606話 「侵入者 その1『奇妙な女』」
一方、その頃。
最初から逃走を選択した男たちは、大量の魔獣に追い立てられて森の外側には行けないでいた。
本当ならばすでに森を出ている頃なので、苛立ちもピークだ。
「なんであんなに魔獣がいるんだ! おかしいだろうが!」
「あの作戦後から生態系が壊れたって話を聞く。それが影響しているのかもしれねぇ」
「なんとかして逃げ延びないとな…」
「へっ、どうせ逃がすつもりはないさ」
「だからって殺されてたまるかよ! 泥水をすすっても生き延びてやるぜ!」
まだ森の浅部なのに、やたらと根絶級の魔獣と遭遇する。
しかも群れを率いて森の入り口付近にたむろしているため、逆に森の中のほうが安全なほどだ。
種明かしをすれば、その魔獣たちはホロロに操られていた。
獲物である男たちが外に出ないように威嚇しつつ、ロゼ隊からも離れすぎないように調整しているのだ。
セノアの予想通り、ホロロは彼らを逃がすつもりはない。仮にロゼ隊が倒せずとも魔獣を使って皆殺しにする予定でいた。
だが、そんなことを知らない男たちは、哀れにも一縷の望みをかけて森の中を徘徊し続ける。そのうちセノアたちと遭遇すれば狩られて死ぬだろう。
と思っていたのだが、ここで誰もが予想しないことが起きた。
男たちが再び魔獣に追い立てられて進路変更を余儀なくされていた時。
その魔獣たちが突然バタバタと倒れ始める。
一瞬何が起きたのか理解できなかった男たちだが、血しぶきが舞う中で一つの『人影』を見た。
それはあっという間に魔獣たちを全滅させると、今度は男たちに向かって歩いてくる。
「な、なんだ…『女』?」
男たちの目には、それが女に映った。
艶やかな髪の毛と細い身体のフォルムが、完全に自己のイメージにある『女性』という存在と合致したからだ。
現れたのは、ショートボブの緑髪の女。
年齢は二十歳くらいだろうか。くりっとした目の美人で、小柄なスレンダー体型。
いでたちは、以前スザクたちが身に付けていた山賊風装束に近く、全体的に薄汚れており、所々に傷や穴があいているのが妙に目に付く。
女性が着るにしては、いささか無骨だし不衛生だ。
だが、その女は返り血も気にせず、両手に持っていた『ククリナイフ』に付着した魔獣の血液を興味深そうに眺めていた。
「お、おい、あんた…」
「ちょっ! 話しかけるなよ!」
「いや、だって…助けてくれた……んだよな?」
「馬鹿野郎! どう考えてもヤバいやつだろうが! 早く逃げるぞ! やつらの仲間かもしれん!」
「そ、それもそうだな…。今ならば外に出られる!」
相手が女であることも踏まえてホロロたちの仲間だと判断。
しかし女は、いつの間にか男たちの眼前まで近寄っており、無造作に腕を振る。
ククリナイフが鋭く宙を滑り―――スパン
男の首が撥ね飛ばされて大量の血液が首から噴出。
それが女の頭にドバドバと降りかかり、全身を真っ赤に染め上げる。
血を浴びた女は、ニヤァという薄気味悪い笑みを浮かべた。
「ふふ、ふふふ。すごーい。たくさん出たねぇ。がんばったねぇ。ねえ、やっぱり痛いの? 人間ってこうされると痛いんだよね?」
「こ、こいつ! やりやがったな!」
他の男が、持っていた銃を発砲。
至近距離から撃ったため、弾丸は女の顔面にもろに命中する。
が、ガチンという硬質音を立てて銃弾が弾かれ、近くにあった木の幹にめり込んだ。
女は一瞬だけ木に視線を向けたが、首を傾げながら銃を撃った男に向き直る。
「ねえ、今なにしたの?」
「嘘だろう! 顔面に当たったのに! こいつも武人か!」
「だ、だが、戦気を出していないぞ! 生身で受けきったの―――かっ!?」
言葉を吐き出し終える暇もなく、隣にいた男が首を撥ねられる。
男は大量出血とともに地面に倒れて絶命。それを女は笑いながら見つめていた。
それどころか女は、撥ねた首を手に取ると自分の頭に乗せ、まだ残っていた血液がだらだらと垂れて顔面を赤く染め上げる。
「へへへ、ふへへ」
その赤い顔から覗く無機質な瞳が、彼女の異様さをさらに際立たせていた。
この目は見覚えがある。
子供の頃、逃げ回る虫を追いかけて捕まえ、抵抗しているのに手足をもぎ取り、頭を潰したり燃やしたりして楽しんでいた時のものだ。
あの頃はかわいそうという概念すらなく、ただただ殺しを楽しんでいた。小さく弱き者を蹂躙するのが楽しくて楽しくて仕方なかった。
彼女にあるのは、そうした純粋な残酷さである。
「ねえ、なんで首を落とすと動かなくなるの? それって死ぬって言うんでしょ? あはは、おもしろーい! ころす、コロス、コロス? ふふふ、頭が吹き飛ぶ瞬間って楽しいよね!」
「くそがっ! イカれてやがるぜ! にげ―――ぐえっ!」
「やめろ! やめろおおお! ぎゃっ!」
女は、その場にいた五人の首を次々と斬り落とす。
だが、やはりそれだけでは終わらない。
浴びた血を自らの全身に撫でつけたり、男の腕にナイフを刺したり足を切断したりと、数分ほど死体を楽しそうになぶっていた。
「やっぱり首が一番ぶしゃーってする! すごいすごい! 大発見だ!」
突然立ち上がって叫んだかと思えば、今度は地面に転がり、まるで子供のように大はしゃぎ。
もちろん今も血塗れだ。むしろ自分からダイブして血に塗れに行っている。
それが美しい見た目とのギャップを生み出しており、激しい忌避感を抱かせる要因になっていた。
とはいえ、殺人鬼程度ならばさして珍しくはない。裏番隊のメンバーなどは、この何百倍も殺している。
ただ、女性の殺人狂は少ないので、その意味では希少ではあるが。
「そろそろ行こう。次は何が出てくるかな!」
女は死体いじりに飽きたのか、無造作に森の中に入っていき、出会う魔獣を惨殺していく。
基本は首を撥ねて殺すが、わざと脚を斬り落として苦しんでいる様子を観察することもある。
戦罪者のハンベエも他者が弱っていく姿に快楽を覚えるが、女は少し異なり、その現象自体に興味深々といった様相だった。
まるで新作ゲームのモンスター狩りに熱中するように、初めてのものを夢中で切り刻んでいる様子がうかがえる。
「あははは。獣より人間のほうが楽しいのは、なんでだろう? 知能があるほうが反応が豊かだからかな? じゃあ、次はまた人間を殺そう!」
女は周囲を見回す。
その視界は普通のものではなく、木々をすり抜けて生物だけを感知することができた。
そのままだと魔獣や虫も感知してしまうので、条件を変更して人間だけに限定。
すると、数キロ先に小さな反応がいくつかあった。
「小さい人間…幼体? ああ、そういうのもいるんだっけ。じゃあ、斬ったらどうなるのかな。どれくらい赤いのが出るのかな。ふふ、あははは! 楽しそう! たのしそう! タノシソウ!」
女は猛スピードで走る。
障害物を完璧なコースで避け、ますます加速して小さな反応に迫る。
その先にいるのは標的を追っているセノアたちだ。
(もう少し。あと少しだ。どれにしよう。そうだ。あの赤いのにしよう。赤いのが赤いのを出すのは面白そう!)
ククリナイフを構えて見定めたのは、セノアを補佐するために動いていたアンだった。
彼女はまだ女には気づいていない。
女の膂力はCABYを装備していても耐えられないレベルだ。
このままだと一瞬のうちに首を落とされるだろう。
「きゃはは! 死んじゃえ!」
女が茂みから飛び出して襲おうとした瞬間。
空から何かが降ってきて女の背中に激突。
それはやや細いものだったが、凄まじい威力によって身体が地面に叩きつけられる。
「っ―――!?」
何事かと女が困惑していると、今度は強い力で横に弾き飛ばされる。
その勢いで五十メートルほど吹き飛ぶが、空中で体勢を整えて木の幹を足場にして着地。なんとかバランスを取った。
と思いきや、続いて『木の棒』が飛んできて腹に直撃。
その圧力はまたもや凄まじく、女の身体ごと木の幹を破壊しつつ直進。再び五十メートル以上後退させられてしまう。
今度は低木が並ぶ場所だったため、止まることができずに地面に不時着するまで何もできなかった。
「あれ? 何か音がした?」
「どうしたのアンちゃん?」
突然立ち止まったアンにセノアが話しかける。
「何でもありませーん! たぶん魔獣か何かですよ!」
「ディアナちゃん、導星に反応はあった?」
「いえ、特にはありませんでしたけど…」
「じゃあ、勘違いだったのかな?」
「それより早く行きましょう! 逃げられちゃいますよ!」
「うん、そうだね。やれるだけやってみよう」
その間にセノアたちは走り去っていく。
知らなければ、それはそれでいい。彼女たちの任務とは関係がないことだ。
一方、地面に倒れた女は隣に転がっている木の棒を拾う。
「なんだ…これ? これがあたしを…圧した?」
多少研磨されているが所詮は木の棒。
相手を殺すには適さないものにもかかわらず、腹に穴があいたと錯覚するほどの圧力を有していた。
では、誰がこれを投げつけたのか。
「申し訳ありませんが、ここはアンシュラオン殿の領土。部外者の立ち入りは禁止となっています」
女の前を塞ぐように現れたのは、金髪イケメソであるゼイヴァー。
普通は子供たちだけで狩りなど行わせない。小学生がそうであるように、この世界でも『教師同伴』が当たり前だ。
ロゼ隊の安全を確保するためにゲイルたちが外周の監視を行っているし、マキやホロロやモズたちも周囲の警戒を怠っていない。
ゼイヴァーもその中の一人であり、常に子供たちの傍にいながら護衛を担当していたわけだ。
セノアたちが戦っていた時も常時張り付き、導星が届かないギリギリ『101メートル』の距離を維持しながら、子供はおろか男たちにもまったく気づかれることはなかった。(事前に講師から効果範囲を教えてもらっていた)
卓越した技量を持つ一流の武人にとって、それくらいは造作もないことである。
「なにお前? 見たことないやつ」
女はやられたことに不満を抱くかと思いきや、逆に興味深そうにゼイヴァーを眺める。
ただし、それは容姿のことではなく、彼から滲み出る強者の圧力を感じての言葉だった。
それを彼女は、こう評した。
「人間にも『種類』がある?」
「私はこの土地の人間ではありませんからね。出身地の違いにすぎませんが、なかなかの差異が出るようで驚いていますよ」
「じゃあ特別だ。初めて見るから特別。ちゃんと記録した」
両者の主旨は異なるが会話は成立。
ゼイヴァーが今までの人間とは明らかに違うことには変わりがない。
「それで、あなたは誰ですか? 見たところ山賊か傭兵のようですが、新しい血が大量に付着していますね」
「これ? 斬ると赤いのが出るから楽しい。首が一番ぶしゃーってするけど知ってる?」
「料理以外で女性に刃物は似合いません。早々に捨てることをお勧めいたします」
「これは拾い物。だからあたしのもの」
「拾得物は警備隊に届けましょう。それが貞淑たる女性のあるべき姿です。女性は戦わずともよいのですから素直に家にいてください」
さすがはミンチ愛好家だ。一部の界隈から多大なひんしゅくを買いそうな発言を平然とかます。
しかし、当人は大真面目かつ武闘派なので、批判する者たちの顔面を全力で叩き潰して黙らすに違いない。




