615話 「裏街改革 その2『都市管理シミュレーション』」
彼らが相談している間に話を整理すると、アンシュラオンが言っていた『街』とは、都市の中にある『一般街』や『下級街』といったエリアのことである。
ハピ・クジュネには大きく分けて『一般区』『観光区』『港湾区』の三つの街があるが、裏街を壊して新しく四つ目の街を作ろうと画策しているわけだ。(ホテル街は『ホテル通り』という意味。裏街は通称で本当の街ではない)
ちなみにさきほどの『三万円のシャンプー』とは、新たにユキネが始めた『美容商会』で発売した高級シャンプーのことである。
マキ隊とロゼ隊の遠征の時にも説明したが、アーパム財団は女性が多いので女性用品は必須であり、リレア商会と共同開発した製品の販売をユキネが担当しているのだ。(引き続き服飾商会もやっている)
大々的に宣伝したので裏街の者たちも知っているのだろう。
彼らは詐欺だと思っているようだが、富裕層向けのビジネスなので多少割り増しになっているのは事実である。(原価は千円)
と、それはファストフード店のポテトと同じなのでよいとしても、なぜ街を作るかに至ったかが重要だ。
(街を作るのは大変だがオレにもメリットはある。まずは新たな都市のテストケースにできること。都市作りのノウハウなんて誰も持っていないからな。実際に試せるのはありがたい)
ハングラスとDBDとの三者で新都市建造を目論んでいるが、いかんせん誰も都市を作ったことがない。
ハングラスは過去の文献を漁って当時のグラス・タウンがどう出来たのか調べているようだが、古すぎるために参考にできるかは不明だ。
また、DBD側にしても軍人なので都市作りに関してはド素人。彼らが提供できるのは単純な労働力と防衛力だけとなる。
あれこれ考えている間にも貴重な時間が過ぎ去るとなれば、もはや実際に試すしかない。その意味で、ここで実験できることは非常に有益といえる。
仮に失敗しても新しい家は出来るため、住人とハピ・クジュネ自体にメリットがあるのも大きい。少なくとも治安の改善には繋がるだろう。
(もう一つは住人の管理だ。ここにいる連中はアーパム財団で雇うには信頼性に欠けるが、都市ともなれば有象無象の者たちだってやってくる。それらをどう扱うかを試すことができる)
アーパム財団の事業が拡大するにつれて雇う人材は増え、現在では約四千人を抱えるほどになっている。
これはトイレの売り上げが思った以上にあったことで、しばらくは金の心配をする必要がなくなったためだ。
ただし、採用試験にやってきた者たちは全員が『中間層』である。人によっては下層に近い者もいたが、それでもかろうじて自力で生きていけるだけの余力はあった。
一方、裏街の連中はそれすらもできないので、最初からアーパム財団の募集には応募していない。そもそもハローワークを仲介した段階で犯罪歴があると弾かれてしまう。
だが、能力に貧富の差も犯罪歴も関係ない。住人を管理し、上手く人材確保ができれば大きな戦力になる。
(あとはこいつらを職に就かせること。あるいは新しい職場を作ることだな。街作りに金がかかったとしても生産性を上げれば、少なくともマイナス分は消えるはずだ。結果として都市全体の経済力も上がるからな。まずはこいつらを底辺から脱出させることが大切だ)
富裕層ばかり優遇していれば国は衰退する。かつての日本が異常に栄えたのも『一億総中流』という考えに従ったからだ。
この思想に問題がないわけではないが、上ばかりいても腐敗するし、下ばかり増えても犯罪が増えて崩壊する。
ということで、目指すところは『アンシュラオン以外、総中流』となる。
(オレが富を独占しつつ、人と金を上手く使って全員を中流にする。うむ、素晴らしい考えだ!)
富裕層を全部蹴散らして富を奪い、それを下に分け与えて中流にする反面、ギアスを使って絶対にアンシュラオンには逆らえないシステムにする。
これはそのテストケースでもあるわけだ。
「そろそろ答えは出たか?」
「ちっ、しょうがねえ。やってやるよ―――って、いてー! 石を投げるなよ!?」
「それが雇われる人間の態度か。そのあたりから教育が必要だな」
「で、いつからやるんだ?」
「実際の土地を見ながら区画を調整するから一週間後くらいからだな。それまでに身なりを含めて準備しておけよ。裸で来たら追い返すぞ」
「ったく、とんでもねえことになったもんだぜ」
裏街にいた住人は、約五万人。
ハピ・クジュネは市民だけで二百五十万超の都市なので、エリアの大きさを考えると人口密度はかなり低いが、もともと人があまり立ち寄らないエリアゆえに当然ともいえる。
行く当てもない彼らはほぼ全員が参加を決定するが、素直に従わない連中もいる。
「けっ、俺はお前なんかの施しは受けねぇからな! なにが炊き出しだ! なめんじゃねえよ!」
「うるさい! さっさと飲め!」
「あぢあぢあぢあぢ―――ごくんっ! あぢぃいい! 雑炊を飲ませるやつがあるか!」
「カレーだって飲み物なんだ。それくらいは男を見せろよ。だが、これでもうお前は施しを受けた腰抜け野郎ってわけだ」
「へっ! これは施しじゃねえ! 逆に食ってやったんだ! 感謝しろよ!」
「そのクソみたいなプライドはどこから出てくるんだ?」
「俺は昔は秀才と言われたほどの男なんだぜ! 職場でクーデターが起きなければ今頃は…」
「あー、いるよな。お前みたいに学歴はあるけど現場で役に立たないやつってさ」
「なんだと! 俺は―――むごごご! あぢーー!」
「くだらん過去の栄光など捨ててしまえ。というか、そんなものは栄光ですらない。望んでここにいるわけでないのならば、それがお前の実力ってことだ」
不思議なことに無能な人間ほどプライドを持つものだが、こうした反抗的な住人がいても追い出すことはしない。振るい落とすことが目的ではないからだ。
反対に、そういう人間をどう扱うかを試す必要がある。
(気持ちはわからんでもない。貧困が続くと社会に憎しみを持って意固地になるからな。まあ、プライドがまったく無いよりはあったほうがよいに決まっている)
施しをすぐに受け入れる人間は、それが素直さならば良いのだが、利益のために迎合しているのならばたいした人材とはいえない。
本当に優れた者は職人のようにこだわりを持っているものだ。そんな者たちの琴線に触れる事業を展開していくことも重要である。
とはいえ、裏街育ちは基本的に教養がないので、この男はただの意固地であるが。
「よし、これから生活物資を支給するからなー。全員分あるから慌てなくていいぞー!」
「おっしゃ! 一番乗り―――ぐぇっ!」
「馬鹿者! 男は最後だ!」
「いてて…どうしてだよ!」
「社会の基本は女子供からが常識だ。その次に高齢者。最後が男だ」
「労働力なら男のほうが上じゃねえか。使える人間を優遇したほうがいいだろう?」
「安心して働くための土壌が必要なんだよ。馬鹿は馬鹿らしく黙って言うことを聞いていろ。この馬鹿が!」
「馬鹿って言うやつが馬鹿なんだぞ!?」
という馬鹿話は放っておき、女性と子供、高齢者から優先して生活物資を支給していく。
この理由は簡単で、そもそも社会というもの自体が『弱者救済』のために存在しているからだ。
これも底辺の話と重複するが、もしそうでなければ本当の意味で弱い者が死んで強い者だけが生き残る世紀末世界が生まれ、次第に人口が減り、数千年程度で人類は絶滅を迎えるだろう。
それこそまさに人類が四人しかいなかった火怨山みたいになってしまうわけだ。
人々が安心して生活するために『家族』という枠組みは必須であり、そのために女性と子供は最優先されてしかるべきだ。
女性が持つ柔軟さや子供が持つ快活さは、人生に潤いを与える重要な要素となる。家庭を持たない場合も犬猫といったペットがその代役となるはずだ。
高齢者を大事にするのも安心して仕事に従事するためである。もし老後が地獄ならば真面目に働く者が減って犯罪が増えてしまう。稼ぐよりも奪うほうが楽だからだ。
生産性を失った社会は滅びるか、またはひどく不自由になる。我々が当たり前のように使っている生活物資も誰かが生産しなければ存在しないのだ。
「住居にはこちらのテントをお使いください」
テトクレアたちが、仮の住まいとしてロッジ型テントを配っていく。
「あら、テントのわりに意外と大きくてしっかりしているのね」
「中に入ると寒さをまったく感じないわ!」
こちらはハングラス製のもので、主に傭兵やハンターが野外の厳しい環境で使うことを想定して設計されているため、かなりの耐久力と耐寒性を誇っている。
これも今後、西方開拓で大勢の人々を受け入れる際に使う予定なので、実際に使ってもらって結果をフィードバックする予定である。
「こちらは共同となってしまいますが、シャワー室となります」
「うわー! こんなの初めて見たわ!」
「もしかして、こっちは噂のトイレなのかしら!?」
「はい。アーパム財団が開発している新しいトイレです。ハローワークに置いてあるものとは異なり、さらに軽量化したタイプとなりますね」
シャワー室はアンシュラオンが開発したもので、荒野で使うために持ち運びができる箱型となっており、複数を連結することで海水浴場のシャワー室に近いものとなる。
使用する水に関しては、術の練習で大量に余った水の燃料ジュエルがあるので枯渇の心配はない。これに火の燃料石を組み合わせてやれば温水が出て冬でも温かい。
そして、隣には新型トイレも配置。以前のものと比べてだいぶコンパクトになっていた。
最初に作った箱型の水洗トイレは性能としては最高だが、やたら大きいので大量に設置するには適していないし、数も足りない。
ここにいる五万人の排泄を補うことは物理的に不可能である。
(あれはオレが力を入れすぎたせいで大きくなってしまった。完全にやりすぎた結果だな。だが、今回のものは小さなスペースでそこそこの性能を持つ新型だ。もっとも重要な点は『人糞を再利用』できることだろう)
箱型のトイレは水の再利用を目的としていたので強い浄化力を求めたが、こちらのものは排泄物を完全に浄化せずに保存する仕組みになっている。
なぜ保存するかといえば、『堆肥』として利用するからだ。
現在の日本では基本的に人糞を堆肥として使うことはないが、昭和初期までは一般的な肥料であり、長屋の大家の収入源にもなっていたという。
人が集まれば大量の排泄物が生まれる以上、それを利用しない手はないだろう。
このトイレのすごいところは、命気水を使っているので悪臭や寄生虫を瞬時に排除しつつ、通常ならば何週間もかかる発酵を一日もかからずに成し遂げることである。
発酵自体が、たとえば乳酸菌やイースト菌といった微生物の働きを利用したものなのだが、今回はトイレ専用の細菌をミャンメイの能力で生み出したことで問題は即座に解決。
色味も乳白色となり、清潔で栄養たっぷりの堆肥が完成することになる。(栄養の程度は人糞の質にもよる)
(なにせ西方の土地は死んでいるからな。仮にあの術式をなんとかできても、そもそもの栄養が足りていない状態では植物も育たない。やれることは全部試してみよう)
アンシュラオンは無駄を好まない。彼らに与えるものは、そのすべてが自身にも何かしらの利益を与えるものとなる。
それに、ただ与えるだけではない。
「食材は用意いたしますので、女性の方々は明日から炊き出し当番をお願いいたします」
「これは立派なキッチンだね! 包丁も輝いているよ!」
「珍しい食材が多いのね。でも、味は悪くないから問題ないかしら」
設置した共同キッチンも一般以上の質であるうえ、包丁はアズ・アクスが作っている業物かつ、これからの食事は裏街の女性たちに担当してもらうので人件費もかからない。
食材に関してはハピ・クジュネから仕入れたものもあるが、翠清山の果実や植物に加え、DBDのキャンプ地がある魔獣の狩場で採れた食材などもそろえている。
これらはまだまだ珍しい食材であり、流通させるには栽培方法や具体的にどう食べるかという調理方法を確立しなければならない。
前者は植物に詳しい学者や農家の者たちに依頼しているので、ここでは後者を担当してもらう予定でいる。
裏街の人間は教養がない者が多い反面、何でも利用する逞しさも持っている。そこに期待しているわけだ。
「こちらが服となります。お好きなものを選んでくださいね」
「これって新品かい! すごい量じゃないか!」
「私はこれをもらうわ!」
「ちょっと待ってよ! それは私が狙ってたのに!」
「早くしないとなくなるわ!!」
女性たちが服に殺到して、昭和の頃によく見たバーゲンセールの様相を呈する。興味のある方は検索してみるといいだろう。あれは壮絶だ。
服はアーパム財団の服飾商会が作ったものもあるが、大半は店じまいをした服飾店から格安で得たものである。
一方で、急に活気を取り戻した女性を男たちはぽかーんと見つめている。今までとの落差に驚いて声も出ないようだ。
衣食住が安定すれば人は前向きに生きることができる。その先頭を切るのは、いつだって女性なのだ。
(女性は強いなぁ。やっぱり人類の主導権は女性が握っているんだよ。子供も女性がいなければ産まれないし、男はこんなもんだよね)
いくら男が腕力と体力で上回っていても、こと生命力にかけては女性に遠く及ばない。
それを再認識した瞬間でもあった。




