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前編

 その文字は地球上では見慣れていないため、何と書いてあるのかはわからない。が、あえて日本語に翻訳するならば――

「勇者審判の儀を執り行う……四二五一年、五月一日……ねぇ……」

 畳の上で仰向けになっていた銀髪の少女は、その書面を摘む指をそのままに、両腕を床に開いて大の字になる。彼女の部屋着は無防備というべきか、ズボラというべきか、パット入りのタンクトップをかぶっただけ。その裾よりはみ出たショーツからはスラリとした健脚が伸びている。長い後ろ髪は背中まで敷き込んでおり、寝起きなのか、目蓋はぼんやりと重い。

 だが、その室内は――

 冷蔵庫に電子レンジ、木枠の窓には白いのカーテン――それらの調度品はまるで平成――いや、ところどころは昭和にさえ見える。西暦四千年なのに――?

 その疑問に対する答えは、宇宙空間から俯瞰することで明らかとなった。星の海に浮かぶ惑星は真円なれど――碧色。どうやら地球ではないらしい。これが、この時代のこの惑星の文化、ということか。

 そこへ向けて、宇宙船がスー……っと溶け込んでいく。気軽な宇宙旅行――やはりいまは、四十三世紀のようだ。


 その真っ白なビル群は、まるで空港のように。とはいえ、発射準備を進めているのはどれも宇宙船である。先程の機体も碧色の空の向こう側から迫ってきた。

 その乗客のひとり――だが、赤い着物に長い金髪――しかも――

「……絶対、逃さへんで――」

 ――写真を見ながら呟く言葉は関西弁。もっとも、西暦四千年の銀河時代である。関西弁に似た、どこかの宇宙地方の言葉なのかもしれない。

 だが、その言葉には強い意志が込められている。写真の中の女性――ふわっとした桃色髪をヘッドセットで押さえつけたような彼女は、のほほんと金髪少女を眺めている。その笑顔が気に入らなかったのか――グシャリ――その紙切れは強く握り潰された。

 そして、船窓から着陸間近の外を眺める。その大地は赤茶けており――宇宙船発着基地は、まるで錆びた海にぷかりと浮かぶ孤島のようだ。ただ、地面の色合いは荒んでいるが、無人ではない。目を凝らしてみれば、枯れた土地にも人の営みが密集している。ただしそれは、決してこれから着陸しようとしている白さとは噛み合わない。木造の中に古びた鉄柱の組み合わされた平屋がところ狭しと並んでいる。さらには、道端には先程見た冷蔵庫と同系統の家電が投棄されていた。ゆえにおそらく、先程の銀髪少女もこの町の住人のひとりに違いない。ただ、先程の内装を見た限りでは家電もあったので、電気は通っていると思われる。が、電線が見えないあたり、地下ケーブルとして網羅されているのかもしれない。宇宙港の件もあり、この惑星はどこまでもちぐはぐに見える。


 そして――

 雑多なスラム街のように詰め込まれていたにも関わらず、その一角だけは不自然に開けていた。まるで、区画整備にでも遭ったかのように。そこにぽつんと屹立している人影を基準に目測するのなら、おそらく野球場くらいの面積はあるだろう。その中央には裸の女性の巨大な黄金像がそびえ立っていた。右手には剣を握り、左手には天秤を下げている。両足を肩幅くらいに開き、真っ直ぐ地平の向こうを見据えている彼女が人々を見下ろすことはない。だが、下にいる者からであれば覗き込むことはできる。

「この女神はん、毛ェどころか……なんでこんなとこまで忠実に表現されとんねん」

 真っ赤な和服の小柄な少女が巨大な股の間をじっくり凝視して呟いた。先刻、宇宙船でこの惑星に到来し、ここへとやって来たのだろう。腰に大きな刀を差している――わけではなく、どうやら彼女の体躯が獲物に対して小さすぎるだけだった。少々底の厚い赤塗りの下駄を履いているが、その小柄さを誤魔化すには至っていない。

 彼女が半笑いなのは、同性の、見てはいけないところを見てしまったからか。

 その問いに対する答えは、背後より届く。

「それはねー、省略することを覚える前に、技術ばっかり発達しちゃったからだよ」

 ザッザと砂埃を踏みしめ、ゆったりした声がこの星の事情を伝えてくれた。手紙を眺めながら畳の間で寝転んでいた少女――しかし、その姿は部屋でゴロゴロしていた者と同一人物とは思えない。彼女の身を包んでいるのは純白のドレス――スカートの裾は長く広く膨らみ、どこかの王侯貴族の娘のようだ。長いように見えた髪は、実はそこまで長くもなく、ひとつに束ねてみれば肩甲骨にさえ届かない。ただ、装いは整えてきたのに相変わらず目元はぼんやりしている。どうやらこれが彼女の素の面構えのようだ。

 しかし、その腰には相手と同じように――彼女は白銀のサーベルを帯刀している。武器を所有したふたりがこのような場にて相対するのであれば、やるべきことはひとつしかない。

「おっ、耳ええやんか」

 和装の少女は振り向き、来訪者に対して刀の柄に手をかけた。

「ま、“キミたち”ほどではないけどね」

 銀髪の少女がそう言うのは、相手の大きな耳を指してのことだろう。金の髪の中から生えているのは、同じく金色の大きく尖った三角耳。本人の背丈が若干低いため、頭半分くらいありそうな耳まで含めて、ようやく人並みといったところか。着物の裾は膝上くらいしかなく、その中からは髪と同じ色のふわりとした毛筆のような尻尾まで伸びている。彼女自身の後ろ髪が腰まで届くほど長いため遠目で見ればその一部のようだ。けれど、地面スレスレに垂れた白い毛先は、風とは無関係に揺れている。

「あんさんらのゆー、勇者……とやらは、異星人お断りー、ってことはないんやろ?」

 和服の赤さを目印に真っ直ぐ歩いてきていたドレスの彼女だったが、ふいに、向かって右へと進路を変えた。それを見て、異星人たる彼女もこの星のルールを思い出したらしい。武器から手を離し、ドレスの少女と背中合わせに離れていく。それでも、耳が良ければ聞こえるのだろう。振り向くことなく銀髪の邦人は呟くように答えた。

「んー、この星を護ってくれるのなら、キツネ星人でも大歓迎だよー」

「ツネークスな、いちおー」

 どうやら、着物少女の耳と尻尾はキツネのもの――地球外生物であれば、地球のソレと一致するものではないが、形状が似ているところが語源となっているのかもしれない。

 ツネークスからの刺客はしばらく歩いていたが、地面に埋め込まれたコンクリートの一部を見つけてその上で立ち止まる。

「こんくらいでええか?」

 一方、白銀の少女もまた、十メートルほど離れたところで振り向いた。

「……んー……女神様と結んで正三角形……で、女神様から見てあたしが右、相手が左……うん、大丈夫そうだね」

 そう言うが、刃を納めたまま構えもしない。あまりの戦意のなさに、むしろ訝しくなってくる。

「念のため確認しとくが……あんさんが、勇者ヤシロ、で間違いないな」

 早とちりして無関係の者に手をかけては人としてマズイ。

「そーだよー、ヤシロ・ユキミ。で、キミは勇者志願者、キツネ星人のシオリン」

「やれやれ、最期くらい正しく呼んだれや。あんさんが遺言を託すことになる相手……やで」

 シオリンは左足を後ろに下げると、腰の刀に向けて右手を伸ばす。

「ツネークスのシオリン・(オー)・カナギ。勇者審判の儀を執り行う。いざ尋常に……ッ」

 ついにシオリンが臨戦態勢に入った。それでも、ヤシロの空気は変わらない。

「おっ、やっぱり狐空(こくう)抜刀術だね。じゃ、あたしも……」

 ここでようやく勇者は構えを取った。それも、腕の角度、足の幅まで相対する相手とそっくりに。

「……フン、さすがは勇者はんやで。狐空流もお手の物ってか」

「百の流派を極めし者……伊達に勇者はやってないからね」

 そのとき、シオリンの口元がニヤリと歪む。構えが変わった――? 剣筋を隠すよう斜めに構えていたが、少し相手に対して身体を正面に向け直す。そして、柄を押さえるように、人差し指から順に一本一本――ここまで飄々としていたヤシロだったが、突如瞳が鋭くなる。

 だが――


「そこまでッ!」


 ふたりの視線を断ち切るように黄金の剣が振り下ろされた。そして刃を水平に掲げたまま、カカシのように両腕を広げている。濃紺のローブに身を包むその姿は、まさに敬虔なる修道女。争いを止めるために、我が身を犠牲にせんとする覚悟を感じさせる。その後ろ髪は服と同じ色のベールに覆われているため、ヤシロの方からは横顔さえも窺えない。けれど、彼女にはそれが誰かはっきりとわかったようだ。

「シスター……ユウ……」

 ふぅ、とため息をつき、ヤシロはゆるりと構えを解いた。

 が、シオリンが警戒を解くことはない。

「なんや……? 勇者審判の儀式中は横槍無用やろが」

「口を慎みなさい、異邦の女狐」

「何やとッ!?」

 その聖職者は眼鏡の下から冷たい瞳でじっとシオリンを睨みつけている。しかし、その構えは隙だらけだ。そんな無防備な神の下僕に、狐侍はスラリと刀を突きつける。

「……あんさん、ウチがツネークスと知ってナメた口利いとんのか?」

「知ってるわよ。弱肉強食の原始的な修羅惑星。棒きれ振り回して殺傷沙汰も日常茶飯事」

 退かないどころか、挑発的に見下した物言い。これにはシオリンからも乾いた笑みがこぼれる。

「そんな戦場で生き抜いてきたウチの棒きれ、その脳天に撃ち落としたろか?」

 シオリンは容赦なく、殺意の矛先をそのまま乱入者へと打ちつける。その向こう側から、敵対象から外された勇者ヤシロがのんびりと。

「その人はシスター・ユウ。ここでシスターを殺めちゃったら、儀式も神聖もあったもんじゃないよー」

 シスターには確固たる自負がある。だからこそ、刃物を持った相手に対しても怯まない。

「私はズーミア様の代弁者。私に向ける刃は、そのままズーミア様に向けるものと知りなさい」

 ズーミア――それがこの女神の名前なのだろう。シオリンは眉をひそめるが――チッと舌を打ち刀を収めた。一先ず戦いが止まったところで、ユウは一応自分の行いに注釈を入れる。

「私は何も、貴女に勇者審判を行うな、と言っているのではないの。ただ、勇者には勇者の務めがある」

 ユウは踵を返すと、金の刃をトンと肩に乗せた。どうやらそれに切断能力はないらしい。おそらく、宗教的な神器の類なのだろう。そして、首から上だけ振り向いた。

「勇者ヤシロ、仕事よ。神に選ばれし者として、やることくらいやりなさい」

「はいよー」

 気の抜けた返事と共にヤシロはのんびりと歩き出す。が、ユウの前に着いたところで、突きつけられるのは黄金の切っ先。

「これは、あなたが持っていって。重いから」

「はいはい仰せのとおりにー」

 物騒な渡し方だが、勇者の方は気にしていないようだ。

「それ、神聖なものだから、落として傷つけたりしないようにね」

「ほーい」

 このやり取りを見ていたシオリンは、勇者のあまりの小物っぷりに呆れ果てている。それでも、勇者は勇者だ。

「で、その勇者のお仕事とやらはいつまでかかんねん」

 その後で儀式を再開する分には、おそらく問題ないのだろう。

 だが。

「それは貴女次第よ。ほら、ついてきなさい。教会の場所、知らないんでしょ」

「うんー」

「って、あんさんこの星の住人(ジモティー)やろ!」

 最初は自分に言われたのかと反応しかけたシオリンだったが、ヤシロが先に返事をしたところで思わずツッコんだ。

「だったら、シオリンはツネークスのすべてを知っているのかい?」

「勇者がソレはあかんがな」

 審判の儀についても、一応宗教としての決まり事に則っていたというのに。これについて、シスターから見解が述べられる。

「先代までの勇者はちゃんとしてたみたいだけどね。信仰心で厳選してたら成り手が見つからないのよ」

 勇者審判の儀と称して命を狙われるようでは、敬遠されるのも無理はない。

 あまりに杜撰な勇者管理に、シオリンは額に手を当て天を仰いだ。そんな彼女に、ユウは興味なさそうに背を向ける。

「で、そこのキツネ、いつまでぼさっとしてるつもり? ついて来いと言ったでしょう」

「結局ウチも行くんかい!?」

 やはり、先程の言葉はシオリンにかけられたものだったようだ。なので、ユウは命令に補足する。

「強制はしないけど――」

 チラリとシオリンの表情を窺うシスターの目線に慈悲はない。

「――もし貴女が手を貸さないようなら、この事実を私は教会の名の下に公表させてもらうわ。貴女の勇者就任を神が認めても、人々は認めないでしょうね」

 ずっと感情豊かなシオリンだったが、ここ一番の嫌そうな顔である。それを了承の意と捉えながらも、シスターが微笑むことはない。

「さ、行くわよ」

 ユウの後ろを、金の剣の刃の部分を抱えたヤシロが続き、そして――シオリンもまた、渋々歩き出した。


 ふたりは先刻まで命を()り合っていた間柄のはず。少なくとも、シスターによる仲裁がなければ、現存しているのはいずれか一方だった。にも関わらず、異様なまでに仲睦まじい。というより、ヤシロの方がシオリンに絡んでいる。

「ねーねー、その尻尾触っていいー?」

「ダメに決まっとるやろ。ゾワゾワするわ。当然、耳もダメやで」

「えー、ケチー」

「ったく、何で地球人の末裔はウチらのそーゆーとこ触りたがんねん…」

 ヤシロの家が地球外惑星のわりには地球じみていたのは、そういう事情があってのことらしい。近くで街並みを見てみれば、地球で使われている鉄骨や鉄板などを組み合わせた住居が立ち並んでいるし、時折散見されるコンクリートの建物は風化した昭和の雑居ビル、といった雰囲気だ。道行く人々の服装もまた野暮ったい。飾り気も少なく、色合いも白かベージュか茶色か黒か。その色合いはまさにセピアな白黒写真。

 にも関わらず、無人車両が荷物を運び、ドローンがプロペラを回して飛び交っている。テクノロジーとノスタルジー――むしろ、荒廃性か。どうやら、この星のすべてはアンバランスに進化してきたらしい。

 そして何よりの違和感は――

「……ところで、何でこの街、“おにゃのこ”しかおらんねん」

 労働者の姿が見えないのはわからないこともない。これだけ無人車両や浮遊ドローンが発達していれば、住人が働く必要はないのだろう。しかし、井戸端会議に興じているのも、空き地に置かれた長椅子で寛いでいるのも、相応に成長した女性ばかりで、男性どころか子供の姿もない。最も若くて十代後半。背が低く、和服のためか身体の凹凸が見えにくいシオリンの方がむしろ子供に見えてくる。

 捉えようによっては異常事態だが、現地民には危機感が足りない。

「んー、男はみんな“魔王の城”に行ったっきり帰ってこないからねぇ」

「あかんやろソレ! なんで勇者としてほっといとんねん」

「何故って……実害がないからよ」

 一見真面目そうなシスターだが、男が帰ってこないことを実害無しと言い切った。

 が、一応役職上の弁解はしておく。

「当然、助けてくれと請われれば教会としても何かするし……実際、先代のシスターのときは時折相談があったそうよ」

「どんだけ薄情やねん、ここの女子」

 実際、人々は幸福そうに見える。

「だって、困ってないしね。食糧は機械生産、運搬はドローン。別段男手は必要としてないよ」

 その言い草は、とても勇者とは思えない。

「あんさんらに正義の心はないんかいな」

「平穏こそ正義でしょう」

 勇者が勇者なら、シスターもシスターである。

「むしろ、時々魔王目当てでやってくる男たちの方が警戒されているくらいで」

 だが、いまはこうして男の姿はないし、滞在しているという話題も挙がらない。きっと、魔王を討伐しに向かい、命を落としたのだろう。だが魔王は、何故か女子には手を出さない。ゆえに、徹底的に放置し続けた結果がこの極端な人口比ということか。

「じゃあ……何で勇者なんてモンが存在しとんねん」

 シオリンの方もよく知らずに勇者になろうとしていたらしい。

「それは宗教上の理由なのだけど……ま、詳しくはここで話すわ」

 ユウは少しだけ立ち止まり、親指で目の前の石造りの建物を差す。この惑星の宗教が形骸化していることはすでに決闘場で聞いていた。その成れの果てが、蔦の生い茂った古い教会ということなのだろう。


 廃墟のような外見だったため中はどうなのかと心配したが、少なくとも建物としての機能は損なわれていない。が、壁や天井のところどころに修繕の跡がある。特に天井は高く、重力に縛られた人の手によるならば、消防活動に用いられるような長い梯子が必要になりそうだ。ゆえに、おそらくドローンによるものなのだろう。

 この惑星(ほし)は地球ゆかりの民が多いからか、教会もいわゆるキリスト教の礼拝堂とよく似ていた。左右にふたりがけの長椅子が十数脚――その奥には――地球ならば十字架なりマリア像なりがありそうなものだが、そこは土着宗教の女神像が仁王立ちしている。例の、剣と天秤を持った全裸像が。

 ユウは女神の足元まで辿り着くと、ヤシロの方へ振り向く。

「勇者ヤシロ、審判の剣を」

「はいはい、これね」

 そこには空になった台座が待っていた。勇者より受け取ると、ユウはそこに金の剣を備え付ける。そして、恭しく跪いた。ユウの右後ろにいたヤシロも同じように。シオリンは少し迷ったが――ふたりの後に続く。この先末永く頼んまっせ、と密かに呟いて。

 そして面を上げたユウは右手を掲げると、胸の前で何やら印を結び始める。ヤシロも同じ手捌きを見せているが、こればかりは異邦人のシオリンには真似できない。

 やることを終え、ユウはすっと立ち上がった。そして、ふたりに着席を促す。ヤシロはそのまま右の席に、シオリンは左側の席に座ろうとした。が、ユウはシオリンの方を呼び止める。

「貴女、女神像に両断されたいの?」

 ハッとして、シオリンは女神像を見上げた。その剣は腹ではなく刃の方を正面に向けており、ユウの言葉通り、ここに座れば木製の長椅子もろとも砕かれてしまいそうな雰囲気が感じられる。

 ユウは左手を差し出し、

「左手には邪心が宿り――」

 そして、右手を差し出す。

「右手には正義が宿る……」

 両手の天秤と剣の意図を知り、シオリンは感心して巨大な刃を見上げた。

「せやから、左手の天秤で邪心を図り、右手の剣で断罪するってことかい」

「そう」

 シスターは胸の前で腕を組む。

「勇者に挑む者は天より遣わされた神の審判者。そこで下された審判は神のご意思なのよ」

「へーえ、だから、あたしが剣の下だったんだねぇ」

 相変わらず暢気な勇者にシオリンが突っ込む。

「いや、あんさんは知っとらんとあかんやろ」

「お作法は知ってたって。マニュアルに書いてあったし」

 勇者として決闘の作法は知っていても、その意味までは知らなかったらしい。

「ということでヤシロ、貴女が右手に座り、審判者たるシオリンが左手よ」

 つまり、勇者審判の儀はいまも継続中ということになる。

「ひえー、あたし、裁かれたくないんだけどー……」

「慈悲は女神様に請いなさい」

 わざわざ座ったところを立たされて、物騒な場所に座らされたヤシロの心境は如何ほどか。最も通路側の端に腰を下ろしたのは、いますぐにでも逃げ出したい、という表れかもしれない。とはいえ、シオリンも同じように通路側に座っているので――話の聞きやすさもあり、わざわざ奥の方に位置取る必要もなかったか。

「さて、勇者ヤシロ」

「はいー」

「魔王を倒してきなさい」

「えーーー」

 物凄くざっくりしている。これにはヤシロも嫌そうだが、シオリンもあまり納得していない。

「あんさん自身、実害ないゆーとったやろ」

「直近ではね。ただ、この状況が続いたらどうなるか……その末路を私は、よく知っている」

「いまさらそれを言うんかい……」

 この星の女子たちは、すでに男を必要としていないようだった。むしろ、いまさら男が蔓延るようになれば、社会的混乱をもたらしかねない。

 だからこそ、シスターもこの命を下すことに躊躇していた。

「実害がないから厄介でね」

 神の代弁者は残念そうにため息をつく。

「ここで無為に勇者を派遣して死なれでもしたら……次の勇者を見つけるのも苦労しそうで」

 どこまでも内部的な事情だった。しかし。

「けど……ここで都合よく、勇者審判願いが出された」

「……オイ」

 ここで初めて、ユウが微笑んだような気がする。だが、シオリンには悪い予感しかしない。

「つまり、もし現行勇者様が死んだら、ウチに代わりになれ……と?」

「いえ、いい機会だから魔王も排除してほしいのよ。ふたりがかりでね」

「いい機会ってナンやねん!」

 後釜が用意できたから安心して死んできていい――それよりもっと物騒だ。それでも、協会側はふたりが飲むと信ずる理由がある。

「勇者になれば守護者としてズーミア様の剣となるのよ。それはつまり、勇者自身が法そのものである特権階級……」

 それを聞いて、シオリンはヤシロの方をチラリと見る。まったく興味なさそうな風体だ。おそらく、多大な権力を持つ役職だからこそ、このような無害な人物が選ばれたのだろう。

「だから、そのくらい乗り越えてみせなさい」

 現行勇者のヤシロだけでなく、その言葉は次期勇者候補のシオリンにも向けられていた。

「そうそう、もし戦いの途中でどちらかが命を失うこととなったら……それは、勇者審判の儀にて決着したように記録しとくから」

「それってつまり……魔王討伐自体が審判の儀ってことやんけ」

「察しが良いわね。そのとおりよ」

 ユウはあっさりと認めた。

「目的さえ達成できるのであれば闇討ちだって構わない。けれど……ふたりとも斃れるようなことだけは絶対に避けて。いいわね」

「あー、はいはい」

 シオリンはヤシロのような気の抜けた返事をする。魔王に対して真っ向から立ち向かおうという気概は感じられない。何故ならば、シオリンの目的は魔王討伐ではなく、勇者就任なのだから。

「で、その魔王城ってのはどこにあるねん」

 少なくとも、街にそのような物騒な雰囲気の建造物はなかった。

「えーと……地図を持ってきた方が良さそうね。ちょっと待ってなさい」

 そう言ってユウは踵を返すと、右奥の扉から出ていった。

 扉が閉まり、静まり返ったところで――シオリンは横目でヤシロに話しかける。

「……なぁ、この宗教、ちょいと無茶苦茶やで」

 あまりにも人の命を軽視しすぎている。

「かもねー」

 ヤシロはそれを認めた上で、反旗を翻すつもりはないらしい。

「けど、あんさん、別段勇者の地位に固執しとるわけやないんやろ」

「んー……でも、勇者辞めるには死ぬしかなくて」

「せやから、ここで相談や」

 席を立ち、通路を跨いでヤシロの耳に近づく。

「あんさんは戦闘中に死んだーってことにして、どっかにこっそり匿わせたるわ。勇者の権限使えば、人ひとり隠すんも容易いで」

「……シオリンは、どーしてそんなに勇者になりたいの?」

 ここまでぼんやりと女神像を眺めていたヤシロだが、ここで――横目ながら、シオリンの挙動に興味を示す。

「勇者になったら教えたるわ」

「それを知らなきゃ話に乗れないよ」

 軽いノリだが、意外と慎重――腐っても勇者か、とシオリンはそれなりに腹を括る。

「……この惑星(ほし)に生かしておけんヤツがおる。それだけや」

「あー、勇者になれば人殺しも罪に問われないからねぇ」

 例え私的な事情であっても、あくまでそれは勇者による断罪。

 殺人予告を聞いてなお、眉ひとつ動かさずヤシロは淡々と応える。

「けど……それはダメだねぇ」

「なんや、こんなとこで勇者みたいなこと言いよったからに」

 けれど、シオリンは話に決着がつく前に自分の席へと戻ってしまった。そして、元通りにやる気なさそうに姿勢を崩す。そこに、ユウが入ってきた。ふたりの変わらぬ姿を見て――何故か、シオリンに向けてフッと微笑む。

「……どうせ、身の安全は保証するから、死んだことになれ、とでも言ったのでしょう?」

「ナニゆーとんねん。女神はんの前でそんなインチキするわけないやろ」

 それは、嘘くさいほど堂々と。盗聴器の類が仕掛けられていたのかもしれない。だが、いずれにしても――この局面でふたりきりにすれば、そのように動くことは火を見るより明らかなこと。

 シオリンの言葉を信じたのか、それとも一笑に付したのか。ユウは再び表情を消し、部屋から持ってきた地図を――ヤシロの方の机に広げる。道が細かく網羅されているため、シオリンは席から立ち、中央通路からそれを見下ろす。そこには赤い丸と、バツ印が刻まれていた。すでに部屋で記してきたらしい。

「教会はここ、そして、魔王の城はここよ」

 当然教会が丸印、ターゲットとなる魔王城がバツ印となる。だが、それを見たシオリンは――

「おいおいおいおい……」

 それは可笑しそうでもあり、呆れているようでもあり。

「何か?」

「いーや、何でもないで」

 どう見ても何でもある。が、シオリンがその意味を明かすことはない。

「……で、そこにおる魔王を……殺してもーて構わんのやな?」

「そうだけど……」

 シスターは訝しんでも表情を変えない。少しだけ不満そうに口の端を下げるだけ。だが、シオリンはわかり易い笑みを浮かべる。

「そーかそーか……」

 だからこそ、ヤシロは放っておけない。

「シオリン、さっきの話――」

 だが、その言葉を即座に遮る。

「後始末は頼んだでッ!」


 ドン――ッ!


 眩い閃光と爆発音。

 次の瞬間、シオリンは教会の扉を吹き飛ばし外にいた。勢いはそのままに両足を地面に向けて力を込め――跳躍。平屋ばかりの街並みを軽々と超える高みに達し、地図のバツ印に向けて真っ直ぐ向かっていく。

「あんさんが魔王やったとは好都合やで――」

 シオリンはニマリと笑った。長い髪を風になびかせて。


       ***


 そして、教会に残されたふたりは――

「いたた~、びっくりしたよー」

 どうやら壁に後頭部を打ち付けたらしい。壁際で顔をしかめるヤシロ。だが、その右腕をユウの左手が乱暴に引き上げる。受け身をとっていたのか、勇者よりも反応が早い。だが、その顔には焦りが満ちている。苛立ち以外の感情を見せるのは珍しい。

「何してるの! 早く追うわよ!」

「んーと……でも――」

「いいから早く! 走れるわね!?」

 説明する間もなくユウは教会から飛び出していこうとしている。ゆえに、ヤシロはそれに続くしかない。

 そして、ひとり考えていた。


 シオリンは、自分ひとりで魔王を倒すつもり――そして、あたしが魔王を倒したことにすればいい――そうすれば、すべては丸く収まる――

 ただ――

 これまで数々の歴代勇者たちを退けてきた魔王に、シオリンがひとりで太刀打ちできれば――だけどね――


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