617話 「美蘭」
「よし! 飲みに行くぞー!」
「お前、昨日は夜通し飲んでいて朝飯を食えなかったじゃねえか」
「いいんだよ。今日がよければ!」
「まあ、そうだな。じゃあ、俺も行くかー!」
「あっちに新しい露店が出来たらしいぞ。行ってみようぜ」
工事が始まってから、それに群がるように露店が生まれていた。
裏街の住人が開いたものもあるが、一般区や観光区から出店したものも四割ほどある。
アンシュラオンがやることには必ず利益が生まれるため、自然と人が集まってくるのだ。
裏街の人間は、安酒だろうが質の悪い食べ物だろうが気にせず胃に収めていくので毎度大騒ぎになり、夜になると露店の周辺は異様な活気に包まれていた。
しかしながら、飲み食いするにも金がかかる。
給料は出さないと言ったものの、ガスのような危険が伴う作業も増えたことで別途『危険手当』を出すことにした。そうしないと誰もやりたがらないからだ。
その効果は覿面で、時折ガス事故で吹っ飛ぶ者もいるが、逆に手当がもらえると喜ぶ者もいるくらいだ。そうした連中が露店に集まって毎日ワイワイやっているのである。
それを眺めながら、アンシュラオンはもう一方に目を向ける。
もう夜だというのに焚き火のある広場に残っている子供たちがいた。親がいる子供はよいが、身寄りがない者たちは心細い思いをしているのが現状である。
そういった者たちは順次保護を開始しているが、問題はその受け皿だ。
(まだまだ行き場のない子供たちがいる。このままでは違う問題が発生するな)
彼らはアンシュラオンの庇護下にはいない。スレイブではないし、厳選された人材でもないからだ。
かわいそうではあるが、誰彼構わず受け入れるわけにはいかない。そんなことをしていたら資金もいずれは底をつくし、安全面に関しても保証しきれなくなる。
その意味において黒の十六番隊などは選び抜かれた上澄みといえる。そもそも白スレイブになれる段階で器量良しの優良物件なのだ。
だが、放置しておけば犯罪の温床になるのは明白だ。彼ら自身も危険だし、見放された子供は大人になってから精神的モンスターになりやすい。
(本来ならば社会全体が良くなれば、相対的に彼らの待遇も良くなるんだが、そんな何十年も先の話をしている暇はない。まだ金にも余裕があるし、そろそろ動くか。いつまでもモヒカンに頼るのはよくないからな)
翌日。
裏街の広場の掲示板に一枚の紙が貼られていた。
ここは通常工事以外の特別な仕事がある場合に使われるもので、たいていは特別手当が出るため、朝起きたら最初にこれを見るのが労働者の日課になっている。
「なんて書いてあるんだ?」
裏街の人間は教育を受けていない者も多く、文字が読めない割合が高い。
この男も掲示板の前で首を傾げるが、代わりに隣の男が読んでくれる。
「えーと…家を建てるみたいだな」
「建物? また簡易家屋か?」
「いや、今回は子供たちのための施設を作るそうだ。そこそこ大きいみたいだぞ」
新入りがやってくると、その人間のために家を造ってやるのが裏街のルールであるが、基本的にアルの家のようなボロボロの小屋となる。
資源自体を満足に得られなかったことと、彼らの精神的状況が反映された結果でそうなってしまうのだ。
が、アンシュラオンが来てからは状況が一変。
日本でも災害が起きると仮の住まいとしてコンテナハウスを作るが、今現在裏街で建てられているのも大量生産を目的とした簡易家屋である。
こちらも西方開拓のために設計されたものだが、紙に書かれている内容は、さらに大きく立派なものらしい。
となれば、特別手当が出ることは確定だ。
「これはすごいな。一日五千円だぞ!」
だいぶ前にグラス・ギースの平均月収が四万から五万と説明したが、十日も従事すれば同じ額が稼げるとなれば相当な報酬だ。
現在の日本で考えると、一日三万から四万と思えばわかりやすいだろう。
そんな額を提示されれば、食いつかない者などいない。
「本当か! 何人の募集だ!?」
「仕事が得られるなら掘られてもいい!」
「誰がお前の汚いケツを欲しがる。魔獣でも逃げるぞ」
「募集人数は…特に書いてないな。まさか早い者順…」
「………」
「………」
互いに顔を見合わせた次の瞬間、全員が猛ダッシュ。
男たちの醜い仕事争奪戦が始まったのだ。無職同盟など所詮はこんなもので簡単に崩れ去る。
彼女を作らない者同士で仲良くなった者たちも、誰か一人に出来れば友情はそこで終わる。結婚もまたしかりであろう。
「うおおお! 仕事は渡さん!」
「お前なんか役に立たないって! 諦めろ!」
「お前だって無理だろう! 俺が仕事をもらう!」
「なに言ってんだ! 貧乏なくせにプライドが高いから、いつも仕事が見つからないんだろうが! てめぇはドブ掃除でもやってろ!」
「お前こそ、その顔なら家畜小屋のクソ掃除がお似合いだぞ!」
「クソ掃除を馬鹿にするな!!!」
「え? やったの?」
「立派な仕事だぞ!! うっかり転んでクソ塗れになった俺を笑うな!」
「いや、誰も笑ってないが…って、近寄るなよ!」
「うおおお、今だーーーー!」
「あっ、しまった! 待てーーー!」
がしかし、そんな醜い争いの中、ようやく重要な事実に気がつく。
「って、どこに集まればいいんだよ!!!」
ズコー!っと一斉に転ぶ男たち。
お約束を守るあたり、なかなか見どころがある連中だ。
それはそうと張り紙には集合場所が書いていなかった。ありがちなミスであるが、それを平然とやってしまうのもアンシュラオンクオリティである。
その他、諸々の手違いはあったが、大勢の労働者が集まって裏街の一画に子供専用の施設が誕生することになる。
基礎工事は時間がかかるのでアンシュラオンがさっさと仕上げたため、かなり短期間で完成と相成った。
施設にはかなり大きめの建物と芝生の庭があり、それを強固な壁で覆っている。壁の各所にも侵入を防ぐ結界が張られているので、仮に魔獣がやってきても簡単には入れないだろう。
裏街に建てた家々はどれもそれなりの質だが、この建物だけは明らかに質が高い。
そして、その中には裏街から集められた子供たちがいた。
「今日からここで、みんなと一緒に暮らすことになりました。私は院長のテリアフリーと申します」
「ここで暮らすの?」
「お外は?」
「もうお外にいなくていいんですよ。この敷地と建物をアーパム財団のアンシュラオン会長さんが貸してくれたのです」
「あんしゅら…おん…?」
「カイチョー」
「はい。ここにいる可愛い…じゃなくて、綺麗…じゃなくて、すごく素敵な男性がそうです」
(やばい。能力が発動しているな)
アンシュラオンの姉魅了スキルが発動。院長先生にもしっかりと効いてしまう。
院長のテリアフリーはお姉さんというか、もうかなり歳なので、できれば効いてほしくなかったがスキルにオンオフがないので仕方がない。
彼女自身は裏街出身者ではなく、ハローワークの紹介で選んだ人材で、子供の世話を専門にやってきた孤児院の経験者だ。
そう、ここはアンシュラオンが身寄りのない子供たちを集めて育てるための施設、『アーパム孤児院』なのである。
正式には『アーパム・孤児院商会』という商会を作り、そこに財団から出資することで運営する形を想定しているが、緊急で動かしたのでまだ『(仮)』の状態だ。
(ハピ・クジュネにも孤児院はないんだよな。そういえばグラス・ギースにもなかったか? まあ、あそこはモヒカンたちがいるから、すぐに拉致してしまうのかもしれんが)
北部には孤児院自体が存在せず、たまにキャロアニーセのような奇特な人物が面倒を見る程度で、子供たちは放置されている現状にある。
だからスレイブ商のような人身売買もどきが跋扈するのだ。その恩恵を受けている身ではあるが、どちらにせよ『供給先』は多いほうがいい。
当然ながら伊達や酔狂でやっているわけではなく、このアーパム孤児院で子供たちを集め、その中から有望な人材はスレイブにする予定だ。
つまりは自前で『白スレイブ候補を量産』することができるわけだ。
もちろんスレイブになるのは一部なので、孤児院で最低限の教養とスキルを身に付けたあとは旅立っていく者も多いだろう。
だが、基礎教育を受けた子供は裏街の大人よりも優秀になるはずだ。そうなればアーパム財団の商会で受け入れることも可能になる。
「では、会長さんからも一言よろしいですか?」
「え? オレ?」
「せっかく来たのですから、ぜひお願いいたします。まだ子供たちも緊張しておりますし」
「そうだね。今から好印象を与えておいたほうがいいかも。ええと、ご紹介にあずかりましたアーパム財団の会長である…」
「会長さん、固いですよ。もっと普通で。結婚式じゃないんですから」
「ああ、そうか。つい癖でね。緊張すると大人の対応になるんだ。えー、名前は呼びにくいので、アーとでも呼んでください」
「会長さん、短すぎます」
「あ、ああ、そうか。それだと違う意味になるしね。危ない危ない。じゃあ、何がいいかな?」
「アーシュ先生とかでは?」
「それでいいか…って、先生?」
「はい。会長さんも先生ですよ。だって、ここの持ち主ですからね」
「そういう認識はなかったけど…しょうがない。オレが始めたことだから責任は取らないとね」
ここにいるのはまだまだ小さい子供で、幼稚園生から小学校低学年くらいの『女の子』たちだ。いわゆるラノア世代だろうか。
ただし、同じ孤児院でも男の子と女の子で別々の施設で完全に分けている。
男児のほうも施設はそれなりに立派だが、女児専用の孤児院と比べるとかなり見劣りする。
アンシュラオンにとって男は女の盾でしかない。子供の頃から自分の立場を教えることも大切な教育である。
両館の間はそこそこ離れているうえ、件の認証タグで管理されているので男の子がこちらに関与することはできない。それによって女の子を純粋培養することができるのだ。
「オレがアーシュ先生だよ。みんな、よろしくね」
「あーしゅ先生」
「あーしゅせんせい」
「アーシュせんせい!」
「うーん、かわいい!」
雛鳥のように一斉に名前を呼んでくれる姿は、実に愛らしい。
それだけでも孤児院を作った甲斐があるというものだ。
「先生は、みんなが幸せになれるように一生懸命応援していくつもりだよ。ここを自分の家だと思って、みんな仲良くしてね」
「はーーい!」
「じゃあ、先生はこのへんで…」
「わーーい、せんせーい」
「うわわ、すごいパワーだ!」
幼児たちが一斉にアンシュラオンに群がる。
グラス・ギース経由で白スレイブを大量に手に入れはしたが、ロゼ隊の反応を見ればわかるように、彼女たちにとってアンシュラオンはあくまで『神』である。
孤児院の子のように髪の毛や腕を引っ張ったりはしないので、子供特有の物怖じしない態度が新鮮に感じられる。
(となると、オレを必要以上に畏怖するのは、やっぱりギアスの影響なんだな。この感覚を味わうためにもしばらくギアスはいいか。子供なら裏切る可能性も低いだろう)
そんなことを考えながら周囲を見回すと、他の子供たちとは異なり、部屋の隅で座っている一人の女児が目に入る。
「ねえ、あの子は?」
「ああ、ミランちゃんですね。両親が死んでしまったようで、裏街で独りで暮らしていたようなのです」
「誰も助けなかったの? かなり痩せてるよね」
「助けようとした者もいたらしいのですが、当人が心を閉ざしていまして…。そのせいで食べ物もそんなに食べていなかったようです」
「みんな大変だからね。愛想がよくない子まで助ける余裕はないか。あの子は何歳なの?」
「五歳くらいだと思います」
「ラノアよりも下か。ここの食料は大丈夫?」
「はい。会長さんのおかげで十分仕入れられました。お菓子まで出せるくらいですし、調理師の方々も派遣されているので栄養管理は問題ありません」
「それはよかったよ。と、ちょっとごめんね」
アンシュラオンは群がる子供たちを撫でながら、隅っこにいるミランと呼ばれた子に向かう。
彼女はうつむいていたのでしばらく気がつかなかったが、近づいてきた気配にようやく顔を上げる。
その目には生気が乏しく、ちゃんと見えているのかすら怪しく感じられるほどだった。
「やあ、ミランちゃん。初めまして」
「………」
「さっきも名乗ったけど、アーシュ先生だよ」
「………」
「ん? 聴こえてるよね?」
「あっ…」
アンシュラオンが、ぐいっとミランの頬を両手で掴んで顔を覗き込む。
これはサナに対してもいつもやっているので、アンシュラオンにとっては自然な行動である。
少し言い方はあれだが、かわいくてしょうがない愛猫の顔を掴んで鼻を近づける行為に似ている。いつもの癖で、それが自然に出てしまったのだ。
だが、相手は初めて会う子、しかも女の子である。
いきなり美少年の顔が近づいてきたことに驚き恥じらい、ミランは顔を赤く染める。
「なんだ、痩せているからわかりづらいけど、よく見たらすごくかわいいじゃないか。菫色の髪もとても綺麗だね。オレの故郷の深い空を思い出すよ。それにこの黄色の目は…そうだな、ヒマワリの色だ。熱い太陽を受けて輝く夏の色。うん、うつむいていたらもったいないね」
「うっ、うう…」
「大変だったね。つらかったね。寂しかったね。でも、ここならいくらでもご飯は食べられるし、綺麗な服だって用意できる。だから安心していいよ。ほら、おいで」
「あうっ」
「うーん、軽いな。サナよりも遥かに軽いぞ」
ミランを膝に抱っこするが、まるで羽毛のように軽い。
同年代の子供たちよりも明らかに肉が少ないからだ。
「これはいけない。もっと食べないとね。君くらいの年齢の女の子は少しふくよかなくらいがいいんだよ。院長先生、お菓子を持ってきてくれるかな」
「そうですね。皆さんも、そろそろおやつの時間にしましょうか」
「おやつってなにー?」
「みんなで美味しいものを食べる時間ですよ」
「ほんとー!? すごいー!」
テリアフリーがお菓子の籠を持ってきて各人に配っていく。
アンシュラオンもミランを抱っこしながらお菓子を受け取る。
「はい、あーん」
「あ、あっ…」
「さぁ、お口を開けてごらん」
「むーー、むーー」
ミランは口を閉ざして顔をそむけ、イヤイヤをする。
独りで暮らすうちに他人から何かをもらうことに抵抗が生まれてしまったのだろう。
外は危険なので、その対応は正しい。何事も疑うべきだ。
されど、この男の前では無力である。
「さわさわ」
「んっ!? ―――っん!?」
身体をくすぐられた反応でミランが口を開けた途端、お菓子を咥えたアンシュラオンの口が迫ってきて、そのまま舌を使って押し入れる。
サナにクッキーをあげた時と同じく口移しである。
「っ!? !?!?!!?」
「はい、もう一個ね。あーん」
「っ―――!!」
困惑しているミランに再び口移しでお菓子を提供。
それから頭を優しく撫でながら、いつもサナにやっているように抱きしめる。
「かわいい、かわいい。君は女神様がくれた素敵な贈り物だね」
「………」
「いい子、いい子、君はいい子だ。大好きだよ」
「―――ぼんっ」
これにミランがオーバーヒート。
意思表示が希薄なサナだからこそ普段はあの程度で済んでいるが、アンシュラオンは天使と間違われるほどの美麗な少年である。
魅力も高く、存在自体が光り輝いているような彼にこんな扱いをされたら、ロゼ隊でなくとももう限界。
顔だけでなく全身が真っ赤になったミランが崩れ落ちる。
「ん? どうしたの? まだ遠慮してるのかな? しょうがないなー。じゃあ、しばらく一緒にいようか」
結局は、そのままお昼過ぎまで抱っこが継続される。
ミラン、瀕死である。
だが、これがあったおかげで翌日から彼女の食は少しずつ戻り始め、体調も良くなっていったという。
そして、庭での日向ぼっこの時には必ず東側の空を見るようになった。その先に白詩宮があるからだ。
「院長先生」
「何ですか? ミランちゃん」
「あの…アーシュ先生には……どうすれば会えますか?」
「そうですね。お忙しい人ですからよほどのことがなければ、こちらから呼ぶのは気が引けますね。でも、また様子を見にいらっしゃると思いますよ」
「そう…ですか」
「その時までにもっと元気になっていましょうね。それが一番の恩返しですよ」
「…はい」
(太陽みたいな人。もう一度会えたら、その時は…)
アンシュラオンを思い出すたびに、ミランは熱病に侵されたような激しい熱に支配されるのであった。
これは、とてもとても小さな出会い。
アンシュラオンにとって彼女は、数多いる白スレイブにも及ばない程度の些細な存在だろう。
ゆえにこの『美蘭』と呼ばれる少女が、その本当の価値を示すのはもう少し先となる。




