566話 「やんちゃ無法のホワイト商会 その2『姫様の占いコーナー』」
「オヤジ、ここみたいだぜ」
先頭を歩いていた腹にサラシを巻いた男が、店の名前を確認。
中央にいた少年こと『オヤジ』に伝える。
「ここがそうか。センスのない店だな。いや、逆にこれはわかりやすいのか。で、催促はしたんだな?」
「二日前ほどに」
「それでも無視か。オレたちも随分となめられたもんだな。なあ、ヤキチよ、この落とし前をどうつけてやろうか」
「へへ、そりゃオヤジ、やることはいつも決まってるぜ」
「ふっ、悪い顔をしやがって。お前もとんだ悪党だ」
「いやいや、オヤジほどじゃねえって」
その言葉に周囲の男たちも笑う。
まったくもって、たちの悪い冗談だ。この面子の中で一番の悪党が誰かなんて、いちいち訊く必要もないというのに。
唯一笑っていないのは黒い仮面を被った紅一点、オヤジと呼ばれた少年よりもさらに年下であろう一人の少女だけだ。
少年は、その少女に問う。
「黒姫、どうする? オレたちは優しいからな、見逃してやってもいいんだよ。ここで働いている連中は一般人みたいなもんだし、そこまでする必要がないって話も頷ける。だからお前が決めていいぞ」
「ひゅー、出た出た! 『姫様の占いコーナー』だぜ!!」
仮面の男たちの視線が一斉に少女に注がれ、突如としてパンパンパンと手拍子が始まる。
そんな中で少女が右手を突き出して親指を立てた。
「…ぐっ」
それだけならばサムズアップ。
日本では「グッド」を意味するサインだ。
「姫様、そりゃねぇよ! ご慈悲を!! 俺たちにどうかご慈悲を!!」
「姫様ーーーー! 頼むよーーー!」
「ひーめ、ひーめ、ひーめ、ひーめ、ひーめ、ひーめ!」
パンパンパン、パンパンパン!とさらに手拍子は強くなり―――ぐるり
少女は手拍子に応えるかのように手首を百八十度回転させ、今度は親指を下に向けた。
これはサムズダウン。
こうなると一気に意味は変わる。それを見た仮面の集団は最高に楽しそうに笑った。
「はははは!! キタ、キタ、キタァーー!! 当たりだぜ!! 今日はラッキーデーだ!」
「げひゃひゃひゃっ!! 姐さんは容赦ねえなぁ!!」
「まったくだ!!! さすがはオヤジの妹さんだぜ!!」
「オヤジぃ! いいだろう? もういいよな? 姐さんの許可も出たんだ。やっちまっていいよなぁ!?」
「女は確実に全員確保しろ。あとは好きにやっていいが、責任者は殺す前に一度ここに連れてこい」
「へへへ! わかっているぜ!!」
「よし、行け」
「ひゃっはーー! 狩りの時間だぜ!!! お前ら、いくぞ!」
ヤキチを含めた六人の男たちが荒々しく扉を開け、各々の得物を持って店の中に入っていく。
その間、残りのメンバーは誰も入らないように睨みを利かせていた。
一応は表から見えないように扉を閉めておいたのだが、数秒後には中から投げつけられた何かが木製のドアを見事に破壊してしまう。
せっかく閉めたのに、その気遣いも意味を成さなかったようだ。物を投げるとは今までどんな教育を受けてきたのかと文句を言いたくもなる。
だが、投げつけられたのは、物は物でも『生物』であった。
「う、うう…」
黒い制服を着ている以外にさしたる特徴もなく、まさにただの受付といった様相の男が転がっている。
されど顔つきは一般の労働者とは多少違い、どことなくだらしない雰囲気が見て取れる。明らかに駄目人間の兆候だ。
「ひっ、ひっー! 何事なんですかぁああ! ええ!? あ、あなたたちは、なんなんですかぁあああああ! ひ、ひぃいっ! 血ぃっ! 血ぃいい! 血がぁ! 頭から血が出てますよぉおお!」
店員は何が起こったのか理解できず、頭から流れた血を一生懸命手で拭っている。
「血ですよ、血ぃっ!! ほら見て! 血ですからぁあ!! いきなり何するんですかぁあ!」
「へっへっへっ、何か言ってるぜぇ、こいつ」
「なかなか面白い芸風だなぁ。でも、殴りたくなるよなぁ、こういうやつを見るとさ。ははは」
自分の血を見て驚く店員を、ニヤニヤとした顔つきで見守る集団。
当然表情は見えないが、仮面を被っていても雰囲気はわかるものである。
彼らはその様子を見て楽しんでいるのだ。特に白スーツの男は最高に楽しそうに見つめていた。
「ヤキチのやつ、相変わらず手が早い。まあ、それで済んだだけでも幸いだったな」
「ひっ! あ、あなたたちは…な、何ですか!?」
「何って、ちょっとした挨拶だよ」
「あ、挨拶…これが!?」
「そう、お前たちも挨拶をするだろう? それと同じさ。だが、まだ礼儀を知らないらしい。まずはそうだな、頭を下げるってことから覚えようか」
「がうっ!」
少年が店員の頭を踏みつけると顔が地面に密着。
そのままゴリゴリと押しつけるたびに顔が擦り減っていく。
「痛い痛い痛い!! や、やべて…やべてくださいぃいい!」
「ああん? 痛いだと? 野郎の分際でなにを抜かす。頭を地面にこすりつけるのは、オレの前に出てきた男がする最低限の礼節だろうが。ほら、まだ頭が高いぞ」
「ひぐっ、うううっ…ほんらぁ…もう頭が…くっついてぇますぅう!」
「そうなのか? オレからはそうは見えないなぁ。まだまだいけるだろう? ほらほら」
「ひっ、ひぐうっ!! つ、潰れるぅう! 頭がぁあ! つぶれつぶれぶつぶぶぶぶ」
「オヤジぃ、さっさと潰しちまいましょうぜ!! そのほうが面白い!」
「そうでさぁ! ゲラゲラゲラ! ぐちゃってするのを見せてくだせぇよ!」
「ひ、ひぃいいっ! た、たずげでえええ!」
周囲の人間は止めるどころかリクエストさえする。
この場で彼を助けてくれるような奇特な者は、誰一人としていなかった。
「ふん、こんな虫を潰したら、せっかくの高い靴が汚れるだろうが。お前たちで潰しておけ。ただし、あっちの目立たない路地でな。始末したらゴミ箱にでも捨てておけよ」
「へい! 任せてくだせえ!」
「そ、そんなっ! 待って! たずげっでえええ―――ぐはっ!」
「へへへ、お前はあっちで俺らと遊べってよ!」
「ひ、ひぃいっ! 助けてぇええ! ぐべっ! がぼぉおっ!」
「おおっ、けっこう跳ぶな、こいつ」
「マジかよ。俺にも蹴らせろよ」
店員は仮面の男たちに何度も蹴られて、まるでサッカーボールのように裏路地に運ばれていく。
その先に何が待ち受けているのか、わざわざ説明する必要もないだろう。生ゴミが一つ増えるだけだ。
「おい、椅子になれ。黒姫の分と二人だ」
「へい!」
二人の戦罪者が四つん這いになり、そこに少年と少女が座る。
「やはり男は硬いな。座るなら女がいいか。黒姫はどっちがいい?」
「…バンバン、こくり」
「姫は男のほうがいいか。ははは、男女の違いはあるが、そういうところもオレに似ているな」
黒姫はバンバンと男の背中を叩いて頷く。どうやら硬い感触が気に入ったらしい。
少年が女を支配下に置くなら黒姫は男を支配下に置く。そんなところまで似てきているのが愉快だ。
「なんだい、あれは?」
「どこぞの組か?」
「でも、あんな仮面の連中なんて見たことないぞ。何かのパフォーマンスかな?」
騒動が大きくなったせいか周囲に野次馬が増えてきたようだ。こんな深夜の裏通りなのに、すでに二十人くらいは集まっている。
人は諍いが好きなものである。それが他人同士のものであれば、なおさら大好物に違いない。
だが、自分たちに飛び火するとなればどうだろう?
その野次馬の一人、少しだけうっかり他の人間よりも前に出てしまった冴えない青年に、巨漢のマサゴロウが威圧を開始。
「なんだそのツラ。文句があるのか?」
「ひっ! み、見てません! 見てないです!」
「見ていただろう。…お前も死にたいか?」
「ぐひっ!! ひぃいいいい! た、助けて!!」
マサゴロウは青年の首を掴んで軽々と持ち上げる。
もしその気ならば石畳に叩きつけることも可能だろうし、彼の握力をもってすれば一瞬で首がちぎれてしまうに違いない。
「ぐえええっ…ひぐっ…がっ…だ、だずけ…でっ……」
「おい、マサゴロウ。堅気の皆様にご迷惑をかけるんじゃない。お前らはほんと、目を放すとすぐに面倒を起こすよな。ゆっくりと座って休む暇もない」
「すいやせん、オヤジ」
「放してやれ」
「へい。命拾いしたな、ガキんちょ」
「ごほっ、ごほごほっ、ひっ、ひっ」
青年は投げ捨てられて石畳に転がる。まだ血の気が引いているようで顔色は真っ青だ。
その青年に少年が近寄る。
「すみませんね。うちの馬鹿どもがご迷惑をかけてしまって。なにせ血の気の多いやつらでしてね。私も困っているんですよ」
「ひっ、ひっ…」
「そんなに怯えないでくださいよ。ほら、これ、取っといてください。迷惑料ってことで」
「ひぇっ…? へ? …い、一万円…も?」
「堅気の皆さんにはがんばってもらわないと。この街をもっと楽しくしてもらう必要がありますからね。それとも私からの心付けは受け取れませんか?」
赤い双眸の光が仮面からこぼれる。その圧力は他の仮面の比ではない。
その時、青年は思った。
(関わっちゃいけない人だ…目を向けてもいけない! 今すぐ逃げるしかない)
と。
しかし、その青年が逃げる前に事態は悪化。
再び店から吹っ飛んできた者がいた。
「がはっ、げほっ!!」
さきほどの店員とは少し違う色の制服を着ている男だ。
身なりも多少立派なので、この店の中でより高い立場にあることがうかがえる。
「オヤジぃ、連れてきたぜ! こいつが支配人だってよぉ!!」
そして、ヤキチも店から姿を現した。
その手に握られた木製バットはすでに折れており、ヘッドの部分には血がべったりと付着している。
見るとその男、支配人も頭から血を流していた。
「な、何を…何をするのですか……あなたたちはいったい…」
「ああ? てめぇ、こっちの顔潰しておいてよ、よくそんな口が利けたもんだなぁ! オヤジ、やってもいいかぁ?」
「まだだ。少しは血の気を抑えろ」
「わりぃわりぃ、久々のシャバで身体が疼いちまってねぇ! ははは!」
ヤキチの身体から赤黒いオーラが滲み出ている。
人を殺したくて殺したくてしょうがない殺人者特有の衝動である。
「オヤジが言うならしょうがねえ! もう少し待ってやる。だけどよぉ、そんなに長くはもたねえぜ! はぁはぁ、早く人が斬りてぇからなぁあ!! 今は強いとか弱いとかは気にしねぇ! 人間なら誰でもいいぜ!!」
取り出したポン刀を転がった男の顔の横、地面に突き刺す。
石畳がまるで豆腐のように簡単に刀身を受け入れた様子を見て、ますます男の顔がこわばる。
「ひっ!! ひぃい!」
「やれやれ、どいつもこいつも困ったもんだ。では、改めましてご挨拶を。初めまして、私はホワイトと申します。あなたがここの支配人で間違いありませんね?」
「ほ、ホワイト…?」
「ご存知ありませんか? 少しは名が売れてきたと思っているのですがね。ほら、仮面ですよ。これを見ればわかるでしょう? 思い出しません?」
「ホワイト…その仮面…し、知っています! さ、最近、店や事務所を潰して回っている連中がいるって…」
「そうそう、そのホワイトですよ。あなたのところには『ホワイト商会』の名前で連絡がいっているはずです。でも、あなたたちは通告を無視した。だからこうなっているのですよ。ご理解いただけましたか?」
「………」
「おい、オヤジが訊いてんだろうがぁ! さっさと答えろや!」
ヤキチのポン刀が支配人の頬に触れる。それだけで肌と肉が切れて血が垂れた。
「ま、待ってくれ!! うちはもう『みかじめ料』を払っている! あんたらがこんなことをしたら、ただじゃ済まないぞ!」
「へぇ、そうですか。どこに支払っているんですかね? 無知な私にぜひ教えてくださいよ」
「そ、それは…」
支配人は言い淀むが、言わなくても相手はわかっている。
たとえばグラス・ギースにしても、ソブカを見ていればわかるように各業界のバックには必ず『マフィア』が存在する。いわゆる『用心棒』や『ケツ持ち』というやつだ。
それはハピ・クジュネにおいても同じ。
今までは海軍が目立っていたせいで話に出てこなかったが、表通りにある一般店からこうしたピンク店なども、すべては『シーマフィア〈海沿いの禿鷹〉』が運営している。
この店もすでに彼らに金を払っているので、ホワイト商会に支払う必要性はまったくない。
だが、ホワイト商会はこの風俗店に金を請求した。「これからここを仕切るので商売をやるなら金を払え」と。
これは彼らの縄張りを侵す非常に危険な行為といえるが、仮面の少年がそんなものを怖れるわけがない。




