614話 「裏街改革 その1『とりあえず、ぶっ壊す』」
「おいこら! 早く出てこい!」
「うるさい! ここは俺の家だぞ! 誰が出ていくもんか!」
「お前らがいるとイカ臭いんだよ! このウジ虫どもが! 海に沈めてやろうか!」
「ざけんじゃねえ! やれるもんならやってみやがれ! このクソ野郎が!」
「ああ! じゃあ、やってやるよ! この豚野郎!」
小汚い家の前で罵り合う声が聴こえる。
まったくもって品性のない連中はこれだから困る。もっと教養を身に付けてほしいものだ。
「今からぶち壊すからな! 後悔しても遅いぞ! ゴミは掃除だ!」
白い髪に白い武術服の少年が『風圧波』を放つと、バキバキと木製の壁や支柱が壊れ、ほぼ一瞬で家がバラバラになって吹き飛んでいった。
残されたのは、必死にちゃぶ台にしがみついていた男だけだ。
「アンシュラオン! てめぇ、マジでやりやがったな!」
「だからやると言っただろう! ついでにお前も洗ってやるよ!」
「ぎゃー!!」
今度は『水流波』を放って男を吹き飛ばす。
男は水で流され、堤防に激突しながら海に落ちていった。塩水で消毒すればイカ臭さも少しはなくなるだろう。
とはいえ、ここで教養のない発言をしていた人物の一人が、我らが主人公であるという哀しい事実が判明する。
「おらおら! 早く立ち退かないと、お前らの家も全部吹き飛ばすぞ!」
「地上げ反対! アンシュラオンは帰れ!」
「お前らが海に帰れ!」
「ぐえーー!」
しぶとく反対運動をしていた連中も家ごと吹き飛ばして海に沈める。
今は真冬なので海も相当冷たいだろうが、慣れれば温かく感じるので我慢していただこう。(溺れる可能性はあるが)
「小百合さん、次は?」
「本当は順番に説得する予定でしたが、思っていたよりも汚いので、このまま一帯を全部更地にしてしまいましょうか」
「そうだね。無駄に残しても使い道はないし、綺麗さっぱり全部潰そう」
アンシュラオンたちがいるのはハピ・クジュネの一般区の南西、アルの家があった付近だ。
裏スレイブを雇った時もこのあたりには来たが、はっきり言って寂れているエリアである。
住んでいる人間も正式な市民ではなく、よそから流れてきた浮浪者たちが大半だ。
滞在自体は禁止されていないが、市民でないと優遇措置は受けられず、定職にも就きづらい。
そうなると経済状況はいつも最悪で、最低限の暮らしをするのがやっとのため、都市の中でもっとも窃盗や強盗が発生する地域になっていた。
アーパム財団が大規模な取り締まりをしたので犯罪自体は激減したが、その温床である『裏街』はいまだに健在なのだ。
「やりやがったな! 俺らの家を返せ! 弁償しろ!」
「なにが弁償だ! そもそもお前たちは市民でもないだろうが! 立場をわきまえろ!」
「うるせー! ここを追い出されたら行く場所なんてないんだ! 絶対に出ていかないから―――ぎゃー!」
「なんだこりゃ! つるつるして―――ひぎゃっ!」
海から這い上がってきた男たちが、また海に流される。
ついでに命気を混ぜて摩擦をなくしてやったので、這い上がってきたとしても芸人の「ヌルヌル企画」のように、何度も足を滑らせて転倒を繰り返す。
当たり所が悪いと骨折もありえるので、罰としてはちょうどよいだろう。
「まったく、これだから裏街のやつらは。悪いけど、このあたりの家は全部解体させてもらうよ」
「お願いします。どうか子供だけは…」
「安心してよ。悪いようにはしないからさ。テトクレア、彼女たちをミャンメイのところまで案内してあげて」
「かしこまりました。女性と子供はこちらへ。寒いですから温まってくださいね」
「あ、ありがとうございます…」
「皆さんはアーパム財団が保護いたします。仮の住まいもありますので、どうぞご心配なく」
アンシュラオンは、メイド隊の一部とミャンメイ率いる『炊き出し部隊』を引き連れていた。
無駄に抵抗する男どもはあっさりと海に流すが、女性や子供や老人を蔑ろにする趣味はない。彼女たちには温かい食事と寝床に加え、清潔な衣服を与えて保護していく。
当然ただの慈善ではなく、これらの行動には大きな目的がある。
(シーマフィアは潰したが、裏街の連中がその『下請け』で飯を食っていたのは事実だ。放っておけば小物とはいえ犯罪者が増える。それ以前に臭いし、じめじめした空気が本当に不快なんだよなぁ)
ヤクザが減ると半グレが増えて統率が執れなくなるように、シーマフィアは犯罪組織ではあったものの裏街の生活を支える役割があった。
その構図がアンシュラオンによって崩壊。
シーマフィアは一部を残してすべてが解体され、街での生存を許された構成員たちは更生の道を歩んでいる。
が、その流れから裏街の住人だけが取り残されることになってしまった。
かといって犯罪も強烈に取り締まられているので窃盗もできず、このままでは冬を越えられないで凍死する者さえ出てくるだろう。
(ここが滅びるのは都市にとってプラスだけど、ただ排除すればいいってもんじゃない。人間はゴミや汚れとは違うからな)
調べてみたところ、裏街の住人はさほど凶悪な者たちではないようだ。
「この(ヤバい)荷物をあそこまで運べ」とか「一人旅の観光客を連れてこい」といった雑用をこなす下っ端にすぎない。
当人たちも悪いことをしている自覚があるが、生きるためには悪事に手を染めるしかないのだ。
これは社会の在り方に繋がる話だが、仮に底辺を全部排除しても残された者たちの中から落ちこぼれが生まれて、また底辺が生まれてしまう。
それを再び排除したとて、その先にあるのは、ただの人口減少による破滅だけである。
よって、社会を健全化させるためには、まずは底辺をなんとかしなければならない。あとはそのやり方の問題だ。
あらかた家やゴミを流し終えたあと、アンシュラオンは住人たちを一カ所に集めて次の段階に移る。
「さて、改めて名乗るぞ。オレの名前はアンシュラオン。アーパム財団の会長をやっている者だ。もっとわかりやすく言えば『金持ち』だ。お前たちが一生働いても手に入らないだけの財を持っている。普通ならばこんな場所には来ないんだ。来てやっただけでもありがたく思えよ」
「なんだその言い草は! その金持ち様が何の用だ!」
「そうだそうだ! 金持ちは帰れー!」
「ほぉ、帰っていいのか? お前たちに儲け話を持ってきてやった命の恩人を追い返すか? 思った以上に馬鹿なやつらだな」
「なにが恩人だ! 人様の家を壊しやがって!」
「お前も市民の連中みたいに俺たちを馬鹿にしに来たんだろう! いつだってあいつらは俺たちを虫けらのように見やがる! ずっとムカついていたんだ!」
「虫けらか。なかなか良いことを言うじゃないか」
「な、なんだと!」
「お前らは虫だ! まずはそれを認識しろ! 虫けらが上等な生き方を望むんじゃない! だからずっとこんなところにいるんだ!」
「ふざけんな! このやろー!!」
激怒した男が石を投げてきた。
が、アンシュラオンはその石を軽々と受け止めて普通に投げ返す。
石はゴツンッ!と良い音をさせて男の額に命中。出血する。
「いてっーーー!」
「馬鹿め! 思い知ったか! 武力でオレに勝てると思うなよ! 次は膝の皿を割るからな! しかも上を攻撃すると見せかけてから割るぞ!」
「妙に具体的で怖い!!」
ふと思うのだが、「うわぁあ! 寄るな! 近寄るなぁ!」と叫びながら威圧しつつ、冷静にフェイントをかけて膝を割ったら最高に気持ちよいのではないだろうか。
泥棒が出た時にはお勧めである。みんなでやつらの膝を割ってやろう!
「お前たちの家を壊したのは掃除のためだ。こんなものが都市にあったらゴミ溜めにしかならん。腐った場所には腐ったものしか集まらない。今のお前たちのようにな」
「俺たちはゴミじゃないぞ!」
「そうなのか? ならばここで何をしていた」
「それは…生活をしているに決まっている」
「今はまだ昼前だな。普通ならば働いている時間だが?」
「し、仕事がないのは俺たちが悪いんじゃない! 社会が悪いんだ! 政治家が悪い! そうだ、ライザックが悪いんだ!」
「だからお前たちはアホなのだぁあああ!」
「ぎゃー! 額がーー!」
某師匠然とした叫びとともに、石を投げて額を割ってやる。
その流血、プライスレス。
「クズみたいな考え方はやめろ。そんな考えをしていたら最後に行き着くのは牢屋か海の中か、あるいは魔獣の餌にされるかだぞ。どちらにせよ、ろくな未来はないな」
「そんな社会を作ったやつが―――うぎゃー!」
アンシュラオンの水玉をくらった男たち数十人が吹っ飛ばされ、またもやびしょびしょになる。
その姿はあまりに惨めだ。腐ってもああはなりたくないものである。
が、何も言っていない者も巻き込まれたので、ますます世の中は理不尽だと思い知っただろう。
「オレはお前たちの不満を聞きに来るほど暇じゃない。いいか、これから裏街にある建物は全部破壊して新しいものにするからな」
「出ていけっていうのか! ここは俺らの街だぞ!」
「興味深い台詞だな。では、誰の許可を得ている? 不動産屋から買ったのか?」
「そ、それはその…」
「オレは買ったぞ。ここいら一帯の土地をな」
「ええええええええ!? 嘘だろう!?」
「嘘を言う理由がない。ここはオレの土地だ。だったらどうしようがオレの勝手だ。違うか?」
「ほ、本当に…? 本当に買ったのか?」
「疑うなら契約書を見せようか? 不動産屋を連れてきてもいい。ちなみに三億程度だったが、都市の一画にしてはさすがに安すぎだな。お前たちが不良債権だったというわけだ」
シーマフィアほど危険ではないが、強制排除も難しく扱いに困る存在。それが裏街の住人である。
ライザックも都市の暗部を持て余していたため、非常に安価で購入することができた。
しかも今は不法占拠されている状態であり、裏街の人間の反感を買わないように近寄れもしなかったので、逆にありがたがられたほどだ。
「それでだ、せっかく買った土地を見に来たら、なぜかお前たちがいるじゃないか。びっくりしたのはオレのほうだ。どうしてお前たちはオレの土地にいる? ぜひ訊かせてもらいたいな」
「行く場所がないからだよ。そんなのわかっているだろう! 嫌味なやつめ!」
「お前たちはここに勝手に住んでいる。本来ならば排除するところだが、オレも鬼じゃない。だからチャンスを与えよう」
「チャンスって?」
「お前たちがオレの『街作り』に協力するのならば、このまま住むことを認めてやろうじゃないか。さっきも言ったが、まずは汚い家を全部壊して新しい家にするところから始める」
「それじゃ同じことじゃないか! 俺らは今も住んでいるんだぞ!」
「一気に全部壊すとは言っていない。区画単位で建て替えていく。が、悪臭がするところは真っ先に壊すぞ。こういう不衛生なところから病原菌が発生するんだからな」
「お前は何がしたいんだ? そこを教えてくれよ」
「言った通り、ここに新しい『街』を作る! 引き続き住みたいやつは働け! 言いたいことはそれだけだ。そして、街を作るには人手が必要だ。そのためにお前たちを雇ってやる」
「アーパム財団に入れるのか!?」
「甘えるな! 臨時の日雇いだ! だが、給料は出さん!」
「ふざけんな! それじゃ日雇いじゃねえだろうが!」
「話は最後まで聞け。街をわざわざ作るんだ。それなりに時間がかかる。その間の衣食住は無料で提供してやろう。それならどうだ?」
「それはありがたいが…その後はどうなるんだ? またプー太郎かよ」
「その点も問題はない。建てた家はお前たちにくれてやる。オレの権限で市民権もくれてやるから堂々と暮らせばいい」
「自分たちの暮らす家を自分たちで作るってことか? それだけで市民権もくれるのか?」
「そうなるな。材料費もこっちが出す。お前たちは家を建てるだけだ。それで市民権を得れば定職にも就けるぞ。ほら、万々歳じゃないか。ハローワークにもオレが口添えをしてやろう」
「なんだか胡散臭いな。んなことして、てめぇにメリットがあるのかよ」
「慈善事業だ。女神様に愛された者としての責務だな」
「絶対嘘だろう! そんなやつがシャンプーを三万円で売るか!?」
「ええい、うるさい! やるかやらないか今すぐに決めろ! やらないなら出ていけ! ここはオレの土地だぞ!」
「いきなりやってきて、なんて横柄なやつだ!」
住人たちはガヤガヤと騒ぎ出し、互いに相談を始める。




