611話 「怒れる蜘蛛 その2『セノアの怒り』」
「ラーちゃん、見えてるの!?」
「うん。しろいのがでてる」
「白いの…? あっ!」
セノアが目を凝らすと『白い残滓』が宙に漂っていた。
空間術式を使う際はいきなり移動しているわけではない。事前にその場所に移動できるか法則上のチェックが自動的に行われる。
もし何かしらの物体がそこにあった場合、互いに干渉し合ってしまうからだ。
自分よりも脆い物質の場合は強引に突き破ることも可能だが、最低でも同じ振動数かつ同硬度の物体同士は同居できない決まりがある。
その『事前予約』が白い粒子として術士には視える。ラノアはそれによって相手の動きを先読みしていたわけだ。(高レベルの術者は隠蔽が可能)
「術が効くのは?」
「あながあいてる」
「穴?」
「うん、ちょっとあく。うごくとき」
「もしかして移動した直後は無防備になるってこと?」
「うん、けっこうあいてる。一秒くらい?」
「ラーちゃん、すごい! 言われるまで気づかなかったよ!」
ここでラノアが『術式戦闘における高いセンス』を見せつける。
まだ六歳半ばかつ、ここまで強い相手との実戦は初めてなのに、即座に弱点を見抜いてしまった。
サナ同様に多くを語る性格ではないが、じっと相手を観察することで状況をよりよく理解しているのだ。
「え? 何も視えないけど…」
「くっ…魔力珠があるのに視えないなんて! これじゃ役立たずじゃない!」
ただし、一定以上の術の才能が必要ゆえにロゼ姉妹以外は残滓が視えず、相手が保有しているであろう『術無効』の防御膜も認識できない。
それが視える段階でロゼ姉妹の才覚は、この中では数段飛び抜けていることを示していた。
「きしょい! お前、きしょい!! お前から裂く!」
少女の標的が、自身に攻撃を二回当てたラノアに移るのは必定。
不快な表情を浮かべてラノアを睨みつける。
「ラーちゃんは攻撃を続けて! 私が守るから! 連絡はいつもので!」
「うん」
セノアはラノアを抱えて走り出す。
少女はそれを追って空間跳躍するが、抱えられたままラノアが雷貫惇を発射。
雷撃は鎌を振ろうと掲げた腕の下、脇に当たってバランスを崩す。
そこにセノアがHA1で追撃。貫通火炎弾が少女の顔面に叩き込まれる。
弾丸自体は硬い体表に弾かれてしまったが、傷をつけることには成功。目の下に黒い痕が残る。
「ぐううう! きしょいきしょい!! うああああ!」
少女は必死に手の甲で拭おうとするが、傷なので消えることはない。
うっかり眼鏡のレンズに傷を付けてしまった時、あるいは買ったばかりの端末を落として傷が出来た時、誰もがこれと同じ心の痛みを味わうだろう。
―――〈ねーね、また右からくるよ〉
―――〈わかった!〉
セノアとラノアは『念話』を使うことで無類のコンビネーションを見せつける。
『視覚も共有』すれば互いの死角もカバーできるため、相手がどこに転移しようとしても丸わかりだ。
完全に相手の裏をかき、何度も術と銃弾を浴びせて傷だらけにする。
それには少女も激高。さらに感情を露わにして怒りの炎を燃やす。
「ぐううう! お前らみたいなバイ菌は全部滅してやる! 消毒、消毒、消毒ぅううう!」
まるで世紀末のモヒカンが言いそうなセリフだが、これに激しく反応する者がいた。
「…は? どっちがバイ菌?」
セノアの目に初めて、今までとは違う何かが宿った。
それは普通の少女が持ちうる普通の感情。
喜びも哀しみも恐怖も人並みに持つということは、人並みに『怒る』こともできるということだ。
次第に怒りがふつふつと湧いてきて、ぐつぐつと煮え滾って、ごぽごぽと心の中で溢れてくる。
仲間を傷つけられたこと。命を奪おうとしたこと。それを見た時に受けたショックと後悔。
もっと自分がしっかりしておけば。もっと強く止めていれば。
だが、それ以上に敵に対する―――【怒り】!!
「言っておくけど、私は怒っているんだよ! いきなり出てきて私の大切な『仲間』を傷つけて! 訓練も滅茶苦茶にして! そのうえで逆ギレ? はぁ? ふざけないで!!」
―――「その態度は、なんなのよおおおおおおおお!」
セノアのペンダントが赤く明滅。
宿主の感情に呼応するようにドクンドクンと脈打って、急速に光が強くなっていく。
凄まじい圧力がセノアから迸り、少女を物理的に押し退けていく。
「あなたは許さない! もう誰も傷つけさせはしない! 私は、私は! みんなを守ってみせるから!!」
脈動が最高潮に達した時、ペンダントが浮き上がる。
漏れ出した赤い光がセノアを包んで集約開始。
生まれたのは―――【紅い蜘蛛】
姿はタランチュラに若干似ているが、顎周りはより発達しており、触肢は鋭く長く進化して、脚自体も尖っているので巨大なナイフのようだ。
それはどんどん大きくなっていき、バキバキと木々を力ずくで押し倒しながら無理やり顕現していく。
全高はそこらの樹木をあっさりと超え、体長に至っては百三十メートルに達しようかという超巨体。
その巨大な『三つの眼』と何十もある複眼が、ギロリと少女を睨みつける。
「なんだ…これ! きしょ!!」
「きしょいのは、あなたでしょ! さっさと消えて!!」
「っ―――!!?」
一瞬で少女の姿が目の前から消え、木々を破壊しながら何百メートルと吹っ飛ぶ。
顕現した『紅蜘蛛』が前脚で彼女を殴ったのだが、あまりに速すぎて誰も見えなかった。
その脚がゆっくりと戻ってようやく、蜘蛛が攻撃したのだと悟るレベルだ。
「なに…これ? 魔獣!?」
「あまりに大きすぎる…よ。建物だってこんなに大きくないのに…」
「でも、怖くない。…どうして?」
子供たちは突然現れた蜘蛛に驚くが、不思議と恐怖を抱かない。
敵を攻撃したこともそうだが、何よりもセノアの波動を強く感じるからだ。
紅蜘蛛は宿主の感情に呼応。今度はロゼ隊の子供たちを守るように、吹き飛んだ少女との間に立ち塞がる。
「あなた…私の言うことがわかるの?」
セノアも自身が生み出した魔石獣を認識。
紅蜘蛛は何も語らないが、彼から発せられるのは『守護る』という強い意思。
セノアの魔石になった『エンシェント・バラ〈古き虚構の紅蜘蛛〉』という魔獣は、もともと【女王の番】でありながらも外敵から守る盾であり剣でもあった。
ゆえにセノアの「皆を守りたい」という気持ちがシンクロし、さらに魔石の力を引き出していく。
ここで一つ疑問に思うのが、セノアの魔石獣が物理的に攻撃を仕掛けた点だ。
サナが初めて青雷狼を具現化した際は、あくまで精神的なエネルギー体であって魔石獣単体で攻撃することはなかった。
がしかし、融合化する際は鎧として実体化するため、生体磁気または魔素を多量に供給することで魔石獣そのものを物質化することはできる。
のだが、これだけの大きさの蜘蛛に質量を与えていることが異常。
セノア自身は気づいていないが、今放出しているエネルギーは小百合が生み出す兎人のおよそ千体分に匹敵していた。
「ぐうっ…! きしょ! きしょ! 絶対に滅する!」
服がボロボロになった少女が、再びこちらに向かってくる。
あの一撃を受けても死なないこと自体がすごいが、いかんせん相手が悪い。
紅蜘蛛の間合いに入った瞬間―――ドゴンッ!
敵を叩き貫くために発達した前脚が、少女を容赦なくぶん殴る。
その一撃はさきほどよりも速く強くなっており、少女の肌が裂けて『白い筋肉』が丸見えになる。
だが、紅蜘蛛は攻撃をやめない。
右に左に何度もぶん殴り、時には真上から圧倒的な重量をもって相手を叩き潰す!
「うわわ、ちょっと激しすぎるよ! ここはご主人様の領土なんだから! そんなに壊しちゃ駄目!」
蜘蛛が殴るたびに地形が変わってしまうため、周囲は大地震でも起きたかのごとく木々が倒れて土砂が散乱している。
セノアがあわあわしていると、宿主の意思を感じ取った魔石獣が少しずつ小さくなり、半分ほどの大きさになった。
ただし、エネルギーの質量は変わっていないため、小さくなった分だけ高密度になり―――
「ごっ…!!」
ついに貫通。
鋭い脚の先端が胴体を貫き、そのまま地面に縫い付けてしまった。
少女の身体からは青い粘液がこぼれ出し、大量の煙が噴き出す。
―――「戦闘能力、測定完了。情報更新。守護者級の魔獣と認定。出力緊急向上」
アナウンスのような声が流れ、少女の身体に『茶色のドレス』が出現。
少女は地面を削って無理やり拘束から抜け出ると、抉れた胴体が再生。
懲りずに鎌を持って突っ込んでくる。
「だから、きしょいんだよおおおおおおおお!」
「ラーちゃん!」
少女の狙いは、セノアの魔石覚醒によって少し離れた位置にいたラノアだった。
もともとラノアを狙っていたところをセノアが邪魔したので、当初の目的に戻ったともいえる。
紅蜘蛛はラノアを守ろうとするが、その必要はなかった。
セノアの赤い魔石に呼応するようにラノアの魔石が白く輝くと、さらに巨大な蜘蛛が出現。
それは白く美しい蜘蛛で、全長は二百メートルを超える巨体。
紅蜘蛛同様に、大きな三つの眼とそれを補佐する小さな眼があるところまでは同じだが、複眼は身体を一周するように八十以上も連なっている。
胴体や足の造詣も見事であり、顔周辺もすっきりしているため、蜘蛛の基準でいえば超絶美人の可能性もある。
『ハイクイーン・バラ〈古代女王白蜘蛛〉』。
ラノアの魔石となった魔獣であり、古代蜘蛛たちの女王だ。美しくて当然だろう。
ただし、白蜘蛛も物理攻撃を仕掛けるのかと思ったが、特に動きを見せることもなく佇んでいる。
そもそもこの魔石獣は物質化しておらず、身体は木々をすり抜けているので、あくまでそこにいるだけの存在らしい。
「こんな蜘蛛ごとき!!」
その間に少女の鎌がラノアに迫るが―――ガキン!!
何か硬いものに刃が弾かれる。
「なんだ!?」
少女の前には、なぜか『白い壁』があった。
斬りかかるまでこんなものはなかったはずだが、それが鎌を弾いたことは間違いない。
白い壁はさらに大きくなり、連なるようにラノアの周りを覆っていく。
その白い壁を目を凝らしてよく見ると―――
「きめえええええええええ!」
今まで「きしょい」しか言わなかった少女が、最上位のキモさを表現しながら大声を発した。
その理由は『壁が生きている』からだ。
この壁は、体長五センチ程度の『小蜘蛛』が大量に集まって作られたもので、近くで見ると生々しい蜘蛛の動きがよく見える。
なまじ少女の目が良かったがゆえに、この最悪の事実に気づいてしまったわけだ。
もし集合体恐怖症の人がいたら即失神は間違いなく、仮にそうでなくても気持ち悪いと思ってしまうのは人間としての正常な心理であろう。
「うわあああ! きもーい!」
「これはさすがに…死んじゃう……かも」
アンとディアナが、子供たちを守るために派遣された蜘蛛に(生理的に)恐れおののく。
その数は次第に増えていき、すでに一万匹以上の蜘蛛が周囲に集まっていた。
「これ、本物だわ。生きているもの」
試しにバレアニアが触ってみると生物特有の波動を感じる。これも術を学び始めてから精霊や世界の理を意識したことで生まれた感覚だ。
よって、この蜘蛛は紛れもなく『本物』。
大半は翠清山に生息する蜘蛛であるが、それ以外にもラノアの周りには常時こうした小蜘蛛が配置されており、実は服の中にも何十匹か潜んでいる。(お風呂の時は離れるが『透明化』して近くにいる)
これはアンシュラオンも把握している事実であり、アイラなどはうっかり踏んで潰してしまい、足裏を見るのが怖くておののいていたものだ。
なぜこうなったかといえば、DBDの演習についていった際に蜘蛛の巣穴に行ったと思うが、あの時から蜘蛛たちはラノアの周りを自発的に警護するようになった。
意識して蜘蛛を持ってきたわけではない。アンシュラオンいわく「よくわからないけど勝手に増える」らしく、いつの間にかそこらじゅうにいるので、いちいち反応するのも面倒になって黙認されている。
我々の生活においても、なぜか大きな蜘蛛が部屋にいることがあるだろう。
知らない間に入ってきて害虫を食べ尽くし、それこそ知らない間に消えるという頼れる隣人であるが、あれと同じくどこからか湧いてくるのだ。
しかしながら、今いるのはセノアを保護するための尖兵にすぎない。
「みんながきた」
ラノアの呟きとともに、ついに本物の眷属がやってくる。
目の前の地面が崩れ、地中から数十体の全長五メートル級の蜘蛛が出現。
彼らは『カーエッジ・スパイダー〈石喰暗殺蜘蛛〉』と呼ばれるレベル99の戦闘用蜘蛛であり、どの個体も攻撃特化の鎌状に変化した触肢を持っていた。
彼らはラノアを守るように陣取ると、少女に対して一斉に襲いかかる!
それはまさに数の暴力。
上から右から左から切り裂き、数体で突き刺した身体を真上に掲げれば、さらに空から何体もの蜘蛛が降ってきては切り裂かれ続ける。
この蜘蛛の前では少女が持っている鎌など可愛いもの。それを一度も振るうことなくズタズタにされてしまう。
「ググ……ギギギッ……キショ…い……キショ」
少女の顔面が裂け、そこから覗くのは人間と同じ白い骨。ではなく、光沢の色合いをした金属的なフレーム。
だが、筋肉の質といい骨の造りといい、色合いが違うだけで人間そっくりだ。
異なるのは血の色と、蒸気に似たものが噴き出ている点だろうか。
「こんな…ところで……ぼくは……母に還る―――」
少女は、その言葉を最後まで紡ぐことができなかった。
今度は何百匹というニ十センチ大の蜘蛛が少女の身体に張り付くと、すべての個体がぶくぶくと肥大化していき―――パパパーーン!!
一匹が爆発したことで他の蜘蛛も誘爆し、幾百の破裂音とともに少女の身体が爆散。
残ったのは、ぐちゃぐちゃになった大量の蜘蛛の肉片と、その中に混じったであろう少女の肉塊の一部だけだった。
「ラーちゃん、倒したの?」
「うん。しんだよ」
「そ、そうなんだ。すごい爆発だったね。ところで、この蜘蛛さんたちは―――」
と、セノアが蜘蛛を見ると、彼らは再び地中に潜っているところだった。器用に一つの穴だけをあけると、そこから次々と地面の中に消えていく。
あれだけ大量の蜘蛛が数秒でいなくなったことに驚愕しつつも、このピンチを切り抜けられたのも彼らのおかげだと心の中で感謝する。
そして、二人の魔石獣も魔石に吸い込まれて場に静寂が戻った。
そこでようやく他の子供たちも駆け寄ってくる。
「セノア様! ご無事ですか!」
「今のは何だったのですか!?」
「えと、よ、よくわからないけど、サナ様がああいうのを出していたような…」
「ものすごく大きかったですよ! すごすぎます!」
「私だけじゃないよ。ラノアも出していたから。あの白いのがラノアのだよ」
「ラノア様もすごいすごい、すごい!」
子供たちは興奮で顔を真っ赤にしながら、さきほど見た光景について語り合う。
その中で唯一、しょんぼりした顔でやってきたのはバレアニアだった。
「セノア様…申し訳ありません」
「何のこと?」
「その…勝手に動いてしまって……判断ミスでした」
「べつにいいよ。こうして助かったんだもん」
「いいえ、そうはまいりません! 私は罰を受けるべきです!」
「そういう話は無理にしなくてもいいんだよ。競い合うことは悪いことじゃないし、私たちは仲間でいたいもの」
「仲間だからこそ…」
「じゃあ、これからもっと仲良くしようね。それが罰だよ」
「そ、それでは罰には…」
「はいはい、終わり終わり。早く戻ろう。これ以上やっても試験は意味がないもんね。ホロロさんに状況を説明して指示を仰がないと」
「それは…そうですね」
辺りは魔石獣が暴れたことで滅茶苦茶。
これに関しては出現時の質量の大きさに加え、物理攻撃型のセノアの紅蜘蛛のせいである。
しかし、あれだけの魔石獣を物質化したのに、セノアはほとんど疲れていなかった。ラノアに関しても平然としている。
なぜならば、二人の魔石は周りにいる蜘蛛の生体磁気を代わりに使うことができるからだ。
いわば、サナがモグマウスの力を吸収して黒雷狼を生み出したのと同じ方法であり、実際に生きている蜘蛛ゆえに『鉱物を喰らう』ことで生体磁気を回復することができるのが強みだ。
今頃は今回の具現化で使ったエネルギーを補うために、地中にある鉱物を食い漁っていることだろう。(小さい蜘蛛は何百と死んだが、また勝手に増える)
(これが…ご主人様がくれた守るための力。私が安心できるための力。ああ、今度は守れたんだ。よかった…)
普通の少女は、まだ自身の本当の力には気づいていない。
『ハイクイーン・バラ〈古代女王白蜘蛛〉』と『エンシェント・バラ〈古き虚構の紅蜘蛛〉』は殲滅級魔獣であったが、それは個としての力にすぎない。
こうした眷属を含めれば、クルルザンバードと同じく【撃滅級魔獣】の評価になるのだから。




