607話 「侵入者 その2『トトトンドレス』」
「あはは! 斬ったらどんなのが出るかな!」
しかし、相手も常軌を逸した精神構造をしている。
そんな言葉などには耳を貸さず、一気に女が駆ける。
その速度は練達の武人を超えるもので、一瞬で間合いに入り込み、首を目掛けてククリナイフを振る。
ゼイヴァーは軽いバックステップで回避。
女は回転して、もう片方のナイフで再度首を狙うが、こちらも悠々とよける。
女はさらに速度を上げてゼイヴァーに飛び込むものの、すべて余裕をもってかわされてしまう。
「当たらない! なんで!」
「速さだけはたいしたものです。『準備運動中のマルズレン』と同程度くらいでしょうか」
マルズレンとは、かなり初期(※『42話「魔剣士の厄日」』)から名前が出ていた百光長の一人である。
風の艦隊出身の双剣使いであり、護衛と高速戦闘を得意とする凄腕の武人だ。ゼイヴァーも百光長同士の模擬戦でよく対戦している。
女の速度は、その彼が軽い運動をしている時と同等だった。それを思えば魔獣や男たちを一瞬で屠れたのも頷ける。
が、それだけだ。
「あなたには技術がまったく伴っておりません。殺気もモーションも丸見えでは予測してくれと言っているようなものです」
「あはは! 今度は当てるから!」
「残念ながら無理な話です」
「っ!?」
ゼイヴァーはナイフをかわすと、女の右手首を取って捻り上げる。
女は抵抗しようとするも、肩の関節を極めて軽く押してやれば、つんのめって倒れそうになる。
それでも女は諦めずにもう片方のナイフで首を狙ってくる!
が、ゼイヴァーはそちらの手首も取り、相手の両腕を交差させて―――投げる!
女は関節の可動域に逆らうことができず、されるがままに空中で回転。
ただし、そこはやはりゼイヴァー。
女の頭が地面に激突しないように角度を調整し、足から落としてあげる。
「はは! これおもしろ!」
普通だと「なめた真似を!」と憤るところだが、女はなぜか楽しそうだった。
しかし、それはあくまで戦いへの悦び。
解放された女は首狩りを諦め、今度は体勢を低くしてゼイヴァーの足に向かってナイフを振り抜く。
が、完全に見切っていたゼイヴァーは、足先を女の脇に突き入れ、脛も使って振り抜く前に肩関節ごと胴体の動きを止める。
パワーではゼイヴァーのほうが遥かに上。たったそれだけで女は蛙のように地面に這いつくばってしまう。
さらにはそのまま腕を取り、ぐっと体重をかけるだけで身動きが取れなくなる。
「…? どうして? 動けない…!」
「驚きましたか? こちらではあまり使われていないようですが、西側の軍隊ではこうした『捕縛術』も教えているのですよ」
武人の戦闘においては戦気を爆発させて逃げる技もあるので、なかなか投げたり組んだりすることはない。せいぜい締め上げるくらいだろうか。
ただし、力の差があればその限りではない。
特に警備隊では犯罪者を捕縛することを主眼に置いているため、取り押さえる技術の研究が進んでいる。
軍隊でも制圧した地域次第では平和的な治安維持を行うため、いざという場合にそなえて捕縛術を教えていた。
このあたりは当たり前のようにも感じられるが、規律ある組織が少ない東側では技術の伝達が難しいのである。
やっているとしても、せいぜいザ・ハン警備商隊やハピ・クジュネ軍程度だろう。
つまりはゼイヴァーが武人の技を使う必要もないほど、両者の間に差があることを示している。
「そろそろやめませんか。あなたでは私に勝てませんよ。おとなしく帰ってくだされば、これ以上の危害は加えません」
「あはは! 特別なやつ、面白い!」
女が肩関節を外して強引に脱出。立ち上がって自分で肩をはめる。
その時の動きがやたらガクガクしていたのが気になったが、最初から様子がおかしいので、元からそういう仕草なのかもしれない。
「次は絶対赤いのを出してやる!」
女はナイフを持って再び突っ込んでくる。
おそらく彼女が諦めることはないだろう。このままでは同じことを延々と繰り返すだけだ。
しかし、ここもさすがゼイヴァー。いきなり強硬手段は取らない。
「仕方ありませんね。ならば先に武器を奪いましょう」
ゼイヴァーは足で自身の棍を跳ね上げるとキャッチ。
手首の回転だけで棍を操り、女のククリナイフを弾き飛ばす。
戦いながら棍がある場所を把握して誘導しているあたり、高い戦闘経験値を感じさせる。
女はもう一方のナイフを振るが、こちらも棍先で引っ掛けて弾き、飛ばされたナイフが木に突き刺さった。
「ナイフ、また拾わないと」
「あなたには花のほうが似合いますよ」
「花? なにそれ!!」
女は武器を失っても依然として突っかかってくる。
今度は手刀で突き刺そうとしてきたが、ゼイヴァーが棍で肩を叩いて動きを封じる。
次は足で蹴ろうとしてくるも、こちらも棍先を股関節に押し当てて動きを封鎖。
「まだやりますか?」
「ははは! やるよ! 止まるわけないから!」
「懲りない人ですね。子供たちに危害を加えられては困ります。無力化させてもらいましょう」
ゼイヴァーは、ここで初めて棍を構えた。
棍はするりと掌からこぼれると、真っ直ぐな軌跡を描いてトトトン!という綺麗な旋律を奏でる。
狙う箇所は、肩や骨盤、股関節といった手足の可動部分で、サナにやったように正確な棍捌きで女を自由にさせない。
今回は無力化するのが目的であるため、芯に響くように少し強めに叩く。
「かはっ! これなに!? 動けない!」
この攻撃は効いたようで、女の動きもかなり鈍ってきた。
その様子をゼイヴァーは慎重に観察。
(やはり戦気を出していない。出せないのか?)
その理由は、女がいまだに戦気を使っていないからだ。
もちろん実力はこちらのほうが圧倒的に上。苦戦することはまずないだろうが、戦気無しでここまでの力を出せるとなれば、展開したらもっと能力が上がることになる。
それを警戒して余裕をもって対処していたのだが、ここに至ってもまだ使う様子はなかった。
だが、違う意味で女の様子が変わる。
―――「戦闘能力、測定完了。情報更新。戦闘用の『隷土』と認定。出力向上」
女の身体がミシミシと音を立てて筋肉が膨れ上がると、一気に解放!
自身を押さえていた棍を弾き、強引に前に出て腕を振る。
ゼイヴァーは回避しようとするが、腕から『光る刃』が生まれて間合いが伸びる。
(くっ…これはかわせない!)
ゼイヴァーは戦硬気でガード。
寸前で首をガードすることはできたが、ガリガリと削られて戦硬気が破損。刃が肌を切り裂いて血が滲む。
斬られたのは肉の表面だけとはいえ、戦士型剣士であるゼイヴァーの防御力を突破したことは驚きだ。
しかも、これは戦気でも剣気でもない。
(光の刃? 術式武具? しかし、身体から直接出ている。体内に埋め込んでいるのか? 攻撃力の観点から術式攻撃の可能性もあるか)
雰囲気から察するとスザクの無刃剣に近い。
ただし、あの武器は戦気を吸収して魔素の刃に変換しているが、女の場合は戦気そのものを使っていないので機構は異なるかもしれない。
どちらにせよ女のパワーが上がったことで、棍で押さえるのが難しくなった。
肩を叩いても強引に振ってくるし、腰を押しても身体をねじりながら滅茶苦茶に突っ込んでくる。
光の刃の威力は高く、剣気で覆った棍でガードしても表面が削れてしまうほどだ。
「あははは! 特別な赤はどんな色かな!」
(声の感じが戻った? 感情の変化…いや、人格の相違のほうが近い。二重人格者か?)
さきほどは機械アナウンスのような声質だったが、今は元の享楽的な性格に戻っている。当人も自身の変化には気づいていないようだ。
しかしながら女の身体のほうには、また新たな変化が訪れる。
ゼイヴァーが攻撃をいなした直後、すれ違いざまに背中からも光の刃を放出。
それは『鎌状に変化した翼』に似ており、死角からの不意の攻撃がゼイヴァーの防御の戦気を貫通。革鎧も抉られて肩から血が滲む。
「なかなか出ないね! もっと噴き出してよ!」
女は高速移動からの不規則な攻撃でダメージを与えてくる。
直撃こそしないが、光の刃の間合いも常時変化するので対処しづらい。少しずつゼイヴァーの身体中に細かい傷が生まれていく。
されど、彼に焦りはない。
「もう一度言います。おとなしく帰れば危害は加えません」
「動かなくなれば出るかな! やっぱり首かな!」
「警告はしました。あなたを危険と判断し、子供の保護を最優先にします」
ゼイヴァーの雰囲気が明らかに変化。
様子見から『戦闘モード』に気持ちを切り替えると同時に、溢れ出る戦気の質も一気に急上昇する。
ガンプドルフも言っていたが、命のやり取りになればゼイヴァーとて騎士だ。同じ女性でも見知らぬ者より親しい者を優先する。
ゼイヴァーは棍を使って跳躍。
襲ってくる女の上空に舞い上がり、そこから高速の突きを放つ。
女は光の鎌を使って迎撃するが、それを―――ドスン!
一直線に放たれた重い一撃が光の鎌ごと圧し貫き、女の背中に直撃。
今まで放っていた一撃とは比べ物にならない重さに、筋力が上がったはずの女が地面に叩き伏せられる。
ゼイヴァーは、まだ地上に降りない。
木々を使って空中に陣取り、高速跳躍からの空中攻撃を継続。
女の身体からゴツンゴツンと棍が当たる音が響き、それが徐々にゴリンゴリンとなり、最終的にミシミシという音になり、最後はバキンと割れる音に変化。
肩甲骨と背骨にヒビが入り、とどめに両肩の関節を叩いて外す。
「うっ…!」
これにはさすがの女も違った色合いの声音を発する。
どんなに心がめげずとも身体が動かねば何もできない。今の女は無力だった。
「やはり技術が未熟。脅威にはなりえません」
相手が弱いのではなくゼイヴァーが強い。特にこうした局地戦において彼は無類の強さを発揮する。
とはいえ仮に他の百光長、たとえば同じスピードタイプのマルズレンが戦ったとしても圧勝するだろう。
技術も覚悟もない力押しの攻撃など、DBDの騎士には通用しないのだ。
「いくら荒野とて無法が許されるわけではありません。重犯罪者ならばハローワークか海軍に引き渡します」
「あはははは! ははははっ! おもしろ! こんなのおもしろ!」
「困りましたね。話が通じそうもありません。ならば、これもやむをえませんが完全に無力化してから―――」
と、ゼイヴァーが拘束しようとした時だった。
女の身体から粒子の糸が放出され、着ていた鎧が弾け飛ぶ。
一瞬だけ裸になったが、糸が編み重なって新たな服が生み出された。
それはなぜか―――ドレス
女は緑色をした豪奢なドレスを身にまとっていた。いや、この一瞬で作り出していた。
(もしや閣下と同じ鎧気術の一種か? だが、ドレス型など聞いたこともないが…)
ゼイヴァーが怪訝な表情を浮かべていると、女がいきなり立ち上がる。
かなりのダメージを与えたはずだが、痛みや苦痛を感じている様子もなく、亀裂が入った骨もビシビシとくっついていく。
「あはははは! はは―――ハハ! アバババババッ!! エネル…ギが……たりない……ア゛ア゛ア゛ア゛!」
だが直後、女の身体からドレスが消失して全裸に戻る。
そして、ゼイヴァーに背を向けていきなり走り始めた。
方角が子供たちとは反対側、森の外側だったため追わずに見送る。
(勝てないと思って逃げたか。全裸なのは気になるが、あえて追う必要もないだろう。しかしあの感触、人を叩いている感じがしなかった。最後まで戦気を使わなかったことと関係があるのか? 体内に埋め込んでいる術具が生体磁気を吸収している可能性もあるが…)
ゼイヴァーは優れた武人だ。戦いながら敵の情報を分析することができる。
攻撃を当てた時の感触も重要な判断材料であり、それによって相手の肉質や防御力、戦気の質を調べることができる。
その時に感じたのは、妙な手ごたえ。
表面が異様に硬く、内部も肉に近いが、もっと粘度の高い何かで構成されているように感じられた。少なくとも人間の肉質ではない。
かといって、そういう人間がいないかといえば断言もできない。それも武人の奥深さである。
「北部は何が起こるかわからない。早くセノアさんたちのところに戻らねば」
ゼイヴァーは急ぎ戻る。
が、その時にはすでに事は起きていた。




