573話 「テトクレアとクイナ」
ある日の午前中。
白詩宮では何人ものメイドの姿が見られ、各々が掃除や雑用といった仕事に勤しんでいた。
この『メイド隊』は、アロロを除くと十三名の新しいメイドが採用されており、年齢は二十代から三十代後半までの女性で構成されている。
このあたりは完全にアンシュラオンの趣味であるが、処女であることは条件ではなく勤勉さや忠誠心を考慮して採用しているので、既婚者はいないが中には未亡人もいたりする。
現在は住み込みで働くメイドが六人、新たに建てられた宿舎や自分の家から通う者が七人となっていた。
「今日もいい天気ですね」
一人のメイドが、白詩宮の庭で花の手入れをしていた。
ウェーブのかかった長い亜麻色の髪をした女性で、あどけない顔が幼さを印象付けている。
が、その下に視線を移すと、立派な胸がメイド服の上からも激しく自己主張しているので、れっきとした成人女性であることがわかる。
年齢は二十代半ば。サリータやベ・ヴェルに近い年頃であるが、戦闘を生業にしていないので顔付きが柔らかく、彼女たちよりも若く見えるはずだ。
そのメイドが白詩宮の壁を回るように移動していくと、門の近くでマキと出会う。
マキは気さくな様子で彼女に話しかける。
「テトクレア、もうここには慣れた?」
「はい、すっかりと慣れました。こんなに素敵な場所だなんて思っていなくて毎日がとても幸せです。マキ様も門番のお仕事で大変ですね」
「趣味みたいなものだもの。ここが落ち着くだけよ。何かあったら私に言ってね。すぐに駆けつけるわ」
「ありがとうございます。本当にここは良い人ばかりですね。私もご主人様に助けていただいた恩を返せるようにがんばります」
メイドは何人もいるが、マキはとりわけテトクレアに気を配っていた。
というのも彼女は公募で入った人材ではなく、アンシュラオンが『救出した女性の一人』だからだ。
ただし、シーマフィア関連の店からではない。
裏側では日夜、ホワイト商会としてマフィア潰しをやっていたわけだが、その中にはマフィアとも呼べない非合法な組織もたくさんある。
いわばシーマフィアの末端組織ともいえる存在なのだが、マフィアほど統制がとれているわけでもないため、その内情はかなり大雑把で適当だ。
同じ仲間内でも素性を知らない者がいたり、各自がバラバラに仕事を請け負うので、マフィアになれないその日暮らしの半グレやチンピラの集まりと思えばいいだろうか。
しかし、だからこそ危険。
マフィアには上下関係を含めて最低限の規律があるが、そういった連中は何の束縛も受けないため躊躇なく凶悪犯罪に手を染める。
たとえばベ・ヴェルが戦った強盗団も、そうしたならず者たちの集まりである。気分で動くので行動を予測することも難しい。
しかもシーマフィアという枷が無くなったことで、より一層危険度は増したといえるだろう。
アンシュラオンも特にそうした末端組織の排除には力を入れており、今なお完全殲滅に向けて裏番隊を動かしている最中である。
そこで見つけたのがテトクレアだ。
彼女の経歴はなかなかに激しく、拉致されたうえに娼婦(ほぼ性奴隷)として扱われたうえに、最後は麻薬漬けにされてしまうという悲惨さであった。
アンシュラオンが見つけた時には、すでに廃人寸前。両手首も斬り落とされており、感染症や性病にもかかってボロボロであった。
が、古い欠損も今では『回復術式』が使えるので無事に復活。
身体中の細胞も命気でクリーニングして再生させることで、今のような健康的な肉体に生まれ変わることができた。
当然ながらそれをやった連中は滅ぼし、関わっていた者たちにも凄惨な罰を与えている。
裏スレイブによるリンチや翠清山送りでは生温いということで、ゴンタたちに生きたまま少しずつ喰わせて自らの行いを後悔していただいた。
回復術式で蘇生しつつ細胞が死ぬまで生かしておいたので、まさに地獄の苦しみだったはずだ。(命気を使ってしまうと細胞も回復するので、ここでは細胞が劣化していく回復術式をあえて使っている)
最近は死体の処理をしないで済むかつ、魔獣の餌にもなるこのやり方が好みとなっている。
だが、テトクレア自身は復讐を望まなかった。
おそらくはショックで呆然としていて、夢か現実かわからなくなっていたのだと思われるが、もとより争いを好む性格ではなかったのだろう。
アンシュラオンもいつもならば「復讐をしないのは愚か者」と切り捨てるが、あれだけの境遇にあっても精神が壊れずにいたことは驚嘆に値する。
そんな彼女に興味を抱き、当人の意思もあってメイド隊に配属されることになったわけだ。(メイド隊も一人増員の形になった)
「あの、失礼…っ…いたします」
二人が雑談していると門の前にクイナがやってきた。
隣の敷地にある館はだいぶ前に改修が終わり、ベルロアナたちが住んでいるので来ようと思えばいくらでも来られるのだ。
「クイナちゃん、いらっしゃい」
マキも満面の笑顔でクイナを出迎える。
モヒカンの時は鬼の形相で殴りかかっていたことを思えば、その対応の差がすさまじいが、やはり悪人面のモヒカンが悪いので当然の結果でもある。
「ベルロアナ様は一緒じゃないのね」
「お嬢様は最近…っ…悩んでおられます」
「え? 体調が悪いの?」
「元気…っ…なのです。でも、その…いろいろあって…」
「思春期だもの。いろいろあるわよね。さぁ、入って。テトクレアもいるわよ」
「お邪魔…っ…いたします」
「いらっしゃい、クイナさん」
「えへへ、会えて嬉しい…っ…のです!」
クイナはテトクレアに駆け寄ると軽く抱きつく。
マキはもとから面識があるので慣れているが、最近ではテトクレアにも懐いており、こうして独りで来た時には一緒にいることが多くなっていた。
クイナも幼少期は精神的虐待を受けていたことがあるので、彼女とはどこか波長が合うのかもしれない。
(クイナちゃんの吃音もだいぶ治ってきたわね。これもテトクレアのおかげかしら)
テトクレアもクイナには親しみを抱いており、よく発声練習に付き合っている姿を見かける。
そのおかげか最近では多少間が空いたり、どもることはあれど、音を繰り返す癖は治ってきていた。
「じゃあ、あとは任せるわね。メイドの仕事はいいからクイナちゃんの相手をしてあげて」
「はい、マキ様」
マキは門番の仕事があるためテトクレアがクイナを案内。
今では白詩宮の名物となった白い薔薇が咲き誇る庭園でお茶を出す。
「あっ、忘れてたのです! お手紙…っ…なのです!」
しばらくゆっくりしていると、思い出したかのようにポケットから手紙を出すクイナ。
「これはどうしたの?」
「『トイレ』を見ていたら渡され…っ…たのです。届けてくれって」
「トイレ?」
クイナの話によると所用でハローワークに赴いた際、アンシュラオンが設置したトイレを見ていたら男性に声をかけられたらしい。(護衛の七騎士もいた)
怪しげな男に警戒したものの、どうやらクイナがディングラス家の使用人であることは知っていたようで、この手紙を白詩宮に届けてほしいと頼まれた。
従者であるクイナの存在を知っている者は少ないが、翠清山の戦いにも参加していたし、乗ってきた馬車にも『金獅子の家紋』が描かれているので判断は可能である。
男はそれだけを告げると、そそくさといなくなったというから、ますます胡散臭い。
「どうして直接渡さないのでしょう? ご主人様のアーパム財団は有名なのですよね?」
「とても有名…っ…なのです。だから理由はわからないのです」
「うーん、私が開けたらまずいですね。ホロロ様は不在なので事務所にいる小百合様に訊いてみましょう」
「クイナも行く…っ…のです!」
テトクレアはクイナと一緒に『ノ兎商会』の事務所に赴く。
事務所とはいっても白詩宮の中の部屋を使っているので遠くはない。玄関ホールから少し入ったところにある部屋を覗くと小百合が書類の整理をしていた。
(小百合様は相変わらずお美しい。でも、やっぱり『アレ』が気になるわ)
やはり最初に目につくのは『人型の兎』だろう。
何を言っているのかわからないと思うが、頭部は兎なのに身体は人の形をした謎の存在が、小百合と一緒に事務処理をしているのだ。
小型の兎もいるが大きなマッチョの兎が大半で、室内は経理の女性と兎だけというシュールな光景が広がっている。
一度この兎に話しかけてみたこともあるが、特に反応はなく淡々と作業に従事していたので、なおさら怖い。
(なんなのでしょう? ここに来てからすべてが夢の中にいるみたい)
テトクレアがいまだ見慣れぬ光景に戸惑っていると、小百合のほうから来てくれた。
その第一声は、なぜかこれ。
「テトクレアさん、今日のお菓子は何ですか! 小百合はマカロンが食べたいです!」
「あっ、お菓子ではなくて、お手紙が届いています」
「えー!? お手紙は食べられませんよ! 山羊はミャンメイさんです!」
小百合の中では「テトクレア=お菓子をくれる人」の認識らしい。
これはテトクレアが白詩宮での生活に早く慣れるため、できるだけ家の中で仕事をさせていたからだ。ノ兎商会へのお菓子配りも彼女に与えられた立派な仕事である。
ただし、まだお茶の時間ではないので、完全に小百合のフライングではあるが。
落胆する小百合に手紙を渡しつつ、常備しているお菓子箱からマカロンを補充したので彼女もにっこりだ。
しかし、事情を説明すると小百合も怪訝な表情を浮かべる。
「直接手渡しされた手紙ですか。まずは安全かどうか調べてみましょう。爆発したり毒があっては困りますからね」
小百合は虫メガネ状の術具を取り出し、罠がないかをチェックする。
これはアンシュラオンが開発した『ぬるっとお見通し君』と呼ばれるもので、危険な術式が仕掛けられていないかを調べる術具だ。
下位の術式限定だが、何かしらの術式がかかっていれば詳細まで表示してくれるので非常に便利で、現在では量産されて各商会に配備されている。
調べた結果、特に術式はかかっていなかった。
まだ毒の可能性もあるので、念のため周囲にいた兎に開けさせてみるが、中に入っていたのは一枚の『名刺』だけ。
そこには「ゴゴート商会 北部エリア担当 A・D・ニクバンド」と書かれている。
小百合は名刺を兎に持たせたまま観察。
「名刺自体におかしな点はありません。紙の材質も良いですし、商会印も本物のようです。素直に考えれば手紙を渡したのはゴゴート商会の関係者でしょう」
「ゴゴート商会…ですか?」
「テトクレアさんは一般人だったので知らないのも無理はありません。南の自由貿易郡に本店がある巨大貿易商会です。ハピ・クジュネとも縁のある商会ですね」
何度か名前が出てきた大商会だが、商人以外は関係ないので知らなくても問題はない。
小百合が述べたように名刺に使われている紙やインクも上質で、印にも本物と証明するための特殊な香油が混ぜられている。
これは香りが残っている間だけ有効の代物であり、独特な匂いなので真似することは難しい。術式だと改竄される可能性があるため、こうした対策は意外と効果的なのだ。
香りのサンプルは一定規模の商会になるとハローワークから提供される。それがわかる者にだけ使う特別な名刺ともいえる。
ちなみにアーパム財団もアンシュラオンの要望で、サナに似た深くしっとりとした甘い香りを開発中だ。
「そのような大きな商会が、どうしてこんな真似をしたのでしょう?」
「あえてクイナさんに渡したのですよね? いくつかの理由が考えられますが……おや? 名刺の裏にも同色で何か書かれていますよ。これはたしか高級ホテルの名前だった気がします」
名刺と同じ白色でうっすら書かれた文字を発見し、小百合がリストを確認する。
このリストにはハピ・クジュネにあるすべての商会と不動産を含む全所有資産が記されている。これもライザックから提供されたものだ。
調べてみたところ名刺の裏に書かれていた名前は、たしかにこの都市にある高級ホテルのものであった。
「ここに来てほしいということでしょうね。まだ罠の可能性もありますので、もっと詳しく調査して問題がなければアンシュラオン様に報告いたします。ありがとうございました!」
このようなことはアーパム財団が出来てからは日常茶飯事である。
小百合は慣れた様子で手紙を処理すると再び事務作業に戻り、テトクレアとクイナは庭に戻る。
そして、二人でくすっと笑う。
「あの兎、いったい何でしょうね」
「そうなのです! 気に…っ…なります!」
「クイナさんも知らないのですか?」
「知らないこと、たくさん…っ…あるのです。だから面白いのです」
「そうですね。一緒にいろいろなことを探していきましょう」
「嬉しい…っ…のです!」
「では、今日も一緒に言葉の練習をいたしましょうね。もっとお話ししたいですから」
「はい…っなのです!」
お互いにスレイブであることも共通点だ。
白薔薇の甘い香りに包まれながら、二人は親睦を深めていくのであった。