623話 「バティスト司教戦 その1『カーリスの戦艦』」
ユキネたちがケリー隊を撃破していた頃。
ハピ・クジュネ沖の海上では、一隻の『戦艦』が波に揺られながら待機していた。
カーリス教団の巡洋艦、アリュセンス。
DBDが保有するナージェイミアよりも若干大きく、より幅が広い形状をしているので箱型の戦艦といえる。
箱型の特徴は攻撃兵器よりも拠点としての要素が強く、長期間の滞在に加え、盾として前線に配置することで敵の攻撃を受け止めることができる。
このアリュセンスも前方の装甲が厚めに造られており、敵の主砲を受けても簡単には沈まない強固な艦である。
もちろん自身にも、それが戦艦であることを示すように両翼に大きな主砲が二門と六つの副砲が配置されていた。
砲台の数が多ければ多いほど火力が高いのは当然だ。全門が一斉に開かれれば、かなりの脅威になることは間違いない。
少なくとも相手が都市という動けない標的ならば、戦艦は絶対的な存在になれる。この時代においては戦艦こそが最強の兵器なのだから。
そして、その甲板上に豪奢な椅子に座っている者がいた。
司教以上だけが着られる紫の祭服を身にまとい、至る所にジュエルを身に付けた若い男である。
ただし、見た目こそ二十代前半に見えるが、彼の実年齢はすでに四十半ばだった。
その男に対し、側近の神官騎士が報告に来る。
「バティスト司教、ハピ・クジュネ軍から通達です。『進路を変更されたし。これ以上の進軍は敵対行為とみなす』だそうです」
「ハピ・クジュネ? ああ、そんな名前の都市だったか。野蛮な辺境都市の名前など覚えていられるか。見ろ、なんとみすぼらしい船だ。戦艦ですらないのだぞ。はははは! あれで威圧しているつもりか?」
「この艦にとっては脅威ではありませんが、本格的な戦闘となると数が問題です。補給路も確保できておりませんし、砲弾にも限りがあります。ここで消耗するのは得策ではないかと」
「なさけないことを言うな。ヴェルトに向かう前の準備運動で怖れてどうする。私を枢密院の笑いものにするつもりか?」
「申し訳ありません! 我々はバティスト様こそがもっとも教皇に相応しい御方だと信じております!」
「ふふ、そうであろう。私以外にカーリスを導ける者などいないのだ。だが、時が来るまで牙は隠しておかねばな。枢機卿であっても人間だ。他の者たちは私の失脚を心の底から望んでいるだろう」
「此度も出立前にひと騒動ありましたな。司教に手柄を立てさせたくはないのでしょう」
「やれやれ、これだから権力に固執する老人たちは困るのだ。すでに時代は動いているというのにな。そうだ、時代は我々若き力を欲している。それを見せつけてやろうではないか。その景気づけに都市の一つ程度は軽く落としてみせねばな」
「ハピ・クジュネ軍にはどう対処いたしましょう?」
「放っておけ。たかが地方都市ごときの防衛隊にムキになることはない。まずはケリー司祭長の報告を待つ。しかし、相手が撃ってきたら、それを口実にこちらも攻撃に移れ」
「はっ!」
現在、巡洋艦アリュセンスはガイゾック率いる第一海軍、約五千人、およそ二百隻の軍船によって囲まれていた。
彼らはすでに砲台をアリュセンスに向けているが、攻撃はしない。あくまで威嚇しているだけだ。
その様子が弱者の虚勢に見えるからこそ、バティストは笑うのである。
事実、戦艦と軍船とでは力の差がありすぎて勝負にならない。おそらく海軍が一斉砲撃を開始してもたいしたダメージは与えられないだろう。
なぜならば戦艦には、防御結界である『障壁』が展開されているからだ。
しかも大型のものなので、殲滅級の魔獣でもなければ打ち破ることは難しいだろう。
むろん距離と数次第で軍船が持つ砲台でも倒せる可能性はあるものの、戦艦側も撃ち返してくるので、それも簡単ではない。
よって、ガイゾックも甲板に出て、アリュセンスの出方をうかがうことしかできなかった。
「親分、どうします?」
「カーリスの連中と公に事を構えるわけにはいかねえ。やるなら相手から仕掛けさせる。性には合わんが、これも仕方ない」
「了解でさぁ! いつでも撃てるようにしておきますぜ!」
「こいつはまだわからないことが多い。無理はさせるなよ。だが、最悪はぶつけてでも止めるぞ」
「へいっ!」
(処女航海がカーリス相手ってのは最悪だな。できればこちらの手は見せたくなかったがよ、やっこさんが戦艦なら出すしかねえ。まったくもって余計なことをしてくれるぜ)
ハピ・クジュネ海軍の主力は、もちろん軍船だ。
ライザックの船のように大きなものもあるが、大半が百メートルから百五十メートルの小型のものであり、火力よりも機動力を重視している。
軍船の砲台には向きが固定されていることも多いので、海戦においてはポジショニングが非常に重要となる。
これは構造上、戦艦でも必ず死角が生まれるため、機動力を重視することは陸戦においても重視される。
が、やはり真正面からの撃ち合いになれば、より大きく強いものが勝つのは道理だ。
それを埋めるためにガイゾック用の旗艦は巨大化する傾向にあったが、戦艦を建造する技術はないため、ただ大きいだけの防御力の弱い軍船が出来るだけだった。
幸いながら今まで大きな戦いがなかったので問題にならなかったのだが、ついに敵が戦艦を持ち出す状況が生まれてしまった。
そこでガイゾックが取った最終手段こそが、この艦。
遺物艦『ロックゴロクネス〈轟鋼の六つ石〉』。
ハピ・クジュネの海底に広がる地下遺跡から発掘した古代の艦であり、推定製造年代は約八千年前となっている。
その時代はすでに超大国は滅びているため、その後に勃興した文明が造ったものだと想像できるが、大陸王が出てきた六千年と少し前にはすでに滅びていたことからも歴史的には長くない文明だったようだ。
ただし、その技術力はなかなかのもので、超大国の遺物を流用することでさまざまな武具や兵器を作っていた形跡がある。
同じ場所から発掘されたことからも、スザクの『インジャクスヒュペルソード〈魔光銃剣〉』もこの文明が作ったか、超大国製を改修したものだと思われた。
ロックゴロクネスの形状も独特で、本体である灰褐色をした全長二百メートルの球体の周囲に、五つの四角いユニット艦が連結されて合体したような不思議な様相をしている。
この五つのユニットにはそれぞれ砲台が設置されており、移動しつつ回転しながら全方位に砲撃できる強みがある。
六つのパーツを全部を合わせると大きさだけは巡洋艦に準ずるため、その珍妙な形状も相まってアリュセンスも一時停止を余儀なくされている、というわけだ。
とはいえ、性能は未知数。
何度かテストしたことで主砲が強力であることはわかったが、それを実戦でやれるかはわからない。耐久性も不明で、まともなメンテナンスができない以上、動いていること自体が奇跡ともいえる。
ゆえにこれは、ガイゾックにとっても一か八かの大勝負なのである。
(ったく、こちとら南部に気を遣わなきゃいけねえのによ。面倒なやつが横から来たもんだぜ)
実際にカーリスの戦艦はダマスカスを経由して、西部の大地を大きく迂回する形で湾に侵入してきた。つまりは今現在入植を続けている南部の現地勢力とは関係のない連中だということだ。
さすがのガイゾックも南部からの襲来は予想できても真横から来るとは思っていない。海流もそこそこ強く危険な水棲魔獣もいるので、普通の艦ならば南部を経由するだろう。
そこを強引に突っ切ってきたことから、それが見栄からだとしても、バティストが蛮勇の持ち主であることがわかる。
そもそも戦艦を持ち出すこと自体が異常なのだ。カーリス教団も多数の艦を持ってはいるが、いきなりやってきて威圧するなど普通はしないし、なかなかできない。
(カーリスの連中ってのは、どいつもこいつも頭がイカれてやがるぜ。まあ、だからこそどこに行ってもでかい顔をするんだろうがよ。だが、ハピ・クジュネだけに戦艦を使うとは思えねえ。『本当の目的』は違うってことか)
いかにバティストが横暴な者だとしても、ハピ・クジュネ程度の都市に戦艦を派遣するのはやりすぎだ。
また、一隻である点も気になる。
本気で北部を落とすのならば三隻は必要なので、今度は逆に少なすぎる。となれば、どこかに向かう途中であると推測できる。
(このあたりでカーリスといえばヴェルト地方だ。かなり遠いが、あそこの艦隊と合流するって話ならば納得はできる。ってことは本命の相手は『ユアネス』かよ。とんだとばっちりだぜ)
バティストが枢密院での存在感を高めるために賄賂は必須。それを北部で集めることが目的の一つであることは確かだ。
されど、それだけでは功績が足りない。
上位の枢機卿に求められるのは、より実利的かつ英雄的な成果だ。最低でもベルナルドのように聖女候補を連れてくるくらいの実績は必要だろう。
ただし、当然ながら聖女候補がそこらに転がっているわけではない。それは例外的な事例だ。
であれば、もっとも簡単な功績の挙げ方は『カーリスの敵対者を撃ち滅ぼす』こと。
このあたりで標的になりそうなのは、明確な「反カーリス」を掲げ、実際にカーリス教徒を大量に虐殺しているユアネスであろう。
彼らの行動は年々過激化しており、どこからか戦艦を持ち出してカーリス教会のある都市を武力で脅しているという話もある。
そうなれば当然、親カーリス勢力は激怒する。特にカーリス神殿があるヴェルトでは反ユアネス運動すら起きているほどだ。
北部から見れば遠い地だが、中南部東方のユアネスと中南部西方のヴェルトはそこまで離れていないため、両者ともに戦艦を持ち出してドンパチやっているエリアもあるそうだ。
ということで、たかがブランの言葉で司教が動くはずがなく、ヴェルトに向かう前にちょっと寄っただけ、が正しい認識といえる。
しかし、そのちょっとが問題だ。
(何があってもカーリスを入れるわけにはいかねえ。そんなことをしたらハピ・クジュネが終わっちまう。その時は全面戦争だ。宗教家ふぜいが海賊をなめんじゃねえぞ)
カーリスが厄介だという点は、ユアネスの話で十二分に伝わったはずだ。
あらゆる手で侵入を試み、一度入れば毒のように内部からじわじわと蝕んでいく。
それを知っているガイゾックは、一片たりとも『その思想』をハピ・クジュネに入れるわけにはいかなかった。
されど、ガイゾックにはまだ心の余裕がある。
(だがよ、カーリス。うちにはてめぇらが想像もできないようなヤバいやつがいるんだよ。それをとことん味わいやがれ)
ガイゾックが視線を上空に移す。
そこには銀翼の魔獣の背に乗り、夕焼けの光を反射して飛ぶ白い少年がいた。
女神が規制をかけたことで通常の兵器は空を飛ぶことはできず、飛行機の類は存在していない。
それゆえにこの時代の戦艦は対空砲火能力が極めて低く、こうやって空を飛べば敵からの攻撃を受けずに接近することが可能だ。
銀翼はアリュセンスの真上にまで難なく移動を果たす。
「マスカリオン、このまま上空で待機だ。たぶん大丈夫だと思うが、もし戦艦が沈んだらオレを回収してくれ」
「心得た」
アンシュラオンがマスカリオンから飛び降りる。
(あれが障壁か。たしかにそこそこの固さっぽいな)
その目には戦艦の周囲を覆う結界が映っていた。
なぜバティストが呑気に甲板にいるかといえば、さきほども述べたように、そこに障壁が張ってあるからだ。
戦闘時ではないので出力は低いが、もし周囲の軍船が砲撃を開始しても問題ない程度には強力である。
が、それを―――バリーン!
アンシュラオンが拳を放つと障壁に亀裂が入り、易々と破壊。
粉々になった光り輝く結界の残滓とともに勢いよく舞い落ち、甲板に激突する。
その衝撃でこれだけ大きな戦艦が激しく揺れ、反動で椅子ごと飛び上がったバティストが地面に投げ出される。
完全に油断していたので、サイドテーブルに乗っていたワイングラスが頭に当たり、こぼれた液体が顔にかかってしまう。
側近の神官騎士もぐらついて膝をつくほどだ。




