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11 あなたにだけ見せる物語

 クライヴは早々に手配してくれて、代理人を通じて、正式にブレントンの屋敷は彼のものとなった。


 両親と妹は、ひっそりと国を出たらしい。代理人の話によれば、父の首と母の額、そして妹の頬には、それぞれ手形のような痣がくっきりと残っていたそうだ。

 ……皮肉なものね、オリヴィア。あの人たちにもいつか私の気持ちが分かればなんてねちねちと思っていたのに。こんなかたちで叶うなんて、なんとも不本意な結末だったわ。


 そして久しぶりに訪れたブレントン家は――それはもう、なんとも前衛的な外観になっていた。

 子どもたちの悪戯かしら? 壁一面には『幽霊屋敷』の落書き。ぼうぼうに伸びた草むら、割れた窓……。見るも無惨な生家の姿に私は思わず言葉を失ったけれど、クライヴはと言えば「随分と先進的だね」と、私と同じような感想を漏らしていた。


「安心したまえ。君の部屋にはどうやっても入れなかったそうだよ。……君の怨念でも残っていたのかもしれないね?」


 悪戯っぽく笑う彼に、つい私も苦笑を返してしまう。

 ……そうね。私自身も部屋に入れなくて、この手で処分することが出来なかった。それでも万が一にでも、あの中身を読まれて笑いものにでもされていたら――それこそこの世を呪う悪霊にでもなっていたかもしれないわ。


「まあ、気持ちは分からなくもないな。私も手慰みに書いた私小説を父上にでも読まれようものなら……。うむ、想像するだけでも面白くない」


 あら、クライヴったら私小説なんてのも書いていたのね。読んでみたい気もするけれど、それはきっと、彼にとっても触れてほしくないものなんでしょう。だったら想像に留めておくことにするわ。


 彼が屋敷の中を見回している間、私は案内するようにひと足先に足を進めた。

 不思議なものね。朧げながらも私の輪郭が見えるようになっていたクライヴは、きしむ床と割れたガラスを踏みしめながら、ゆっくりと私の背を追ってきてくれる。


 ……やっぱり、亡者と長く一緒にいるものじゃなかったのかもしれない。

 霊が見えるようになったことを心から喜んでいた彼だけれど、その身体の周囲に良からぬものがちらちらと浮かんでいるのが、私には見えてしまっていた。


 それを払うように進んだ先、階段を上った奥の一室。

 何の変哲もない木の扉だけれど……無理やり開けようとした形跡が残っている。ドアノブの周辺に刻まれた多数の傷が、それを物語っていた。


「鍵など無いのに、ノブに触れただけで異様な力に弾かれたそうだ。……はてさて。君は私を、受け入れてくれるかな?」


 冗談めかした口ぶりでクライヴは笑う。そして何の躊躇もなく、ノブに手をかけた。

 ……何も起こらなかったことが残念だったのか、彼は少しだけ肩を落とし、そしてゆっくりと扉を押し開けた。


 久しぶりに足を踏み入れた室内は――あの夜、家を抜け出したときから何ひとつ変わっていなかった。

 窓際には幼い頃からずっと使い続けてきた古びた勉強机が置かれている。机の上にはインク瓶と羽ペンが数本。カーテンは閉められたままで、真昼だというのに、部屋の中にはどんよりとした影が漂っていた。


「……君は、ここで過ごしていたのか」


 ええ、そうよ。この部屋が私の唯一の居場所だったの。


 ずっと部屋に籠もっていたから、お手伝いの方も掃除に入れずに困っていたわ。仕方がないから自分で掃除もするようになって、気付けば、誰も寄りつかない完全なる私だけの空間になっていたのよ。

 親も妹も、陰気臭いと吐き捨てて見向きもしなかった、正真正銘――私だけのお城だったの。


 壁際の本棚には、こつこつと集めた書物が整然と並んでいる。

 装飾品を一切欲しがらなかった代わりに、無理を言って取り寄せてもらった私の大切な宝物たち。

 クライヴも興味を引かれたのか、背表紙を指でなぞっては、「ほう」とか「これは……!」なんて声を上げている。


「……これは、アルジャーノン・ウィットコームに頼んだものだろう? 彼には私も世話になっているよ。少部数でも刷ってくれるし、そのまま販売も代行してくれる。小遣い稼ぎにちょうどいい」


 そう言いながら、彼は一冊の本を手に取る。

 『銀の森の精霊たち』――オリヴァー・ブライアン名義で刊行した、私の処女作だ。


「この本はアルジャーノンから紹介されたんだ。……確かに拙い部分はあったが、美しい世界観と綿密な伏線には驚かされたものだよ。私はあまり文学小説は好まなかったのだがね」


 アルジャーノンさんとは、文芸同好会で知り合った。詩を寄せた私に、手紙を送ってくれたのが始まりだったかしら。

 生前の私もあの人には随分と助けられたの。私の事情を理解してくれて、いろいろと便宜を図ってもらったのよ。

 そうして世に出たのが、この一冊。密かに届けられた本を初めて手にしたときの感動は今でも忘れられないわ。嬉しさと、気恥ずかしさと、家族にバレはしないかという恐れとで、胸がいっぱいになったの。


 ……でも、どうしてクライヴは私がオリヴァーだと知っていたのかしら。

 もしかして、それも――夢の中で見せてしまっていたの?

 もしそうだとしたら、恥ずかしいなんてものじゃない。

 だって、書き散らした原稿も、あの机の中身も、ぜんぶ見られていたということなのだから。


 私の疑念の答え合わせをするかのように。

 クライヴは古びた机の三段目に手をかけ、何の迷いもなく引き出した。


 底に敷かれていた花模様の紙を、爪先でそっと引っかく。

 わずかに浮き上がったその角を摘まみ、慎重にめくると――ぴたりと隙間なく収められていた底が音も立てずに外れた。

 

 その下に露わになったのは、幾重にも重なるノートと、綴じられた紙束たち。

 きちんと束ねられたそれらの頁には、私の拙い筆致でぎっしりと物語が綴られていた。


「――ふむ。まさに夢でみた通りであるな」


 クライヴは頷き、そっと一冊のノートを取り上げる。革表紙の端がすり切れており、何度もめくり返された痕跡があった。


 まるでそこに、私の心そのものが潜んでいるように思えて。クライヴは、何よりも丁重にそれを扱ってくれた。


「夢で見たとは言ったが、場所も、場面も断片的であったからな。君が綴る物語を堪能していたというのに、水を掛けられて起こされたのだからたまったものでは無かったぞ、オリヴィア」


 あら、それは怒らせても仕方がなかったかもしれないわ。ごめんなさいね、クライヴ。金縛りに遭いながら私の半生や物語を垣間見てくれていたなんて、知らなかったのよ。


「改めて、読ませてもらっても? ……それとも、書きかけは見せたくない主義かな?」


 少し迷いながらも、室内に小さなラップ音をひとつ響かせる。にっこりと笑んだ彼は椅子を引いて、原稿用紙に目線を落とした。

 

 ……真剣な眼差しで文字を追う横顔を、いつまでも見ていたいと思ってしまう。


 もうすっかり外は暗くなっているのに、彼は席を立つ気配もない。

 お腹は空かないのかしら。喉は乾かないのかしら。

 お尻も痛くなるでしょうに、飽きもせずに物語に没頭している。

 

 あまりにも膨大な量だから呆れているんじゃないかしら。私も背後から覗き込んで、かつて自分が綴った物語に思いをはせる。

 ああ、そうだ。この夜の海のシーンをもっと詳細に書きたくて、衝動的に私は家を抜け出したんだ――。


「……未完、であるか。まったく勿体ない話だ。この話の続きは君の頭の中にしかないのだから」


 ……ふふ、おあいにく様。実は終わりは考えていなかったから私の頭の中にも存在しないの。

 たとえ終わりまで思いついたとしても、もう私にはそれを残す手段がないのよ、クライヴ。

 


 あの人たちに見つかることなく手元に戻ったからかしら。

 それとも、クライヴに読んでもらえて供養にでもなったのかしら。

 ……誰にも見られたくないと思っていたのにね。クライヴにだったら、構わないわ。

 

 むしろ是非感想を聞かせて欲しいところだけれど。

 ふと、自分の中の何かが軽くなっていく感覚がした。

 

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