582話 「大邪正紋について」
「また古いものを持ち出してきたわね。それで私のところに来たわけね」
「ほかに当てもないしね」
翌日。
サナたちが訓練をしている間、アンシュラオンはマスカリオンに乗ってグラス・ギースにまで来ていた。
エメラーダへの用件はもちろん、昨日ファテロナから聞いた『正紋』についてだ。
「エメラーダさんなら知っているでしょ? いろいろと教えてよ」
「あなたはもうわかっているみたいだけど、『大邪正紋』というのが本来の形ね。全部集めたらすごい数になるわよ。確認されているだけで二十万個以上はあるわ」
「そんなにあるの? そのわりに見かけたことないけど」
「それは当然ね。魔神の残滓がそこらにあったら大問題でしょう。私のオリジナルが生きていた時代は、その残滓が手当たり次第に人間に寄生して衰弱死する事件がたくさん起きていたの。魔神の生への執着は異常だもの。だから賢人の弟子たちが一生懸命集めたのよ」
「メラキが集めて隠したってこと?」
「そうなるわね。ただ、あくまで外に出てきた分だけよ。最上位の古紋の大半は、まだ西部にあるんじゃないかしら。探しに行った連中もいたけれど誰も戻ってこなかったわ」
「あっちはかなり危険だからね。それ自体がストッパーになっているのかも。でも、衰弱死する以外に危険性はないんだよね? それで魔神が復活したりしない?」
「そこまで魔神は万能じゃないわ。力の結晶体にすぎないから大丈夫よ。まあ、全部集めたらどうなるかはわからないけれど、どうせ不可能でしょう」
「それなら安心だ。ここに剣の正紋があるんだけど試せないかな? オレだと弾かれちゃうんだよね」
「しょうがないわね。先生がお手本を見せてあげるわ」
エメラーダが剣の正紋のプレートを起動。紋様が浮き出て手の甲に付着する。
ただし、刺青のように『剣』という漢字が刻まれるので、それだけ見たら完全に中二病だ。なかなかに恥ずかしい。
「寄生させる場所は手の甲でなくてもいいのよ。自分が邪魔にならないところをイメージすれば勝手に動くわ」
「たしかに手にあったら目立つもんね。知っている相手からすれば、すぐにわかっちゃう」
「これの使い方は術具に似ているかしら。起動の思念を送り込むか術式に干渉して発動させればいいわ。こんなふうにね」
剣の正紋が淡く輝くと同時に、エメラーダの掌から光が放出されて一本の剣が生まれた。
全体的にやや希薄な色合いで透けて見える。
「剣の正紋は文字通り、剣を生み出す力を持つわ。出力を調整してあげれば、より物質化して本物の剣にもなるの」
「剣の強さはどれくらい?」
「それも使い手によるわ。与えた生体磁気の質と量次第で具現化した剣の性能も変わるのよ。ただ、これだけならば普通に性能の高い剣を使ったほうが楽でしょうね。剣気のほかにも消費が増えるわけですもの」
「なるほどね。それでも武器が必須の剣士にとっては便利そうだ。あって困るものじゃない」
サリータも魔石の力で銀盾を生み出せるので、仮に武具の大盾が壊れても盾技が使えなくなることはない。
これも同様に、剣士が武器を失うリスクを減らすことができるのは大きな強みだ。
「でも、それだけじゃないんでしょ? それくらいならわざわざメラキが回収する必要もないしね」
「ええ。この剣の正紋が寄生した宿主は剣の威力が向上するのよ。原理としては剣士の因子に正紋が干渉して上乗せするみたいね」
「へー、それはいいね! 生体磁気を犠牲にして一時的に因子を上げるみたいな感じ?」
「あなたが倒した六翼魔紫梟の能力に少し近いかしら。あそこまで強引ではないけれど能力を底上げしてくれるの。唯一の制限としては、剣の正紋なら剣を使った時しか強化されないわ。斧なら斧、槍なら槍ね」
「因子レベルの向上は相当なメリットになる。制限があるからそんな芸当もできるのかもね。さすがは魔神の力だ。で、魔石との併用は可能?」
「強力な魔石を使っている場合は競合してしまう場合があるわ。特に魔石獣が出るような魔石とは相性が悪そうね」
「やっぱりそうかー。じゃあ、サナには使えないな。残念だよ」
「魔石喰いだっけ? そんな馬鹿げたことを平然とやるほうがおかしいのよ。そっちのほうが正紋なんかより、よほど異常ね。それよりは魔石を上手く使いこなせない相手に与えるといいかもしれないわ」
「となると、ゲイルみたいな魔獣鉱物を持たないタイプかな。ギアスとの併用は問題ない?」
「本来ならば、まったくないわけじゃないわ。精神に作用する古紋ならば相性を考慮する必要が出てくる。でも、あなたのギアスを侵食できるほどの力はないでしょうね。それ自体が逆に精神を守ってしまうもの」
「つまりは、オレと契約しているアーパム財団の人間ならば問題ないってことだね」
ゲイルやアッカランといった人物はギアス契約のために精神型ジュエル(または契約書)を使っているにすぎず、その強化率も魔獣型ほどではない。当然、魔石獣も存在しない。
反面、安定という意味で優れているし、その分だけ正紋を寄生させるだけの余裕があるわけだ。
「次の段階に移るわ。この正紋は一つではさほど強力ではない。それはわかったわね? では、二つあればどうなると思う?」
「二つ同時に起動できるんじゃないの?」
「半分正解ね。正紋が特殊なところは『合体』できるところなのよ」
「合体? どうやって?」
「もともと大邪正紋は一つだったせいか複数集まると合体する性質があるの。ただし、それぞれに性質と相性があるから何でも合体するわけじゃないわ。そうね、この剣の場合はこれね」
エメラーダが胸の谷間に手を入れ、そこから違うプレートを取り出した。
「どうして女性は胸の谷間に物を挟みたがるんだろうね。けしからん、もっとください」
「乳房なんて使わないなら不便なだけよ。まあ、魅了の効果を高めるのには有用ね。それで、これが『火の正紋』よ。属性に関するものはありふれているから第四級の正紋になるわ」
「本当だ。『火』って書いてある。というか持っていたんだね」
「このグラス・ギースは西方にもっとも近い都市だもの。私が持っていてもおかしくはないでしょ?」
「それもそうか。領主も持っていたくらいだもんね」
「そして、この火の正紋を加えると―――」
エメラーダが火の正紋を寄生させ、剣と一緒に発動させる。
すると、『火で出来た剣』が生まれた。
「おお、燃えてる! 剣の形をした火って感じ?」
「そうね。火と剣が合体して『火剣』になったの。こうやって二つ以上の正紋が合体したものを『大正紋』と呼ぶわ。合体したことで消費も増えるけれど威力も向上しているわね」
前にコウリュウが炎の槍を生み出したことがあったが、それと似たようなものである。
使い捨てなので投げつけることができるのも強みだ。火を相手の体内に送り込む際にも有用な手段となる。
「これの面白いところは組み合わせの順番で効果が変わることよ。たとえば剣を先に起動してみると『剣火』になるわ」
「今度は物質化した剣に火がまとわりついているね」
「要するに『火化紋』を使った剣と思えばいいわ。これも生体磁気の質と量によって強さが変わるの。法則としては最初に起動した正紋の性質が優先されるわ」
「へー! こいつは面白い! 使い方次第でいろいろとできるじゃないか!」
「相性が悪いもの同士や、そもそも無理なものを同時に起動すると反動が出て、そのまま死亡することもあるわよ。組み合わせが重要なの」
「それは怖いなぁ。やる前からわからないの?」
「過去に実験した時の記録があるはずよ。それを参考にすればいいわ。書いていない組み合わせもあると思うけれど自己責任でお願いね」
「一つ気になっているんだけど、大邪正紋の『邪』って何? もしかして『邪紋』とかもあるのかな?」
「ええ、あるわよ。でもねぇ、この邪紋ってのが厄介なのよね。私たちがどうして古紋を回収したのか、その大きな理由が邪紋にあるの」
「名前からすると悪いものなの?」
「そういうことね。たとえば愛に対して憎しみがあるように、この『邪』ってのは正の反対という意味でけっして悪いものではないわ。でも、往々にして人々は憎しみを制御できない。上手く使えば反骨心になって向上するきっかけにもなるけれど、だいたいは自滅してしまう傾向にあるもの」
「あいつが憎い!」と思って恨み続けることと、「成功して見返してやる!」とは意味合いがだいぶ異なる。
成功していく過程で「なんだ、あいつなんてたいしたことないな」と実感して憎しみが消えれば、それは成長する原動力になったといえるだろう。その意味では正しい力だ。
が、憎しみ続けて相手の不幸を願い、自分の生活まで荒廃していけば、せっかくのエネルギーも使いこなしていないことになる。
このように負の力は強いがゆえに使いこなせないことが多い。それは人類史がすでに証明していることだ。
「逆に使いこなせれば強いってことでもあるよね?」
「それも道理ね。魔人因子を持つあなたなら大丈夫でしょうけど、取り扱いには気をつけること。もし暴走している邪紋を見つけたら隔離して封印してちょうだい。これはメラキとしての要請よ。あなたが扱えるなら自分のものにしてもいいわ」
「了解。とりあえず邪紋についても教えてくれる?」
「邪紋も基本的には正紋と同じで漢字一文字で成り立っているわ。違いは込められたエネルギーの方向性ね。代表的なものでいえば、『負』『憎』『減』『苦』『嘘』といったマイナスの力を感じる漢字になるわ」
「たとえば、それを単体で保有していた場合は?」
「『負』の邪紋だけを持っている者は、持っていない人間よりも『負う』ものが多くなるでしょうね。感情的な意味でも物質的な意味でもね。正紋も邪紋もエネルギー体だから似たものを引き寄せる傾向にあるのよ」
「つまりは持っているだけでマイナスになるってこと? 最悪じゃん」
「しかもこの邪紋は、元はひねくれた性格と呪力を持った魔神が変化したものだから簡単には離れてくれないの。宿主が死ぬまでまとわりつく性悪なものもたくさんあるわよ」
「なるほど、もし力のない人間がうっかり邪紋に寄生されたら人生終わりだね。死ぬまで寄生されるか、その力のせいで不幸になる。だから危険視されているのか」
「当人だけの被害ならばまだいいわ。それによって他者に害悪を与えようとしてくる場合は最悪ね。それこそ性悪な魔神の残滓そのものよ」
「なかなかに面倒だね。それも合体するの?」
「ええ。邪紋も合体すると『大邪紋』になるわ。この大邪紋が本当に厄介なの。もし『災』と『厄』の二つが重なったらどうなると思う?」
「え? まさか災厄になるの?」
「さすがに災厄の魔人ほどじゃないけれど、似たような現象を引き起こすこともあるわ。それ以外にも『狂』と『乱』が合体して狂乱の戦士となった者が大暴れしたこともあったわね。死ぬまで戦うバーサーカーの出来上がりよ。能力も上がるから回収するのに苦労したわ」
「それはヤバいね。メラキが回収するわけだよ。もう一つ気になったんだけど、これって三つ以上も合体できるわけだよね?」
「できるわよ。さっきの『火剣』や『剣火』に、もし『大』を加えたら『大火剣』になって出力が大幅に上昇するの。当然、その分だけ大量の生体磁気を消費するわよ」
「それはすごい。ちなみに『大』だけだとどうなるの? 身体が大きくなったりする?」
「身体そのものは変化しないわね。せいぜいが筋量を増やして肥大化するくらいかしら。あとは気持ちや態度が大きくなったり、気質や術の威力が大きくなるわ」
「前者は嫌だけど後者は悪くないね。使いこなせれば強そうだ。大邪正紋ということは『正紋と邪紋も合体する』ってことでいい?」
「そうなるわね。でも、邪紋が一つ加わるだけで、たいていのものはマイナスの属性を帯びるから注意が必要よ」
「そう思うと漢字ってすごいって実感するよ。で、その火の正紋はくれるのかな?」
「第四階級は一枚一億円ね。第三は三億、第二は五億。びた一文まけないわよ」
「…さすがはオレの師匠だ。って、いつも思うけど、その金は何に使うの?」
「メラキとしての活動資金よ。世界中にメラキはいるのよ。状況が悪いメラキを支援したりするわ」
「それは立派だけど、その金の出所がオレなのか…」
「光栄に思いなさい。金を出すだけで世界平和に貢献しているのですもの。安いものじゃない」
水タバコを吹かしながら弟子から金を巻き上げる姿は、陽禅公を彷彿とさせる。
が、金に関しては余裕があるので、エメラーダが保管していた正紋は全部購入と相成った。
「第四階級が『火』『水』『風』『雷』、第三階級が『剣』『槍』『斧』で、第二階級が『力』『強』『剛』か。けっこうあるね」
「主に属性や特性に関するものが第四で、第三が物質的なもの、第二が強化するものとなるわ」
「第五階級は数が多くてありふれたものだよね。じゃあ、第一階級は?」
「それ単体で非常に強力なものね。『王』とか『姫』とか『全』とか。 『魔』や『聖』や『神』ってのもあるわ」
「聞くだけで強そうなものばかりだ。それは持ってない?」
「いくつかあるけれど、私たちが管理しているものは危険だから封印されているわ。邪紋も同様ね。売れるのは比較的安全な第二階級までよ。あとは自分で探しなさい。西方にはいくらでも転がっているでしょう」
「見つけたものは自由に使ってもいいの?」
「むしろ管理できていない古紋が見つかることは良いことよ。メラキの要請を受けている間は邪紋の使用も黙認するわ。ただし、見つけたら報告はすること。いいわね?」
「うん、わかった。いろいろと参考になったよ。ありがとう」
「気をつけなさい。あなたは強いものを引き寄せる性質があるわ。もし制御できなくなったら一帯が吹っ飛ぶどころじゃ済まないわよ」
「わかってるって。大丈夫、大丈夫」
「そういう言い方をする時って、たいていはわかっていないのよね」
ということで、いくつかの正紋をゲットすることができた。
これでまた強化が進むはずだ。




