85話 「小百合、結婚への熱意を語るの巻」
二人はハローワークに赴き、小百合と個人相談室に入る。
「もう、アンシュラオン様! あれ以来、全然会いに来てくれないじゃないですか! 小百合、寂しかったんですよ! 毎日お習字でアンシュラオン様の名前を書いては隣の家に貼り付け、我慢する日々だったのです!」
「それ、呪いじゃないよね?」
「会いに来るための呪いです」
呪いだった件。
しかも隣の家にとばっちりである。発見した時はかなり驚くに違いない。
ちなみに隣の家は同じハローワーク職員の家であるが、カップルで住んでいるそうなので、そうした意味も込めての呪いである。
「ごめんごめん、あまり目立ちたくなくてさ。ここ来るとどうしても注目されるしね」
「どこに住まわれているのですか? 小百合の家はいつでも空いてますよ。サナ様も一緒にウェルカムです! ですよね、サナ様?」
「…こくり」
「ほら、サナ様もこうおっしゃっておられますよ!」
「えーと、その気持ちはありがたいけど、一度この都市を出て行こうかなーとか思ったり…」
「えええええええええ! アンシュラオン様は貴重なホワイトハンターなのですよ! どうしてですか!?」
「いや、べつにやることもあまりないし、そもそもここって平和でしょ? オレがいる意味ないよね?」
「そんなことはありません! アンシュラオン様がいるからこそ平和なのです! そうに決まっております。そうです! それならばこちらから出向いて四大悪獣を倒しに行きましょう!」
「今はお金に困ってないし、そこまでしなくてもいいかな。前回はたまたま出会えたけど、次も上手くいくとは思えないしね」
「どうしても出て行かれるのですか?」
「うん、もう決めたんだ。オレ、ここの領主が嫌いなんだよね。便利ではあるけど、都市はほかにもあるからこだわる理由もなくてさ。サナの教育にもよくないからね」
「では、今すぐに私と結婚してください!」
「ええええ!? 性急すぎない!?」
「結婚してくれるんですよね!? 小百合、もうこんな歳なんですから結婚してくれなきゃ嫌です嫌です嫌ですーーー! また行き遅れますー! やだやだやだー!」
「ちょっ!? どうしたの小百合さん!? 落ち着いて! 外に聴こえちゃうから!」
「みなさーーん! 小百合はアンシュラオン様と結婚しますよーーーーー! うおおー、ガンガンガン!」
「扉を叩かないでぇえええええ!」
むしろ悪化。
「申し訳ありません。つい興奮してしまって…。最近、自分でも感情を抑えられないんです。はぁはぁ、アンシュラオン様と接していないと…はぁはぁ……に、匂いを…どうか匂いを…」
「ど、どうぞ」
「すーはー、すーーーはーーー」
小百合がアンシュラオンの髪に顔をうずめ、匂いを嗅ぐ。
男にやられると最低の行為でも、女性ならばまったく気にならないのが不思議だ。
「ふー、楽になりました。ありがとうございます!」
(なんかオレ自身が麻薬みたいになってるな。触れ合うたびに人格が暴走しつつあるみたいだし、魅了って怖い…)
小百合は完全にアンシュラオン中毒のようだ。パミエルキも同じ症状だったので改めて魅了効果の怖ろしさを痛感する。
ちなみにアンシュラオンも、この一ヶ月でサナ中毒になってしまったので気持ちはわかる。
一日五回はサナの髪の毛に顔をうずめて、たっぷり吸わないと落ち着かないのだ。
これを猫吸いならぬ「サナ吸い」と呼ぶ。
「サナ、膝おいで!」
「…こくり」
「すーー、すーー、ああ、いい匂いだなぁ!」
「………」
「くぅーー! キクぅううううう!」
サナはされるがままに匂いを嗅がれている。
彼女の香りは高級なお香のようで、心の奥底からリラックスできる素晴らしいものだ。何度吸っても飽きない。
なんだか最近、周囲が変態だらけになってきた気がしないでもない。
ラブヘイア大先生の布教活動が着実に浸透してきた証だろうか。世も末である。
「出て行く本当の理由は何ですか? 小百合にはちゃんと教えてくださいね」
「実は最近、すごい見られている感じがしてさ。どこに行っても視線を感じるんだよね」
「アンシュラオン様は有名人ですもの! 当然ですよ!」
「モヒカンにもそう言われたけど、それが困るんだよ。あんまり目立ちたくないんだ」
「なぜですか? 有名なのは良いことだと思いますけど」
「それも一長一短さ。もともとサナとの生活費を稼ぐためにハンターになっただけで、そこまで本格的にやるつもりじゃなかったんだ。あんまり目立つと姉ちゃんに見つかっちゃうよ」
「お姉様がおられるのですね! つまり私の義理の姉!」
「駄目だよ、小百合さん! あの人に近寄ったら絶対に駄目! とんでもない目に遭うからね! 本当に危ないからね! オレより強いんだからさ!」
「お二人は仲が悪いのでしょうか?」
「悪いわけじゃないけど…危険な人なんだ。メンヘラというか病んでるというか、ちょっとした精神的な病気なんだよ。医者からは離れて暮らしたほうがいいって言われていて、今はオレも逃げ回っている状態なんだ」
「それはつらいですね…」
「そのほうが当人にとってはいいんだ。だから気にしないでいいよ」
とりあえず小百合にはそう話しておく。
姉が聞いたら激怒しそうで怖い。
「どちらに向かわれるのですか?」
「前に知り合いに聞いたハピ・クジュネに行こうとは考えているよ。小百合さんは行ったことある?」
「はい、あります。あそこを経由してグラス・ギースまで来ましたからね。海沿いですし、浜辺を見ていると幼い頃に見た母国を思い出します。本当はあそこに住みたかったですね。いい都市です」
「そこにもハローワークがあるんだよね? こんな都市より、そっちに赴任できなかったの?」
「単純に定員が埋まっていたのと、以前も申し上げた『安全面』からですね。親が独り暮らしで就職するなら安全なところでないと駄目だと言うのです。子供みたいですよね。これでも最低限の護身術くらいは使えるんですけどね」
「それは親御さんが正しいよ。小百合さんみたいな綺麗な娘さんなら心配して当然だしね。というか、ハピ・クジュネは危険なの?」
「グラス・ギースより大きな都市ですから、それだけ治安が悪い面もあるのです。ただし経済規模はここの十倍以上です。人口は約二百五十万人、傭兵や労働者等の一時滞在者を含めれば四百万人を超える大都市です。海辺で物流もかなり良いですし、南部への入り口でもありますから人の出入りも比べるまでもありません」
「へぇー、それはすごい! 思っていたより大きな都市だね!」
グラス・ギースの人口がおよそ十万~二十万とすれば、その十倍から二十倍の人間がいることになる。
人が多ければ経済も活性化する。港湾都市で貿易も盛んだろうから、ますますここにいる意味がない。
(人が多いことに懸念材料もあるが、木を隠すなら森か。他人が犠牲になっている間に逃げる手もある。姉ちゃんのことを含めても、やはりハピ・クジュネに行くのが正解かな)
「デアンカ・ギースの原石はまだお持ちですか?」
「ああ、あれね。手付かずで残ってるよ。今の状態じゃ何もできないし、ただの置物だよ」
「ハンターのコレクションとしては悪くありませんが、貴重なものなのでもったいないですね。ハピ・クジュネに行かれるのならば、一度専門家に見てもらってはどうでしょうか」
「専門家? ジュエルの?」
「はい。私も知らなかったのですが、ジュエルを専門で扱う『テンペランター〈魔石調整者〉』という職があるそうなんです。実際の加工ではなく、ジュエルの鑑定や調整を専門で行っている人たちですね」
「一ヶ月前に鑑定してもらったよね。それとは違うの?」
「あれは単純にハローワークと提携している鑑定屋に頼んだだけなのです。鑑定自体は一般的な術式なので、あくまで正規品であることを証明するための作業でした。それとは違って本格的にジュエルの調整をすることで、能力をさらに引き出すことができるそうです」
「それは興味深い話だね。この子のジュエルでもできるのかな? いろいろとまだ感情が乏しいところがあって、その補助として付けているんだけどね」
「可能だと思いますが、やはり専門職なので実際に見てもらうしかありませんね」
(思えば何も考えずにギアスを付けてしまったが、これだけジュエル文化が発展した世界だ。役割も細分化されて奥深いに違いない。もっと技術を知るチャンスかもしれないな)
「そのテンペランターってのは、グラス・ギースにはいないの?」
「調べてみましたが、少なくとも商売としてやっている方はいないようですね。そもそもかなり珍しい職業のようで技術的にも難しいそうです。簡単な調整くらいならば術者でできる人もおりますが、本格的なものは専門の知識が必要という話です」
「そっか。何でもそろっているわけじゃないんだね」
「比較的長い歴史がある都市ですけど、やはり辺境の都市ですからね。実はグラス・ギース支店は東大陸の西部北エリアに属しておりまして、ここで集めたものはエリア全体を統括する『支部』に併設されている『集中局』に一旦送られてから、それぞれの専門分野に渡す手筈になっています。それがハピ・クジュネにあるのです」
「なるほど、ハピ・クジュネのハローワークは支店より上の支部なのか。物が集まるところに人も集まる。発展するわけだ」
「そういうことですね。何をするにもハピ・クジュネのほうが便利なのは確かです」
「わかった。ハピ・クジュネに着いたら見てもらうことにするよ。あっちのハローワークに行けばいいんだよね?」
「はい、窓口で担当者が教えてくれるはずです。…ですが、アンシュラオン様の担当を誰かに渡すのは悔しいですね。すぐに戻ってこられるのですよね?」
「うん、戻ってくる……と思うよ」
「間がありましたよ! やっぱり先に結婚してください!」
「大丈夫、大丈夫だから!」
「私も一緒に行ったら駄目ですか?」
「小百合さんも? 仕事は休めるの?」
「今すぐに寿退社します!」
「それはらめぇえええええええ!」
「どうしてですか!? 小百合に未練はまったくありません! こんなクソみたいな都市に監禁されるのはもう嫌なのです!」
ハローワーク職員に『クソみたいな』と言われてしまうグラス・ギースさん。
その輝きはプレイスレス!
「せっかく大企業に勤めているんだから、辞めるのはもったいないよ。安定しているし安全だし、言うことないよね。辞めたら親御さんも心配するって」
「アンシュラオン様と一緒にいるほうが絶対にいいです。ホワイトハンターでもありますし、これ以上の結婚相手はおりません!」
「でも、オレってスレイブしか信用できない駄目なやつなんだ。姉ちゃんの圧力が強すぎて、スレイブしか愛せない身体になっちゃって…」
「では、小百合もスレイブになります! あなただけの愛のスレイブです!」
「そ、そんなに無理しなくても…」
「むぅうう、小百合は絶対に結婚します! アンシュラオン様は結婚したくないんですか!?」
「し、したいよ。ただその、まだ自信がなくて…サナの世話で手一杯だし」
「大丈夫です! サナ様のお世話も含めて家庭のことはすべて小百合に任せてください! そのために事務で腕を磨いてきたのです! 家計簿だってお手の物ですからね!」
すごい執念である。
絶対に引かない強い意思を感じる。
(可愛い女性とイチャラブはしたい。小百合さんは可愛いし有能だし、愛嬌があるから満点に近い相手だ。ただ、今はサナがいる。オレも子育ては初めてで毎日試行錯誤してるからなぁ…)
小百合と違ってサナは独りでは生きてはいけない。強い庇護が必要だ。
これから彼女を教育していく都合上、身軽でありたい気持ちのほうが強いのが本音である。
そして当然、最大の懸念は姉だ。
(もし姉ちゃんと遭遇した場合、抱えて逃げられるのはせいぜいサナ一人までだ。さすがに小百合さんまで助ける余裕はないよな。もう少し準備ができてからにしよう)
「大丈夫。ちゃんと責任は取るよ」
「本当ですか?」
「約束する。親御さんとも会うから、それまで安全なところで待っててよ」
「わかりました。それならば小百合も信じます!」
「ほっ、よかった」
「先に籍だけ入れましょう!」
「えええええええ!?」
「冗談です。そもそもグラス・ギースにレマールのような戸籍制度はないですからね…残念です」
「どうやって人口を把握しているの?」
「ハローワークでは、登録時や依頼の受発注から独自に集計しています。グラス・ギース単独では、東門での統計と市民権によって把握しているようです。ですので、調査方法によって人口に大きなばらつきがあるのです」
「まあ、あんまりしっかり管理していないみたいだしね。やっぱりこうしてみるとハローワークはすごい組織だよ。小百合さんにはまだいてほしいのが本音だね」
「共働きということですね。それが昨今の主流ならば致し方ありません。我慢いたします」
「ごめんね。助かるよ」
(せっかく組織の内部に入り込んでいるんだ。そのまま使ったほうが便利だもんな)
ハローワークは簡単に入れる組織ではない。清掃要員とかならばともかく、職員でいられるのは西側出身の小百合だからこそだ。
その証拠にハローワークは職員の募集をしていない。機密情報だらけなので、職員の選定も内密に行われているのだろう。
そんな組織に入っているだけでステータスである。小百合には、ぜひこのまま勤めていてもらいたいものだ。
 




