608話 「侵入者 その3『救援要請』」
ゼイヴァーが奇妙な女と戦っていた頃。
そこから南東の位置では、警備にあたっていた黒鮭商会のメンバーが『別の侵入者』を発見していた。
その人物は、二十代半ばくらいの女性。
セミロングのマリーゴールド調をした深い金髪だが、毛先が尖っていてハリネズミのようにも見えることから、髪質はかなり硬そうだ。
顔は整った美人かつ、静かに笑みを浮かべた表情からは、それなりの知性と理性を感じさせる。
プロポーションもなかなかのものであり、体型としては小百合とマキの中間くらいで胸も大きい。
それだけならばハピ・クジュネにいる少し裕福な女性にも見えるが、鎧を着込んで大きな戦斧も持っていることが最大の違いだろう。
ただ、鎧にはいくつかの亀裂が入り、胸のプレート部分も破損してしまっている。(だから胸が見えた)
侵入者ありの情報は即座に伝達され、ゲイルも駆けつけて五人のメンバーで囲む。
「よく見つけましたわね」
こちらが話しかける前に女が口を開く。
思っていた通り声には理性が宿った優雅さがあり、美しい見た目も相まってどこぞの女騎士かと錯覚するほどだ。
しかし、その発言からも意図的にここに入ってきたことがわかる。
ゲイルは包囲態勢を維持しながら女を注視。
「ここは私有地だぜ。侵入者を見つける方法くらい用意してあるもんだ」
「私有地? 誰かが管理しているという意味ですわね。どちらの方の土地なのですか?」
「アーパム財団だ。今じゃ子供だって知っているぜ」
「そうなのですか? 申し訳ありませんが初めて聞きましたわ」
「今話題のうちらを知らないとはな。どこの出身だ」
「お母様のお腹かしら?」
「へっ、そりゃ奇遇だな。俺もそうだぜ。どちらにせよ早く出ていくんだな。これ以上の無断滞在は排除対象になる」
「それは困りました。探し物をしているだけなのですけれど」
「探し物? 何をだ?」
「そうですわね。取り立てて何を、というわけではないのですが、より強いものを。…そう、生命力があって力強くて、よりわたしを驚かせてくれるものですわ。ここならそういうものが、たくさんありそうでしたので」
「言っている意味がわからねぇな。話す気が無いならそれでもいいぜ。一歩でもこっちに進むなよ。ゆっくり来た道を帰りな」
「戻らなければ?」
「痛い目に遭ってもらう。女相手だって加減はしないぜ」
「まあまあ、それはそれは! あなたがお相手をしてくださるのですか!? とても魅力的なお話ですわ。さきほどから感じていたのですけれど、何か強い力をお持ちですね?」
女はゲイルに対し、品定めをするような目を向ける。
その視線を追うとゲイルの顔ではなく、右腕あたりをじろじろと観察しているようだ。
今は長袖を着ているが、脱げばさぞや逞しい上腕筋や腕橈骨筋が姿を現すだろう。
だが、それ以上にそこには『正紋』がある。
「………」
「お答えしなくても結構。そのエネルギー、ぜひとも頂戴いたしますわ!」
ゲイルが警戒を強めた瞬間、女から突進。
柄の一番下を持って戦斧を振り回す。
その大薙ぎの一撃は、ただでさえ大きな斧の威力を最大にまで高め、咄嗟に盾を使って防御を固めたゲイル隊のメンバーを一気に三人ほど弾き飛ばす。
「あははは! そーーれ!!」
薙ぎの回転は止まらず、そのままゲイルに向かって二撃目が放たれた。
が、ゲイルは盾を下に潜り込ませることで逆に斧を真上に弾く!
「いいですわ! 見込んだ通り!」
「あんたに見込まれる男は災難だな! 俺はもっと淑やかな女のほうがいいぜ!」
「そんなことを言わずにかまってくださいな! 力溢れる者よ!」
「ゲイル! 援護する!」
「こいつの狙いは俺だ! お前たちは無理に手を出すな! ほかに敵がいないか警戒を強めろ!」
敵の狙いが自分だと察すると、ゲイルは間合いを広げて女を誘導しながら攻撃をいなし続ける。
一瞬だけ反撃も考えたが、軽々と大きな戦斧を振るう膂力を見て不利と判断。ひたすら防御と回避に専念することにした。
結果、その判断は正しかった。
女のパワーとスピードはどんどん増加。次第に受けきれなくなり、盾が抉れて革鎧のあちこちも削れていく。
(くそっ、フルプレートで来るべきだったか。しかしまあ、滅茶苦茶な戦い方をしやがって! ただただ力任せかよ!)
女の動きは戦士でも剣士でもなく、ただ腕力に任せて斧を振っているだけだ。
隙だらけではあるものの、そのせいでかえって予測が難しくなり、女自身すら予期していない軌道に刃が流れるので、ついつい被弾してしまう。
武具の生産が自前でできるようになってからは、ゲイルにも決戦用の全身鎧が用意されているため、それを着ていたらここまで傷を負わなかっただろうが、予想外の強敵であることは事実だ。
しかしながら、現状でもけっして負けてはいない。
ゲイルは『強の正紋』で肉体を強化して不意の一撃にも耐えていく。
その溢れ出る力の奔流に女は興奮!
「マーベラス! それですわ! やはりあなたは『特別』なのですわね!」
「そこまで自己評価は高くねえけどな。だが、戦い方に関しちゃ、あんたよりは多少ましだぜ!」
防御すると見せかけてゲイルが突進。
相手が戦斧を薙ぎ払う前に間合いに入り、体当たりと同時に用意していた大納魔射津を鎧の隙間に押し入れる。
「これは…!」
何かされたことは理解しても、攻撃を途中で止めることまではできず、斧を振り下ろすしかない。
斧の刃がふらふらと力なく地面に当たるが、今はそれどころではない。
慌てて手を這わせて大納魔射津を取り出そうとするも、時すでに遅し。
直後、起動。
まさに至近距離から爆発の衝撃をくらってしまう。
「へっ、力比べだけが勝負じゃねえんだよ。こういう戦い方もあるんだぜ、お嬢さん」
技量と経験では、ゲイルのほうが圧倒的に上。
幾多の激闘を生き残ってきたことで経験値は高く、相手の状態を冷静に観察する分析力も併せ持っている。
ただ斧を振り回すだけの女に後れを取るわけがない。
「…ふぅ、びっくりしましたわ。なるほど、あれは爆発の術具だったのですわね」
がしかし、女もほぼ無傷。
衝撃で鎧が半壊してしまったが、その下にある白い肌は綺麗なままだった。
(おいおい、防御無視のはずだぞ。戦気も無しであれを防いだってのかよ。魔獣並みの耐久力じゃねえか)
この女もまたゼイヴァーが出会った存在と同じく戦気を使っていなかった。
だからこそゲイルも防御に徹し、『引き付ける』ことだけに専念していたのだ。
「さあ、続きをやりましょう」
「これ以上は無理だな」
「そんなつれないことは言わずに、ぜひお願いしますわ」
「しつこい女は嫌われるぜ。それに、あんたの相手は俺じゃない」
突如、女の視界が暗くなる。
その影を追うと、空では三頭のヒポタングルが旋回するように舞っていた。
「あら? あれは何でしょう?」
「俺たちはチームで監視をしているんだ。あんたを見つけられたのも地上と空から見張っているからさ」
アンシュラオンであっても半径二キロを探るのがやっとだが、ヒポタングルの力を借りればもっと広い範囲を簡単に監視できる。
仮に森の中を移動していても茂みは動くものだ。特にヒポタングルは人間を長年監視してきた経験があるので、その差異にもすぐ気がつく。
もちろんゼイヴァーが戦った女に関しても事前に発見済みだったが、『訓練会場』のエリアに入っていたので保護者に任せたにすぎない。
そして、三頭が上空でぐるぐると回っているのは、ヒポタングル空戦隊が発する『強敵襲来』のサインだった。
数秒後。
別の方向から飛んできたグレートタングルが、その輪に向かって猛スピードで急降下。
ほとんど落下する勢いで突き進み、木々に当たる寸前で背から誰かが飛び降りてきた。
その人物は、ゲイルの前に着地すると同時に、女を蹴り飛ばす!
「っ―――!」
大きな戦斧を振り回すほどの力を持った女が、いとも簡単に吹っ飛び、背後にあった木に激突。
衝撃で幹がミシミシと悲鳴を上げて限界に達し、ついにはへし折れてしまう。
『彼女』は高く伸ばした足を戻すと、振り返って笑みを浮かべる。
「ゲイルさん、遅くなってごめんなさい」
「問題ないさ。こっちこそ呼び出しちまって悪いな」
「いいのよ。それが私の役目だもの」
現れたのは、マキ。
彼女もマキ隊の面倒を見つつ警備に参加していたが、山側にいたので急ぎグレートタングルに運んでもらったのだ。
その所要時間は、ゲイルが救援要請を発してから二十秒程度。一切の無駄なく完璧な連携で事を成し遂げていた。
ゲイルもゲイルで無理をせず、女と数度打ち合った時には空にいるヒポタングルに合図を送っていたことも被害を最小限に防げた要因だろう。
マキは折れた木にめり込んだ女を見て、ため息をつく。
「あなたね、昼間からそんな格好をして恥ずかしくないの? もう少し女としての羞恥心を持ったほうがいいわよ」
彼女が肌を晒しているのはゲイルの大納魔射津のせいだが、もともと破損していた鎧を着ていたので、どのみちその状態でも怒られていたはずだ。
マキは女性に人気がある反面、サリータとベ・ヴェルに初めて会った時のように敵対する女性には厳しい傾向がある。(身内には弱いが)
ただ、女はそんな指摘を気にした様子もなく再び立ち上がり、目を見開いて歓喜の声を発する。
「マーベラス! いい、実にいいですわ! これほどのエネルギーを持つ者がいるなんて! まさに驚嘆です!」
「まだやるつもり? 次はその程度じゃ済まないわよ」
「ありがたいことに俄然やる気が出ましたわ」
「蹴られて喜ぶだなんて、春先でもないのにおかしな人が来たものね。ゲイルさんは下がっていて」
「気をつけろ。少し様子がおかしいからな。大納魔射津でも傷がつかねえぞ」
「そうみたいね」
手加減はしたが、最低でも昏倒できると思って放った蹴りを受けても平然としている。
大納魔射津をくらって無傷だったことからも耐久力は極めて高い。
「一応は警告をしておいてあげる。ここはアンシュラオン君の…私の夫の領土なの。おとなしくお縄につくのならば、腹パンだけで済ましてあげるわ」
「腹パン? 知らない単語ですわ。でも、あなたとならば一緒に踊れそうね。ぜひお願いいたしますわ」
「そう。後悔しないことね」
「ふふ! あなたの強い力をわたしにくださいな!!」
女は勢いよく飛び出すと、戦斧を真上から振り下ろす。
マキはそれを紙一重で回避しつつ、左の篭手で斧を押さえながら右の拳を―――
「ほぁた!!」
女の腹に叩き込む!!
ドゴンという重い音を響かせ、宣言通りに腹パンが炸裂。
大納魔射津でも何事もなかった白い肌が、ぐにゃりと歪み、篭手を通じて発せられた衝撃が全身を駆け巡る。
「これ…は! 予測以上の―――」
「ほぁた!!」
「がはっ―――!」
一撃目で女の身体がひしゃげたところにもう一撃、腹パンが炸裂!
これにはさすがの女も悶絶。動きが完全に止まる。
「もう一度だけ言うわよ。さっさと投降するなら腹パンだけで済ましてあげるわ」
「そんなつまらないことを…おっしゃらない―――っで!?」
ドゴンッ!と三撃目の腹パンが炸裂。
どうやら腹パンだけで済ますの意味は、「投降してもしなくても、とりあえず腹パンで腹をぶっ壊す」の意味らしい。
女性にとって腹部は男以上に重要な部位だ。そこを狙って破壊するとは怖ろしい発想である。
女は膝が崩れ落ちたものの、なんとか踏ん張って体勢を整える。
「まだやる?」
「す、素晴らしい…ですわ。これが人間の力…なのですわ―――っね!?」
続いて四撃目の腹パンが叩き込まれる。
女は口からゴボッと粘液を吐き出すが、唾液や胃酸とは違う甘い香りが漂う。
が、やはり非常にタフネス。
威力は六割程度に抑えているものの、マキの拳を四発受けてまだ意識を保っているのだ。本来ならば腹に穴があいていてもおかしくはない。
だがしかし、それに反比例して圧倒的に戦闘経験値が低い。
実は女も斧を引き戻そうと力を入れているのだが、そのタイミングに合わせてマキも引っ張ることで動きを妨害。
逆に相手の防御が緩んだ隙に腹パンを叩き込んでいた。




