580話 「ファテロナの限界」
「修行を開始するぞ。ビシバシいくから覚悟しておけ!」
都市を出て荒野に到着したアンシュラオンが、修行の開始を告げる。
いつも通り、そこにはサナやサリータたちがいるが、もっとも異なる点はベルロアナたちもいることだろう。
参加しているメンバーは、こちら側はサナとサリータとベ・ヴェルとアイラ。
向こう側はベルロアナとファテロナに加えて、スレイブのクイナとユノもいる。
アカリは術士なので参加はしていないが、その代わりに小百合とホロロ、ロゼ姉妹と一緒に術の勉強をしているはずだ。(引き篭もっていたところを強引に引きずり出した)
符行術も因子レベルが上がれば、より高度な術符を作ることができる。そのためにも修行は必須である。
「き、緊張しますわね」
「少しだけワクワク…っ…します」
「そうですわね。修行なんて初めてですもの。どんなことをやるのかしら?」
体操着に着替えたベルロアナが、ソワソワしながらクイナと話している。
さすがにブルマではなくショートパンツだが、ユノを含めた三人とも身長が低めなので、そのまま小学生に見えてしまうほどだ。
ただ、ロリ巨乳となってしまったベルロアナに関しては、その大きな胸が明らかに突出しているので違う属性が目覚めそうで怖い。
今はわからないが、昭和の時代には胸が大きな小学生を特集しているとち狂った成人雑誌もあったものだ。これまた怖ろしい世界である。
(いかんいかん。集中しないとな。サナを見て心を浄化しよう)
おさげ姿のサナもベルロアナとお揃いの体操服を着ているが、その美は健全そのもので、あまりの可憐さに卒倒してしまいそうだ。
サナを見て癒されたところで改めてベルロアナを見る。
(さて、いつも鍛錬しているサナたちはいいとして、今日からはベルロアナたちも徹底的にしごかないとな。このままではいつか死ぬかもしれん。才能だけでやっていけるほど武人の世界は甘くないからな)
ベルロアナはそもそも修練などしたことがない。むしろその状態で翠清山での戦いを切り抜けたことが異常なのだ。
しかし、そのままではせっかくの才能も宝の持ち腐れ。できることをやらない人間は、いつかその報いを受ける羽目になるだろう。
であれば、まず最初に行うのは―――
「走り込み、千キロな」
「…へ? 走り込み…ですの?」
「そうだ。まずは体力が命だ。ここからハピ・ヤックまで行って、戻ってくれば往復で千キロくらいになる。ただひたすら走るだけだ」
「た、大変ですわね。走り込みといっても油断できませんわ」
「昼過ぎまでには戻ってこいよ。午後は違う修行をするからな」
「それだと六時間くらいしかありませんわよ!?」
「時速二百キロくらいで走れば十分間に合うさ」
「ええええーーー!? そんなの無理ですわー!」
「オレが賦気を施してやるから問題はない。まあ、ユノとクイナちゃんは無理をしなくていいけどね。無理そうなら手を上げるんだよ。随伴しているヒポタングルが迎えに来てくれるからね」
「はいなのです!! がんばり…っます!」
「私もがんばります!」
クイナとユノが元気よく返事をする。
ちなみにユノが呼び捨てなのは一定以上の武人の資質があるからだ。その段階でしごく気満々である。
だが、ベルロアナからの意気込みの声はなかったので、ツインテールを軽く引っ張る。
「こら、返事はどうした」
「あう! 引っ張らないでくださいまし! そ、その…自信がないですわ。走ったことなんてあまりないですし…」
「甘えやがって。その性根から鍛え直さないといけないな。武人は追い込まれてなんぼだぞ。ほら、さっさと行け!」
「そ、そんなこと言われましても―――きゃ! どこを触っておられるのですか!?」
「動かないと尻を叩き続けるぞ! ほらほら!」
「うううう! やめてくださいませ! 走ります! 走りますから!」
「サナ、面倒を見てやれ。怠けていたら尻を引っぱたいていいぞ」
「…こくり。ぐいぐいっ!」
「あっ、サナ! 引っ張らないで!」
サナが先導する形でベルロアナも強制的に出発。
賦気を施しているため走り出せばどんどんスピードは上がり、あっという間に百キロを超える。
「あ、あれ? 意外と…走れますわね」
「お嬢様…はぁはぁ。先に行って…っ…くださいなのですー」
「わかりましたわ。クイナも気をつけて」
ベルロアナの能力値はすでに中位の武人の領域に入っている。やる気にさえなれば時速二百キロ程度は軽く出るだろう。
一方のクイナたちはまだまだ未成熟ゆえに、かつてのサナがそうだったように時速五十キロを出すのもやっとだ。
ユノはもう少し速いがクイナと並走している。どのみちベルロアナには追いつけないのでクイナの面倒を見るつもりのようだ。
「アイラ、遅れているぞ!」
「ったく、だらしないねぇ。ほら、きりきり走りな!」
「やっぱり走り込みは苦手だよー、はぁはぁ」
先頭を走るサナたちに続くのは、サリータとベ・ヴェルだ。
彼女らはもともと傭兵組ということもあり、こうした走り込みにも慣れているので余裕でついていく。
ただし、アイラは早々に脱落しそうな勢いである。踊り子なので体力はあるほうなのだが、いかんせんやる気と根気がない。
補助型という希少性がわかったのはよいが、肝心の相方がいないと能力は変わらない。単独ではこんなものだ。
が、個人での能力が上がれば相乗効果も倍増するだろう。より強い者と組むためにも努力を欠かしてはならない。
また、彼女たちは上空に待機させているヒポタングル空戦隊が見守っており、もし魔獣が出ても即座に排除されるので安心だ。
あるいはあえて放置して、その場で対処させることも立派な修行である。
彼女たちが地平線に消えていく様子を見送りながら、アンシュラオンはファテロナがいる背後に振り返る。(ファテロナはだいたい誰かの背後にいる)
「さてと、あいつらが戻ってくるまでファテロナさんの相手でもしようかな」
「光栄でございます」
「ギアスをかけてから何か変化はあった?」
「特段の変化はまだありません。が、心なしか新たな可能性が見えた気がいたします。あくまで気持ちの問題ですが、それ自体が有益です」
「オレと契約するとレベル上限が上昇するっぽいし、それを漠然と感じ取っているのかもしれないね。じゃあ、いつでもいいよ。かかってきて」
「では、参ります」
ファテロナが消える。
相変わらずの速度だ。それ自体はなかなかに速い。
だが、以前と同様にアンシュラオンはその場から動かず、構えもしない。ただ自然体でいるだけだ。
(久々に対峙しましたが、やはり化け物ですね。隙がまったくありません)
ファテロナはアンシュラオンの周囲を高速で回って隙を探すが、何度真後ろを取っても打ち込める気がしない。
迂闊に踏み込めば一撃で倒される未来しか見えないのだ。ファテロナが強いからこそ、そのビジョンがありありと浮かんでしまう。
(しかし、隙がないのならば作るまでのことです。無駄であっても進まねば成長はできません)
試しに影を伸ばす暗殺術『影侭法延』を使い、そこからマキとの戦いでも使った『陰影連刃』を発動。
暗殺者が使う基本コンボであり、伸びた影から幾多の刃が出現してアンシュラオンを襲う。
が、アンシュラオンが軽く足を叩きつけただけで、地面が爆散して影も散っていく。
この影は日光が生み出すものではなく、あくまで疑似的なものなので攻撃を受ければ消えてしまうのが難点だ。
夜ならばともかく、本物の影に潜ませて誤認させるのが本来の使い方ゆえに、影が少ない荒野で使うには適していない技である。
また、暗殺者が得意とする小刻みな高速移動も壁がある室内や障害物が多いエリアのほうが有利に働く。その意味では不利な環境だが、戦う場所をいつも選べるわけではない。
こうなってしまうと剣衝を使って牽制するしかない。が、それではまさに以前の戦いの繰り返しだ。
苦し紛れに火化紋を発動させたナイフを何本か投げてみたが、完全に見切られて紙一重でかわされてしまった。
当然ながら銃を使っても意味はない。ファテロナの場合は銃弾よりもナイフを投げたほうが速いからだ。
攻めあぐねているファテロナをアンシュラオンは冷静に分析する。
「暗殺者の特性に関して考えてみたけど、スピードと毒と影を使った搦め手がメインだよね。あとは術符や小道具をどれだけ使いこなすかだ。同じレベル帯だと怖い反面、レベル差があるとたいした敵じゃない」
不運なことにアンシュラオンは速度にも優れて毒が無効かつ、技も多彩なので搦め手にも強い。
そういった敵の場合、彼女は攻防において決め手にかける脆弱な武人に成り下がってしまう。これも弱点の一つだ。
もちろんファテロナにも奥の手はある。
幾度かフェイントをかけてから『飛影』を使い、真後ろに瞬間移動するが―――
「その奥義ってさ、影からしか出ないから情報を知っていたら『死に技』だよね。まあ、知らなくても対応できるけど」
影から飛び出た瞬間のファテロナを即座に捕捉。
無限抱擁を使うまでもなく、通常の警戒モードで探知した瞬間には迎撃を開始。
手を使う必要すらない。戦気を爆発させて対応するだけで無防備となっていたファテロナが被弾。
飛影の欠点は、スピードに全特化する代償として発動中は防御の戦気が展開できないことだ。その状態で反撃をくらえば一撃KOは必至。
戦闘用メイド服が吹き飛び、こちらも以前と同じく半裸となって地面に転がることになる。威力は抑えたので致命傷にはならないが、あっという間に戦闘不能だ。
即死無効貫通の『六天刺滅』も攻撃が当たらなければ意味を成さない。
「まあ、こんなもんかな。想定通りの結果だったね」
「グェエエ…コワイヨー、バケモノだよー。何もデキナイヨー」
「もともとタイプが違うから優劣はつけづらいけど、奥義を含めればマキさんより少し上かな。でも、たぶん魔石が覚醒したら勝ち目はもうないね。サリータやベ・ヴェルでさえあれだけ強くなるし」
「彼女に負けることは許されないのです…」
「キャロアニーセさんからも何か言われているかな? 彼女からしてみれば二人とも可愛い娘なんだろうしね。さらなる成長を望むのが親の心理ってもんさ」
「私はどうすればよろしいのでしょう? 強くなれますか?」
「そうだね。強化の方法はいくつかあるけど、まずは方向性かな。長所のスピードを伸ばすか弱点のパワーを伸ばすか。あるいはテクニックを身に付けて搦め手を伸ばすか」
「全部で」
「それが一番だけどね。戦い方はすでに完成されているから、そのまま全部を平均的に上げるほうが無難かな。強いて弱点を挙げるのならば耐久性の無さだ。あとは血を使う以上、スタミナも問題点だろうね」
「輸血パックを大量に用意します。貯血というやつです」
「それもどうなのかなと思うけど、なかなか特殊な対応策だよね。そういえば暗殺術はどうやって覚えたの?」
「独学です。自然と使い方がわかるのです」
「自然の作用か。うちもアル先生が道場を開いたけど、さすがに暗殺術は難しいかな。でも、師はいたほうがいいんだよなぁ」
パミエルキでさえ陽禅公に教えを請うたのだ。手っ取り早く強くなるために先達の協力者は必要不可欠である。
かといって北部にファテロナ以上の暗殺者がいるとも思えない。そこが悩みどころだ。
「このまま修行は続けるとして、武具に関してはこちらで用意できるから、あとはファテロナさんも魔石次第なのかな」
「おんぶに抱っこを期待しております。もれなく私の処女がついてきます」
「いやー、そっちにいくとマキさんが怒るからね」
「このままでは一生処女でございます。哀しき呪縛、隣のエロいお姉さんが三十路を超えても処女な件について」
「まだ三十路までは時間あるでしょ。それまでにはなんとかするよ」
「ところでアンシュラオン様は、『紋』をご存じでしょうか?」
「紋って、『化紋』とか『消紋』の紋?」
「さようでございます。もともとは力ある紋様のことを指しておりまして、それを術式で刻むことで効果を発揮しております」
ファテロナが使う『化紋』は、武器に『火の紋様』を刻むことで一時的に火属性を付与できる。水属性なら『水の紋』、風属性なら『風の紋』だ。
『消紋』も同じく耐性の紋を刻むだけなのでやっていることは同じで、上位属性や最上位属性を宿す紋もあるといわれている。




