60話 「ガンプドルフと少年 その1『強者同士』」
「領主殿!」
現れたのはガンプドルフ。
警報が鳴ったため、半ば強引に見張りの兵を引き剥がしてやってきたのだ。
言い訳はあとでいい。まずは領主の安全確保が最優先だ。
「おお、貴殿か! 助かったぞ!」
「よかった。無事であられたか! この警報は―――」
ガンプドルフが領主を視界に入れた次の瞬間、アンシュラオンと視線が―――交錯
空気が一気に緊迫感を増した。
(この気配は…波動円の!)
強者同士が出会った瞬間にだけ起こる、妙な圧迫感。
他の情報が消え、世界に二人しかいないような錯覚に陥る、この感覚。
(なんということだ。やはり最悪の事態なのか!)
ガンプドルフは最低の気分だった。
周囲を見回せば騎士が何人も倒れており、一目置いていたファテロナでさえ無残な裸になってうずくまっている。
裸になったのは彼女自身の問題でもあるが、今来たガンプドルフに事情がわかるはずもない。
何よりこの男は真面目である。少なくともこの場にいる誰よりも真面目な神経構造を持っているので、まさか自分から服を脱いで戦う人間がいるとは夢にも思わないに違いない。
(しかもこの殺気、領主に害をなそうとしていたのか? ここまで最悪の予感が当たるとはな。やむをえん。今はこうするしかない)
アンシュラオンの殺気に気が付いたガンプドルフは、仕方なく領主の前に立つ。
彼はまだ失うわけにはいかない人材である。身を賭して守らねばならない。
それでも戦いは避けたい。解決の糸口を探るのが先だ。
「領主殿、これはどのような状況なのですか?」
「すまぬな、少し騒がせた。見ての通り、賊が入っただけだ」
「それに対応できていないように見受けられますな」
「そうだな。ファテロナでも止められない化け物のようだ。だが、貴殿ならば話は違かろう? かの有名な剣豪なのだからな」
(やはりそうきたか。当然だな。そのために我々の存在価値があるのだ。それにしてもこの領主、意外と上手く切り返してくる。本来ならば失態のはずだが、それをこちら側になすりつけてくるとは図太い男だ)
これまた予想通りの展開である。
ファテロナがやられても領主にまだ余裕があったのは、ガンプドルフがいることを知っていたからだ。
むしろ、このようなことが起きた際に使える【戦力】として、領主は彼らを受け入れている。
領主自身で対応できないことは確実にマイナス要素だが、一方でガンプドルフたちの真意を確かめる機会に利用した。思っていたより駆け引きが上手い。
それによって板挟み。
領主を守るということは目の前の少年と戦うことを意味する。かといって少年と戦うことは相当な犠牲を払うことも意味している。
そのことを領主は知らない。ガンプドルフなら倒せると思っているに違いない。だからこその安易な発言だ。
しかし、それを責めることはできない。ガンプドルフの実力の一端を知っている者ならば、負けると思うはずはないのだ。
「少年、君の目的は何だ?」
この答えによっては戦いは必至のものとなる。
決死の覚悟で訊いたのだが、目の前の少年はつまらなそうに答えた。
「奪われたものを取り戻しにきただけだよ」
「奪われたもの? その少女か?」
「そうだよ。頭が良くて助かるね」
(ここにいる少女といえば、領主の娘が集めているというスレイブだけだ。ならば、あの子もスレイブ。売買上のトラブルということか?)
「領主殿を狙ったわけではないのか?」
「オレが? そんな暇人じゃないよ。そもそもこんなやつに価値があるとは思えないけどね」
「事情を訊いてもいいかな?」
「オレが予約していたものを、こいつらが横取りしたんだ。だから取り戻しにきた。代金も払ったよ。一億円だ」
「一億? スレイブ一人に対して随分と高額に感じるが…」
「本当は支払う必要はないけど、こいつらとの示談金も含まれているからね。それだけでもオレは誠意を尽くしたと思うよ。盗まれた挙句に示談金まで払うなんて、普通に考えたらおかしいからね」
少年の視線を追ってクイナが持っているケースを見る。
閉じられているので中身は見えないが、それが金なのだろう。
突然現れた一億円を持つ謎の仮面少年。
そのミステリアスな存在に興味は湧くが、それよりも少年から感じる暴力的な波動が気になる。たかがスレイブ一人に対して見せる異様な執着心もそうだ。
そして一番恐ろしいのは、そのためならば相手を害してもかまわないという雰囲気。実際、かなり重傷の騎士も見受けられる。明らかに少年の仕業だろう。
ガンプドルフは軍人なので、よほどのことがなければ民間人に手を出すことはしないが、この少年ならば平然と手を出すような気がしてならない。そういった少年特有の危うさを感じるのだ。
だからこそ静かに、極めて平静に話を続ける。
「目的は、そのスレイブ。それ以外はないと?」
「最初からそう言っているんだけどね。信じてくれないなら、べつにいいけど」
「我々に危害を加えるつもりはないのか?」
「邪魔をしなければ、ね。そこに倒れているやつも邪魔をしたから潰しただけだよ」
「では、邪魔をしなければ帰ってくれるのかな?」
「…そうだね。馬鹿な連中と付き合うのも飽きてきたから、それもいいかな。馬鹿とは関わらないで距離を取るのが人生を幸せに生きる秘訣だしね」
(危なかった。ギリギリ間に合ったようだな。帰ってくれるのならば、それが一番だ)
たかがスレイブ一人で争うメリットなどない。
このまま帰ってくれるのならば万々歳だ。
だが、それを理解しない者もいる。
「ガンプドルフ殿、さっさとそいつを捕らえてくれ。これだけの暴挙だ。このまま帰すわけにはいかんぞ」
(何を馬鹿なことを!!)
と、思わず叫びたくなった。
この瞬間、ガンプドルフは少年が言っていた「馬鹿」の意味を、誰よりも深く理解した。
目の前の少年は、自分が来たことで意識を完全にこちらに向けていた。
より正確に述べれば、自分と実力が近しい相手に出会い、領主という【小さな存在】を忘れていたのだ。
それをあえて思い出させてしまった。まさに馬鹿な行為。何も知らない人間の無思慮な行動である。
領主はまだ目の前の少年の本性に気がついていないのだ。
この美しい声をした少年が、この場では誰よりも強く、なおかつ獰猛な存在であることを。
「そうだ。あんたには代償を支払ってもらうんだった。忘れるところだったよ」
いることを忘れていた蚊が、ふと目の前を通り過ぎるような、あの不快な感覚が蘇る。
「待て! 領主殿には手を出さないでくれ!」
「どうして庇うの? おっさん、西側の人間でしょ?」
「なぜ、そう思う?」
「外の状況とか、衛士から聞いた話とかを総合してね。ここじゃファテロナってお姉さんが一番強いはずなのに、それ以上に強い人間がいること自体がおかしい話だ。となれば、外部から来た人間なのはすぐに推測できるよ」
「西側の人間とは限らないだろう?」
「それもそうだね。まあ、おっさんなんかどうでもいいや。それより面白いことを思いついたよ」
そう言って、ニヤリと笑う。
次の瞬間―――少年はイタ嬢の背後に立っていた
そして、頭を鷲掴み。
「動くなよ。死にたくないだろう?」
「えっ!? ええ!? いたいたいた!! 絞まる、絞まる!!」
「ベルっ!!」
その光景に領主が青ざめる。
この事態は想定していなかったのだろう。だが、それこそ甘い認識である。
「おっと、動くなよ。動いたらイタ嬢が死ぬよ」
 




