同意せざるを得ないかもしれない。

 掃除は結局人を雇うことになったし、食事は村の食堂か出来合いのもので済ませている。正規の仕事にも就いていないし、家にいるときはひたすら机に向かって、何やら書き物ばかりの日々だ。


 今も、熱心にペンを走らせているけれど……きっと、これは私の性分ね。何を書いているのかどうしても気になって、こっそり背後から覗き込んでみると――そこには、彼が訪れた土地の民話や伝承についての報告や私見、成立過程が、味のあるイラストつきでみっちりと書き込まれていた。


 思わず感嘆の息を吐くと、彼はおもむろにこちらを振り向いた。


「さては、そこにいるな? ……あたりだろう? どうやら私も君の気配が感じ取れるようになってきたようだ。これも愛の賜物かな?」


 そう嘯く彼の笑顔に、どこか浮ついた感情が湧きあがるけれど――それより何より、彼の筆致のなんて見事なことかしら。続きを読みたくて、なんとかページを捲れないものかと必死になってしまう。

 そんな私の執念を感じ取ったのか、羽ペンを置いた彼は呆れたように微笑んだ。


「……落ち着きたまえ、オリヴィア。完成したら推敲がてら読ませてあげるから」


 きっと彼は、作家としてもう何本も本を書いている人だったんだわ。ああ、生前に知っていたなら彼の本もきっと買い占めていたのに。そんなふうに思ってしまうほど、彼の文章は魅力的で、ぐいぐいと引き込まれてしまう。


 おどろおどろしい民話や都市伝説の類はあまり得意じゃなかったはずなのに。

 彼の手にかかれば、あら不思議――どれも心を動かす物語に生まれ変わる。


 どうしてこんな民話が生まれたの?

 この鬼母はどうなってしまうの?

 モチーフは同じはずなのに、地域によって伝わり方が異なるのはなぜかしら?


 私も生前は手慰みに小説なんかを書き殴っていたんだもの。興味を抱いて当然でしょう?


 同じ出版社でも利用していたのかしら?

 それともたまたま目についたのかしら?

 誰にも知られたくないのに、誰かに読まれたい。そんな矛盾を抱えた末に、伝手を使って発刊した一冊。まさか彼の本棚でそれを見つけることになるなんて思わなかったから、驚いてしまったわ。

 

 彼に選ばれた。その事実だけでちっぽけな自尊心が満たされたのだから、単純な女ね、オリヴィア。


 ……本当に、不思議な魅力を持った人。人目を気にしてばかりだった私とは対照的過ぎて、最初は戸惑うだけだったのに。彼との共通点を見つけるたびにまた一つ、胸の奥にあるどろどろとしたものが薄れていく。段々と彼に惹かれている自分がいることにも否応なく気付かされる。


 ……いけないわ、オリヴィア。私はもう亡者なのだから。

 彼にこれ以上心を寄せてしまえば、もっともっとこの世に未練を残して、成仏できなくなってしまうかもしれないのに。

 

 それでも――彼との毎日はとても刺激的で、そして楽しいものだったの。

 

 静かに、けれど確かに。

 ふたりの時間は積み重なっていった。

 

 お出かけの時なんかはね、どこに行くにも、私の旦那様は肩に小さな人形を乗せて熱心に語りかけるものだから。

 すっかりこのあたりの名物になってしまっているのよ。


「我が妻よ、あれが見えるかな? あれは蒸気機関車というものだ。これまででは考えられなかったほどの短時間で、はるか遠くまで旅ができるようになるのだよ。……そういえば、近場ばかりで新婚旅行らしいこともしていなかったな。どうかな、鉄道を使ったフィールドワークというのも。悪くはあるまい?」


 はたから見れば、人形に話しかける奇人そのものなのに。

 周囲から突き刺さる視線などまるで意に介する様子もなく、クライヴは今日も嬉々として私に語りかけ続ける。


「ミルヘイヴンには、水霊と人が結びつくための供物婚なる因習があるそうだ。エルズリッジに眠る『知の書物』もぜひ拝みたいものだし、サウスグレイヴの沼地には冥府に至る道なんてものがあるらしい。ああ、考えるだけでも心が躍るな。そうは思わないか? 我が愛しのオリヴィアよ!」


 興奮を隠しきれない様子で、仰々しく両手を広げるクライヴ。たまたま通りがかった小さな女の子が、怯えた目で母親の陰に隠れるのが見える。


 ……彼がこうなったら、止める手段はただひとつ。

 私は超常現象とも呼ばれる力で、そこらに転がっていたバケツをふわりと動かし、彼の頭上で遠慮なくひっくり返した。

 ばしゃっ、と派手な音を立てて水が降りかかり、文字通り彼の頭が冷える。


「……私としたことが。いつもすまないね。さて、今日はもう帰ろうか。君のために文字盤も新しく用意したんだ。……もう少しで紙を破らずに言葉を交わせそうだな、オリヴィア」


 何事もなかったかのように鞄からハンカチを取り出し、慣れた手つきで頭を拭いながら歩き出すクライヴ。その背中を見ながら、私は小さく笑ってしまう。


 そう、文字盤と指輪を使ったふたりの会話の練習も、いよいよ成果が出そうなところまで来ていた。


「おや、あれはまさか……! オリヴィア、オリヴィア! あれが見えるかね? もしや、未確認飛行物体と呼ばれるものではないかね?!」


 あれは……低級の霊鳥よ、クライヴ。

 困ったわ。私と一緒にいすぎたせいで、見えてはいけないものまで見えるようになってしまったのね。


 本人にとっては、むしろ望ましいことかもしれないけれど――。

 またしても興奮して空を指差す彼を前に、私は誰に聞かれるでもなく、そっと溜息を漏らした。

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