616話 「裏街改革 その3『バスガス爆発』」
一週間後。
あらかじめ用意していた計画書をいくつか修正し、新たな街作りが始まった。
まずは家屋の解体作業の続きからだ。
「おーい、気をつけて壊せよー」
「そこ、押さえておけって!」
「どわっ、なんか変なの出てきた!」
「虫が! 大量の虫が!!」
「俺は今までこんなやつらと同居していたのか!」
解体作業中、ゲジゲジのような虫が大量に出てきた。
男たちが慌てて踏み潰そうとしたのをアンシュラオンが止める。
「そいつは益虫だから殺すなよ」
「えーーーー! これが!?」
「こいつはゴキブリを食べるからな。そのまま放置しておけ」
「キモイ! すごいキモイけど!?」
「虫程度に怯えるお前たちのほうがキモイと自覚しろ。ほら、そこにゴキブリがいるぞ」
「うぎゃーーー!」
「まったく、フナムシだってそこらじゅうにいるだろうに」
とりあえずゴキブリの群れを水玉で呑み込んで溺死させる。
万一にも復活したら怖いので、さらに圧縮して潰してから水桶の中に放り込んでおく。
なぜそのままゴキブリを消滅させないのかといえば、これが理由だ。
「怠けていたら、あれで水浴びさせるからな」
「ひーー! なんて怖ろしいことを考えやがる! 鬼だ! 悪魔だ!」
「ありがとう、とても素晴らしい褒め言葉だ。せっかくだから生きているやつも追加しておこう」
「こいつ、本気だぞ! とんでもない野郎だ!」
「ちゃんと計画通りにやるんだぞ。わからないことがあったら建築士の先生に訊けよ」
「くそー! 覚えておけよー!」
「うるさい! さっさと働け!」
「ぐぇ! 石を投げるな!」
裏街の労働者たちは、ぶつくさ言いながらも作業を続ける。
手際の悪さばかりが目立つが数はいるので、それなりに順調なようだ。
「やれやれ、騒がしいやつらだ」
「それでも真面目にやっています。問題はありませんよ」
「悪いね。なんか急かしちゃって」
「かまいません。ニクバンドからの紹介ですし、しばらくは解体工事が中心になりますから楽なものです」
アンシュラオンの隣にいるのは、今言っていた建築士のドヌート。
落ち着いた雰囲気を持つ丸眼鏡の男で、トレードマークは夏だろうが冬だろうがいつも着ているコートとハットだ。
ドヌートはゴゴート商会のニクバンドの友人でもあり、アンシュラオンが問い合わせると即座に彼が紹介されたことからも優秀な人物といえる。
急な仕事なのでほとんど打ち合わせもできなかったが、過去には自由貿易郡の都市設計にも携わっていたらしく、その設計図の一部を流用することで対応してもらっている。
また、彼には建築や設計関係における人材育成にも携わってもらう予定だ。
「使えそうなやつはいた?」
「そうですね。何人か物覚えのよい者がおりましたので、彼らに教えながら分担してやらせようと思います。建物にこだわりがなければ、そう長い時間はかからないでしょう」
「ほんと助かったよ。うちには設計なんてできる人はいないからね」
「いえいえ、こちらこそ助かります。自由貿易郡では建築士の卵がたくさんおりますが、すでに完成されている都市である以上、なかなか出番がなくて腐っている者が多いのです。そういった人材にも声をかけてみる予定です」
「いいね、それなら新都市建造計画も前倒しできるかもしれない」
「何もない場所に都市を生み出す。まさに我々が望んでいた環境です。腕が鳴りますよ」
「その時は頼むよ。って、そこ! ちんたらするな! やる気がないなら帰れ!」
「帰れって、今壊しているのが俺の家なんだけど!?」
「忘れるな! ここはオレの土地だぞ! オレが神だ! オレに従え!」
「ちくしょう! 足元を見やがって!」
「うえーん、これはどこに持って行けばいいのー」
「お嬢ちゃん、どうしたのかな?」
「ごめんなさい…わからなくなっちゃって…」
「いいんだよ。ほら、あっちのお姉さんたちのところに行って、いろいろと教えてもらおうね。ああそうだ、この飴をあげよう。いい子いい子」
「ぐす、ありがとう」
「おいーー! 男と女で態度が全然違うじゃねえか!」
「当たり前だ、この愚図どもが! 男どもは馬車馬のように働け!」
アンシュラオンが発破をかけたおかげで作業も順調に進んでいく。
解体もアンシュラオンがやれば一瞬なのだろうが、こうして彼ら自身にやらせることが一番重要である。それ自体が仕事になるからだ。
その自主性と成功体験によって性根と行動が是正されていくだろう。
〈旦那様、お食事の用意ができました〉
ここでミャンメイから『無線』で連絡が入る。
この無線機はDBDが持っていた軍用無線機を勝手にコピーして独自に改良したものである。
通信の原理は簡単だ。コピーした同じ周波数を持つジュエルを無線機に組み込むことで遠距離での連絡を可能にしている。
有効距離は半径百メートルから二百メートルと短く、対となる無線機以外とは話せないものの、移動せずに連絡が取れるのは便利だ。
ただし、アンシュラオンが改造したものは複数のジュエルを搭載することで、一つの端末で各人に連絡が取れるようになっていた。
「そっちは順調?」
〈はい。みなさん手慣れたものです。とても助かっています〉
ミャンメイの炊き出し組は大人の女性はもちろん、さきほどのような幼い女の子たちにも手伝ってもらっている。
たとえ子供でも役割を与えることで一体感を生み出せるし、役に立っているという自覚が悪への誘惑を断ち切る力となる。
(しかしまあ、意外と子供が多いんだよな。やはり社会的弱者の筆頭は女子供とお年寄りって感じか)
男は健康ならば傭兵や警備といった危険な作業に従事することができる。これは日本でも同じで、選り好みさえしなければ仕事は案外あるものだ。
しかしながら多くの男は、自分の存在意義を求めて少しでも良い仕事を探そうとする。それ自体は自然なことであるが、そのせいで挫折して裏街にたどり着いた者も大勢いた。
そして、一番の弱者は当然ながら若い女性や幼い子供たちだ。その数は八千人近くに及んでいる。
中にはロゼ姉妹のように旅の途中で両親が死んでしまったり、他の大人に拾われてここまで来た子もいた。生活に余裕がない彼女たちの生活環境はお世辞にも良いとはいえない。
(早めに出会えてよかったよ。スレイブにされるならまだしも、本当に犯罪に巻き込まれたら洒落にならないからな。最近は子供を狙った連中も多いそうだし、ちゃんと保護してやらないと)
「よし! お前ら、休憩だ! 飯を食う前に臭い身体を洗っておけよ! ほーれ!」
「うおっーー、冷てー! なにしやがる!」
「ははは! 半分凍らせたシャーベット水だ! どうだ、気持ちよかろう!」
「夏じゃねえんだよ!? 冬にやる馬鹿がいるか!!」
「ぎゃー! なんだこれ! ゴキブリもいるぞ!」
「あっ、凍らせるやつを間違えたかも」
「いやあああああああ! ゴキブリはダメよおおお!」
「悪い悪い。あははははは! ざまあみろ!」
「あいつ! 人を苛めて笑ってやがるぞ!」
「さっさと行って飯でも食ってこい。調子に乗って若い女の子の手なんて握ったら尻の穴に熱湯をぶち込むからな!」
男たちには改めて水をぶっかけて洗浄してから送り出す。
それから炊き出しを受けるわけだが、その際にミャンメイからリングが手渡される。
「何だこれ?」
「戸籍管理用のタグです」
「戸籍?」
「誰がどこの人かわかりやすくするためのものですね。これからはタグを付けていないと配給が受けられないので注意してください」
「なんだか面倒くせぇな。でもまあ、飯が食えなくなるよりはましか」
目ぼしい人材が見つかるまでは、今のところ裏街の人間にギアスをかけることはしておらず、その代わりに『戸籍』を作ることにした。
その戸籍を管理するのが、この認識タグである。よく兵士が持っているドッグタグの術式版と思えばよいだろう。
有効認識距離は十メートルと短いものの、読み取り用のリングがあれば詳細な情報を表示することができる優秀な術具だ。
(最近は『なりすまし』も増えたからな。戸籍の必要性をひしひしと感じるよ)
裏街の話ではなくアーパム財団でのことだが、財団が有名になればなるほど商会員になりすます者も増えてきた。
それは詐欺目的であったり、食堂を利用したいからという軽い動機の場合もある。
しかし、ギアスには特定の波動が出ており、互いのギアスが同じ雇い主であるかを判別することができる。
特にアンシュラオンのものは強力な波動を放っているため、同種のギアスならば近づくだけで感覚で認識できるし、上位のギアスの保持者がいれば相応の圧力を感じるのですぐにわかる仕組みになっている。
よって、なりすましがいればすぐにわかるのだが、いちいち対応するのも手間なので、現在はサービスを受ける際に商会員証を提示させるようにしていた。(それ自体でひと手間増えたわけだが)
裏街の場合、関係のない第三者がこっそりと炊き出しに参加しても特段の問題はないが、防犯の意味合いでも住人の特定は必須といえる。
このタグの最大の利点は、ギアスがかかっていない者でも相手を特定できることだ。
アンシュラオンの興味が薄い何万という人々に対しては、ギアスよりもこちらのほうが楽なこともあるだろう。どのみち新都市を作れば市民証の発行が必要になるので、その練習ともいえる。
続いて目を向けたのが、トイレだ。
食事をするのならば当然ながら排泄は必須だ。貧困の蔓延は伝染病の温床になりやすいことから衛生管理も忘れてはならない。
最初は並ぶのが面倒で外でする輩もいたが、出したブツを再び尻穴に突っ込む制裁をしたところ無事に並ぶようになった。
港湾都市のハピ・クジュネでは海に潜って用を足す文化もあるので、そちらに関しては黙認している。(海の栄養素にもなるが冬は寒い)
(回収もこいつらにやらせるから元手はかからない。良い実験になる。というか、こっちのトイレへの食いつきもよかったな)
先日、建築士の問い合わせをしたこともあって、さっそくニクバンドが視察にやってきた。
その際に今回のトイレにも興味を示し、同じように原理を教えてあげたら思った以上に食いついた。
初期生産の箱型トイレは高級品として主に富裕層向けに出荷しようと考えていたため、それ以外の中間層に向けての商品で悩んでいたらしい。
そこでこのトイレを見て感激し、さっそく商談と相成ったわけだ。
また、無線機にも興味津々だったので、こちらも今後は商品化される可能性も高まった。
自由貿易郡には西側の技術が導入されているものの、全般的に大がかりで、アンシュラオンが作るような小型で利便性の高いものは少ないという。
ふと思えば、DBDの軍事技術をあっさりと流出させている気もするが、戦艦に搭載されている無線機は何倍も高度なものらしいので、この程度は問題ないだろう。
ともあれ、再びトイレによって莫大な資産を手に入れそうな勢いである。
(なにかオレの人生がトイレで埋め尽くされていく気がする。これでいいのか!?)
しかしながら、生活の質を向上させたいと願うのが人間の本能である。
裕福になればなるほどアンシュラオンのトイレを欲しがる者は増えるだろう。おそらくは今後も貴重な収入源になるはずだ。
(たしかにこの技術は特別だ。普通の肥溜めだとメタンガスが出て、場合によっては爆発したりするしな)
などと考えていた時、少し離れた地点からドカーンッ!と大きな破裂音が響いた。
反射的にそちらに視線を移すと、資材搬送用に用意していたクルマが燃えているではないか。
「こらー、そこで何をやっているー!!」
「知らねーよ! なんかあっちで爆発したっぽいぞ!」
「ギャグ漫画じゃないんだから、しょっちゅう爆発してたまるか!」
アンシュラオンが駆けつけると、クルマだけではなく大地の一部も燃えていた。
周囲には瓦礫が吹っ飛んだ形跡があるので、本当に爆発した様子が見て取れる。
「おい、何があった?」
「いやー、それがよ、焚き火をやろうとしたら爆発してな」
「そんな簡単に爆発するか? 怪我人は?」
「火傷したやつがあっちに何人かいるけど死人は出てないな」
「この燃えているところにある穴は?」
「いらないものを捨てるために掘ったんだが…」
「ちょっと離れてろ」
アンシュラオンが小さな火玉を放つと、ボンッと穴の中心から火が燃え広がった。
今度は爆発といえるほど大きなものではなく、軽く音を立てた程度だ。
それで正体が判明。
「これはたぶん『天然ガス』だな」
「ガスって何だ?」
「ガスも知らないのか。…待てよ、もしかしてジュエル文化にはガスが必要ないのか?」
たとえばミャンメイが料理をする際は、アンシュラオンが用意した火の燃料石を使っている。いわゆるガスの代わりにジュエルを使っているわけだ。
思えばこの世界に来てから、ガス器具といったものを見ていないことに気づく。
(ジュエルの安全性が高いからというより、こいつらの中にガスを利用する技術と発想がないんだ。術で済むから発展しなかったのだろう。だが、ジュエルは高い。一般人が簡単に手を出せるものじゃないのが実情だ)
アンシュラオンは自力で補充できるので、あまり気にせずにジュエルを使い倒すことができるが、一般人はいちいち買い換える必要がある。
そのコストは案外高く、使い捨てならば数百円程度(日本円だと千円超)だが、調理器具などに使われる大型タイプは一回の交換で一万円はするだろう。
よって、こうした器具を持っているのは料理店などの専門店か、あるいは裕福な家庭に限られているため、裏街の人間の大半は焚き火で調理をしている。
今回も焼き芋をしようといつもの調子で焚き火をしたら、天然ガスに引火して爆発したらしい。
補足しておくと、この世界でも天然ガスや油田は一部地域においては利用されており、それは大国になればなるほど顕著になる。
経済に余裕があるからだけではなく、ジュエル文化は術無効によって効果を失う可能性があるため、こうした代替エネルギーの開発と調達には一定以上の需要があるのだ。
(ひとまずガスの流出を止めるか)
急いで穴を凍結させて埋める。これでガスが外に拡散することはないだろう。
アンシュラオンが波動円で調査したところ、地下にはかなりの量のガスが貯蔵されているようだ。
まだだいぶ距離はあるが、地下施設を作っている裏スレイブ商などは、うっかりすればガス事故に巻き込まれていた可能性もあるのだから怖ろしいものである。
しかし、貴重な資源であることは間違いない。
(誰も注目していないのならば、これは使えるかもしれないぞ。早めにガスを貯める装置を作らないとな。というか、これはまさか―――)
その前に一言だけ言いたい。
―――バスガス爆発!
正確にいえばバスではないが、この格言が実現しようとは夢にも思わなかった。
世の中は不思議なことが起こるものである。




