73話 「小百合さんと一緒に通勤しよう」
「小百合さん、朝だよ」
「う、うーん…」
「もう六時過ぎだよ。大丈夫?」
ベッドで寝ている小百合を優しく起こす。
何度か軽く揺すっていると、ようやく小百合の目が開く。だが、その目はとろーんとしている。
「アンシュラオン…様? んんっ、あれ…? わたし、どうしてここに…。あれ? パジャマ?」
「うん、オレが着させたんだ。お風呂上りだったみたいだから、風邪引いちゃうと困るし」
「んー…。そうだ、たしか…マッサージを受けて…んふっ!」
「小百合さん、大丈夫?」
「んふっ…んっ…、だ、大丈夫……あはっ、ですぅ…」
動くたびに小百合の身体に電流が走る。
(はぁはぁ、この快感はいったい…。ああ、そうだわ。寝る前にアンシュラオン様からマッサージを受けて、私は何度も…。ああ、まだ身体が痺れているみたい)
まさに夢のような時間。
女にとって最高の時間があるとすれば、それがまさにあのマッサージだと思わせるほどすごかった。
おかげでパジャマに触れるだけで快感を得るほど肌が活性化している。まるで十代の敏感な年頃に戻ったようだ。
「はぁはぁ…アンシュラオン様……」
「ん? なに?」
「好きっ!」
「うわっ」
がばっとアンシュラオンに抱きつき―――再び電流
こうして触れ合うだけで悶えるほどの快感が走る。
「あはぁああ! いい、最高! もう離れられない!! あなたの好きにして!」
「え? あの…小百合さん? ちょっと状況が…」
「あはっ! そこに触れたらぁああ! あはーーーんっ!!」
注意:抱きつかれたので背中に触れただけ。
∞†∞†∞
「さきほどは取り乱しまして、誠に申し訳ありません」
朝食時、小百合から謝られた。
「問題ないよ。小百合さんの可愛い一面が見られて楽しかったし」
「うう、アンシュラオン様の意地悪。そんな人…そんな人……大好きです!」
いつでも心に正直なお姉さん、小百合である。
その顔はすっきりしていて、今までの寝不足も疲労も欲求不満さえも一気に抜けたようだ。
肌もピチピチになり、もともと童顔だったことも相まって本当に高校生に見えなくもない。当人は大喜びである。
「こうして妹もお世話になっているし、小百合さんには大感謝だよ。サナ、美味しいか?」
「…ぱくぱく、こくり」
隣ではサナがパンをかじっている。食パンに柑橘系のジャムを塗ったもので、地球にあるものによく似ている。
その様子にアンシュラオンもひと安心である。
(よかった。特に問題ないみたいだな。むしろ元気になった気がするぞ)
小百合を起こしたのち、サナも目を覚ました。
突然むくりと起き上がり、それからお目々がパッチリである。
朝食の準備をしていた小百合をじっと見ていた姿は、餌を待っている子猫のようで愛らしかった。
小百合もその姿に「か、可愛いです!」と何度も嘆息したものだ。
(魅力が高いから人目を引くんだろうな)
サナがどういった経緯でスレイブになったのかはわからない。
ただ、この魅力のおかげでいろいろな人に助けられて生きてこられたのだろう。
イタ嬢が黙っていれば可愛いように、無駄にしゃべらないからこそ愛らしさが倍増する。まさにおとなしい猫だ。
ただし、新しく発見した側面もある。
(サナは案外、はっきりした性格をしているな。オンとオフがしっかりしているんだ)
寝るときはがっつり眠り、食べる時は普段の無表情が嘘のようにバクバク食べている。
小さな口なので一回一回の量は少ないが、もくもくと一心不乱に食べている姿は可愛く、どこか小気味よい。
恥ずかしがることもないし臆することもない。ただただ目の前の食事に集中している。
(意思が希薄ゆえに本能に忠実というべきか。ぐだぐだした性格よりも、よっぽどいいな。またサナが好きになったよ)
そんな意外な側面を観察しつつ、自分も小百合の料理を食べる。
メニューは朝食らしく、パンとジャム、目玉焼き、サラダ、それとスープまで付いていた。
(こうしてちゃんとした料理を食べるのって初めてかな? ダビアと一緒に来たときはほとんど保存食だったし、そもそもあまり食べないからね)
ダビアと一緒の時は半分緊急事態だったので満足な食事はなく、せいぜい集落に寄った時の鳥の丸焼きくらいなもの。あとは乾物などの保存食がメインだ。
アンシュラオンは料理もできるが、独りだと面倒に感じてあまりやらないものである。
捕まえた魔獣で多少ダビアに料理を作ったりもしたが、適当に調味料をぶっかけて焼いただけのものばかりだった。
これが姉ならば下ごしらえして丁寧に仕上げるが、男に対してはそんなものである。
だから小百合の料理には興味があるし、作ってもらうなんて滅多になかったので嬉しく感じられた。
(味もあまり地球と変わらないな。こういった料理は、この地域独特のものなのか? それとも一般的なものなのかな? そのあたりもよくわからないな。まあ、訊いてみるのが一番早いか)
直接「この料理って一般的なの?」と訊くのはおかしな感じがするので、出身地を訊いてみる。
それがわかれば料理のこともわかるだろう。小百合の出身には興味があったのでちょうどいい。
「ねえ、小百合さんって、もともとこのあたりに住んでいたの?」
「地の人間ではありませんね。私は幼い頃に両親と西側からやってきたのです。両親もハローワークの職員でして、新しく東側に支部を作るために移住してきたんですよ」
(ダビアと同じってことか。でも、政治犯とは関係ないみたいだし、単純に仕事で来た感じだな)
小百合から感じる雰囲気が、明らかにダビアとは違う。
ダビアは何かこう、反骨心のような明らかに強い意思をもって人生を歩んでいるが、小百合からはそこまで強いものを感じない。
人生において激しい労苦を味わうと、人間の顔つきも変わってくるものである。ダビアにはそれがあり、小百合にはない。
悪く言えば流される人生だろうが、良く言えば尖った部分がないので、とても柔らかく感じる。女性ならば後者のほうがよいに決まっている。
「両親はご存命?」
「はい。かなり南のほうなんですけど、『ヴェルト』という入植地があるのです。そこのハローワークの支部長をやっていますね」
「え? 支部長なの? それって偉いんじゃない?」
「偉いといっても組織内の役職ですし、そこまでのものじゃないですよ」
「いやー、けっこうなものだと思うけどね。もしかして、小百合さんっていいところのお嬢さん?」
「いえいえ、普通の家ですって。ただ、他の都市は危険だからと、城壁の厚いグラス・ギースに一方的に赴任先を決められてしまったのだけが不本意ではありましたね。本当に心配性なんですから」
「親なら当然の気持ちだよ。オレもこの子を見ていると心配になるしね」
「そのせいで婚期を逃していたんですよ。本末転倒です! でも、アンシュラオン様と出会えたので今は感謝していますけどね。うふふ」
「そ、そうだね。そういえば西側って文明が発達しているって聞いたけど、食事とかもそうなの?」
「それは場所によりますね。隣接している国でも風習は違いますし、東側とあまり大差ない国もあったりします。私がいた国はレマール王国と呼ばれる中規模国家だったので、それなりに発展はしていましたけど」
「レマールの食事ってどんなの? ここにあるのと同じ感じ?」
「そういう人もいましたが、あそこはお米が多かった気がします。幼い記憶ですが、ごはんに味噌汁が定番だったような…。たしか納豆もありましたね。あっ、納豆というのは…」
「それって完全に日本じゃん!!」
「はい? ニホン?」
「あっ、いやいや、ごめんごめん。つい興奮しちゃってね。納豆は知ってるよ」
「おお、それは素晴らしいです! このあたりでは作っていないので、たまに懐かしくなります」
「そのレマールって国をもっと教えてくれないかな」
「ご興味がありますか? 教えるといってもそこまで特徴がある国ではないですよ。水が豊かな国で、国旗も水色の地に竜が描かれたものです。あとは剣術が盛んですね。ダマスカスも古流剣術で有名ですがレマールにも多くの剣豪がいて、みなさん刀を愛用しています」
「刀…サムライソードってやつ?」
「ええ、そうです。このあたりでは刀はあまりないですけどね。どうやら扱いが難しいとかで、特別な店でしか見かけません」
「もしかして着物とかも着てる?」
「はい。着ている人は多いですね。私も昔は着物で暮らしていました」
「その国の人たちって、髪の毛の色は黒系が多い?」
「私のような、ですか? どちらかといえば水色が多いですね。血統遺伝のあるレマール王家は、全員が水色の髪の毛をしています。真っ黒もいますが、さほどではないですね。水色から赤黒の間、少し濃い紫色が一番多いかもしれません」
(やっぱり人種の概念が希薄かつ多様な世界なんだな。しかし、水色や紫頭で着物に刀か。完全なるサムライかぶれの外国人じゃないか。観光地にいそうだよな)
「アンシュラオン様は博識ですね」
「たまたまだよ。オレが住んでいた国も似たような文化だったからさ」
「それはまた素晴らしいです! 私との相性もばっちりというわけですね!」
そうして笑う顔は、どことなく日本を思い出させる。
(小百合さんが日本人の系譜というよりは、そのレマールって国が日本に似ているのかもしれない。日本文化が浸透した国があるとは興味深いな)
そんなことを考えていると、サナが食べ終わる。
「サナ、美味しかったか?」
「…こくり」
「ああ、ちょっとこぼれてるな。お兄ちゃんが拭いてあげるからな。ふきふき」
「………」
「サナ、小百合さんに『ご飯、ありがとうございました』って言うんだぞ」
「………」
「『ごちそうさま』は?」
「………」
サナはじっとアンシュラオンを見るだけである。
「うーん、しゃべるのは無理か。小百合さん、ごめんね。妹は事情があって声が出ないんだ」
「お気になさらずに! それもまったく気にしておりませんから! それより朝から素晴らしいものを見せてもらいました。ああ、素敵なお二人ですね…うっとり」
アンシュラオンもサナも美形なので、二人が並ぶだけで絵画のような美しさを醸し出すのだ。
小百合にそういった趣味はないが、そんな彼女でも見惚れるくらいに素晴らしい光景であった。
出勤の時間となり、三人は外に出る。
アンシュラオンもハローワークに用事があるので一緒に行くことにした。
「小百合さんはどうやって職場まで行くの? 馬車とか?」
グラス・ギースなどの大きな都市では、移動は馬車が基本である。
アンシュラオンも見かけたが、大通りには定期的に各区間を馬車が走っており、バス感覚で利用されている。
場所が近ければ歩いても行けるが、ここからハローワークまでは五十キロくらいある。さすがに歩くのは無理があるため、何かしらの交通手段を使う必要があった。
「馬車で通う同僚もいますが、私は使っていませんね。時間がかかりすぎます」
馬車もそんなに速度が出るわけではないので、三時間以上揺られて通勤する人もいるようだ。
しかし、それだと時間がかかりすぎるし、いざというときに困る。
そのため、小百合は『これ』を使っている。
家に併設されているガレージを開けると、そこには黒く輝く物体があった。
それを見て、アンシュラオンが思わず叫ぶ。
「あっ!! バイクだ!!」
それは【バイク】。
まさに日本で見かけるものと同じで、しっかりとまたがって乗る大型のものである。
ただし、車輪はない。ダビアのクルマと同じく風の力で浮かして走るものだと思われる。
「私はこれで通勤しています。これならば一時間もかかりませんし、うっかり寝坊しても大丈夫なのです」
「へー、すごいや。サイドカーもあるんだね」
「残念ながら今までは誰も乗せる機会はありませんでしたが…ついにこの日がやってきました! さあ、お乗りください! サナ様とご一緒に!」
「ありがとう。サナ、お兄ちゃんと一緒に乗ろうな」
「…こくり」
アンシュラオンがサナを抱っこしてサイドカーに乗る。
サイドカーは大人一人用だが、二人とも大きくはないので一緒に乗っても問題なかった。
「では、行きましょう!」
「おおっ、浮いた!!」
バイクは浮き、まさに風に乗るように重みを感じさせずに加速していく。
便利ではあるが、地球のバイクに慣れていると振動がないので物足りないかもしれない。
人間は不思議なもので、不便がゆえに愛着を感じるものなのだろう。それもまた人が持つ愛嬌の一つである。
(このバイクも西側の伝手で買ったんだろうな。昨日の剣士のおっさんにしてもダビアにしても、オレはけっこう西側の人間と縁があるみたいだ。意図しているわけじゃないんだけどね)
三人はバイクで出発。
馬車を軽々と追い越しながらハローワークに向かう。
この都市は案外しっかりしていて、馬車と人が通る道はちゃんと分かれているため多少飛ばしても大丈夫だ。
これは円滑な輸送を考えてのことであり、こうでもしないと都市内部で物流が滞ってしまうことがある。
特に東門から上級街に行くまでが大変なのだ。ここに時間をかけると、いざという場合に食糧不足になってしまうおそれがあった。
領主城や上級街のためのシステムではあるものの、道だけを見ればなかなか考えて設計されているようだ。
そして、八時前にはしっかりとハローワークに到着したのであった。
 




