02 雨の中の奇妙な婚礼
彼が赤い封筒に触れたのを確認するやいなや、すかさず二つの影が物陰から飛び出した。
「ありがとうございます! これにて、我が家の娘は貴方様のもとへ嫁入りすることとなりました!」
「今日はなんとめでたい日なのでしょうか! 本当に、おめでとうございます!」
必死な形相でまくし立てる両親の声は通行人の注目を一気に集め、私は思わず俯いてしまった。私のためならば今すぐにでもやめて欲しいのに。あまりの気恥ずかしさに、顔を上げることさえできない。
いきなり嫁を押しつけられたんだもの。この人だってきっと、厄介ごとを嫌って逃げ出すに違いないわ。
あるいは、頭のおかしな連中だと怒鳴りつけて立ち去ってしまうはず。――そう思っていたのに。
彼は躊躇うことなく封筒を破き、中身を取り出してしまった。
「――おや。伝承によれば、絵姿も同封されているはずだが……それはどうしたのかな?」
封筒から現れたのは、私の名前が書かれた紙と、死後に切り取られた私の髪が一房。
彼はそれらをしげしげと眺め、首を傾げながら父に問いかけた。
「いや……絵姿は娘が嫌がるものだったので。それに、霊魂となった今では、姿形に囚われる必要もないでしょう?」
「なるほど、そういう解釈もあるか。……いやはや、このような地で冥婚なる因習に本当に出会えるとは思わなかった。……ふふふ、これはなんたる僥倖であろうか!」
抑えきれない興奮をあらわに叫んだ彼に、母が思わず一歩、引いていた。
……もしかして。この人も少し、頭のおかしい方なのかしら?
彼は周囲の視線などお構いなしに、勢いよく父に詰め寄っている。
「そちらが、この花嫁の父君か? 冥婚の習慣が残る地方の出身で?」
「そんなまさか! 実は、娘は事故死したのですが現世に留まっているようでして……。祓魔師なる者に相談したところ、生前に婚姻もできず、収まる家もなかったことに未練があるのだろうと……」
「婚姻によって居場所を与えれば、未練も断たれ冥府の門をくぐれるはずだと伺いましたの」
……あのぽんこつ祓魔師。
荒れ果てた屋敷に足を踏み入れた瞬間、「これは手に負えぬ」と見て、適当なことを言っただけなのに。
それなのに、そんな与太話をこの人たちはすっかり信じ込んでしまって。私という存在を軽んじられたようで、腹立たしくて仕方がない。
結婚だなんて、望んだこともなかったわよ。だってこの痣はどうしたって消えはしないんだもの。
私の本当の未練は、婚姻が叶わなかったことなんかじゃない。もっと別の、残してしまったものがあったから――だから私は、今もここにいるのに。
「なるほど。その祓魔師が無能だったのか、それとも彼女がそれほど強い執着を残していたのか……それは追って検証するとして――婚姻は成立、ということでよろしいのかな? 指輪の用意は? あるいは儀式の必要は?」
「さ、盃を交わしていただければ、それで結構です。……私が言うのも何ですが、本当に良いのですか?」
相手が嫌がろうとも無理やりにでも段取りを進めるつもりだった父は、予想外にも相手が乗り気だったことでかえって困惑している。
私だってまさかこんな反応をされるとは思っていなかった。何かあれば霊障を使ってでも止めるつもりで構えていたのに、思わぬ展開に呆気に取られたまま、つい成り行きを見守ってしまった。
「ふむ、その盃は用意されているのだろう? 本来なら、こちらが指輪を用意すべきなのだろうが……それも追って、ということで。さて。私の花嫁となるオリヴィア嬢は、本当にこの近くにいるのだな?」
「あ、ですから娘はもう……」
「そんなことは承知している。諸君らが彼女の霊が現世に留まっていると判断した根拠を知りたいのだ。なにかしら現象があったのだろう?」
儀式も霊の存在も当然のように受け入れた彼は、矢継ぎ早に父へと質問を投げかける。その勢いに目を白黒させながらも、父は一つひとつ、律儀に答えていった。
なにせあちこちに相談しては頭のおかしな人扱いされてきた父だ。初めて真剣に話を聞いてもらえたことが、よほど嬉しかったのかもしれない。説明にも自然と熱がこもっていった。
――そう。私が死んでからというもの、ブレントン家では、ありとあらゆる心霊現象が起きていた。
けれどもそれらを気のせいや夢と片づけることなく、彼は真顔で頷いてくれた。
「――なるほど、なるほど。典型的なポルターガイスト現象が生じていたというわけか。その手首の痣は霊障によるものかな? 姿を目にしたことは? 金縛りの経験は? ……素晴らしい。では、その盃を貸してくれたまえ。略式でも差し支えあるまい?」
彼は父から陶器の盃を受け取り、母が恐る恐る注いだ酒を、ぐいと勢いよく飲み干した。
そして、再び注がれた盃をすっと前へ差し出してくる。――まるで、私の姿が見えているかのように、ぴたりと私の目の前へ。
「さあ。私との婚姻を受け入れてくれるならば、この盃を受け取ってくれないか?」
雨が降り始め、人々が帰宅を急ぐ中で繰り広げられる奇行。通り過ぎる通行人たちが、奇異と好奇の目を向けてくるのも無理はない。
けれど、彼はそれをまったく意に介することなく、得意げに顎を上げていた。
その瞳があまりにもまっすぐで、どこまでも純粋で。
……どうしてかしら。どこか、私と似た空気をまとっていた。
一呼吸おいて、私は盃を受け取った。
一見すれば宙に浮いているはずのそれに、彼はわずかに目を見開き――。
「――ああ。どうやら私は、最高の花嫁と出会えたようだ。……我が名はクライヴ。これから末永く、よろしく頼むよ、我が花嫁よ」
――こうして私たちは、雨降る往来の真ん中で、晴れて夫婦となった。