残灯
ここは人里離れた山奥の牧場。まだ午後7時だが辺りはもうすっかり暗くなっている。
この牧場は代々引退した競技馬を終生まで面倒を見ている。三味線で迎える習慣がある。いやあった。この集落は既に過疎化が進み、近隣住民は誰も居なくなった。今も住んでいるのは牧場主の爺さん、その息子夫婦と孫娘のマオだけだ。三味線を弾けるのは爺さんしかいない。
そして今日は競技馬マトリの引退式。参加者は爺さんとトオル叔父さんとマオと俺。俺がこの牧場に来たのは8年ぶりである。
爺さんは何も語らず弾き始める。
三味線の弦が突然切れる。
「爺さまが亡くなったか。ここじゃ電波が繋がらないから車を出して山を越えないかん。」
「悪いがマオとセイはここにいてくれ。亡くなった爺さまを1人残すのは忍びない。」
亡くなった爺さんと若干霧がかっている草原の真ん中。
マオは大人しかった。8年前に実家で会った時は元気でいっぱい喋る子だったんだけどな。
「セイ兄は死を見たことある?」
「人の死なんてもう何回も見てきたけど、肉親の死は心にくるものがあるな。」
「今のは死じゃない。」
「私は今までたくさんの馬を看取った。魂が抜けて白い夜空に紅い灯が輝くのを見た。それが死だよ。」
「ヒヒーン」
突然マトリがいななく。
「馬は何もなく夜には鳴かないんだ。彼にも昇る魂が見えたんだね。」
「うーん?そうなのか?」
マオは厩舎の鍵を開けてマトリの手綱を引く。
「セイ兄、行くよ。乗って。」
「え、ちょどこへ?」
「見せてあげる。マトリは”見えているのなら“真っ直ぐ魂が集まる場所に向かう。さあ」
さっきから言ってることが分からないが何か肝試しみたいなことがしたいのか?こんな時に不謹慎だとは思うが。
「爺さんは置いて行っていいのか?」
「それは爺さまじゃない。本当の爺さまはこれから会いに行く。さあ乗って。乗らないなら私だけでも行く。」
マオは少し普通じゃない気がした。だがこんなところで1人残されても困る。
「分かったよ。あんまり変なところに連れてかないでくれ。」
灯が燈る。