3話
時代遅れのソファーと小机が置かれた応接間。事の経緯が明かされたこの空間には当然のことながら酷く重苦しい空気が漂っていた。
話し終えた後、がっくりと項垂れて動かなくなってしまったロキ。彼の様子をパイメロは手を組みながら冷静に見つめている。組まれた手の甲には青々とした血管が浮き出ていた。
「うーん、やっぱり手作りは違いますねぇ。いつものより甘くて酸っぱくって、とっても美味しいです」
そんな周りの空気など一切気にすることなく、ムラヤマは自分の前にだけ置かれた朝食に頬を押さえながら、何とも幸せそうな顔を浮かべる。メニューはふわふわモチモチなパンケーキ。その上には“例の手法”で収穫された野イチゴで作ったムラヤマお手製スペシャルジャムとバニラアイスが添えられていた。
「……前から変な野郎だとは思ってたけどよぉ、あんな話聞きながらよく美味そうに飯食えるよな。他人を思いやる心っつーか、そういう気持ちにはならねぇのかよ」
「あんまりそういうの分かりませんねぇ。けれど私、喜怒哀楽とか顔に出やすい方ですし、結構感情豊だと思いますよ?」
そう言ってムラヤマはナイフとフォークを巧みに使いパンケーキを頬張ると、今度は明らかにワザとらしい幸せそうな顔を見せつけてくる。そしてどうだといわんばかりにフンスと鼻を鳴らし、自慢げな表情で感想を求めてきたのだ。全く話にならないと悟ったパイメロはドヤ顔を披露する彼女、通称“ドヤムラさん”に対して敢えて何も言わず無視を決め込むことにしたのであった。
パイメロが指摘した通り、ムラヤマには他人を思いやる気持ちなど一切存在していない。何故か引き合いに出してきた喜怒哀楽も“喜”と“楽”の部分しか恐らく持ち合わせていないし、ロキが語った凄惨な依頼の動機に対しても、『お話が長くて退屈ですねぇ……』程度にしか思っていないのであろう。
最後の一切れを食べ終え、お行儀よく“ごちそうさまでした”と手を合わせる。温かい緑茶で一息つき、目を閉じながら素敵な朝食の余韻にじっくり浸った後で、ようやくロキの方へと顔を向けた。そんな彼女でも、一つだけ興味があることがあったようだ。
「それで、女の子は結局どう殺されちゃったんですか? ほら、勿体ぶらないで早く見せて下さいよ」
「…………見せる?」
言葉の意図が分からず、思わず顔を上げたロキ。そこには先程より神妙そうな顔をしているパイメロと、クリスマスプレゼントを目の前にして早く開封したくてウズウズが止まらない子供のような笑顔を浮かべるムラヤマがいた。
「普通の人は騙せても殺し屋の鼻は誤魔化せませんよぉ……。入っているんでしょう? 箱の中に貴方の大切な女の子が」
不意に心臓を思い切り掴まれたような衝撃に彼は驚きを隠せずにいた。回復師としての経験と知識を最大限に活用し“腐敗からなる腐乱臭”などは完璧に防いだ筈だったからだ。
「……分かった。二人とも、こっちに来てくれないか」
プロの二人に自分の技術など所詮小細工なのか。そう悟ったロキは二人を呼び寄せ、絨毯に置かれた箱を取り囲む。ロキが施錠を外し、そっと蓋を開けたのであった。
「――へぇ、なる程。これは本当に“グチャグチャ”になってますねぇ」
後ろで手を組み興味深そうにマジマジと箱の中身を見つめるムラヤマ。
「んだよ、コレ……!!」
そんな彼女とは裏腹にパイメロは必死の思いで歯を食いしばり堪えていた。箱の中身を覗いた際に生じた異常過ぎる生理的嫌悪感と、込み上げてくる行き場のない激しい怒りに思い切り声を荒げ叫び散らしたかった。
だが、優しさと哀愁が交じり合った顔つきで、癖毛交じりのモフモフな白髪を撫でるロキの前ではその様な敬意を損なう真似など決して出来なかった。
まるで寝息が聞こえてきそうな程、ハウの顔は綺麗だった。もちもちほっぺをちょこんと指で突けば今にも起き出してとびきり可愛らしい笑顔で『おはよう』と挨拶してきそうであった。
しかしほんの僅か視線を落とせば地獄のような現実が待ち受けている。首から下は最早身体と呼べるような形状をしていなかった。その中でも所々縫合されている箇所があるのがまた一段と胸が締め付けられる。
「何回も何回も目の前でハウを殺されかけてさ。その度に回復で治したんだけど、段々効果が薄れてきてね。結局、最期はこうなっちゃった」
もう起きることの無いハウの頭を撫で続けるロキがひっそりとそう呟いた。
「…………ハウはね、頭を撫でられるのが大好きなんだよ。優しく大切に撫でてあげると世界で一番可愛い顔で喜んでくれるんだ」
「ハウは可愛いだけじゃなくて、とても優しいんだよ。僕が少し咳き込んだけでもすっごく心配してくれて、料理が苦手なのにお粥を作ってくれたり、昔の事を思い出して眠れなくなった時は僕が寝付けるまでずっと傍に居てくれて、オリジナルの子守歌を歌ってくれたんだ」
ハウとの楽しかった日々がスライドショーのようにロキの頭を過っていく。一枚、更に一枚と思い出が過ぎ去っていく中で、枯れ果てた筈だった涙が頬を伝って永遠に眠る彼女に落ちる。
「ハウはとってもお利口さんで、とっても頑張り屋さんで……! 僕は世界で一番彼女のことが大好きでッ! これからずっと、ずっと一緒に!! いつまでもずっと一緒に!!!!」
感情の枷が外れてしまったロキ。そんな彼の前で片膝を付いたパイメロは有無を言わせず彼を力強く思い切り抱きしめる。
「――もう大丈夫。全部伝わった。アンタら二人の無念はアタシ達が絶対晴らしてやる……!」
人肌の心地良い温もり、熱意が籠った真剣な言葉、そして何より彼女の温かな心にロキは再び号泣した。ハウを失ってしまった悲しみ、彼女を救えなかった自分の無力さ、そんな自分や事の元凶であるカニーロに対してのやり場の無い怒り、そんな物が込められた涙だった。
パイメロは何も言わずにそれら全てを受け止めながら心の中で静かに闘志を燃やす。その面構えは正に確固たる誇りを胸に戦場へ参らんとする戦士そのものであったのだ。
「あの、盛り上がってる所申し訳ないんですけれど、今回は私一人で行ってくるのでパイメロちゃんはここでお留守番してて下さいね」
号泣するロキも決意を固めるパイメロも全てどうでもよいと言わんばかりの偉く軽薄な笑顔でムラヤマは言った。流石に聞き捨てならない言葉にパイメロは立ち上がり、睨みを利かせながら彼女に詰め寄る。
「……相手は“聖剣の勇者”って呼ばれてる程の実力を持ってて、おまけに女子供関係無く痛ぶって殺す最低最悪の屑野郎だ。お前一人で行かせられる訳ねぇだろ」
「いえいえ、パイメロちゃんにいっぱいイタズラしてご迷惑をかけちゃったので、その償いとして一人で行ってきます。それに、心配しなくても大丈夫ですよぉ。私、こう見えても殺る時はやる子ですから」
「…………ぶっちゃけて言えばお前の心配なんか一切してねぇ。あんな酷い目受けた女の子見ちまった後によぉ……! 辛くて苦しくて今も泣いてる人の目の前でよぉ……!! 一人で指咥えながら大人しく留守番だなんてアタシの誇りが許せねぇんだよ……!!!」
鬼気迫る剣幕でムラヤマに迫るパイメロ。常人なら思わず委縮して狼狽えてしまうであろう状況下、常人という枠組みから外れてしまっているムラヤマは笑顔を崩すことなく、パイメロの手をぎゅっと両手で包み込む。
「いやだなぁ、パイメロちゃんったら。大人しく出来ないのは寧ろ私の方なんですよぉ」
「あ? どういう意味だよ――」
――と、疑問符を投げかけようとした時だった。まるで研ぎ澄まされた刀身で脊椎をなぞられたかのような悪寒が生じたのだ。息が止まり、身の毛がよだち、額から一粒の冷汗が垂れる。悪寒の正体はムラヤマが放つおどろおどろしい殺気だった。
「最近ずっと退屈でつまらなかったのに、あんな“楽しそうに遊んだ跡”見せられたら我慢出来なくなるじゃないですか。だからね、お願いしますよ、ね? パイメロちゃん」
包んだ両手を顎の前まで持ち上げて、あざとい上目遣いでおねだりするムラヤマ。傍から見れば女の子が可愛い仕草で頼み込んでいる姿に見えるだろう。しかし当人であるパイメロからすれば、殺し屋が自分の顔面にナイフを突き立て脅迫しているようにしか思えないのであった。
己の誇りを突き通すのか、それとも自分がやるべき大儀を果たせずここで死ぬのか。パイメロは暫し熟考した末、言いたくもない答えを出す前に大きなため息を一つ吐いた。
「ったく、分かったよ! 今回はお前一人でやってこい!」
「え? 本当ですか? わぁい、やったー!」
両手を万歳して喜びを見せるムラヤマ。解放されたパイメロの手の甲にはムラヤマの指の跡がくっきりと残されていた、
「言っとくけどなぁ、中途半端な仕事やったら許さねぇからな! 殺るならちゃんと真面目にやるんだぞ…………!! 後、絶対生きて帰って来いよ。分かったか?」
「はぁい、分かりましたぁ。友達思いで心配性なパイメロちゃんの為に、絶対に生きて帰ってきます」
そう言ってムラヤマはロキの前に移動する。パイメロは少し照れくさそうに頬を染め、彼女の背中を見つめながら手の甲を擦る。
「えー、こほん。それでは改めまして『聖剣の勇者抹殺』のご依頼。私、“ムラヤマ シューコ”が担当をさせて頂きます。ご期待に添えるよう、精一杯頑張りますね」
「…………君がカニーロを殺せるのか?」
深々と頭を下げるムラヤマにロキは問う。彼女達の評判は勿論知っているし、実際に少しやり取りをしただけでも彼女達、特にムラヤマは常人の自分とは全く異なる、もっといえば人間の皮を被っている常軌を逸した存在のような、そんな雰囲気を感じ取れる。
しかしそれはカニーロにも同じことがいえる。彼の異常なまでの強さと猟奇的嗜好を身を持って知っているから。だから彼は問うたのだ。
「ええ、勿論。とってもわるーいカニさんは、私がしっかり殺しちゃいます。とっておきのスペシャル楽しい殺り方で」
ロキの問いかけにそう答えたムラヤマは最後にニッコリ笑顔で締め括る。常人のロキでもこの笑顔の真意には容易に察することが出来た。この笑顔は決して自分に向けられた笑顔なんかではなく、彼女の言うスペシャル楽しい殺り方というのが楽しみ過ぎて、思わず零れてしまった笑みだということを。
プロフィール
ドヤムラさん
ムラヤマさんがドヤ顔を披露した時の姿。大きいネズミやゴキブリ、もぐらなんかを捕まえてパイメロに見せている時によくこんな顔をしているらしい。
ムラヤマお手製スペシャルジャム
パイメロのブラジャーを活用して収穫した野イチゴで作ったジャム。とっても甘くて美味しいらしい。ムラヤマ曰くほんのちょっぴりだけミルクのような風味を感じるらしい。それをパイメロに嬉々として伝えた。勿論シバかれた。
ハウ
犬型獣人族の女の子。
獣人族の多くは生活水準低く、多産する特徴がある。そのため出来の悪い子供も捨てたり身売りするという悪しき風習が残っており、彼女も両親から捨てられてしまった。
帰る場所もなく一人ボロボロになりながら歩いている時、パーティを追放された直後のロキと出会う。彼の回復で傷を治して貰った際、そのスゴ技と彼の優しさに惹かれ、彼のことを勇者と慕い付いていくことにした。
口癖は「はぅ……」しょんぼりした時やロキに頭をナデナデされてご満悦の時につい出てしまう。将来の夢はロキのように人を救える立派なお医者さんになることだと言ってはいるが、本当はロキのお嫁さんになって何時までの幸せに暮らしたいと思っている。
少しでもロキの力になりたいと思っており、ロキや診療所の知名度をあげるため、道行く人に声をかけ宣伝を行っている。その効果もあり二人の診療所はメキメキと頭角を現し始めた。
もっともっとロキの役に立ちたいと張り切ったハウはある日、“腰に立派な剣”を帯刀している金髪のお兄さんに、何時ものように何の気なしに声をかけてしまったのであった。