589話 「リベンジマッチ その4『テラー・ザ・ナイトメア〈悪念の恐怖〉』」
「さあ、皆さん! やっちゃってください!」
小百合の命令を受けた兎人たちが、一斉にサリータに襲いかかる。
「うわわっ! どうすればいいのだ!?」
マッチョのウサギたちが押し寄せる不可思議な光景に、サリータが驚愕。
人生でこんな場面に出くわすほうが珍しいので一般的な反応といえる。
(焦るな! 実体があるのならば、やることは人間相手と同じだ!)
だが、サリータもアーパム財団の人間だ。非常識なことには慣れている。
すぐに気を取り直すと『銀の飛弾』で数体を弾き飛ばしつつ、接近してきた相手を竜盾で薙ぎ払い、さらに詰めかけた兎人を『銀の左盾』を展開して防ぐ。
銀盾は左腕ならば自由に場所と角度を調整できるため、こうした乱戦にも強い。二種類の盾を使いこなすことで兎人の猛攻を完全に防ぎきっていた。
では、兎人が弱いのかといえば、そうでもない。マッチョ兎の拳の威力はなかなかのもので、サリータが避けた場所にあった岩が粉々に砕け散る。
動きもかなり速く、少なくとも兎人の一体一体が通常種のグラヌマ並みの身体能力を持っているのは間違いない。
ここで重要なことは、兎人たちが『物理的な存在』であることだ。
「私の強化方針は弱点を埋めること。翠清山では大変でしたからね。アンシュラオン様がいないことも考慮して、まずは身を守ることを優先しました」
精神攻撃に関しては破邪猿将すら倒せるレベルにある。邪魔さえ入らなければ彼女一人で三大魔獣を制圧できていたし、魔神すら倒せた可能性もある。
であれば、選択肢は二つ。
さらに精神攻撃能力を高めるか、弱点である身体能力の低さを補うか。
そこで小百合が選んだのが後者であった。これも生存率を高めるためには適切な判断である。
たとえばホロロは、たまたまクルルザンバードを吸収したことで長所の強化にシフトしたが、仮に精神操作を封じられたらベ・ヴェル相手にも苦戦してしまう。
奥の手は何度も使えない。そうなると何十人もの手練れに囲まれたら負ける可能性が出てくるはずだ。
だが、兎人はこうやって数を出せば肉壁にもなるため、いざというときに使い捨ての駒にもできるし、勤務時には雑用を任せることもできる。
アンシュラオンの闘人の使い勝手の良さを考えれば、この能力の汎用性の高さは立証済みといえる。
ただし、これ自体はそこまで強力な能力ではない。
生み出された兎人は物質化しているため、サリータの防御を突き崩せないどころか逆に反撃を受けて破壊されていく。
衝盾を受ければ身体が欠損するし、鉤爪で簡単に引き裂かれ、爆破杭槌をくらえば頭も吹っ飛ぶ。今のサリータならば問題なく対処できるレベルでしかない。
が、これも想定内。
「サリータさんは防御がすごいですからね。普通にぶつかったら勝ち目はありません。うんうん、予想通りです。では、次の段階にいってみましょうか」
続いて小百合がポケット倉庫から『全身鎧』を取り出すと、内部にさきほどよりも強い兎人を生成。
アンシュラオンがやっている鎧人形と似たようなものかつ、ここに『術式武具』が加わると脅威度が急上昇する。
さきほどまでの兎人は平均的な一般兎であったが、今度の兎は火乃呼たちが作った武具を装備した『兎兵士』にランクアップ。
こうなると一体一体の戦闘力は破邪猿将の側近のグラヌマーハ並みとなり、サリータも反撃する暇はなく防御に専念する時間が増えていく。
(これだけの力を持つ個体を操るとは! なんて凄い能力だ! だが、ただでさえハンデをもらっているのだ! この程度で屈するものか!)
サリータは盾をさらに強化。
竜盾の上から銀盾を被せることで耐久性を向上させ、武器の摩耗を防ぎつつ防御力も増強させる。
その防御は非常に強固で、五体が一斉に攻撃を仕掛けても突破できない。さすがの硬さである。
そもそもアンシュラオンの戦弾の威力がおかしいだけで、今のサリータの防御力はグラヌマーハの群れすら防いでしまうほどなのだ。
が、これも想定内。
サリータの突撃を数の力で防ぎ、その場に釘付けできればいい。
「なかなか良い勝負ができていますね。では、そろそろ本気で参りましょうか」
小百合の魔石が『黒く輝く』と同時に周囲に真っ黒なモヤが生まれ、そこから何体もの『黒い兎人』が出現。
全身が影で出来たかのように黒く揺らめきながら、赤い双眸だけが不気味に蠢いている。
よくよく目を凝らすと、その兎人は黒いローブに黒い鎌を持ったいでたちをしていた。
サイズは人間の成人男性くらいなので、今までの兎人のほうが大きく圧力があったが、死神の如き異様な姿を見ると嫌でも恐怖が湧き上がってくる。
黒い兎人は兎兵士と戦っているサリータに近寄ると、隙間から鎌を振るう。
鎌は盾で防御したが、それにもかかわらずサリータの身体がビクンと大きく震えた。
(―――っ!? なんだ!! この悪寒は!!!)
素手で冷たい氷に触れたような、真冬の日にうっかり金属に触れてしまったかのような、不意にやってくる『あの嫌な寒気』が襲ってくる。
銀の粒子を展開しているので状態異常はすべて無効化されるはずだが、一向に寒気がやむ気配がない。
それも当然。
今、サリータは『非常にまずい攻撃』を受けている最中なのだ。
何も知らないと危険なので小百合が警告を発する。
「サリータさん、その鎌を『連続で十回』受けると【耐性を貫通して即死】しますから注意してくださいね」
「えええええ!? 嘘ですよね!?」
「嘘は言いませんよ。術具による身代わりも無効です。だから気をつけてください」
「どうやって気をつけろと!! なんなんですか、これは!!」
「私が手に入れた新しい能力、その2です!」
最初に「新しい能力の一つ」と公言していた通り、得た力は一種類ではない。
この黒い兎は『悪夢兎』と呼ばれる夢兎の亜種で、その中でも『キラード・ラビットキッド〈殺し屋兎〉』という希少種である。
それを『想念の兎人』の力を使って具現化しているわけだ。
ただし、従来の想像兎にこのような力はない。あくまで一種類の想念体を作ることだけしかできなかった。
が、この力を得た小百合は『吸収した兎型魔獣を自在に想念』できるようになった。
その魔獣の能力を十全に使うためにスキルだけではなく、魔獣そのものを夢のように実体化できるのだ。
結果、通常ならば遭遇すること自体が稀な『殺し屋兎』を好きなだけ生み出すことが可能になった。
これこそが小百合のユニークスキルである『兎界の女王』の力。
喰らった兎の能力を自由に混ぜ合わせて使用することができる恐るべきスキルだ。兎限定であるがゆえに制限が少ないのも長所といえる。
「連続被弾の条件は三秒以内です。がんばって避けてくださいね」
「避けろと…言われても!」
何十体もいる兎兵士だけでも厄介なのに、その隙間を縫って幾多の黒い鎌が襲いかかってくるのだから簡単ではない。
相手側もそれを狙い、大量の兎兵士が覆い被さって動きを封じようとしてくる。
「はぁあああああああ!」
サリータは、それを火属性の『火円拡盾』で対応。
攻撃を防ぎながら兎兵士を燃やして必死に攻撃を避けるが、兎兵士は生物ではないので怯むことなく突っ込んでくる。そのすべてが玉砕覚悟の『特攻』である点も怖ろしい。
しかも放っておくと数がどんどん増えて、いつの間にか百体近い兎兵士に追われていた。殺し屋兎も三十体以上になっている。
(まずいまずいまずい! これはまずい! どこにこれだけのエネルギーがあるのだ!)
サリータが遠くにいる小百合を見ると、優雅にポリポリとオヤツを食べながら笑顔で観戦していた。
オヤツは他の魔獣の魔石であり、それを常時吸収することで手下を無限に生み出すエネルギーに転換しているようだ。
一つ一つは小さな補充でも当人は戦わないので、こうして補給する時間も余裕もある。
そう、『兎界の女王』が優れているところは、闘人と同じく兎人を自律型の遠隔操作にすることで術者が自由になる点だ。
当然ながら精神攻撃はいつでもできるし、武器や術符で攻撃することも可能で、『夢の架け橋』で大量の大納魔射津を放り込むこともできる。
あるいは『夢の巣穴』から『本物の魔獣』を召喚して戦いに参加させることも容易だ。
実際に彼女の巣穴には、翠清山に生息していた魔獣が三十頭あまり暮らしている。彼らもすでに洗脳済みかつギアス付きであり、小百合の命令には絶対服従の忠実な消耗品である。
このようにサリータを潰そうと思えば秒でできる。今はあえて能力の実験台にして弄んでいるにすぎない。
そのうえ、まだ『キラード・ラビットキッド〈殺し屋兎〉』は能力をすべて発揮していない。
サリータに鎌を振ろうとした殺し屋兎が、突如爆発。
全身が黒い霧となって周囲に満ちる。
視界が潰されただけではない。その霧の中に何かが見えた。
(馬車? 多くの人? これはまさか―――!)
かつてサリータが初めて小百合と戦った時、少女時代の夢を見せられた。
その中では馬車が盗賊団に襲われ、自分たちを守るために赤い女傭兵が死んだ話が出てきたのを覚えているだろうか。
これはその時の映像である。
が、『筋書きが違う』。
赤い傭兵はいとも簡単に倒されてしまい、下卑た笑いを浮かべた盗賊たちが馬車に近寄ってくる。
父親や他の大人の男は容赦なく殺され、母親を含めた女性たちは引きずられていく。
そこには少女のサリータも含まれており、抵抗しようとしても腹を蹴られて痛みと苦痛で身動きが取れない。
それでも必死に泣き叫んで抵抗するが、苛立った盗賊がサリータを全裸にひん剥き、殴る蹴るの暴行を加えたのちに性的暴行を加え始めた。
まだ幼い身体に強引に男のブツが挿入され、激しい痛みで呼吸が止まり、生理反応によって汗と涙が噴き出してくる。
「はぁはぁはぁっ!! ま…幻! そうだ! これは…幻……のはずだ! ううう! だが、どうしてこんなにも…うあああああ!」
それはただの幻覚ではない。
次第に少女時代の自分と意識が重なり合っていき、すべてが現実に塗り替えられていく。
目の前には本物よりもリアルな感触の盗賊たちがいて、腕を振っても足をばたつかせてもやめてくれない。
こういった行為は単なる性的欲求によって起こるものだけではない。未発達の国や紛争地域では武装組織が村を襲い、恐怖とトラウマを与えて『支配するため』に女児すらレイプする。
実例でいえば、赤ん坊や四歳児が被害に遭い、膣や肛門が裂けた状態で病院に担ぎ込まれる事例が『日常的に』あるのだ。
「やめろ! やめろ!! いやああああ! 痛い痛い痛い!! やめてぇええええ! 助けて! 誰か助けてええええ!」
全身を貫く痛みと恐怖と絶望が、サリータの精神をズタズタに引き裂く。
もう彼女には現実と映像の区別がまったくつかない。
大盾を滅茶苦茶に振り回し、爆熱加速を使いながら転げ回って、あちこちの木々を破壊しても止まらない。
戦気も制御できずに垂れ流し。生体磁気がどんどん失われ、次第に維持すら難しくなって岩に激突して止まる。
「あっ……がっ……ぁぁあ! ぁあぁあああ! うあぁぁあああ!」
暴走した時に口の中を切ったのか、血のよだれを吐き出しながら、ガクンガクンと全身を激しく痙攣させる。
瞳孔が開いた目はすでに正気を失っており、見たくない現実から逃れるためか自ら眼球を抉ろうとするが、装備が邪魔で上手くできない。
そのことに憤りを感じて、またさらに暴れては自らを傷つける。そして、再びショック状態に陥って痙攣を繰り返す。
明らかな『恐慌状態』であり、極度の混乱状態でもある。常人ならばとっくに精神が焼き切れて死んでいるだろう。
キラード・ラビットキッド〈殺し屋兎〉の第二の能力、『テラー・ザ・ナイトメア〈悪念の恐怖〉』。
相手のトラウマを具現化する『悪夢』を生み出し、恐慌や混乱といった状態異常を引き起こす力だ。
サリータは錦王熊の『銀の粒子』を展開しているため、状態異常は無効化できる。が、それはあくまで感電による麻痺や昏倒といった【肉体的な要素】に限られる。
実際に錦王熊がクルルザンバードの精神支配に抵抗できなかったことから、彼らには精神的な耐性は一切存在しないとわかるはずだ。
よって、あっさりと精神を蹂躙され、見事に恐慌状態に陥ってしまった。
この恐慌状態というものは各種ゲームでもたまに見かけるが、現実で起こるとここまで怖ろしいのかと思わず身震いする。
「私にはサリータさんの感じている痛みや恐怖がよくわかりますよ。だって、私が生み出した悪夢ですからね。あなたが一番怖れていること、その心の弱さに触れていると…ふふふ。とても心が安らぎますね。そして、とても愛おしい」
小百合が興奮した『赤い目』で、痙攣しているサリータを見つめていた。
サリータも魔石を使えば抵抗力はかなりのものだが、小百合が生み出した魔獣である以上、精神攻撃の能力値は術者の魔力が参照される。
それによって夢の中身も加減も思うがまま。サリータの生殺与奪の権利は小百合が握っていることになる。
その全能感が彼女に強い快楽を与えているのだ。
「っ……っ……ぁ…」
サリータは倒れたまま、ぴくりとも動かない。
とっくの前に融合化は解けており、魔石が激しく明滅して生命維持に全エネルギーを回すまでの状態に陥っていた。
恐慌状態が一定時間続くと自律神経が機能しなくなり、呼吸が止まり、それに伴って心臓も動きを止めてしまう。その前に急激な血圧低下によってショック死する可能性もある。
血流が止まれば視神経も機能せず、目が見えなくなる。体温が下がって次々と臓器が動きを止めていく。
つまりは即死ほどではないが、その先には確実なる死が待っていることになる。
しかも周りには小百合同様に、サリータをじっと眺めている兎兵士と殺し屋兎の群れがいる。
放っておけば勝手に死ぬし、殺そうと思えば今すぐにもできるのだ。
「ああ、身内がこんなにも愛しいなんて…。安心してください。その弱さも痛みも私が抱きしめて癒してあげますから」
同じ魔人の眷属になるということは、肉親以上の愛情と絆で結ばれることを意味する。
その恐怖と痛みすらも愛おしく、優しくサリータの髪を撫でながら唇を這わす。この段階でだいぶ「イッている」が、それだけ同属への愛が深いのである。
ちなみに小百合は「同じ精神攻撃はしない」と言っていたので嘘はついていない。あくまで魔獣が持っていたスキルを使っただけだ。
そもそもこの能力は、初戦で使った『夢見る女王兎の支配』と似ているように思えるが、その発動プロセスがだいぶ異なる。
前者は事前に『夢見る女王兎の虹』で精神体を隔離するため、それが成功した段階でいかなる精神防御も通用しない非常に強力な能力だ。
一方、『テラー・ザ・ナイトメア〈悪念の恐怖〉』は、視覚経由の幻覚を通じて相手の精神にアクセスすることで、よりリアルな悪夢を見せて恐慌状態を生み出す。
こちらはいわばエメラーダが使った『百式悪鬼奈落』に近い方式なので、術者が途中で気づいて抵抗することは可能だ。
ただし、殺し屋兎を複数生み出されると、精神攻撃に抵抗しながら物理的な鎌の攻撃をかわす必要が出てくる。
仮にそれらが通じずとも『夢見る女王兎の虹』による二重攻撃を行うこともできるし、逆に小百合のスキルが通じない相手にこちらの攻撃が有効な場合もあるだろう。
どちらにせよ二種類の凶悪な夢攻撃を完璧に回避できる者など、人間の世界では数えるほどしかいないはずだ。(特殊な存在や上位支配者は除く)
あまりの力の差にかわいそうになったので、ここでアンシュラオンが勝負を止める。
「勝負あり。小百合さんの勝ちだ。というか、えげつないね…」
「サリータさんは頑丈なので、よい実験台になりました。あとで御礼を言わないといけませんね」
「そっとしてあげたほうがいいかも。また落ち込みそうだし。サリータ、オレはお前に同情するよ。トラウマを抉られるのってつらいよな…」
こちらも差が縮まるどころか、どんどん開く結果になってしまったが、こればかりは致し方ない。
やはり魔人の妻は、これほどまでに強いのだ。




