590話 「ロゼ隊の始動 その1『黒の16番隊』」
数日後。
アンシュラオンたちが鍛錬のために荒野に出立した頃。
白詩宮に残った小百合とホロロは、子供たちと一緒に術の勉強をしていた。
まずは小百合が一枚の『ボード』を取り出し、ロゼ姉妹に見せる。
「これは何に見えますか?」
「ええと…」
「深く考える必要はありませんよ。何に見えるのか、見たままを答えてくださいね」
「は、はい。んと…」
「んー」
二人は、じっとボードに描かれた絵を見ている。
そうして五秒ほど考えたあと―――
「人…ですかね?」
「山!!」
「え? 山? 人の横顔に見えるけど…」
恐る恐る答えたセノアが、ラノアの答えに驚愕。
人と山はだいぶ違う。目の悪い人がカレンダーを見た時、犬や猫が山に見えることもあるが、さすがにこの距離では間違えないだろう。
「じゃあ、次の絵ですよ。これは何に見えますか?」
「動物のような…馬でしょうか?」
「川!!」
「か、川!? どこを見ればそんなふうに…」
「それでは次です。これは何に見えますか?」
「こ、今度こそ…人の……」
「パン!!」
「パン!? 食べ物のパン?」
「うん、パン!!」
「ええええ!? ら、ラーちゃん、本当にそう見えるの!?」
「うん」
「え? ええ? 私の目、おかしいのかな?」
「ふふふ、いいんですよ。二人とも間違ってはおりません。なにせこれは『だまし絵』ですからね!」
ボードに描かれた絵は、いわゆる『だまし絵』や『トリックアート』と呼ばれるもので、見方によって複数の答えが存在する意地悪なものだった。
しかしながら、これはただの絵ではない。
「この絵自体が術士の素養がなければ最初から見えないもの、つまりは『テスト用の教材』なのです。それにしても、ここまでの差が出るのはすごいですよね」
「そ、そうだったのですね。でも、どうして見え方が違うのですか?」
「山だもん。川だもん」
「うんうん、そうですね。ラノアさんも正解ですよ。この見え方の違いにも意味がありまして、セノアさんは『情報術式』に向いていて、ラノアさんは『元素術式』に向いていることを示しているのです!」
同じものを見ている以上、問題は見ている当人側にある。
普通のだまし絵ならば先入観や趣向や嗜好、あるいは脳の状態に左右されるだろうが、この術士用のだまし絵は『適性』によって見え方が異なる。
セノアは『細部に視点が合う』ため、より細かい情報から人だと思ったが、ラノアは『全体にピントを合わせて』山だと判断している。
その結果、セノアは情報術式、ラノアは元素術式により高い適性があることがわかるのだ。
「あの、小百合さん、もしかしてこれは…術の訓練なのですか?」
「そうですよ。セノアさんとラノアさんには、本格的に【術士】になってもらいます」
「ええええええええ!?」
「そんなに驚くことですか? アンシュラオン様から術士の才能があると言われていましたよね? そのための勉強もするようにと」
「で、では、今までやっていた勉強は全部…」
「そうです。術士の勉強です」
今までも勉強はしていたのだが、ロゼ姉妹には詳細を伝えていなかった。こうして身構えてしまうことがわかっていたからだ。
では、なぜ今になってそれを伝えるのかといえば、『目処が立った』からである。
「これまでの勉強で、お二人は術士になる準備ができました。今のは傾向性を調べる最終テストだったのです」
「で、でも、術士ってその…すごく頭が良くないと駄目なんですよね? わ、私は文字もまだ上手く書けませんし…」
「いえいえ、術士に頭の良し悪しは関係ないそうですよ。因子適性と演算能力と集中力、それからインスピレーションがあれば問題ないと聞いております」
「そうなのですか? 小百合さんもホロロさんも頭が良いので、てっきりそういうものかと…」
「私たちは生粋の術士ではありませんが、魔石を使う際は感覚でやっていますよ。その程度のものです」
たとえば知能に問題がある障害者であっても、中には暗算が得意な人もいる。それもとびきりの能力者であることが多い。
術も同じで、どう扱うかの判断に頭の良し悪しは必要でも、事象を引き起こすこと自体に知的能力は必須ではないのだ。
ちなみに小百合は生粋の術士ではないが、魔石を使うことで術士の目を持つことができる。
その状態だと因子レベル5に匹敵するのだから相当なものだ。さりげなく第五階級の王竜級と評価されているので、彼女もホロロ同様にそこらの宮廷魔術師を軽く超える存在といえる。
「これが見える段階で、お二人はすでに術士の素養を持っていることが証明されました! もっと自信を持ってくださいね!」
「は、はい。がんばります」
(そっか…変なものが多いと思っていたけど術士の勉強だったんだね。みんなにはどう見えているのかな?)
この講義を受けているのはロゼ姉妹だけではない。
セノアが周囲を見回すと、ホロロが『他の子供』たちにも同じボードを見せていた。
「うわー、見えない! 術の才能がないのかも!」
「わたしも駄目です…」
ボードの前で頭を抱える二人は、マイリーン・アッテとアイシャン・アッテの『双子の姉妹』である。
産まれ出た順番にすぎないものの、マイリーンが姉でアイシャンが妹となっている。
双子ゆえに顔はそっくりだが、マイリーンは苺色の髪の毛を右サイドテールでまとめ、アイシャンは露草色の髪の毛を左サイドテールでまとめているので、はっきりと違いがわかるのが救いだろう。
まだボードの絵が見えない二人をホロロが慰める。
「術の才能は伸ばすものです。私もただの一般人だったのですから、あなたたちも焦らずに開発していくべきです」
「そうですよね。ご主人様が与えてくださったチャンスです。もっとがんばらないと」
「お姉ちゃん、疲れたよ。そろそろ休憩しよー」
「今がんばるって言ったばかりでしょ!」
「だってー、ずっと見てるの疲れるしー」
アッテ姉妹はラノアと同じく六歳だが、彼女よりもハキハキしゃべることから利発な印象を受ける。
ただし、やはり子供は子供。集中力が続かなくて両者ともぐだぐだになってしまっていた。
(マイリーンちゃんとアイシャンちゃんは見えないんだ。…ほっ、よかった)
セノアは、二人が見えないことで少しだけ安堵する。
相手の不出来を喜ぶことはしないが、自分だけ見えなかったらどうしようと考えるのが『普通の少女』の感性である。それと同時に、とりあえず自分が見えたことにほっとするのも正常な感性だ。
次のテーブルに目を配ると、そこではテトクレアが違う二人の女の子にボードを見せていた。
「これは何かわかりますか?」
「えー、どうなんだろー、わかんなーい」
「もっとよく見てくださいね」
「んー、んー。ごろごろー。見えなーい」
白い髪色をした長髪の女の子、メル・ディアワナが半眼でボードを見つめながら首を傾げる。
アンシュラオンの真っ白な髪とは異なり、ややクリームがかっている色合いだが、綿毛のようにふわふわしているのでとても柔らかそうだ。
口調や態度も軽いので、やる気がないようにも見受けられるが、けっしてふざけているわけでも気力がないわけでもない。
もともとが、こういうのんびりとした性格の少女なのである。
「ディアナちゃん、見えるー?」
「私にはたくさんの文字が書いてあるように見えますよ」
メルの隣にいた深緑色の髪の女の子が、穏やかな声で答える。
彼女はディアナ・スレイマ。メルと同じく七歳の女の子で、心優しい性格から良い意味でおとなしい子である。
同い年ということもあってメルとよく一緒にいるが、二人とも流れる時間がゆったりなので、合わせていると話が進まなくなることが多い。
ディアナにはボードの絵が見えたため、テトクレアも満面の笑みを浮かべる。
「ディアナちゃんは情報術式の才能がありそうですね。ご主人様もお喜びになりますよ」
「お役に立てそうで嬉しいです」
「メルはー?」
「メルちゃんもきっと、すぐに見えるようになりますよ」
「そっかー。がんばるー」
「テトクレアさんは見えるのですか?」
「うーん、ちょっとは見えるかしら。ご主人様がくださった魔石はすごいんですよ。そのおかげですね」
テトクレアもホロロと同じく、チョーカーに付いている青みがかった乳白色のジュエルに触れる。
シンクロ率が上昇していくと、術士因子が無くとも魔石を通じて目に見えない力の流れがわかるようになる。
テトクレアもすでに『ジュエリスト』なので、ボードの絵くらいは見えるわけだ。
「皆さんもご主人様から貴重な魔石を頂戴したのですから、時間をかければ必ずや結果が出ます。それまで気長にがんばっていきましょうね」
「はーい」
メルが首輪にはめられた白い魔石に触れる。
白詩宮にいる子供が普通であるわけがない。ロゼ姉妹を含めて、ここにいる全員が特別なジュエルを身に付けている。
もちろん全員がジュエリストになるわけではないが、アンシュラオンがギアスをかけた女性たちは、ほぼすべてが最低でも50%以上のシンクロ率を誇っていた。
その数値は精神的受容性に富んでいればいるほど高くなる傾向にあり、特に精神が柔軟な子供たちにおいては、より顕著に表れる。
仮にまだ絵が見えずとも、すでにジュエリスト以上の状態になっているので、魔石に馴染んでいけば嫌でも見えるようになるだろう。(魔操羽がベ・ヴェルに見えないのはホロロ側が隠蔽しているため)
また、子供は基本的に首輪型の媒体を採用しているが、デザインはまちまちで、メルのものはリボンが付いた愛らしいデザインをしている。(首輪は外れないのでリボン部分は着脱式)
(ディアナちゃんは見えるんだ。私と同じ情報術式…なんだね。が、がんばらないと)
「それは明確に街の光景に見えます」
セノアが七歳の子を意識していると、その隣のテーブルからキビキビとした声が聴こえてきた。
アロロが掲げたボードの前には、濃藍色のミディアムロングの髪をした眼鏡の女の子がいる。
彼女の名は、バレアニア。
まだ八歳だが強い意思を感じさせる声質と、やや吊り上がった目付きから若干ファレアスティを彷彿とさせるが、当然ながらまったくの他人だ。
彼女は術士としての資質が開花してきたようで、今でははっきりと絵が見えていた。
「バレアニアさんは情報術式タイプだね。アンさんはわかるかい?」
「はーい! 全然見えません!」
「あらま、元気な声だこと! 今日も楽しそうね」
「それだけが取り柄ですからね!」
「見えないのならば、もっとおとなしくしていなさい。こっちが恥ずかしいわ」
「バレちゃんったらひどい! 何でも楽しいほうがいいじゃん」
バレアニアの隣にいる少女は、同じく八歳のアン・キャノス。
赤い髪の毛が特徴的で、小さなおさげにもしていることからアンシュラオンに『赤毛のアン』と呼ばれている。
当人もそれが気に入ったらしく、それ以後は自己紹介で「初めまして、赤毛のアンです」と名乗るようになった。
性格はいつも元気で、落ち込んでいる時を誰も見たことがない陽キャである。
(バレアニアちゃんも情報術式か。まだ八歳なのにすごいな。ま、負けたらどうしよう…)
「セノア様!」
「は、はひ!? な、なに!?」
「やっぱりセノア様たちはすごいです! 僕とは全然違いますね!」
そんなことを考えていると、アンがやってきて話しかけてきた。
その後ろではバレアニアがアンの服を引っ張って止めているが、ガン無視である。このあたりからも性格がよくわかるものだ。
※アンは『ボクッ子』
「そ、そうですかね? たまたまだと思います。あ、あの、それと『様付け』はしなくてもいいんですよ。同じグラス・ギースにいた身ですし…」
「それは駄目です」
アンを連れ戻すことを諦めたバレアニアが、眼鏡を光らせながら強い口調で否定する。
「セノア様とラノア様は、明確に私たちの上にいる方々です。敬称を略すことなどできません!」
「でも、私はそんなたいそうなものじゃ…」
「仮にそうでも、ご主人様が決めたことなのですから遵守すべきです」
(その言い方って、本当はどう思っているの!?)
バレアニアの言葉に動揺を隠しきれないセノアだが、自分が四つ年上である事実を思い出して必死に心を鎮める。
「はいはーい、皆さん。集中が切れてきたことですし、そろそろお茶にしましょうねー。お菓子もテトクレアさんが、たくさん持ってきてくれますよー」
その様子を見ていた小百合が、手を叩きながら休憩を促してくれる。
もしかしたら本当に自分がお茶にしたいだけの可能性もあるが、その声に子供たちからも歓声が上がった。
「では、我々はお茶の準備をいたします」
「ホロロ様、手伝います!」
「わたしも手伝います!」
ここでも各人の性格が出ており、しっかり者のバレアニアとマイリーン(双子の姉)は即座に手伝いに入り、ディアナもテーブルを綺麗に片づけている。
一方のアイシャン(双子の妹)とふんわり少女のメル、赤毛のアンは自由気ままに動いたり、ぼけーっとしているので、まさに対照的だ。
と、長々と新しい人物の様子を説明してきたが、ここにはロゼ姉妹を含めて八人の子供がいる。
彼女たちはサナの親衛隊である『黒の戦隊』のメンバーであり、才能を認められて特別強化対象になった『選抜子供部隊』の一員でもある。
『選抜子供部隊』は、全員で十六人いることから『黒の16番隊』または『黒の子供たち』と呼ばれている元白スレイブたちだ。
今日一緒に勉強しているのは、その中でも特に術関係の強化対象になった八人で、セノアとラノアを筆頭とした【ロゼ姉妹直下】のメンバーである。
言ってしまえば、ロゼ姉妹が自在に動かせる部下を六人つけたようなものだ。
今後、各人の特性が明らかになれば配置換えもありえるが、ひとまずこのメンバーで様子を見る予定である。
それゆえに『ロゼ隊』または『セノア隊』と呼んでも差し支えないだろう。




