609話 「侵入者 その4『マキの現在地』」
(戦気も使っていないのに、この硬さだけはたいしたものね。いったい何者?)
マキも相手が戦気を使っていないことに疑問を抱いていた。
その状態で彼女の拳を受けられる者が北部に何人いるだろうか。それを思えば女の正体は是が非でも確かめねばならない。
場合によっては他地方の間者の可能性もある。実際にアラキタがいたので油断はできない。
「いいわ。このまま捕まえてホロロさんか小百合さんに調べてもらいましょう」
と、マキが相手を気絶させるために力を入れた時だった。
―――「戦闘能力、測定完了。情報更新。戦闘用の『隷土』と認定。出力向上」
女が一瞬だけがくんと力なくうなだれ、その直後に再び頭を上げる。
だが、すでにその時から状況は一変。
押さえていたマキの腕ごと、ズルズルと斧が引っ張られる。
「なっ…! このっ…!」
マキが力を入れても斧は動きを止めない。
仕方なく手を離した瞬間、斧が大きく跳ね上がり、勢い余って女の真後ろまで吹っ飛んで地面に激突。
斧の刀身は木の根を断ち切り、その下の硬い土層にまで力が突き抜けて足元が揺れる。
異変を感じたマキは一度離れて様子をうかがう。
女は斧を地面から引き抜くと、美しい顔を大きく歪めて笑った。
「あはははは! マーベラス! あなたは本当に素晴らしい逸材ですわね! ここでの出会いに感謝いたしますわ! 驚嘆、驚嘆、驚嘆ですわぁああ!」
女はマキに向かって斧を振り下ろす!
マキは篭手を使って上手くいなし、反撃の一撃を顔面に叩き込む。
女のスピードとパワーが今まで以上だったため、反射的に全力で殴ってしまった。
が、それによって女の頭がガコンと後ろに跳ね曲がったものの、すぐに戻って再び斧を振り回してくる。
(なんなのこいつ? ようやく本気を出してきたってことかしら? でも、この程度ならば!)
迫力は増したが戦闘経験値が上がったわけではない。
滅茶苦茶に振り回すだけなので、そのすべてにマキのカウンターが面白いように入り、そのたびに女の顔面が右に左に飛んでいく。
しかし、拳を受けた顔は少しばかりの擦り傷が生まれる程度で、さしてダメージを受けた様子もない。
そして、馬鹿の一つ覚えかのように、被弾覚悟でがむしゃらに突っ込んできては斧を振り回すを繰り返す。
マキも負けじと何度も殴り返すが、拳に硬い感触が残るだけだった。
「さぁ、わたしと踊りましょう! もっと驚かせて! あなたの感情を伝えて! 心の底から! ダイレクトに!」
「とことん話が通じないみたいね。あなたとの会話は諦めたわ」
「当然ですわ! だって、わたしたちは衝突と衝撃によってお互いを理解するのですもの!」
「いいわ。そんなに好きなら本物の衝撃を教えてあげる」
マキの身体から真紅の戦気が噴き上がる。
女も力を隠していたようだが、マキもまったく本気ではない。
その証拠に今まで殴っていた力の度合いも、あくまで『低出力モード』でのものだった。
リミッターが外された今、真紅の輝きは段違い。本来の混じりけのない赤に変化する。
(アンシュラオン君に普段は低燃費モードで戦うように言われていたのよね。それも力の制御の訓練になるからって。でも、思ったよりストレスが溜まるものなのね)
正直なところマキの燃費が悪いのは、彼女の情熱と感情があまりに強いからだ。それが力に転換されるので、あれだけの炎となる。
ただし、いくら強くてもすぐに息切れしては話にならない。それを克服するために訓練を積んできたのだ。
(力が外にこぼれないように! すべての動きを無駄なく拳に直結させる!)
アンシュラオンの教え通り、一瞬だけ戦気を激しく燃え上がらせ、打撃に必要な箇所だけを強化。
強靭な足から紡がれた爆発力が腰の捻りによって加速され、背筋によって倍化されて肩に伝達される。
それが腕から拳にまとわりついて、回転を伴った破壊力となり、火を―――噴く!
「うらぁ!」
一撃目が顔面に叩き込まれた瞬間には、すでに二撃目の準備が整っている。
二撃目が放たれた時には、三撃目がもう眼前に迫っている。
四撃目はもっと早く、五撃目はさらに速く!
六撃目、七撃目、八撃目は、すでに烈火の如く!!
「うらららららっ!!」
目にもとまらぬ高速の打撃が女を滅多打ち。
覇王技、『紅蓮裂火撃』。
マキが得意とする初期から使っている技だが、因子が上がった今では従来の五割増し以上のパワーが出る。
凄まじい圧力で女が浮き上がり、拳圧と同時に起きたいくつもの爆発によって、残っていた鎧とともに身体の表面が吹き飛ぶ。
どれほど頑丈でもマキの拳の前では無防備が過ぎる。なぜ戦気を使わないのかは不明だが、こちらが相手の事情に合わせる必要はない。
ギリギリ死なないラインを見極めつつ、それでいて完全に戦意を叩き潰すつもりで殴り続ける。
この時も感情を高ぶらせすぎずに力を制御。無駄な炎を生ませずに必要最小限の戦気だけを燃やしている。
今も全体的には低出力モードなのだが、殴る一瞬だけガスを調整して威力を向上させ、消費を減らしたまま高火力を維持。
これだけの火力を微調整するには、戦気の出力を常にコントロールしつつ、その流れの一つ一つを常に監視しなければならない。
ただ思いきり殴るのとは異なり、かなりの集中力が必要になる作業だ。
(この女には悪いけれど、実験台にはちょうどいいわ。サリータさんやベ・ヴェルだと、また自信を失わせてしまうものね)
ベ・ヴェルは因子レベル6に上昇したホロロにタコ殴りにされた事実から、生粋の戦士であるマキが本気で殴ったら秒で気絶するものと思われる。
サリータの盾も極めて強固だが、五連射程度の戦弾で戦闘不能になっていたため、こちらも数秒もあれば問題なく叩きのめすことが可能だろう。
たしかにマキは、まだ魔石を覚醒させていない。
がしかし、それでも序列二位。潜在力でもサナを追随する勢いで、アンシュラオンとの特訓によって日に日に力が増していくことを実感していた。
その力をわずかに解放してやれば、肉体だけが強い素人の女など物の数ではない。
叩き込んだ拳が五十を超えた時、見えたのは『白い筋組織』。
基本的に動物の筋肉は赤く、白い部分は脂肪または筋や腱なのだが、女の身体を構成している筋肉はすべてが白かった。
だが、それも拳の熱量によってすぐに真っ赤に染まり、最後の拳が顔面にめり込んだ瞬間。
思いきり後ろに吹っ飛び、勢いよく激突して頭部が地面に埋まる。
その焼けた身体からは、ブスブスと焦げた臭いが立ち昇っていた。
「死んだのか?」
離れていたゲイルが戻ってきて様子をうかがうが、女はピクリとも動かない。
マキもやや不安そうに倒れた女を見つめる。
「だいぶ加減をしたつもりなんだけど…大丈夫かしら?」
「これでも手を抜いているのか。やっぱりとんでもないな」
正紋を使ったゲイルでも対応に苦慮したくらいだ。
改めてマキの強さを実感する。
「できれば生きていてほしいわね。いくつか訊きたいことがあるもの」
「そうだな。まずは起こしてみるか」
「私がやるわ。ゲイルさんは警戒を続けてちょうだい」
マキが女に近寄り、動かないことを確認。
続いてゆっくりと肩を引っ張り、身体ごと頭を地面から引っ張り出す。
その頭部は半分以上が焼け爛れ、皮膚と肉がドロドロに溶けて骨が見えていた。
だが、妙にメタリックな光沢が目を引く。はみ出た筋繊維も人間に似ているが、今まで倒してきた者たちとはだいぶ異なる。
「ゲイルさん、これは…」
「ああ、普通の人間じゃないな」
「このあたりは金属…よね? サイボーグってやつかしら」
「赤鳳隊の鷹魁もそうらしいが、そんなにいるものなのか?」
「さあ、どうなのかしら。身体に鉄板を埋め込むくらいは聞いたことがあるけれど…」
医学に疎いマキたちには、いまだにサイボーグが何かがよくわからないが、身体の一部を機械化した者たちがいることは事実だ。
実際に触ってみた感覚だと女の身体の一部は機械的なものだが、いくつかの臓器等、人間と同じ個所もあるように感じられる。
確定させるには解剖するしかないが、マキが人間であるがゆえに同じ人間に対する親和性が、その感覚を肯定しているように思えた。
つまりは『半分人間の機械』ではなく【半分機械の人間】だということだ。
「っ……―――……」
「何か言いたいの?」
女が口をぱくぱくさせている。どうやらまだ息があるようだ。
マキが安堵し、その言葉を聞こうと顔を近づけた時だった。
「まぁ…ーベラス!!」
「っ!」
女の身体から『黄色い繊維』が放出されると、マキを絡め取って動きを封じる。
その間にも繊維は数を増していき、それらが編み重なって『黄色いドレス』を構築していった。
それに伴ってダメージを負った箇所が修復。爛れた肉と皮膚を完全に再生させる。
「こいつ…! まだこんな力が! というか、なんなのこれは!?」
マキは強引にドレスを引きちぎり、拘束から逃げ出そうとする。
だが、その隙に女はマキに抱きつくと、顔を密着させ―――
「ふふふ、素晴らしい力!! いただきますわ!」
「むっ!?」
マキに―――キス!
マキにキスと書くとなんだか読みづらいが、事実そうしたのだから仕方がない。
いわゆる『接吻』であり、もっと言えばディープキスでもある。
うねうねと舌に舌が絡みつく感覚に激しい戦慄と悪寒が走り、嫌悪感は即座に荒ぶる大きな怒りへと変貌!
「なにするの―――よおおおおお!」
マキは本気の戦気を放出してドレスから完全に脱出すると、女を思いきり殴りつける!
顔面がひしゃげ、勢いよく飛んでいった女は、大きな木を三本ぶち折り、四本目の木の幹に激突してようやく止まる。
さらに追撃をしたいところだったが、それ以上にマキの不快感は大きかったようで何度も何度も唾を吐く。
「くっ…! ぺっ! ぺっぺっ!!」
「キシィルナ! 何かされたのか!」
「わからない! でも、何かしようとしてたわ!」
「見せてみろ! 毒だったらヤバいぜ!」
ゲイルが駆け寄ってマキの口元を確認。
噛まれた等の傷はなく、本当にただキスをされただけのようだ。
が、その行為に何の意味もないとは思えない。
普通に考えれば毒や何かしらの作用をもたらす薬、またはそれによって発動する特異能力の可能性もある。
「ふふ、良い味。キスとはいいものね。でも、この方法はやりづらいわ」
女は木から抜け出て地面に着地。
マキに殴られた跡は大きく残っているものの、その動作に淀みはなかった。
そして何よりも、美麗な黄色いドレスを着た女が森にいること自体が、あまりに場違いで非現実的に感じられる。
マキは口元を押さえながら女に詰め寄る。
「あなた、私に何をしたの!」
「キスよ。知らないの?」
「それくらい知っているわよ! まさか同性愛者じゃないでしょうね!」
「同性愛? それは何?」
「あなたが…その、女性のほうが好きな人なのかって話よ!」
「どちらかといえば殿方のほうが好ましいですわ。わたしの性別は女ですもの」
「そ、そうなの。それならいい…わけないわ! 小百合さんならともかく、あなたにキスされる筋合いはないもの!」
小百合は興奮するとキスをしてくることもあるが、そこに恋愛感情はない。あくまでアンシュラオンとの絡みで盛り上がった時にしてくる程度だ。
それ自体は受け入れているが、身内だからこそであり、他人にされるとここまで不快感が募るものであることを初めて知る。
だが、女の興味はマキではなく、ボロボロと崩れる自身のドレスに向けられていた。
その様子から繊維は単純な物質ではなく、何かしらの力によって構築維持された一時的なものだと推測できる。
「そろそろ限界ですわね。さすがに力を失いすぎましたわ。また会いましょう。素敵な体験をありがとう」
「ちょっと! 待ちなさい!」
女は踵を返すと、一気に加速して全力で逃げていく。
マキは追おうとするが、それをゲイルが止める。
「落ち着け。陽動かもしれないぜ。ヒポタングルに追わせたほうが確実だ」
「…そうね。たしかにそうだわ。いきなりキスをされて動揺していたみたい。ごめんなさい」
「いやまあ、そりゃ動揺するだろうさ。俺も男にされたら吐く自信があるぜ。にしても、あいつは何だ? だいぶおかしなやつだったな」
「翠清山には変なやつが集まるジンクスでもあるのかしら? 慣れてくる自分が怖いわ」
翠清山の戦いでは竜美姫や鬼美姫といった魔神とも戦っているので、それと比べればそこまで異質なものではない。
だが、領土に敵対者が入り込んだとなれば放置はしておけない。




