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03 花嫁は悩み、花婿は笑う

 両親に取り憑いて離れられなかった私の魂は、盃を交わした瞬間、自然と彼のそばへと引き寄せられていた。


「――ふむ。この背筋を這うような悪寒こそ、我が妻がそばにいる証なのだろうか? ふふふ……まさか心霊現象をこの身で味わえる日が来ようとはな!」


 ……もしかしたら私、とんでもない人の元に嫁いでしまったのかもしれない。


 怯えるどころか、むしろ嬉々としているその姿にはただただ驚かされるばかり。

 裏を感じさせない明るさと無邪気さに、どこか淀んでいた私の霊気が、ほんの少しだけ晴れていくのを感じてしまった。


 呆気に取られていたのはどうやら私だけではなかったらしい。両親もまた、ぽかんと立ち尽くしていた。

 けれど彼はもうすっかり両親には興味を失ったようで、「それでは、何かあったらアシュウィン家まで」とだけ言い残し、あっさりとその場を立ち去ろうとする。


「あ、アシュウィン家だと……!? まさか貴方様は、あの名門アシュウィンの……!」


 父が色めき立つのも無理はなかった。この一帯でアシュウィン家を知らぬ者などいないのだから、私も思わず耳を疑った。

 たしかに、変わり者の嫡男がいる――そんな噂は聞いていた。でもまさか、この人こそがその本人だったなんて。


 彼は父の問いかけには答えず、背を向けたまま片手をひらりと上げた。

 呆然と立ち尽くす両親だけがその場に取り残されていた。


 *


 どこへ向かうのかと思えば、少し離れた場所に待機していた馬車へと軽やかな足取りで歩み寄る。

 雨に濡れた御者に「家まで」とだけ簡潔に告げると、そのままキャビンに乗り込んだ。


「さあ、我が妻よ。まずは古屋敷へ向かうとしよう。とはいえ、すぐに別の家へ移ることになるだろうが……」


 虚空に向かって語りかける彼に、私は応えることができなかった。

 だって私、ただの幽霊なのだから。

 不思議なことに、物には干渉できても、人には触れることすらできない。

 伝えたいことは山ほどあるのに、声を持たぬ身では、ただ見守ることしかできないのだ。


 もしかすると、彼は冗談半分で私を"妻"と呼んでいるのかもしれない。

 あるいは、形だけでも婚姻を結べば私の未練は果たされ、さっさと成仏する――そんなふうに考えていたのかもしれない。

 でも、困ったことに私の未練はそんなものじゃなかった。だって結婚だなんて本当に望んでいなかったのだもの。


 ……どうしよう。困ったわ。このままでは親切な彼の人生を縛ってしまうんじゃないかしら。

 なぜか楽しそうにしている彼とて、まさかずっと取り憑かれるなんて思ってもいないでしょうに。


 悶々と考え込んでいると、彼が「ああ」と手を打った。


「お互いの意思疎通の方法についてだが、どうやら君はある程度は物や空間に干渉できるらしい。イエスならラップ音を一度、ノーなら二度鳴らす――これはどうだろう?」


 ――なるほど、それならできそう。

 どうやら私は、生前に怨念――のつもりはないんだけど――をいろいろと溜め込みすぎたせいで、それなりの力を持つ霊になってしまったらしい。

 だから、音を立てるくらい簡単なことだ。


 実体のない指を弾いてみせると、パキッ、と木の軋むような音がキャビンの中に響いた。

 しばしの沈黙の後、彼は目を閉じ、満足げに頷く。


「……素晴らしい。これで私は君と滞りなく交流できるというわけだ。家に着いたら、君との暮らしのために準備を整えるとしよう。なあに、不自由などさせないさ。我が妻となってくれたのだ。当然、厚遇をもって迎え入れねばな」


 よくもまあこんな悪霊まがいをあっさり受け入れたものだと、思わず感心してしまう。

 それとも何か裏があるのかしら? あとからブレントン家に慰謝料でも請求するつもりだったりして?

 ……うちも裕福ってほどじゃないし、むしろアシュウィン家が集られる羽目になるんじゃないかしら。


 馬車の中でも、御者が何度も不審そうにキャビンを振り返るほどに、彼はひとりでしゃべり続けていた。

 しかも質問の内容ときたら、「雨は好きか?」といった世間話から、「民話や伝承に興味はあるかい?」という専門外のものまで多岐にわたり、私はそのたびに指を弾いて返事をする羽目になった。

 本来なら疲れなど感じないはずなのに――ありもしない身体が重たくなっていくようだ。


「――ふむ。これで大体のことは聞けただろう。それでは、最後の質問だ。君は……成仏を望んでいるのかな?」


 すっかりクタクタになっていた私は、その問いに、思わず指を弾く手を止めてしまった。

 こんな状態で現世を彷徨い続けたいわけじゃない。成仏できるものなら、もちろんしたい。

 ――でも、駄目ね。

 よそ様からすればくだらないと思われるかもしれないけれど……どうしても、心残りがあるの。


 迷いながらも、私は指を二度鳴らす。

 クライヴは「なるほど」と静かに頷いた。


「本来なら、君の願いを真っ先に叶えるべきなのだろうが……すまない。少しだけ、私の用にも付き合ってくれないか」


 申し訳なさそうに言葉を選ぶ彼。

 ――やっぱり、善意だけで私を娶ったわけじゃなかったのだと。わかってはいたけれど、それでも、少しだけ胸が落ち着かない。


 でも、何らかの思惑があるなら逆に安心よ、オリヴィア。

 そうでなければこの人は、『亡者を嫁にする』という、ちょっと特殊な性癖の持ち主になってしまうんだから。


 それにね。私も、この人に興味を抱いてしまったの。

 だって彼が語った「民俗学」への熱意は、素直に尊敬できるものだったから。


 名家の跡取りでありながら民間伝承や因習にのめり込み、「民俗学」なるものに取り憑かれていると、クライヴは自ら語ってくれた。

 未婚の霊と婚姻を結ぶ「冥婚」についても詳しく、赤い封筒の噂を耳にするや否や、いても立ってもいられず馬車に飛び乗ったのだと目を輝かせていた。


 その熱量に当てられたのか、それとも、軽妙な語り口に惹かれたのか――。

 ……まさか、父以外の男性とこんなにも長く会話を交わしたことがなかったから、つい意識してしまった……なんて、違うわよね? オリヴィア。もしそうなら、我ながらあまりにも悲しすぎるわ。


 ……そうは言っても、少なからず彼に好意を抱き始めている自分もいる。

 だってこんな人に出会ったの、初めてなんだもの。

 でも、ダメよ、オリヴィア。私は亡者で、彼はこれからを生きる人なのだから……。


 口を閉じる様子のないクライヴの声もそっちのけで、またひとり悶々と考え込んでいるうちに――。

 馬車は、視界に収まりきらないほど大きな屋敷の前で停まった。

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