地獄鍋一丁目
「本日はお日柄も良く、この度は香田家御子息邦彦様と山崎家ご息女陽子様のご良縁が相ととのいまして、まことにおめでたく心よりお祝い申し上げます。未熟ではございますが、私がご両家のご良縁の仲立ちをさせて頂きます。」
ついさっきまで繰り返し読んでいたカンペ通りの口上を申し述べて和子叔母さんはホッとした顔になり、お相手のお身内の方と二、三言葉を交わして鎮座している私達を見やった
「あとは若いお二人で……」
うわっ!! ホントに言ってるよ!! でも……これで放置かよ!!
相手のお身内の方と一緒に席を立った和子叔母さんの背中を半ば唖然と見送ったのだけど……出口に向かっていた叔母さんは何か思い出した様にこちらを振り返りチョイチョイと手招きする。
私は目の前の邦彦さんに一礼して叔母さんの元へ……
もちろん『この人、ちょっと無理』と伝えたかったからだ。
ところが叔母さんは何か渡すふりをして私を物陰に引っ張り込んで耳打ちをする。
「カレ、かなり奥手らしいから……あなたがしっかりリードするのよ!」
えっ?! えっ?!
言い返したり、問い掛ける暇も与えられず、私は邦彦さんの方へドンッ!と突き返された。
『参ったなあ……』
あっ! 今の心の声、顔に出ちゃったかな??
邦彦さんは無表情に人差し指でメガネをずり上げた。
「行きましょう!」
「えっ?!」
「食事です。予約している所がありますから」
私はまた「えっ?! えっ?!」となりながら、仕方なくカレの後に従いホテルのラウンジを出ると……
なんと、タクシーに押し込まれ、“拉致”された。
かなりの距離をタクシーに走らせ、着いた先は隅田川からほど近い大通りの交差点角に立つ江戸家屋っぽい二階家だ。
『どぜう』と書かれた白暖簾が風に揺らめいている。
邦彦さんに付いて中に入ると景気の良い声と共にお兄さんが寄って来て、靴を預かり邦彦さんに札を渡す。
「げ、下足番!!」
人生初です!私……
「陽子さんのお召し物でしたら、“入れ込み”より大広間の方がいいですね」
と邦彦さんが店に希望を伝えると
通されたのは畳の上での椅子席だ。
『正座しなければならない状況になっても』と、今日はフレアスカートにしたのだが、これなら楽だ。 畳の足触りも心地よい。
しかし!!!!
『どぜう』って!!
ドジョウだよね!!
それがマジ無理なんですけど!!!
どうやら邦彦さんはこの店に行きつけているらしく、スラスラと注文しているけど……
「陽子さんは何を飲まれますか?」
と尋ねられ本来は『ウーロン茶』と可愛く答えるべきなのだろうが、『この難局、飲まなきゃやってらんない!!』とウーロン茶と値段がいくらも変わらない(うっ!庶民!!)梅酒を頼んだ。
邦彦さんは
「陽子さんがお飲みになるのなら、僕も失礼して」
と“カストリ”となる物をオーダーした。
『バカヤロウ! こちとら好きで酒頼んだんわけじゃないっ!!でも、ここはガマン!ガマン!この人とは縁なく終わるのだから!』と既に、キレかかっていたのだが……
程なく運ばれて来た炭火掛けの鉄鍋には……白い目をむいた(って私には見えたの!)ドジョウがギッシリおしくらまんじゅうしていて…… 私、正直泣きそうになる。
木箱の中のネギを盛るのだと聞いて、ドジョウと目を合わせたくない私は、チョモランマのごとくネギをテンコ盛りした。
恨めしそうに邦彦さんを見ると……
メガネの奥の目が笑っている??!!
「グロテスクですか? 『お見合いで初めてお会いした方をお食事にお誘いするときのTPOもわきまえない手前勝手なオトコとの将来は考えられない』……これはお見合いを断るのに十分な理由になるでしょう。このお話、どうか、あなたからお断り下さい」
私、しんなりとして来て崩れそうな“ネギの山”の向こうで……こんな事をのたまうオトコの顔をマジマジと見る。
「どういうおつもりなんですか?」
機械的なメガネ顔に戻って“オトコ”は淡々と述べる。
「どうもこうも……あなたもそれをお望みでしょ?!明らかにこのお見合いに乗り気ではないご様子ですし、僕もこの身のしがらみでお見合いの席に座っただけなのです。もとより自分は“プロの独身”ですので……」
確かに私、このお見合いには最初から乗り気では無かった。“身内のお節介”から出た事だから……だけど!こんな風に言われるのは、見透かされてバカにされているようでムカつく!!
「どうしてそんな事が言いきれるんですか!! ご自分の価値観に私を合わせないで下さい!!」
炭火でクラクラ煮立っている鍋の向こうのカレのメガネがキラン!と光る。
「理由を申し上げてもよろしいんですか?」
な、何よっ!! その勝ち誇ったような物言いは!!
ハッタリなんて通用しないんだからねっ!
「ど、どうぞぉ~!」
カレ、少しため息ついてカチャッ!とメガネをずり上げる。
「あなたが大失恋なさったばかりで……『痛手から立ち直るのを待っていては間違いなく婚期を逃すから……癒してくれる逸材を金の草鞋で尋ねる!!』というお身内のお話が僕のところまで漏れ聞こえて来ましたのでね」
あーっ!!! そんなこと言うの!!お母さんしかいないわ……
私、ベタ甘であろう梅酒には口も付けずに“酸っぱい顔”でガックリ俯く……トホホだよ……
「大丈夫ですか?」
私、俯いたまま頷く。
で、カレ、話を続ける。
「僕にはそんな度量も魅力もありません。だからと言って10歳も年上の僕の方からお断りするのは、あなたにとって差し障りがあるでしょう、だから……」
なるほど、そういう理屈ですか! けど『度量も魅力も無い』って! 何でも正直に言うのは開き直りと同じよ!! やっぱりどこかでバカにされてる気がする!!ってか、ムカつく!! そうよね!たかがドジョウくらいで偉そうにされて!!
この腹立たしさが、“白目ドジョウ”への恐怖心を凌駕して……私、取り皿と箸を持って“どぜう鍋”に突撃した。
クサミ緩和になるに違いないと山椒をふりかけ、ネギで固めて、ままよ!と口に放り込む!
……ん!
モグモグ……
……ん、ん、ん!!!
美味しい!!!
と思う間もなく
箸は鍋の中で
“ドジョウ掬い”
いきなりエンジンの掛かった私に追いつこうと邦彦さんも参戦して……
鍋が空になるまで、二人無言で“ドジョウ掬い“
勿論、飲み物追加で、本来“行ける口”の私も“カストリ”をオーダー!
何これ! めっちゃ合うじゃん!!
それからがカオスの始まり。
ふたりとも(実はお互い緊張で)朝食は喉を通らず、ラウンジでもコーヒー紅茶だけだったから……
くじらベーコン、味噌田楽、どぜう汁etc.
お酒はふり袖にたれ口、チェイサーにビールと……
メニューを片っ端から頼んでパク付き、差しつ差されつ……
美味しさに酔いも手伝って私達はハイテンションになった。
「……で、その“地獄鍋”の作り方がとんでもなくて……『生きたままのドジョウを豆腐と一緒に鍋に入れ、水からじっくり弱火で煮る……すると、だんだん上がっていく水温に耐えかねたドジョウが、少しでも冷たい場所を探して豆腐に潜り込み、そのまま茹で上がってしまう』と言う恐ろしいシロモノ!!」
「ひえええええ!!」
「……ところが実際には色んな人が検証したけれど、水から弱火でゆっくり温めていってもドジョウが豆腐に潜り込むなんて事は無かったらしい。」
「アハハハ 確かにね~カモネギより出来過ぎダワ。で、このドジョウくんたちはどうやって調理されたの?」
「この鉄鍋に入る前は、酒の中を泳がされて泥酔したところをお味噌汁で煮込まれるらしい」
「ひょえ~ それもなかなかのエグさだわ……ピンで聞いていたらドン引きしそう……」
私、エグいエグいと言いながらケラケラ笑っていた。
このメガネくんに……なんだかぶっちゃけたくなった!
「さっき邦彦さんから言われた通り、私、失恋しちゃったんだけどさ……」
比較的冷静そうなカレは「うん」と頷く。
「オトコに寝取られたんだよね! それがすっごくショックで……」
「えっ?? あの…… オトコに??」
「あはは いいリアクションありがと! そう!オスに寝取られたの!!もう笑うしかないんだけどさ! よりによって“オトコ”にだよ!! ショック、デカ過ぎて泣くに泣けない……元カレの写真見る?ってか!見ろ!!」
私はスマホを立ち上げてカレに見せる。
「これは……カラダはごついけどサラサラヘアの目鼻立ちクッキリ!! 確かに男女問わずモテそうだ」
「でしょ!! 女子からはしょっちゅうアプローチ掛けられてて、私、気が気でなかったんだけど……さすがにオトコにやられるとは……」
「やられるですか??」
「そ、ヤられる」
「……難しい事はよく分かりませんが……大変な思いをなさったのは分かります」
「でしょ?! ワタシ!可哀想な女なんだから!!ちょっとは労わってよ!」
「僕が?ですか?」
「そう、“ボク”が!! 邦彦さんとの食事、なかなかに楽しいからさ! 連れていって!とは言わないから『割り勘のメシ友』でどう? どうせ、プロの独身なんでしょ?!」
「まあ、そういうことなら……」
「決まりね! よろしくお願いいたします。」とグラスを差し上げる私。
「こちらこそよろしくお願いします」とカチン!とグラスを合わせるカレ……
でも私たちはこの時、まるで気付いていなかった。
“お見合い”の後もお付き合いを続けるのが……
同じ鍋の中に放されたのと同義なのだという事を
私たちは既に
酒の中を泳がされ
ゆっくりと温められて……
そのうちに……
おぼろ豆腐のようなふわふわなお布団に
潜り込む事になろうとは……
。。。。。。。
二人のイラストを描きました。
まず
邦彦さん
陽子さん