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01 赤い封筒を拾う男

「なるほど……。随分とまあ、数奇な運命を辿ったものだな。オリヴィア・ブレントン」


 肘掛けに頬杖をつき、私に語りかけてくるのは――『冥府の主』と呼ばれる、人とも神とも知れぬ、人智を超えた存在だった。

 人間とは思えぬ異形の姿をした主との対談を促された私は、まるで審判を待つ罪人のような気持ちで、深々と頭を垂れる。


 ……ええ、確かに。とても奇妙な人生を歩んできたと、自分でも思うわ。

 なにせちっぽけな未練を手放せなかったばかりに、亡者として現世に留まり続けることになったのだから。


「しかし――亡者と婚姻を結ぼうなどと、改めて聞いても正気の沙汰とは思えんな」

「……ええ。あの人はとても風変わりな方でした」

「ふむ……輪廻の門をくぐるにしてもまだ時間はあるだろう? せっかくだ。詳しく話してくれまいか?」

「構いませんけれど……。もしかして、私たちは冥府の大罪を犯してしまったのではないでしょうか?」

「それを禁忌とするのは生者の理屈だよ、オリヴィア。……さあ、聞かせてくれたまえ。君たちの――馴れ初めを?」


 悪戯っぽく笑う冥府の主は、まるで好奇心を抑えきれない子どものようだった。

 もしかしたら、この人も退屈を持て余していたのかもしれない。


 あるいは、あの人と同じように――好奇心を擽られたのかも。


 

 --*--+--*----*--+--*--


 

 彼と出会ったのは、何日も降り続いていた雨がようやく上がった夕方のこと。

 私の釣書は赤い封筒に収められ、乾き始めた石畳の上を転がっていた。


 ……どうして死んでからまで、こんな思いをしなければならないのかしら。


 濡れ葉が散らばる石畳の上でもひときわ目を引く、その赤い封筒。

 このあたりでは見慣れないその異質な存在に人々は顔を顰め、忌避するように通り過ぎていく。

 もしかすると噂でも立っているのかもしれない。うっかり拾ったが最後、亡者との婚姻を迫ってくる非常識な親がいるのだと。


 もう何日が経ったのかしら。父も母も、そろそろ諦めてくれればいいのに。胡散臭い祓魔師の口車に乗せられた二人は、封筒が誰かに拾われるのを、物陰からじっと待っている。


「まったく、死んでなお私たちの手を煩わせるなんて、なんて親不孝な娘なんだ!」

「誰でもいいから、早く拾ってくれないかしら……もう」


 縁談がことごとく破談になったのは、死化粧でも隠しきれなかった顔に広がる青痣のせい。「悪魔のお手つき」だなんて陰口を叩かれ、見合いはおろか、釣書の時点で断られてばかりいた。

 人目を避けて部屋に閉じこもり、社交界にも出られず、肩身の狭い家の中でただ生きていた日々。

 穀潰し――そう呼ばれていたのが、この私、オリヴィア・ブレントン。


 父と母は幼い頃こそこの顔を不憫に思い、気遣ってくれていたけれど……。

 歳の離れた愛らしい妹が生まれてからは、あからさまに疎まれるようになってしまった。


 ……私だって、好きでこんな顔に生まれたわけじゃないのに。

 迷信好きな親族に口汚く罵られるのも、きっと嫌だったんでしょうね。


『お前たちの前世の業が、娘に降りかかったんだろう』


 ……なんて、ね。


 かといって、自ら命を絶つ勇気もなく。ただ部屋に閉じこもり、自分の世界をノートに綴るだけの毎日。

 そんな状況で崖から落ちたのなら、世を儚んでの投身自殺だと疑われても仕方ないかもしれないわね。


 でもね。夜の闇に紛れて、ほんの少しだけ外の世界に触れたかっただけなの。

 星空を仰ぎ、波の音を聞き。束の間でいいから、人目を気にせずにいられる自由を味わいたかったのよ。

 

 それにね。死を悟った瞬間にどこか安堵したのも事実だった。

 これで、この息苦しいだけの世界からようやく解放されるのだと思ったから。


 ――だというのに。

 気がつけば亡者となって家の中を彷徨い、声も出せず、物にも触れられない存在になっていたなんて。

 ……まさか、冥府の門すら私を拒むつもりなのかしら?


 必死に家族へ訴えかけても、誰ひとりとして気づいてはくれなかった。

 代わりに喪も明けぬうちに耳に飛び込んできたのは、「これまでどれだけオリヴィアに手を焼いたか」「厄介払いができて良かった」だなんて、耳を塞ぎたくなるような言葉ばかり。


『姉さまが亡くなったのは残念だけれど――正直、安心したわ。婚家でも嫌がられていたのよ。「ご両親が亡くなられたら、貴女がお姉さんの面倒を見ることになるんじゃなくて?」……なんて』

『その時は修道院にでも入ってもらうことになっていただろうが、それにも先立つものが必要だからな……』

『そうねぇ……。でも、これで無責任な親戚にあれこれ言われずに済むのよねぇ。何よ、"前世の業"って……。死んだらそれで終わりじゃない、ねぇ?』


 ――私の心模様を映すように、赤い封筒は石畳の上でじわじわと薄汚れていく。

 誰にも選ばれなかった生前を思い出すようで、祓魔師が口にしていた"魂の輝き"とやらが、どろり、どろりと濁っていくのが自分でもわかった。


 このままでは、本当に悪霊になってしまうんじゃないかしら。

 あの道端で恨めしげな目つきで馬車を睨みつけている、あの男の霊のように。


 ……あら。それも悪くないかもしれないわね。

 生前は自分を押し殺して生きていたんですもの。死んだ後くらい好きに呪いでも振りまいたって、きっと罰は当たらないわ。

 それに――悪霊と化してしまえば、高名な祓魔師が本気で祓ってくれるかもしれないし?


 そんな不穏な思いが、じわじわと胸の奥に染み広がっていくそのとき――。

 不意に、シルクハットをかぶった長身の男が足を止め、地面に転がる赤い封筒に視線を落とした。


 ――ああ、駄目よ。そんなものに興味を持たないでちょうだい。

 父さんもそんな喜色を浮かべないでちょうだい。

 これ以上私に恥をかかせないでちょうだい。ねえ、お願いだから。


 どろり。動かぬ心臓のあたりに泥のような濁りが広がった、その時。

 その男は、自分の落とし物でも拾うかのようにあまりにも自然な動作でしゃがみ込み、赤い封筒に手を伸ばして――そして、触れてしまった。

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