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解決編

 緑の空に吸い込まれていった赤い狐――見上げても、その姿は視認できない。シスター・ユウの焦りようから見ても、この事態は予定外だったようだ。地図は記憶しているようで、シスターは迷うことなく枯れた町並みを駆け抜けている。そんなユウに先導されているヤシロは早くも息切れ気味だ。

「ねー……シスターも、魔王城行くの?」

「当たり前でしょう! 私にはこの戦いを見届ける義務がある!」

 それは、神の代弁者としての務めか。

 この答えで納得できたらしく、ヤシロがそれ以上問いを重ねることはない。ただ、その視線には少し憂いを含んでいるように見えた。


       ***


 一方その頃――

 どうやらそこは、街の中心からかなり離れているらしい。幸いにして地上には誰もおらず――ドゴンッ――と小さなクレーターが生じたが、人的被害についてはなさそうだ。

 砂埃の舞う中で静かに立ち上がる小さな影――シオリンは、胸元からスマホのような機器を取り出す。そこには、先程見た地図の一部が表示されていた。

「……やっぱしドンピシャやで。これがヤツの根城ってヤツかい」

 そう画面に笑いかけてから、シオリンは目の前にそびえる建物を見上げる。

「ま、ヤツらしいわな」

 辺りに住居の残骸はあるが、どうやら誰も住んでいないらしい。そんな中に、商業施設のような一階建てがひとつ。店名を掲げていたと思われる看板は錆び落ちていて既に読めない。ショーウィンドウは張られているが、内側から黒塗りされている。ただ、その広さはコンビニというより中型スーパーマーケット規模。その広さが真っ黒に包まれ、中の様子を窺えないのは少なからず気味が悪い。

 シオリンは入り口を探してガラスの前に立つ。そして、コンコンと叩いてみた。

「……ヘッ、そうかい」

 少し笑うが、すぐ真顔になり刀を構える。そして――鞘から鋭い一撃を叩きつけた。しかし。

「……こんなこったと思たで」

 刃がガラスに届くことはない。ギリギリのところで、何らかの力により押し返されているようだ。

 だが、シオリンに困っている様子はない。それはきっと、魔王の城にはこれまで数多の男たちが挑戦していると聞いていたからだろう。もし入ることすら困難であれば、彼らが帰らぬ人になることもない。

 なので抜身のまま、ガラス面に線を引くようにシオリンは走る。その刃先が黒い壁に触れることはないのだが――

 ――ガチン。

 金属同士のぶつかる音に、シオリンはその場で急停止する。そこは、丸い取っ手のついた両開きの扉――何とご丁寧なこって――呟くと、シオリンは刀を納め、その扉に手をかけた。そして、押してみる。抵抗なく、スっと奥へ流れていった。やはり、ここだけは何の仕掛けもないらしい。

 だが――

「……うっぷ、生臭ッ!?」

 思わず着物の袖で鼻を押さえる。それでも、室内を睨みつけたまま臆することなく中へと踏み込んだ。

 そこは、もはや廃墟と呼ぶに等しい。元はゲームセンターだったようで、壁際のゲーム筐体とポスターだけは残されていた。が、部屋の中央はガランとしており、広い天井を支える柱が何本も立ち並んでいる。

 古いゲーム機たちに電源は入っていない。通電しているのは、どうやら――この先に見える奥の一角だけのようだ。薄暗く静かな室内で唯一明るい物音のするそこへ向けて、シオリンは淡々と足を進めていく。さらに顔をしかめているのは臭いも強くなっているからか。

 そして、不快感の根源をシオリンは理解する。

「……あんさん、こんな環境でプレイしとったんかいな」

 その相手は紛れもなく、シャトルの中でシオリンが睨みつけていた者――この惑星では魔王と呼ばれる者――だが、その問いに彼女は答えない。大きなパイプデスクには液晶ディスプレイが三枚――椅子の背もたれは通気の良いメッシュ製――古い廃墟の中、ここだけ最新仕様のパソコンルームのようだ。しかし、その周りに転がっているのは――

「あ……あああ……」

「う、う……はぁ……」

 全裸の男たちが仰向けになって喘いでいる。全身脱力して、指一本動かせないらしい。それが、見渡す限り三〇以上――よく見れば、端の筐体の下にも転がっている。シオリンを苛立たせる悪臭は、男たちが原因だったようだ。

 そんな中で、魔王は平然とキーを打ち続ける。モニタに映っているのは対戦表の並ぶロビーのような画面で、楽しげにチャットに興じているようだ。

「こ・ん・ど……あ・い・た・い・なー……っと」

 そして、チラリと横目でシオリンの方を窺う。すぐ傍まで来ていたことには当然気づいていたらしい。

「……で、女のコを誘った覚えはないんだけどなー……」

 ヘッドホンに挟まれた髪は薄桃色。ふわふわとパーマがかかっているようで、バンドを飲み込んでしまいそうだ。その他、特筆すべきものは身に着けていない。

 何も身に着けていない。

 彼女は、ヘッドホンひとつしか身に着けていない。

 薄暗い建物内に浮かび上がるような白い肌。

 胸には、シオリンの頭ほどありそうな大きな膨らみ。

 その先端は、髪の桃色のような鮮やかさ。

 メッシュの座面にたぷんとしたお尻が置かれ、股の間にはふわっとした毛の塊が乗っている。

 そして、天井を見上げて呟いた。

「んー……あ、思い出したかも」

 視線を下ろすも、それは来訪者の頭上に向けて。

「今日は、その“カワイイ”の、“着けてる”んだー」

 その一言がシオリンを激昂させる。

「“着けとる”ちゃうわーーーッ!」

 閃光のような鋭い一撃。だが、ただ人差し指一本で――それは、ビー玉でも弾くかのような軽さで、易々と刃は打ち返された。

「くっ……あぐ……っ!?」

 それでも握り込んだ獲物は放さない。両足に力を込め、のけぞった上体をすぐさま戻す。改めて抜身を構えたシオリンに向けて、魔王はゆっくりと立ち上がった。

「んー、やっぱこーいうのは無線に限るよねぇ」

 そう言って、かぶっていたヘッドセットを取り、マウスパッドの上に置く。どうやら、追撃しなかった理由は、パソコンと有線でつながっていたから――ただ、それだけのことだったらしい。

 先程から度々お目にかかっているズーミア女神像といい、この星では何かと裸婦像が神聖化されている。もちろん、腰まで伸びるストレートのロングヘアであるズーミア神と魔王は似ても似つかない。だが――生まれたままの姿で堂々と、凶器に向かってゆったりと歩み寄るさまは不気味であると同時に神々しささえ感じさせる。ズーミアが神聖なる神なのに対して、目の前の相手は紛れもなく悪の化身――警戒と殺気を解くことのないシオリンに向かって、魔王はのんびりと語りかける。

「そんなに怒んないでよー。“対戦終わったのにカメラ切り忘れてた”キミが悪いんだから」

 シオリンが魔王を生かしておけない理由――それは――

「関係あらへん!“ウチの秘密”を知られた日にゃあ――」

 シオリンは青筋を立てて刀を鞘に納める。腰をしっかりと捻り、柄には右手を添えて。


       ***


 ユウがゆっくりと駆け足を緩めたので、ヤシロもそれに続いて立ち止まる。

「で、ここが……」

「そう、魔王城よ」

 シスターは目の前の建物を睨みつけていた。そしてそこは、シオリンが入っていった丸い取っ手の扉の前。

 ヤシロはチラリとシスターを見る。だが、逆にジトっと睨みを返されてしまった。

「まさか、私に先陣切らせるつもり?」

「だよねー」

 シスターは見届人である。敵の本拠地まで案内こそすれども、非戦闘員を盾にするような行為は勇者として許されない。

 だが、一歩踏み入れたところで――ヤシロの顔つきが引き締まる。

 それは――目の届くところに、シオリンが立っていたから。

 けれど。

 シオリンの身に、何があったのかわからない。

 赤い剣士は――生首のピンク髪を握り、呆然と立ち尽くしている。

 その首から垂れ落ちるのは、赤い血でもなく、青や緑の体液でもなく――白濁液。それが魔王の血の色なのか――そう考えたくもなるが――断面からはネジやケーブルも垂れている。

 何より――笑っていた。首から下を喪失してなお、魔王は笑顔を絶やすことがない。

 頭ひとつで楽しそうに揺れていたが、それでも来訪者たちの姿に気づいたらしい。

 そして、呼びかける。

「ごめーん、“マスター”。負けちゃったー」

 魔王からそう呼ばれることに自覚のある者――それは――

 バッ、とヤシロはシスターから身を離す。勇者の頭のあったところに、ユウの硬く握り込まれた左拳があった。

「……フッ、さすがは先代から任命されただけあるわね」

 だが、入り口を塞がれていたため、ヤシロは店内の奥側へと追い込まれる形となっている。

 それでようやく、シオリンも状況を理解したらしい。

「あんさん、最初から魔王とグルで――」

 シオリンは憎しみを込めるが、ユウは取り合うことなく指示を下す。

「自爆しなさい」

「オッケー♪」

 手元で楽しそうに答えた生首を、シオリンは慌てて放り投げる。パンッ、と魔王の頭が弾け、ねっとりとした飛沫があたりに飛び散った。

「うわっ、臭っ、ってこれ……まさか……」

 裸の男たちが倒れていたことで、シオリンはその正体にすぐ結びつく。

「あら貴女、“未経験”ってわけじゃないのね」

「たりめーやろがッ!」

 幼女のような体型のキツネ星人だが、それなりに年齢は経ているらしい。

「そ、なら良かったわ」

 ユウは興味なさそうに指をパチンと打ち鳴らす。

「種豚ども、そこのメスどもを犯しなさいッ!」

 その一言で。

「うー……」

「あー……」

 もはやゾンビ映画の様相だ。それまで、生気を失った男たちが、操られたように起き上がってくる。反射的に身構えるシオリン。だがしかし。

「あら、無辜(むこ)の住民を斬り捨てるつもり?」

「ぐ、く……ッ!?」

 私怨のため勇者に志願するシオリンでも、そのくらいの分別はあるようだ。不本意そうに刀を納めたまま、鞘でゾンビもどきを打ち据える。

「ぐおぉー……」

 呻きながら倒れてゆく男たちはどこまでも緩慢だ。この様子ならシオリンに指一本届くことはないだろう。だが、その数が減っていく様子もない。

「こんなんキリないで……なら……ッ!」

 やはり、司令塔を破壊するのが手っ取り早いということだろう。シオリンは入り口前に陣取るユウに向かって走り出した。

「あんさんは……無辜とちゃうやろッ!」

 裏で魔王を操り、良からぬことを企んでいたのだ。それが死罪に値するかは別として――シオリンには手を下す理由がある。危うくユウによる謀略の中で命を懸けさせられるところだったのだから。

 刃物を持った相手に対して、ユウは恐れることなく両手の拳を硬く握って腰を落とす。これはハッタリではない。何故なら、シオリンは見ている。先程、このシスターがヤシロに向けて放った拳打を。もし直撃すればどうなっていたことか――百戦錬磨のツネークスをもってして余裕も油断も感じさせない表情が、その深刻さを物語っている。

 シオリンの疾走はまるで跳躍するように――一歩、二歩、そして――腰を捻って重心を落とす。両足の動きは止まっているが、その推進力は止まらない。床の上を滑走しながら抜刀の構え――突撃の勢いを加味した鋭い剣閃――ッ

「な……ッ!」

 しかし、その刃はシスターの目の前でピタリと止まる。その両手にしっかりと挟まれて。

「悪いけど、剣に対する訓練は、特に――」

 ユウが腕に力を込めると、刀は腹からパキリと砕けた。

「――念入りに積んでいるッ!」

 唾を吐くように切っ先を投げ捨てると、逆足を前に踏み込む。そして、両肘を引き絞り――放たれた。その掌打はうねり、指先は頭を食いちぎる大蛇の牙のごとく。

「チィッ」

 咄嗟に折れた刀を投げつけるも、優はその金属片を雄牛の角で跳ね上げるように軽々と弾き飛ばした。

 ユウの間合いは腕の長さに等しい。そこから脱するべく、シオリンは驚異的なダッシュ力で後方に逃れる。ユウはそれを許さない。さらに床を踏みしめ、指先を揃えて手刀の構えを取った。シオリンの重心は完全に後ろに傾いており、ここから前方に反撃することなどできるはずがない。

 だからこそ――

 シオリンは顎を引き下を向く――否、“頭上を前に向けた”。三角の耳を相手に見せつけるように。

 突きつけるように。

 そしてそれは、金の頭髪から解き放たれた。

「くらっちゃりぃ、“耳ミサイル”ッ!」

 それは確実に優の虚を突いた一撃だった。しかし、煙を吹きながら直進していくふたつの三角形の先にシスターの姿はない。軌道が読めないからか、身体ごと。ユウは一瞬にしてシオリンの背後に回っていた。

 しかし――

「まだまだッ、“尻尾ロケット”ッ!」

 お尻が丸出しになるほど着物の裾がめくれ上がる。その中からラグビーボール型の尻尾がユウの顎に向けて飛びかかった。

「クッ!?」

 ユウは攻撃の手を咄嗟に防御に転用。横から掌底を打ち込むことで、その投擲物の進路を辛うじて逸らした。それなりの突進力は有していたようで、尻尾はそのまま天井に直撃する。が、中身は毛の塊だったようで、蛍光灯にウジャウジャと絡まりついた。

 だが、すでにふたりの立ち位置は逆転している。

「トドメや、“下駄ジェット”ッ!」

 それは魔王城まで一足飛びに跳躍し、足を止めたまま地面を滑り、刀を失った際に間合いを離したときに用いたものだ。それを今度は、出入り口に向けて――ッ!

 ガシャァンッ!!

 扉には他のウィンドウのような防御シールドは施されていなかったらしい。シオリンは勢いよく、そこからユウたちの包囲を突き破っていった。不覚にも標的を逃してしまったことに、ユウは苦々しく舌を打つ。

 そうこうしている間に。

「……ほいッ、これで最後ー」

 ヤシロの前で、男が崩れ落ちる。見渡せば、室内にもう動いている者はいない。その女子ふたりを除いて。

「貴女、一人ひとり当身をしてたの」

 シスターは呆れたようにヤシロに問いかけた。それなりの人数がいたはずだが、結構な手際の良さである。

「うん、手間だった。けどこれで、持久戦には持っていけなくなったでしょ」

 ここまで抜き身は使っていなかったらしく、ヤシロはようやくサーベルを解き放った。

「中の様子が外にバレたら……困るよね?」

 だからこそ、黒塗りにしていたのだろうから。しかし、ユウは動じない。

「ええ。けど……困るのはお互い様よ」

 ユウはさり気なく立ち位置を変える。開きっぱなしになった出口を遮るように。

「しばらくすれば、男たちは目を覚ますわ。私が命令すれば、コイツらは外に溢れ出す」

 そうなれば、街はどうなるか。

「うわぁ、エロゲーみたい」

 ヤシロは想定しうる惨状を端的に表現する。その的確さに、ユウは少し感心したらしい。

「リセットできないわよ。そのとき勇者様はどうするのかしら?」

「どうしよう?」

 おそらく、何も考えていない。考える必要もない。この場で終わらせれば済むことなのだから。

 とはいえ、ユウから余裕が消えることはない。

「勘違いしてもらった困るんだけど……持久戦に持っていくつもりはなかったわ」

「あ、そうなの。男に襲わせてたからてっきり」

 これが答えだ、と言わんばかりに、ユウは先程シオリンと相対していたように構える。だが、ヤシロは焦らない。

「戦うの得意だったら、逆だよね。男たちには退路を塞がせて、自分で戦うはずだし」

 これにユウは笑みで応える。

「……御名答よ。なら、私のスタイルはわかるわよね」

 認め、否定しない上で、あえて問う。

「うん。防御重視のいわゆるカウンター型。あんまりこっちから攻撃したくはないなぁ」

「けれど、貴女は攻撃しなくてはならない」

 だからこその、ユウの余裕か。

「グズグズしてたら、種豚どもが動き出すわよ」

 再びヤシロに向けて襲わせても良い。一方で、そのまま外にフルチンのゾンビ男が出回れば街の女子たちは大混乱だ。

 ゆえに、勇者として戦う以外の選択肢はない。

「まいったなぁ。じゃ、いくよー」

 ユウは両手にサーベルを握り締め、スカートを翻して走り出した。

 しかし――

「貴女……ッ!?」

 その一挙一動が、ユウを驚愕させる。そんなシスターに構わず、ヤシロは刃を上段に振り上げ――下ろされた切っ先は、やはり止められていた。が、右手の親指と人差し指の二本だけで。

「うわっち」

 それだけで、ヤシロは剣から手を離してしまった。武器を奪われ、勇者はふわりと間合いの外まで飛び退く。だが、ユウはそれを追わない。摘んだままのサーベルを少し眺めていたが――込み上げてきた怒りに任せて吼える。

「――弱いわッ! 貴女、弱すぎるッ!!」

 百の流派を極めた勇者――その異名は何だったのか。

「バレちゃったねー。けど、まー……百の流派を知ってるのはホントだよ」

 拙すぎる言い訳にユウはため息で返す。

「なるほど、知ってるというか、かじっただけ……なのね」

「そゆこと。ほら、あたし、人真似は得意だから」

「やれやれ、先代はとんだボンクラを掴まされたものだわ」

 ユウは本当につまらなそうに吐き捨てた。勇者自身も、その指摘は認めている。

「けど、託された以上は責任持ってやるよ」

「まさか、徒手空拳で?」

 ユウは掴んでいた刃を床に放り落とす。そして――バキンッ――怒りの籠もった踏み込みによって、サーベルは綺麗に柄と刃で折り離されてしまった。その構えは先程より両拳が低い。重心も座っており、より攻撃重視に切り替えたようだ。

 だが、ヤシロが思うところはそこにない。

「うわー……それ、勇者の剣なのに。神聖なものじゃなかったっけ」

「らしいわよ。ズーミア教徒の間では」

 悪びれないユウに、ヤシロは残念そうな眼差しを送る。

「……やっぱりキミは、本当のズーミア信者じゃなかったんだね」

「信心はなくとも、お作法だけはちゃんと勉強したわよ」

 一応、地元の信者を欺けるほどの教養はあったようだ。

 しかし、ヤシロの興味は相変わらずそこにはない。

「ふむふむ……『その末路を私は、よく知っている』……だっけ?」

「何の話?」

 唐突に振られた言葉に、ユウは小さな驚きで返す。

「さっき、シオリンから男不足の話を振られたとき」

「……よく覚えてるわ」

 その感心は小さなものではない。様々な情報の断片から、ヤシロがすべてを組み上げてしまったことに対するもの。

「いやー、精子だの男だのを集めたがる理由なんて、そう多くはないからねぇ。しかも、こんな種馬牧場みたいに」

 この惑星が至るであろう末路をユウはすでに知っていたのだろう。その目で見てきたからこそ。別の場所で。

惑星(ほし)や種族は違えども……男や女はどこも一緒よ。簡単な流言と工作であっさり分断できたわ」

 つまり、この状況を作った張本人は――

「私たちシブナ星の女に男はいらない。精子だけあればいいの。それも、勇敢な者のね」

 ユウと、ユウの種族――シブナ星人たちによる陰謀だった。男女を隔離した上で男のみをここで飼い、本邦に精を送っていたのだろう。魔王という保存装置を用いて。

 本人の口から聞くことができて、ヤシロは悩ましい顔で天井を仰ぐ。

「失敗したなぁ、キミが偽物だと知ってれば早めに手を打てたのに」

 感慨深く目を閉じながら。

「信じてたんだよ。先代から……次の代弁者に任せる、って言われてたから」

 ユウが、本物の代弁者として。そして、ユウ自身も。

「あら、不服? これでも私だって先代から任されて、シスターとして民を導いてきたのだけど。主に女子だけだけどね」

 経典を覚え、街に馴染む努力はしていたのだし、思うところもあるのだろう。しかし、ヤシロはそれを認めない。

「ううん。先代が、キミみたいな人を任命するはずがないから。きっと、本当の――」

 ドン、とユウが踏み込み、話を打ち切る。

「いつまでお喋りしてるつもり!? 男たちが目覚めるわよッ!」

「うん、それは困る」

 少し歩いて――ヤシロが拾い上げたのは、シオリンの折れた刀だった。これにはユウも苦笑い。

「まさか、それで戦う気?」

「うん、まあ素手よりはマシかと思って」

 そして、自分のサーベルの鞘に差す。どうやらサーベルの刀身の方が大きかったらしく、刃はすぽっと収まった。そして、構える。どうやら、本気でやり合うつもりらしい。

 だが、ユウにとってはそれ以前の問題だ。

「狐空抜刀術……それも、かじっただけの初心者のクセに」

「油断しちゃう?」

「まさかッ!」

 ユウの纏う空気が熱気を孕む。

「油断などするものですか。徹底的に――」

 ヤシロの表情から微笑みが消えた。少しだけユウに対して身体を正面に向け、その柄の縫い目沿って指を添えていく。一本、一本――

 そして――

「――すり潰すッ!」

 ユウが軸足に力を込め、重心が前に傾いたその刹那――


 パンッ!


 乾いた炸裂音と共に、柄の先からふわりと煙が立ち上る。

 そして、驚きの形相のまま――ユウはうつ伏せに倒れ込んだ。

 ユウはピクリとも動かない。そんな濃紺のヴェールに、ヤシロは諭すように微笑みかける。

「やっぱり油断したね。キミのスタイル、カウンター型だって自分で言ってたのに」

 なのに、自分から襲いかかっては本来の力は出せない。それはまさに、油断以外の何物でもなかった。


       ***


 おそらく、ユウが命令しなければ部屋の男たちはじっとしているのだろう。ヤシロはぐったりしたシスターを肩に担ぎ、静かな廃墟街をヨタヨタと歩いていた。

 しかし。

「……あ、お客さんだよ」

 ヤシロはユウの背中にグっと力を込める。

「……コホッ、カハッ」

 ユウは蒸せ返り、その場にガクリと膝を突いた。そこに――曲がり角の先から赤い着物の少女が現れる。三角の耳はなく、尻尾も生えていない。それでも、シオリンであることはすぐわかる。

「……チッ、気づいとったか」

「うん、あたし、そーいう勘は鋭いからさ」

 刀もないため、シオリンに改めてやり合うつもりはないらしい。だからこそ、ヤシロは飄々と礼を述べる。

「刀の麻酔銃はありがたく使わせてもらったよー」

 これにシオリンは、純粋に驚いていた。

「あんさん、知っとったんかい、あの仕込み刀に」

「うん。最初に見てたからね」

 女神像の前で初めて会ったときのことを、ヤシロは覚えていたらしい。

「これでも百の流派を“極めし”勇者、だから」

 ネタが割れた際にシオリンが同席していなかったのをいいことに、ヤシロはそのまま白を切り続けている。よく言うわ――と小さく呟き、それでも是正することなく、ユウはすっと立ち上がった。

 ユウにもここで戦いを再開するつもりはないらしい。それを察してヤシロは話を続ける。

「最初はちゃんと狐空流だったでしょ。けど、途中から全然違う型に変わった」

 それは、身体の向きを変えたときのこと。

「達人ゆえの自己流……と思わんかったんかい」

「うーん、抜刀術の類からはかけ離れたし……むしろ、銃術に近かった」

 ヤシロは、知識だけは豊富に持っている。

「銃術っつーと、ピストルの早撃ちとかそっちかい」

「うん。だから、何か飛ばして来るんじゃないかと思って。さっきの戦いを見て、それは確信に変わった」

 耳ミサイルに尻尾ロケット――シオリンはツネークスの剣士ではなく、暗器使いだ。

「んで、柄の縫い目に指を置いていったでしょ。試しにやってみたら、スイッチの手応えがあったから」

「……ッかー。目ざといなぁ」

 シオリンは感心してペチリと自分の額を叩く。それにヤシロはニッと笑みで返す。

「うん、あたし――」

 ここで、シオリンは思い出した。宗教の基本概念すら理解していなかったはずヤシロが、教会でユウの見せた複雑な“紋切り”を即座にやってみせたことを――

「――人真似は得意だからさ」

 あれを瞬時に模倣できるのであれば、仕込み銃の手順を推測してもおかしくない。

「フン、麻酔銃やったおかげで命拾いしたなぁ」

「ツネークスが銃火器で仕留めたら不自然だからね。暗器はあくまで補助でしょ」

 だからこそ、尻尾ロケットは物理的に破壊することなく、蛍光灯に絡みついていたのだろう。あくまで、動きを封じるために。なお、耳ミサイルはトリモチである。

 すべてを見抜かれて、天晴と笑うシオリン。一方、ユウはガッカリと肩を落としている。

「貴女……偽ツネークスだったのね」

 どうやら、その腕前にはそれなりに期待していたらしい。

「よく知らないけど……知られちゃったんじゃないかな? あの魔王に」

「そゆことや。ウチのスタイルは、ツネークスだと警戒させるとこにある。バレたからには生かしとくわけにはいかん」

 だとするならば。

「それは、私たちも……」

「当然や」

 キッ、とユウたちを睨みつけるシオリンだったが――すぐに殺気を解き放つ。

「……けど、二対一じゃあ、分が悪いわな。奥の手も晒してもーたし」

 どうやらヤシロは、このためにユウを起こしたらしい。

「せやけど、秘密を知られたからにゃあ、ウチはどんな手段を持ってしても絶対に殺す。せいぜい夜道には気をつけるんやな」

「うんー」

 冗談のような捨て台詞に、冗談のような軽さで返すヤシロ。無事だった下駄ジェットで、シオリンは空の彼方へと消えていった。

 ふたりきりになったところで、ユウはヤシロに問いかける。

「……貴女、いつから気づいてたの?」

「何に?」

「完全に死角を突いたはずの私の一撃」

 それは、魔王の城に入ったところで放ったもの。だが、ユウは目の当たりにしていた。教会で、下駄ジェットの爆発に巻き込まれて受け身も取れなかったヤシロの醜態を。

「あの程度の風圧でひっくり返っていた貴女が、至近距離からの私の拳に反応できるとは思えない」

「そうだねぇ……入る前から警戒していなければ」

 ヤシロはそう言うが、最初はユウが偽の代弁者であることには気づいていなかったはず。

「じゃあ、いつから?」

「んー……教会で、話を聞いたときから」

「どうして?」

 ユウは一通り経典を覚えていたはずだ。ここまで誰にもバレなかったのに、たった一度の教会来訪で見抜かれてしまったことには納得できないのだろう。

 だが、その理由とは。

「シスター……左利きでしょ」

「何故?」

 隠していたわけではない。だが、何か決定的な挙動がなければ、そう断ずることはないはずだ。

「でなきゃ、“神聖なる審判の剣”を、“邪心の宿る左手”で振りかざすなんてありえないからね」

「……ッ!?」

 それは、勇者審判の儀でのこと――女神像から見て、右にヤシロ、左にシオリン――その間に立ち、シオリンの方を向いて剣を振り入れるのなら、当然左手で持たなくてはならない。

「そんな左右にこだわる宗教の代弁者なら……少なくとも、利き手くらい矯正してからじゃないと大変でしょ」

「…………」

 そんな偽物がわざわざ戦闘地帯に自ら同行すると言い出したのである。もはや、キナ臭い理由以外にありえない。

 つまり、あの戦いが始まる前から、ヤシロは見破っていたということになる。ゆえに、ユウは新たな疑問に突き当たった。

「私は咎を持つ異星人。何故生かしておいたの?」

「それはもちろん――」

「シオリンが待ち構えてたから? それはないわね」

 先程、二対一だから、と身を退いた。しかし、ヤシロはシオリンの正体も見切っている。

「ヤツはツネークスでなければ大した武器も持ってない。貴女であっても戦わずとも逃げるくらいはできたはず」

 人混みまで辿り着ければ、シオリンであっても手は出せない。

「一緒に連れてきたのはむしろ、無防備な私を助けるためでしょう?」

 確かに、ユウを放置しておけば、ヤシロ自身が手を汚さずとも、シオリンが始末していたはずだ。魔王との戦いに巻き込まれた、と偽装して。

「んー……」

 ヤシロは少し考えて翠の空を仰ぐ。それは、遠くにいる誰かと語り合うように。

 そして。

「だってあたし――」

 それは、先代シスターから託された約束。

「――勇者だからね、これでも」


 勇者とは剣であり法である。精子バンクは破壊され、偽ツネークスに狙われ、そして――男たちが開放されれば、新たな問題が多発するに違いない。そのとき、信心はともかく、実務能力の高い相談者が不可欠だ。それゆえの執行猶予。

 この先、この惑星(ほし)の男女は和解することはできるのか――それは、一人ひとりの心次第、なのかもしれない。


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