622話 「カーリスホイホイ その2『罠と駆除』」
移動中、ブランから離れたユキネが今度はケリーにまとわりつく。
「えーと、あなたも司祭長様なんですかー?」
「そうだが、あまり近寄らないでいただけるか」
「えー、どうしてですかー? せっかくのイケメンとお知り合いになりたいなーって思ってー」
「悪いが私にそのような趣味はない」
「もしかして男の人のほうが好きとか?」
「ノーコメントだ」
「えー! ノーコメントってことはイエスってことですかー?」
「どうしてそうなる」
「だって、言えないことをしているからノーコメントなんですよねー? それってイエスと同じでしょー?」
「ノーコメントはノーコメントだ。それ以上でも以下でもない」
「あはは、うっそだー」
ノーコメントと言えば誤魔化せそうな風潮があるが、本場の欧米でもノーコメントで有罪になることもあるらしいので、そこまで万能ではないようだ。
日本でもノーコメントと言う者は、だいたいが有罪なので注意が必要である。(当社調べ)
話を戻すと、ユキネは細身ながらも肉付きが良く、肌の露出が多い踊り子の服装も妖艶さをいっそうと際立たせるため、女のフェロモンをこれでもかと振り撒いている。
ケリー自体はアモンズでの強化を受けたことで性的な欲求を失っていることから、そんな魅力的なアプローチにも塩対応を貫いていた。
が、周りの神官騎士は違う。
一応は聖職者とはいえ男は男。哀しい性ゆえに、チラチラとユキネに視線を送っているのがわかる。
それに気づいたユキネは、次のターゲットを神官騎士に移す。
「お兄さんたちはー、とぉーってもお強いんですよねー?」
「ま、まあな。それなりに腕が立つ者でなければ神官騎士にはなれぬからな」
「やっぱり術とかも使えるんですよね?」
「もちろんだ。癒しに防御に結界、最低限この三つが使えなければ神官騎士にはなれない」
「わー、すごーい! 見せて見せてー」
「いや、ここでは…うっ、おっぱいが当たる! せめて甲冑がなければ!」
「じゃーあー、甲冑も脱いじゃいましょうよ。あっちには私のほかにもエッチな子がたくさんいますからねー。夜は盛り上がっていきましょう!」
「う、うむ、それがこの地域の歓迎の仕方ならば致し方あるまいか…」
「そ、そうだな。受けねば失礼になるのならば、あえて我慢しないのも神官騎士の務めかもしれん」
「そうですよー。我慢なんて身体に毒ですもの。いっぱいー、たくさんー、どぷどぷっと出しちゃってくださいねー」
「ど、どぷどぷ…。なんて魅力的な言葉だ。うっ、またもや甲冑が邪魔を!」
かつて西洋甲冑にはコッドピースと呼ばれる男性器を守る部位があったが、その形状はまさに勃起時のもので、今見るとかなりの違和感を覚える代物だ。
当然ながら神官騎士が身に付ける甲冑がそんな変な形では大問題のため、股間はガードされているものの、形は少し盛り上がっている程度にすぎない。
しかし、平均サイズ以上の男の場合、その状態で勃起してしまうとかなりの窮屈さを覚えてしまうので、騎士の何名かは若干腰が引けている状態だった。
優れた武人ならば男性器を体内に格納することも可能なのだが、神官騎士のレベルもまちまちであり、残念ながら彼らはまだまだ未熟らしい。
そんな神官騎士の体たらくに、ケリーが叱責の声を上げる。
「この馬鹿者どもが! なにを浮かれているか! 任務の最中であることを忘れるな! これ以上の恥を晒すのならば罰を与えるぞ!」
「は、はい! 申し訳ありません!」
「あの人、こわーい」
「しょうがない。アモンズのメンバーは、だいたいあんな感じだからな…」
「皆さんは、そのアモンズじゃないんですかー?」
「ああ、違うな。アモンズに入るためには相当な実力者でないと無理だ。世俗も捨てないといけないから、なり手はそう多くないのが現状らしい。俺たちは神殿から命令を受けて、その都度派遣されてやってくる傭兵みたいなもんさ。もちろん傭兵なんかよりも強いが、そこまで異端審問官に肩入れする義理もない。あくまで仕事なのだ」
「へー、そうなんですねー。上司が堅物だと部下も苦労しちゃいますよね」
「あまり大きな声では言えないがな。そういうわけで羽目を外すわけにもいかん。すまないな」
「えー! 残念ですー! ところでぇー、『本』って持ってます?」
「聖典のことか? 持っているぞ」
「見せてもらえます? ちょっと興味があるんですよねー」
「まあ、それくらいならば…」
神官騎士がカーリスの聖典を取り出す。
邪魔になるので一般の信者は袋にしまっていることが多いが、神官騎士にとってはより大切なものであるため、大半の者は腰に下げている。
この隊の騎士も多分に漏れず、一様に誰もが腰から本を下げているようだ。
「これが聖典なんですねー。なるほど、なるほどー」
ユキネは聖典をパラパラとめくりながら、ふとこんなことを訊く。
「これって『アメンズ=メタナイア〈異端への懲罰〉』とは違うんですか?」
「っ―――」
ユキネの前を歩いていたケリーが「どうしてそれを」と言いかけた時、周囲が突然真っ暗になった。
それは完全なる闇で、強化人間の視力をもってしても何一つ見通すことはできない。
(波動円も使えぬ!? なんだこれは!)
静寂の世界はあらゆる探知を無効化する。
アンシュラオンの波動円でさえ探知はできなかったのだ。ケリー程度がどうにかできるものではない。
(これは攻撃だ! まずい! すでに敵の術中か!)
優れた武人であるケリーは動揺する時間を最小限にとどめ、戦気を放出して即座に戦闘態勢に移る。
この時の対応にミスはない。実力を十分出しきった反応だったといえるだろう。
が、彼自身が述べたように、すでに敵の術中。
動く暇もなく背中に凄まじい衝撃が走り、まるで巨大な魔獣の一撃をくらってしまったかのように地面に叩きつけられる。
もし大剣を背負っていなかったら、その一撃でノックアウトされていた可能性すらあるほどだ。
これは完全なる偶然かつ幸運。相手のわずかなミスに助けられたにすぎない。
(ぐっ! 何が起きているのかわからん! まずは距離を取らねば!)
「散開しろ!」
ケリーは周囲に危機を伝えるためになんとかそれだけを叫ぶと、前に走って間合いを広げようとする。
が、すぐさま硬いものに激突。
感触から石製のブロックのようなもの。おそらくは建物の壁である。
(しまった! 地形を思い出せ!)
ここは両側に建物が並ぶ狭い路地。
しかも斜めに上る坂で、道の途中にも複雑に建物が配置してあり、土地勘のない人間だと迷ってしまうような場所だ。
ケリーの得物が大剣ゆえに、振り回すにも味方に当たる可能性が高くなる嫌な地形だった。
もう一つ述べれば、慌てていた彼は気づいていなかったが、この壁にも壊されないように術式による強化が施されている。
もし普通の民家だったならば、戦気をまとった武人がぶつかれば壊れてしまうだろう。それが壊れない段階で意図的にここに誘い込んだことがわかる。
(上ならば障害物はない!)
ケリーは壁を蹴って跳躍。
感覚を頼りに屋根の上に出ると、がむしゃらに走って転びそうになりながらも、かろうじて黒い世界から脱出する。
それと同時に黒の空間が収束していくと、その中心地にはユキネがいた。
「あら、リーダーを逃しちゃった。さすがにやるわね。それとも武器に慣れていなかったせいかしら」
さきほどまでのおちゃらけた態度とは違い、声は凛として自信に満ち溢れ、佇まいも完全に武人のものに変化している。
知っている者からすれば誰でもわかることだが、あれは単なる演技であり、相手を油断させるための撒き餌にすぎない。
ここでもう一つ大きな違いがあるとすれば、彼女の両手は刀ではなく、九つの刃が節によって繋がれた見慣れない武器を持っていた。
サープから奪った『九節刃』である。
ケリーを逃がしてしまったのも普段使っている刀ではなく九節刃を使って能力を発動したせいだろう。そのわずかな習熟度の違いが差を生んでしまったのだ。
しかしながら、ユキネが刀ではなく九節刃を使ったのは、この武器が対多勢用の武器だからだ。
九節刃はすでに一回目の動作を終えており、刃にはおびただしいほどの血痕が付着していた。
周囲には、首を失った神官騎士が十人。
ユキネの色香に絡め取られ、うっかり近寄ってしまった者たちの成れの果てが転がっていた。
(馬鹿な! いくら奇襲とはいえ、あの一瞬で神官騎士を十人も倒したのか!?)
ケリーが現状を把握した瞬間、戦慄が走る。
神官騎士は熟練の騎士である。最低でも第八階級の上堵級で、あの中には第七階級の達験級の者も数名はいたはずだ。
それがあの一瞬で半数も殺されてしまったのだ。驚かないほうがおかしい。
「警戒しろ! 相当な使い手だぞ! 距離を取って戦え!」
ケリーは残った九人の神官騎士に命令を発する。
たしかにユキネは強いが、まだこちらのほうが数が上。そこに自分が加われば勝てない相手ではないと判断。
が、なぜか彼らは動きを止めて微動だにしない。
「何をしている! 呆けている場合か! 戦うのだ!」
何度ケリーが呼び掛けても神官騎士たちは動かない。呆然と立っているだけだ。
されど、彼自身もそれに困惑している暇はなかった。
九節刃を捨て、両手に刀と剣を持ち直したユキネが突っ込んでくる。
ケリーは大剣を構え、急接近してきたユキネを大薙ぎの一撃で迎撃。
断炎のケリーと呼ばれているだけあり、彼の大剣は豪快かつ強烈で、まとった剣気の一撃の余波だけで強化された建物の壁に亀裂が入るほどだった。
がしかし、ユキネはしなやかな動きで攻撃を回避。
さらには一歩深く踏み込んだことで間合いを消し、大剣を左手の剣で押さえつつ、右手の刀で素早く首を狙う。
(この速度! やられる!)
大剣は重量のある武器だ。引き戻すには時間がかかる。
ケリーは片手を柄から放し、のけぞりながらも斬撃を回避。
その際に髪の毛の一部がごっそりと皮膚ごと削られて出血するが、首が飛ばされるよりはましだろう。
だが、ユキネの攻撃は止まらない。
ケリーも大剣の技量には自信を持っていたが、相手は曲線を描くトリッキーな動きかつ、なおかつ速い。
目にも留まらぬ斬撃の連続に苦慮し、どうしても受けに回ってしまう。
完全に防戦一方になっている最大の要因は、機先を制したユキネが常に一歩前で戦っているからだ。それによって大剣の間合いも完全に消されてしまった。
さらにはすべての攻撃が致命傷になりかねない鋭さを誇っているため、大剣を振りかぶる余裕がまったくない。
もし強引に攻撃を挟もうとすれば、即座にカウンターをくらって自分の首が飛ぶだろう。ケリーが優れた武人がゆえにそれがわかってしまうのだ。
敵に被弾覚悟すら許さない猛烈な攻撃とカウンターの嵐。
これもまたユキネが翠清山で手に入れた力である。
彼女はもともとスピード型のバランスタイプではあるが、演技同様に敵の状態に合わせて自分を変えられる能力が極めて高く、それが十全に発揮されればこうなるのも必定だった。
これだけの攻撃を完全に受けることはできず、次第にケリーの身体に切り傷が増えていく。
(受けきれん! こうなれば『使徒』を使うしかあるまい!)
悔しいが剣技ではユキネのほうが上。体術でも上だろう。強化人間の身体能力の高さを技量だけで圧倒するとは実に見事だ。
だがしかし、アモンズには『人造使徒』という切り札がある。
ケリーは腰に手を回して『アメンズ=メタナイア〈異端への懲罰〉』を取り出して発動しようとする。
が、何も起きない。
「なっ…! なぜだ!? どうして使徒が出ない!」
「あらあら、そんなに聖典がお好き? カーリス教徒って勤勉なのね。じゃあ、私はこっちの本でも読んでみようかしら」
ユキネが剣先で一冊の本を曲芸のようにくるくると回している。
それこそケリーが持っていたはずの『アメンズ=メタナイア〈異端への懲罰〉』であった。
「貴様! どうしてそれを!」
「だって、腰に大事そうにぶら下げているんですもの。盗ってくださいって言っているようなものでしょ? 代わりに借りた聖典を入れておいたし問題ないわよね」
「問題はあるだろう! この盗人め!」
「ふふ、ありがとう。誉め言葉ね。これでも元旅芸人なの。案外、手癖は悪いのよ」
ユキネは神官騎士たちの様子を観察し、聖典の類を腰にぶら下げていることを確認していた。
ケリーの腰にも本があり、無意識のうちにそれを守っている挙動を取っていたことから、それが事前に情報を得ていた『アメンズ=メタナイア〈異端への懲罰〉』であることを確信。
いつ盗んだのかといえば、初手の背中への攻撃の段階だ。
当然ながら殺すために『幻麗斬』を放ったのだが、仮に防御されても相手の動きを封じられれば目的は達せられる。
事実、動揺していたケリーは大事な本が盗まれたことにすら気づいていなかった。
それだけ切羽詰まった状況だったのだから仕方ないが、彼らにとって『アメンズ=メタナイア〈異端への懲罰〉』は命よりも大切なものだ。
ケリーは激怒。大量の戦気を放出する。
「返せ! ここで成敗してくれる!」
「返せと言われて返すと思う? それ以前にあなたにできるかしら。これって奥の手なんでしょう? 本無しでどうやって戦うのか見ものね」
「本の情報を知っているということは、やはりブランが裏切っていたか!」
「いまさら気づいても手遅れよ。もうあなたは終わりだもの。万に一つも生き残ることはできないわ」
「戯言―――………を……な……んだ…?」
ケリーの身体が動かない。
指一本どころか眼球一つさえ動かすことができなかった。
その背中には一本の羽根が突き刺さっている。
「邪悪な偽物が神の居城に土足で立ち入ろうとは、なんたる不届き者でしょうか」
状況が理解できないケリーの背後から女の声がする。
その女はゆっくりとこちらに歩いてくるとケリーを追い越し、ユキネの隣に悠然と立った。
「ホロロさん、そっちは終わったかしら?」
「はい。船の乗組員は全員捕縛いたしました。大半は雇われの者でしたが、身動きを封じてから小百合様に隔離していただいております。ところでユキネ様は手加減をしているようですね」
「修行の一環でね。こっちも早々に終わらそうと思ったのに、なかなか上手くはいかないものね。魔石無しだと手こずるわ」
「十分でございます。相手もそれなりの力量を持っているようですし、練習相手にはちょうどよいかと」
「やっぱり素の実力じゃマキさんのほうが上ね。もっとがんばらないと」
(なんだ…こいつらは…! 我らを前にしてこの余裕とは!)
ケリーは使徒を含めれば第六階級の名崙級に相当する。ユキネも同じ階級であり、互いに奥の手無しの条件ではユキネがやや優勢といったところだ。
このまま続ければユキネが競り勝つだろうが、できればもう少し早く倒したかったのが本音である。
ホロロはユキネが剣先で転がしている本に視線を向ける。
「それが例の本ですか?」
「ええ、ほぼ間違いないけど、確認のためにあとで尋問しましょう」
「では、その者だけいれば問題ありませんね。私のほうで始末しても?」
「ええ、お願いするわ」
「かしこまりました」
ホロロが意思を放つと、硬直していた神官騎士たちが動き出して武器を抜く。
それを互いに向けて―――ブス!!
喉を突いたり胸を突いたりと味方同士で殺し合い、それを何度かやったのちに全員が動かなくなった。
部下が目の前で殺し合った光景にはケリーも開いた口が塞がらない。
「何が…起きて……いる…のだ」
「悪いわね、お兄さん。そういうわけで一緒に来てもらうわよ。と、両手足はいらないわね」
「ぐっ…!!」
ユキネが素早い剣撃でケリーの両手足を切断。
ホロロの羽根で動きを封じられているので戦気も出せず、こちらも無抵抗で斬られてしまう。
一連の作業が終わると、今度は周囲の路地から裏スレイブたちが出てくる。
「死体の処理と、このお兄さんを運んでちょうだい。使えそうなものがあったら回収しておいてくれるかしら」
「うす、姐さん!」
死体は裏スレイブの連中が運び、熊の餌にする予定だ。海に投げ込む以上に確実で無駄がない処理方法である。
その帰り際、腰が抜けて動けなくなっていたブランの肩をユキネが軽く叩く。
「ひっ!」
「これでわかったかしら? 私たちはアンシュラオンさんに遠く及ばないわ。それでもこれくらいはできるのよ。あなたも死にたくなければ素直に従うことね」
「…は、はい」
「それと、演技がまだぎこちないわ。プロが見たら一瞬で見破られるわよ。今度指導してあげるから覚悟しておいてね」
「………」
(下級審問官たちをこうもあっさりと…。こいつらは化け物か…)
ブランはもはや何も語れず、死人のように真っ青な顔をしていた。
いくら『アメンズ=メタナイア〈異端への懲罰〉』を奪われて使えなかったとはいえ、それも戦いのうちである。
情報を先に仕入れて万全の態勢で敵を迎え撃てば、この程度の相手は怖れるに値しない。今のユキネたちは、それくらい強いのだ。
しかも魔石を全力で展開すれば、ほぼ一瞬でケリーを倒せていたのだから、まだまだ余力は残っている。
「あーあ、裏方の仕事が板についてきちゃったわね」
「それもまたご主人様にとっては必要な仕事でございます。我々が適任かと」
「そうね。マキさんには向いていないもの。私たちがやるしかないわね」
「そのわりに楽しそうでしたよ」
「ふふ、そう? 手に入れた力を試すのは楽しいものね。でも、本くらいは使わせてもよかったかもしれないわ」
「それも一興ですが、汚染された汚物はすぐに処分すべきです。そのほうが衛生的に好ましいでしょう」
「ホロロさんも容赦ないわね。まあ、同感だけど」
そんな会話をしながら二人は去っていった。




