556話 「最終話『神の軍勢』」
「ぐひいいっ…! ありえぬ! ありえぬうう!」
ファルネシオたちの圧倒的な存在感にベルナルドが怯む。
本物を前にすればどうしても偽物の粗は目立ち、その醜悪さが露見するものだ。
だが、ずっと自身を正義だと思い込んでいた者は、現実を受け入れることができずに醜態を晒し続ける。
「一つ、哀れな羊に教えようか」
翼を生やしたファルネシオが飛んできた。
こうしてみると、その姿は神話でよく聞く天使に似ている。力強く、美しく、高潔で誇り高い。
それも当然。
この姿は、カーリスに対抗するために地球の天使を想像して作ったものだからだ。
地球の天使の伝承は残念ながら人の欲望で歪み、汚染されて真なる姿を失っているが、ファビオによって神話は現実となった。
目の前の存在こそ本物の使徒。神の力を有し、弱き人々のために戦う真なる天の御使いである。
その天使たるファルネシオは、打ちひしがれているベルナルドに真実を伝える。
「『ケンジャノイシ』、カーリスならば知っているだろう」
「っ…! それは…! では、ここにあったのは!」
「前文明の者たちはこの星を支配していた。彼らは力を求め続け、ついにはケンジャノイシまで手に入れた。ワタシにはその記憶が継承されているからわかるのさ」
ケンジャノイシ、賢者の石。
創作物でよく出てくる有名な名称であり、その正体や性質はそれぞれの話によってだいぶ異なる。
この世界における賢者の石とは、『母たる神の一部』が何かしらの形を取ったものを指す。
名前の由来は『黒き叡智たる賢人』が母神の死骸を分けて、より使いやすくしたことから生まれたという。
前文明の超越者たちは『神樹の種』と『賢者の石』を融合させ、神機を苗として成長させた。そのほうが管理しやすかったからだろう。
ルシファシア用に生み出した大剣も、元は神機の認証用デバイスとして使われていた形跡がある。
賢者の石自体に意思はない。想いはない。ただの抜け殻だ。
だが、この地に暮らす人々や魔獣の影響を受けて、母はその【母性】を目覚めさせる。
人々の願いや理想といった『思想』が賢者の石に蓄積され、いつしかファビオたちが崇める『森の神』になった。
ただし、ここにあったものは普通の賢者の石ではない。
「『母たる神の乳房』、『母の肉片』、そう、それは【マザーピース】。賢者の石の中でもより強い力を宿した特級の代物だ。ワタシは今、その力と融合して自在に行使しているのだ」
「馬鹿な!! 第一神殿でさえマザーピースを扱いきれないのに! なぜ貴様ごときが!」
「あなたたちが聖女カーリスを殺したからだ。『偉大なる者の直系』を殺した時からカーリス教は背徳者となった。その咎が、その罪が、神の力の浸透を阻害している。禁書に書いてある通りではないか」
「っ…!! ぐう…!」
「ワタシはカーリスを滅する。この世から完全に」
「できるものか! 貴様は知らぬのだ! 我らの大きさを! 積み重なった怨念を!」
「やってみせるさ、何百年かかっても。そして、ワタシは理想郷を作る。人々が苦しまないで済むような世界を生み出す。もう逃げない。あらがって戦って、どんなに苦しくても救済の道を歩む」
「やはり! やはり貴様こそが! 神託が示した災いなのだぁあああああ!」
「滅びろ。ドグマに汚染された偽りの使徒よ」
「やめろ! やめろおおおおおおお!」
ファルネシオの右手が黒く染まり、ベルナルドに向けて放射。
カーリスを死滅させるために思創された御手の力が、偽りの天使を破壊!
一瞬で肉体が蒸発し、力を与えていた『アメンズ=メタナイア〈異端への懲罰〉』も消失させる。
その時、ファルネシオには視えた。本に封じられていた幾多の自然霊が、ベルナルドの魂を絡め取って地獄に連れていく姿を。
彼らは強制的に使役されていただけであり、心から忠誠を誓っていたわけではない。法則を無視した反動は必ずやってくるのだ。
これでベルナルドは完全消滅。ついに宿敵を打ち破ることができた。
「ふぅ…はぁはぁ…」
翼をしまったファルネシオが、少しだけふらついた。
それを半身であるエルネシアが支える。
「私の愛しいファルネシオ、無理をしないで」
「ありがとう。目覚めたばかりで力を使いすぎたようだ」
「ジーギスのやつは倒したが、不思議なことになっちまったな。まだ実感がないぜ。おっと、次の救徒が生まれるみたいだぞ」
ルシファシアの視線の先で四つ目の卵が割れ、新たなる救徒が生まれる。
「ここは…どこかしら?」
「母さん、父さん、ボクはここだよ」
「ファビオ? いえ、ファルネシオ……ファル…なのね?」
「ごめんね。母さんの魂が主体になったみたいだ」
「かまわないわ。マテオも私だもの。一緒にいるわ」
第三真救徒、熾炎の救徒ネア・メタトロシア。
ファビオの親愛と安全を求める心が生み出した存在で、母たるクラリスと父たるマテオが、最愛の息子のために合一して再び生まれてきてくれた姿だ。
男女が混じったことで中世的な容姿となり、両性具有の形でそれらが表現されているが、マテオの屈強さも受け継いでいるため非常に高い防御性能を持つ。
続いて五つ目の卵が割れ、第四真救徒、眼の救徒ネア・ラグアシアが生まれる。
なぜか生まれた時から眼鏡をかけている美男子だが、中身は―――
「ファビオ、酷いですよ。がんばって逃げていたのに。まあ、どうせ使徒の毒で死んでいたでしょうけれど」
「キリポ、ごめん。でも、ファンジーと一緒になれたね」
「それは……はい。今ならばすべてを理解できます。これほど想われていたとは知りませんでした。僕は彼女であり、彼女は僕なのですね」
ラグアシアはファビオの他者への不信が生み出した存在で、キリポとファンジーの魂が混じり合って生まれた救徒だ。
光もあれば闇もある。信じることもあれば裏切ることもある。それを含めて世を見通さねばならない。そうした意思が顕現した姿だった。
このようにファビオを中核とした意思や思想が、賢者の石と合体した神樹から力を借りる形で具現化。
誰もが美男美女なのは理想とする姿が映し出されているからだ。所詮は外装なので、霊界に赴くと誰もが自分好みの外見でいられるのと同じことである。
そこにはファビオの家族や親友だけではなく、神樹が呑み込んだ都市にいた人々や狼といった要素も含まれていた。
しかしながら、神樹と合一しなかった者もいる。
「こりゃたまげたねぇ。オレが思っていた以上の逸材だったわけだ」
「クロスライル…さん」
「ジーギスのやつも上手く動いてくれたよ。あんたを焚きつけて力を引き出してくれた。あれも悪の才能ってやつかね」
神樹の根を軽々と飛び越えてやってきたのは、クロスライル。
彼も都市の近くにいたはずだが、なぜか呑まれないでいた。
その理由は、すでにわかっている。
「クロスライルさん、あなたも『転生者』ですね」
「あれ? バレちまった?」
「あなたが歌っていたのが日本の演歌でしたから」
「こっちの星にもいろいろと伝わっているから大丈夫だと思ったんだがね。これも同郷ゆえのシンパシーってやつかな」
「あなたを取り込んでいませんから記憶は共有できていません。日本出身ですか?」
「そうだよ。つーか、転生者は基本的に日本人が多いな。なにせあそこは『神の国』だからよ。この星とは何かしらの縁があるんだろうさ」
日本は地球の中でも特殊な『位置』に存在し、星を肉体にたとえれば心臓部に該当する。
地震が多いのはプレートが集まっているからでもあるが、そもそもの活動するエネルギーが強いせいだ。心臓を中心に血液が流れる以上、そこが割れると大量出血するのと同じことである。
そのせいかは不明だが、日本は人類最古の文明を維持してきた長い歴史を持つ。
ファビオがいた頃の大日本帝国はだいぶ腐敗していたが、それ以前は高い理想を抱き、十年戦争を勝ち抜いて数多くの植民地を解放した英雄たちが大勢いたものだ。
また、『神の国』とも呼ばれているのは、霊的にも非常に優れた知識と感性を持ち、数多の神々を受け入れる寛容さに加え、神の顕現である自然に対する強い愛情と信仰心を持っていたからだ。
それは自然を破壊して神すら敵に回した列強各国の惨状を見ればよくわかる。物質性が強すぎたゆえに精神が発達しなかった一例であろう。
そして、クロスライルも『転生者』。
ファビオと同じく地球の日本から、わざわざこの星にまでやってきた異邦人であった。だからこそ外見ではなく魂で相手を見ることができる。
「あなたはこの状況にも驚かないのですね」
「これでも驚いているぜ。ビックリドッキリメカの大集合って感じだしな。で、兄さんはこれからどうするよ? そんな姿にまでなって生き延びたんだ。何か目的があるんだろう?」
「カーリスを滅します。それに伴って弱者を守るための理想郷を生み出すつもりです。二度と同じ過ちは繰り返しません」
「カカッ! そりゃ壮大で崇高な話だねぇ。さすがは兄さんだ」
「逆に訊きますが、あなたはこれからどうするのですか?」
「オレは何も変わらないさ。誰にも従わないし誰にも屈しない。強い相手を見つけたら、そいつを喰らってさらに強くなるだけだ!」
クロスライルが、ガンソードをファルネシオに向ける。
今までの彼の行動は滅茶苦茶に見えて一貫性があった。すべてはファビオの潜在能力を引き出すため。自身の獲物として相応しい男にするためだ。
それがようやく実現したのだから、戦わないという選択肢はない。
「本当にやるのですか?」
「ああ、もちろんさ。楽しもうぜ!! オレも久々に全力を出せそうだ!」
クロスライルから膨大な戦気が生まれると、それが激しいうねりをもって灼熱に変わる。戦気が闘気に変質したのだ。
立ち昇るオーラの量が従来の比ではない。燃え滾る闘争本能によって神樹の根が爛れてしまうほどだ。
これまで戦気しか使っていなかったことからも、これが本来の彼の姿といえる。
「あんたに殺る気がなくても、オレはやるぜ!!」
クロスライルは闘気で覆った弾丸を高速射撃。
ファルネシオに向かって十二の銃弾が向かっていく。
「ファルはやらせん!」
ルシファシアが間に入り、腕で銃弾を受け止める。
ベルナルド・ヴァキスの火剣さえ素手で受けた彼だ。此度も簡単に止めるかと思えた。
が、本気を出したクロスライルの銃弾は威力が跳ね上がり、ルシファシアの腕を破壊。
咄嗟にもう片方の腕も使うことでかろうじて弾丸を防ぎきるが、思わぬダメージに目を見張る。
「たいした威力だ! 力を隠してやがったな!」
「兄さんも本気でこいよ。手加減できる相手じゃないってわかるだろう?」
「いいだろう。相手になってやる!」
ルシファシアが神樹気を放出すると、壊れた腕が即座に復元して聖剣で攻撃。
ジーギスでさえ反応できなかった速度の剣撃が襲う。
それをクロスライルは紙一重で回避するだけではなく、距離を取って銃で反撃。
銃弾は神樹気によって無効化されるが、それが三十発に到達した時にルシファシアの頬に切り傷が生まれる。
「なんだと!? 戦艦の主砲でも傷つかないのに!」
「硬い堅い固い! すっげぇ耐久力だ! 弾がいくらあっても足りないな!」
「遠距離からの攻撃だけで倒せると思うなよ!」
ルシファシアは翼で宙を翔けて急接近。
銃を撃たせまいと近距離戦闘に持ち込み、何度も剣を振るって猛攻を仕掛ける。
剣士因子10の技量と戦士因子10のパワーが合わさった凄まじい剣撃の嵐である。一撃放つごとに空間が耐えきれずに悲鳴を上げ、力の余波で次元すら歪んでいく。
何よりもルシファシアは『力の神』だ。戦闘力は救徒の中で最高であり、ファルネシオすら上回る。
だが、クロスライルはそれを細かいステップで回避。
神樹気によって強化された剣気が防御の闘気を削り、所々に小さな傷が生まれるが、それでもやはり紙一重でかわし続ける。
「なんだこいつ! どうしてよけられる!」
「カカッ! いいぜ、もっとこいよ! あんたが強ければ強いほど、オレも強くなる! スピード勝負なら負けないぜ!」
スピードに慣れてきたクロスライルが反撃を開始。剣撃を回避しつつ銃剣によるカウンターを入れ始め、逆にルシファシアのほうが傷ついていく。
そもそも今のルシファシアは覇気で強化したクルル以上の防御性能を誇っている。すでに述べたように神樹気には一定量のダメージ無効化能力もあるうえ、最高の肉体を持っているので身体能力も遥か上。
その彼にダメージを与える段階で、クロスライルの攻撃力が極めて高いことを示していた。
なぜそれができるのかといえば、剣撃を受けないことで防御の負担を減らし、闘気の大部分を攻撃に集中させているからだ。
一撃でも直撃すれば落ちる可能性があるのに、死を恐れずに超接近戦を挑み続け、さらに一歩前に出て勝負するからこそ、こんな芸当が可能になるのだ。
その豪胆な戦い方にはファルネシオも驚嘆。この姿になったことで彼の実力の高さを改めて思い知る。
(クロスライルさんは本当にすごい。ボクが考えた最強の戦士を相手に引けを取らない。それどころか―――)
「よっと!!」
クロスライルはルシファシアと剣撃を交えながら、隙を見てファルネシオに銃弾を放つ。
「ファルは私が守る」
弾丸は、マテオとクラリスが融合した熾炎の救徒であるネア・メタトロシアが防ぐ。
いつの間にか彼女(彼でもある)は、頑強な鎧を着込んで盾を持ち、その大きさも危機的状況に呼応してハイザクを超える巨躯になっていた。
両親の愛は救徒になっても変わらない。愛する息子を守る時に十全に発揮されるものだ。
「ありがとう、メタトロシア。その愛に涙が出そうだ」
ファルネシオは、その盾の後ろ側から『死滅の御手』を発動。
本当の力を発揮した死滅の力は、合計で十二個放射されて全方位からクロスライルに襲いかかる。
が、こちらもすかさず銃弾を放って迎撃。
大半が死滅の御手に消されていくものの、あえて銃弾同士をぶつけて爆発を引き起こし、その衝撃でわずかに生まれた隙間に自ら飛び込むことで強引に回避に成功。
「帽子が消し飛んじまったぜ! あとで弁償しろよな!」
ジーギスでさえ一撃で消滅させた力を受けても、帽子の心配をする程度で済んでしまう。
もちろんこの間もルシファシアと戦い続けているので、瞬時に攻撃から防御に切り替えつつ、また攻撃にシフトして斬り合うといった芸当もこなしている。
「こっちだって遠距離戦闘はできるんだぜ! 術をくらいな!」
剣撃だけでは倒せないと悟ったルシファシアが、今度は術式を構築。
星の記憶からデータを参照することで因子レベル7の魔王技、『絶対零度』を放つ。
文字通り周囲を凍らせる氷の術式で、討滅級魔獣程度ならば一瞬で絶命させる怖ろしい術だ。効果範囲も直径五百メートルと広いことから逃げるのは難しい。
それに対してクロスライルは、膨大な闘気波動を放って迎撃。溢れる闘争本能によって相殺してしまう。
「つべてーー! 氷はやめろよな! 手がかじかむだろうが!」
「こいつ、本当に普通の人間か!?」
ルシファシアの魔力は「SSS」かつ『絶対零度』の倍率は1.5倍。それを戦気で防ぐには三倍の力が必要になることから、とんでもない力が放出されたことになる。
それでも「冷たい」の一言で終わってしまうのだから、さすが異邦人といったところだろうか。(体表はそこそこ凍っているが我慢している)
「嵐ならばどうだ! 切り刻んでやる!」
続けてルシファシアが巨大な竜巻を生み出す。
魔王技、『真襲匈嬰汰嵐』。
グレートタングルが使っていた因子レベル3の『風放車濫』の上位である因子レベル6の『匈嬰汰嵐』をさらに昇華した因子レベル8の超大術式である。
何百という荒れ狂う風の刃によって生まれた嵐が、クロスライルを呑み込んでいく。これにはクロスライルも身体中を切り刻まれ、嵐の中で右に左に流されてしまう。
が、その状態でも銃撃。
嵐を突き破った銃弾がルシファシアに襲いかかる。
ルシファシアは聖剣で切り裂いて銃弾を破壊するが、いつも以上の大爆発が発生。相手が破壊することを見込んで闘気の質を変化させていたのだ。
続いて、視界が塞がれたルシファシアの上下から二発の銃弾が飛んでくる。
これは遠隔操作ではなく、あらかじめ銃弾の軌道を定めて撃つことでドライブ回転とホップ回転をかけた形となる。
ただし、銃弾のジャイロ回転を無理やり闘気で包んで曲げているので、威力が著しく減衰してしまう。
だが、これも計算済み。
ドライブとホップでそれぞれ速度が異なるため、相手は時間差で襲ってくる弾丸に対処する必要に迫られる。
ルシファシアはドライブ回転の弾丸を上昇してかわすと、続いて襲ってきたホップする弾丸を切り払う。
これもルシファシアだからこそできる迎撃法であり、普通の人間ならば弾丸の威力に負けて爆散してしまうところだ。
が、これもまた布石。
ルシファシアの眼前に銃弾が一発、【宙に浮いていた】。
(止まって―――いる?)
おそらくはあとから時間差で放ったものなのだろうが、なぜか時間が停止したかのように宙で止まっていた。
だが突然、銃弾が一気に急加速。
不意をつかれたことで防御が間に合わず、ルシファシアの顔面に直撃。頭部が半分ほど吹き飛ばされる。
「カカッ! まだ力に慣れていないようだねぇ! 術と剣の切り替え時にけっこう隙があるぜ!」
「くそっ! 何をしやがった!」
「手品師にタネを訊くのかい? 戦いでは手札が多いほうが有利なんだぜ!」
怪我は神樹の力によってすぐに再生するのだが、その間にクロスライルは術式から離脱しており、ファルネシオに向かって駆けていた。
「ファビオの兄さん、その首もらったぜ!」
凄まじい気迫の斬撃がファルネシオの首にまで迫る。
だが、寸前でメタトロシアが間に入り、その刃を受け止める。
ガンソードはメタトロシアの重厚な鎧を穿つが、彼女から噴き出た強力な浄化の炎である『熾炎』によって刀身部分が溶け始めた。
「とと、こりゃまずい! 火の出力が半端ないねぇ!」
クロスライルは仕方なく銃剣部分を切り離して後退。
が、これはあくまで『武器の質の差』によるもの。けっして彼の技量が劣ったわけではない。
むしろさきほどの謎の銃弾といい、ルシファシアと対等に渡り合う体術といい、クロスライルの強さが際立つ結果になっていた。
『神』を相手にこんな真似ができるのも彼の戦闘経験値が異様に高いせいだ。外見は四十そこらだが、ファビオが出会った頃から変わっていないので実年齢はもっと上。
何十年、あるいは百年近い時間を闘争だけに使ってきたのだから強くて当然だ。加えて常に単独で死線を潜り抜けてきたことで、一対多数の戦いにも慣れている。
ルシファシアも仕切り直し、一度ファルネシオの前に戻る。
「ファル、こいつはジーギスよりも何倍も強いぞ」
「ええ、ここまで強いとは思っていませんでした。これが本物の武人の力なのでしょう。生まれたばかりのボクたちでは対処に難儀しますね」
「カカッ! いいねぇ、それでも勝てるって口ぶりだ」
「勝てますよ。神樹がある限り、ボクたちが死ぬことはないのですから。しかし、あなたの銃弾には限りがある。そろそろ限界なのでは?」
「兄さんよ、油断はいけないって言っているだろう? 物事に絶対なんてないのさ。それは身に染みているはずだぜ」
クロスライルは、この状況に至っても勝つ気でいる。負けることなど微塵も考えていない。
これこそ無頼者の気質。誰にも頼らないからこそ、常に勝ち続けるしかない者の気概である。
(ボクは女神様から特異な力をもらっている。ならばクロスライルさんにも特殊な能力があるはずだ)
クロスライルは能力のすべてを見せていない。通常戦闘だけであれだけの力を持っているのだから、全力を尽くせば結果がどう転ぶかは未知数である。
しかしファルネシオもまた、イノールやジーギスに好き勝手やられた経験から多くを学んだ。
(油断はしない。ボクは甘さを捨てねばならないのだから)
ここでファルネシオは奇跡を発動。神樹の力によって新たな救徒が生まれていく。
その姿は、翼が生えた巨大な獣。
頭部は狼と龍がブレンドされたようなデザインだが、四肢があって二足歩行ができるタイプだ。それが真なる救徒と異なる点は、彼らが『兵士』であることだろう。
卵から生まれたルシファシアやメタトロシアたちが『第一階級の救徒』だとすれば、彼らは『第三階級の雑兵』である。
よって、その数は百以上に及ぶ。
「ワタシに皆の力を貸してくれ」
ファルネシオの意思を受けて覚醒した『神の獣』たちは、一斉に口からレーザーを吐き出して攻撃。
熱線は数秒間続くので、網の目のように迫ってクロスライルを追いつめる。
その威力も相当なもので、地面に当たると神樹の根が溶解してしまうほどだ。某風の谷の巨神兵を想像してくれれば、いかに凄まじいかがわかるだろう。
クロスライルも当たったら瀕死は確定。必死になって逃げ回る。
「カカッ! すげぇ能力だ! だが、さすがに何でもありはずるいよな。それだけの力を使うとなれば、いくつかの条件があるはずだ。この馬鹿でかい樹だけの力じゃねえだろうさ」
クロスライルの推察通り、ファルネシオの奇跡にはいくつかの条件が存在する。
聖剣といった物質ならば即座に生み出すこともできるが、その場合でも元となる素材があったほうが作るのは楽だ。ここはクラフト能力と同じである。
また、一時的に動く人形ならばともかく、生命体を生み出す場合には『霊魂』が必要となる。
素材となる霊魂の強さやファルネシオとの親和性によって作れる階級が決まるので、第一階級の真救徒は家族や親友といった存在に限られる。
一方で神の獣たちはそこまで縁が深くない者、つまりはさきほど吸収した『ユアネスの住人たちの魂』を使っている。
それぞれの魂で情報が異なるため生まれる獣も細部が異なり、性質いかんによってはまったく違う属性を持つこともある。
それを証明するように、熱線を放つ獣もいれば圧縮された水を放つ獣もおり、風や雷を吐き出すものもいる。まさに多種多様だ。
そして、ファルネシオの『神の軍勢』に加入するためには、彼らの魂が『協力的』であることが一番重要な要素となる。
「この力は皆の総意。ユアネスの意思に集った魂たちなのです。ボクたちは全員で一つとして存在している。だからこそ強い!」
都市にいた他の人間も同じく神樹に吸収されている。その意味では誰もが平等であり、ファビオが掲げたユアネスの精神に賛同した者たちが力を貸してくれているのだ。
代表格としては、マテオ組のようなファビオの味方になってくれた北の村出身者の魂で、彼らが転生した場合は非常に強力な神の獣となる。
アンシュラオンのギアスと同じく、何事も協力的であったほうが力を発揮しやすいのは道理だろう。
ただし、怒りや憎しみもまた縁である。
この間にも次々と卵が割れて『ネア・メイジャ〈真救徒〉』が生まれてくるが、その最後に出現したのは―――
「うぐうおおおお! 熱い! 熱い!! 許さぬぞ!! ジーギス! オルシーネの小僧めぇえええ!」
【イノールの魂】を使った第十一真救徒、欲望の救徒ネア・アネイモン。
その見た目はユーナが元となったエルネシアや、ディノが元となったルシファシアとは異なり、天使とは程遠い醜悪な『悪魔』の姿をしていた。
皮膚は常時焼け爛れ、肉が腐り落ちて血は沸騰し、いくつもの剥き出しの眼窩から覗く眼球は嫉妬と欲望に塗れている。
愛の反対は憎しみだ。自己犠牲の反対は欺瞞と偽善である。そうした因縁もまた両者を繋ぎ合わせるものとなりえた。
「イノールもボクを成長させるための糧となった。彼は哀れな人間だ。人は誰しも罪を犯すもの。いつの日か、その痛みが彼自身を浄化させるだろう」
「カカカカ! 神様ごっこは楽しいかい? だが、オレはあんたにはなびかない! 殺しても簡単に御せると思うなよ! さあ、とことんやろうぜ! オレが死ぬか兄さんが死ぬか、一発勝負だ!」
同じ異邦人であるクロスライルの魂は、そこらの人間とは異なる。ましてや彼は無頼者。取り込めるかはわからない。
だが、そういった存在もこれからの救済には必要だ。
ファルネシオが前に出ると同時に、神の獣たちの攻撃が止まり―――
「クロスライルさん、手を結びませんか?」
「あ? オレの話を聞いていたかい?」
「あなたは自身で狩るためにボクの覚醒を待っていた。しかし、まだボクたちは全力ではありません。それはあなたにとっても不本意なことではありませんか?」
「言うねぇ。もっと上に行くってか?」
「それだけ強いあなたでさえ発展途上だ。どうせならば上限まで強くなってからのほうが面白い。あなたにはそう言ったほうが効果的でしょう?」
「そんなことまでわかるのかい?」
「ボクには心強い仲間がいますから」
キリポとファンジーが元となった眼の救徒ネア・ラグアシアは、敵を監視して能力を見破ることができる。いわばアンシュラオンの『情報公開』と似た能力だ。
この戦いの間、彼はじっとクロスライルを監視することで、才能が完全に発揮されていないことを知った。その情報は常にファルネシオにも共有されている。
「このまま戦えば間違いなくボクたちが勝ちます。なぜならば、神樹の力によって何十年でも無制限に戦い続けることができるからです。この身体は寝る必要もなく食べる必要もありません。寿命すら存在しない。その間にあなたの武器は朽ちます。この空間に閉じ込めるので補給もさせません。さらにはボクの奇跡によって獣はますます数を増すでしょう」
「まあ、そうかもな。否定はせんよ」
ルシファシアだけでも強敵なのに、ファルネシオを含めた全救徒が援護すれば、まず確実にクロスライルは死ぬ。
彼はそれでも無頼者の気概で戦い続けるだろうが、ここで殺すには惜しい人材だ。
「さきほども述べたようにボクはカーリスを滅します。カーリスに組する勢力も同様です。そのためにクロスライルさんの力を借りたいのです」
「どういう心境の変化だい?」
「あなたのおかげで自惚れることなく現実を見つめられました。僕はもう負けるわけにはいきません。人々を導く理想郷を生み出すためには救徒以外の力も必要なのです。あなただって独りで大国の軍隊とは戦えないでしょう?」
「だからオレに手伝えって? そこにメリットはあるのかい?」
「見返りは与えます。あなたが強くなるためならば努力と援助を惜しみません。特に武器に関しては興味があるはずです。望むのならば銃剣型の聖剣を与えることもできます」
「ふん、兄さんに恵んでもらうほどセコくねえよ。だが、まあそうだな…。まだもったいないか。お互いにな」
クロスライルは銃をしまい、代わりにボロボロになったタバコを取り出すと、ルシファシアの前に差し出す。
どうやらあの激しい戦闘の中でも一本だけ握りしめて死守していたらしい。まさになけなしの一本である。
「火ある? そっちの兄さんは、さっき火を出していただろう? オレの火気だと燃え尽きちまうからよ。頼むわ」
「なんて変わり身だよ。その無精ヒゲまで燃やしてやろうか」
「カカッ、変わり身が早くないと荒野では生きていけないぜ? とりあえずは休戦といこうや」
「ったく、しょうがねえおっさんだな」
ルシファシアがタバコに火を付けてやると、クロスライルは本当に美味そうに吸っていた。
彼からすれば少々激しい運動をした程度のことなのだろう。最低でも魔戯級、もしかすればアンシュラオンと同級の聖璽級に若干差し掛かっているかもしれない実力者だ。
余談だが、ルシファシアは最初にジーギスに対して火の術式を使い、次に氷と風を使ったことからも基本の四属性をすべて使えると思われる。その意味においてもアンシュラオンに近しい能力の持ち主だった。
こうしてユアネスでの激闘は終わった。
これは独りの男が転生して死ぬまでの物語。
そして、そこから新たな【群雄】として生まれ変わる物語であった。
∞†∞†∞
エピローグ。
この宇宙は『絶対神』のイメージによって創られた。
人智を超える無限で無窮の意思が「こうあればいい」と願ったことで、銀河も星も生物も生まれることになったという。
なぜ、神がそうしたのかはわからない。
無限で無窮であるものが、無限であるがゆえにその表現を求めて『全から個』に戻ったのか、あるいはそれ自体を含めてすべて神なのか。
こんな話を延々と続けたところで答えなど見つかるわけがない。唯一わかっていることは「何もわからない」ということだけだ。
人間が知覚できる領域など所詮は微々たるものにすぎない以上、何かをわかったふりをすること自体が無知である。
ともあれ、宇宙が常に拡大を続けているのは間違いない事実だ。
そこに確かな意思があることも。
(ボクは…神に選ばれたのか?)
とある魂が、この星にやってきた。
彼はただ平凡な人生を歩みたいと願ったが、星の意思はそれを許さなかった。
沈みながらも上昇を続ける星には、激動と痛みによる目覚めが必要不可欠だからだ。
いまだ多くの人々が迷っている。苦しんでいる。騙されている。
ならば、彼はまだ歩まねばならない。
ゆっくりと目を開くと、そこは小さな宿の一室だった。
「………」
「目覚めたか? 随分と長く星の記憶と同調していたようだな」
そこには黒い肌と白金の髪を持つ美青年がいた。
自身の最愛の友であり、もっとも信頼できるネア・ルシファシアである。今は翼はなく、普通の服を着ているので見た目は人間と変わらない。
その親友に対し、ファルネシオはぼそりと呟く。
「夢を見ていたのです。すべてが始まった頃の」
ファルネシオの声は静かで、清涼感がありながらも厳か。聴く者に強い感銘を与えるものだった。
元から『理想の神』としての力はそなわっているが、これらは長い年月によって培われたものでもある。
「それは俺とお前が人間だった頃の…『百年前』のことか?」
「そうです。ボクがまだファビオだった頃の話です。あの頃は幸せだった。ボクと君がいて、ユーナがいて両親や妹がいた。それだけで十分だった」
「お前がいたからこそ救われた者がいる。俺もその一人だ」
「わかっています。迷える者を導くのが『救済者』としての使命です」
「女神が与えた役割だけじゃない。お前自身がそう願っていたんだ。そうだろう? わが友よ」
「ええ、その通りです。すべてはボクが欲したこと。それを女神が後押ししてくれたにすぎない」
(あの時にボクは逃げることをやめた。本当の意味で戦う覚悟を決めたんだ)
百年前、ファビオが作ったユアネスという都市はカーリスの浸食を受けて滅びた。
そう、今まで見ていたものは彼の夢の話、過去の出来事だったのだ。
あの戦いののち、ファルネシオは大規模な『反カーリス運動』を開始。カーリスの魔の手が伸びつつあった周辺の村や街から影響力を排除していく。
やり方はとても簡単。
街に入り込んだカーリス教徒を問答無用で皆殺しにした。入信した者は、それがまだ日が浅くとも徹底的に排除。少年少女であっても躊躇はしなかった。
その理由は、カーリスが思想を通じて伝染する病原菌であるからだ。
一度でも感染すれば完全に戻すのは難しい。迅速に対処するためには強制排除がもっとも安全な方法だった。これもイノールたちから学んだことである。
それを何度も繰り返したことでカーリス側からの報復もあったが、神樹の力を得たファルネシオたちが負けるわけがない。
やってきた援軍も皆殺しにして、時には見せしめに【火刑】も行った。
その行為に恐怖を抱いた者も多かっただろうが、ファルネシオがカーリスの悪事を糾弾し、理想を説いて回ると人々は魅了されたように彼に心酔した。
彼の声は荒んだ人々の心を癒し、生きる喜びを与えてくれる。諦めて死のうかと思った者でさえ、次の日には好青年に戻っている。
これはファビオが、そうなるようにファルネシオをデザインしたからだ。
年月が経っても衰えない美しい容姿、弱者に優しく接する尊さ、自らは質素な生活を好む清らかさ、邪悪を排除する力強さ、人々を導く知恵に安寧を与える富。
誰もが夢想してやまない『理想の救世主』を現実に生み出したのだから、人々が熱狂しないわけがない。
多くの支持を得たファルネシオは本格的に『救済者』という宗教組織を立ち上げ、弱き人々や迷える者を助け導くことで急速に力をつけていった。
そのおかげでユアネスは、かつて滅びた都市の名前ではなく『地域』の名称にまでなっていた。カーリスを駆逐した土地を保護することで、徐々に『ユアネスの思想』が広がっていった結果ともいえる。
実際に旧ユアネスがあった場所には『神都ユアネーナ』が生まれ、ご神体である神樹を崇めに連日数多くの信者が巡礼にやってくる。
その祈りが、その願いが神樹の力となって、ますますファルネシオは力を増していくわけだ。
宗教組織として動き出したのは精神術式と同じ理屈である。
以前は『森の神信仰』だったものを昇華し、ファルネシオの能力名でもある『救済』を入れることでカーリスの汚染を防ぐことが目的だ。
もう一つの理由は、人間の本質は霊であり、いずれは女神がいる『愛の園』に還ることを自覚させるためには、宗教の体裁をとるのが一番だったこともある。それによって過度の欲望から身を守ることができるからだ。
こうして『救済者』が苛烈なほどにカーリス教の弾圧を続けたおかげで、この地からは完全にカーリスの影響力が消えることとなった。
また、この百年間でユアネスにいくつもの都市や街を作り、軍隊を整備してそれらを要塞化。絶対に他者から侵略されない強固な地盤を作ることにも成功していた。
これは神樹がファルネシオの生命線でもあるからだ。神の軍勢や信者を増やし、神樹を守らせることを最優先にした結果といえる。
ただし、カーリスは西側勢力と深く繋がっていることも忘れてはいけない。
高い技術や文化を与える反面、カーリスといった悪い慣習も持ち込む西側国家の入植にもファルネシオは否定的で、東側大陸の人々だけで『理想郷』を作ることを明言する。
そして、ついにニューロードから独立。
もともとニューロードは旅人が勝手に呼んでいただけの場所だったので、その一部を切り取ってユアネスという『国』を作ろうとしたのだ。
まだ国と呼べるほどの基盤はない。
他者からすれば何もない土地を新興宗教勢力が占拠して、実効支配しているだけという認識だ。ソブカが得た情報も似たようなものである。
だが、着実にユアネスは力をつけている。
ファルネシオは『今』に戻り、周囲を見回す。
「クロスライルたちは?」
「出立の準備をしている。いろいろとやらねばならないことがあるからな。あれから随分と救徒も増えて管理の手間も多くなったもんだ」
「このやり方が正しいのか、まだわからないのです」
「『教祖』といえど迷うものだ。だが、それでいい。人間味が完全に失せてしまえば、それはそれで問題だ。お前は間違っていないさ」
「多くの犠牲が出ても?」
「それでも進むべきだ。もう二度とジーギスのような連中が出てこないように、俺たちが率先して邪悪を倒すんだ。それを正義とは言わない。だが、『天使』としては当然の行動だ」
親友にはファルネシオの心の内がすべてわかっている。わかっていながらも、あえてこうして問答して整理するのは『ファビオの性分』だから仕方ない。
それに快く付き合うからこそ友なのだ。
「クロスライルはよく動いてくれている。まあ、いつまでこちらの味方なのか、よくわからないやつだがな」
「彼は好きにさせてください。そういう約束です」
「もとより扱いきれるような男ではないさ。にしても、あいつは救徒でもないのに歳を取らないな。いくら転生者といえども不思議な男だ。で、戦力は足りるのか? 俺には少ないように思えるぞ。獣も数十体くらいは連れていったほうが良い威圧になる。俺たちの神機と戦艦も見せつけてやればいいのさ」
「過剰な力は相手を警戒させます。あの地はまだ我々の力が及ばぬ場所。状況を見ながら動かす程度でよいでしょう。それに、君がいる」
「ふっ、そうだな。この百年で十分に修練を積んできた。敵が何万いようが、お前を守るくらいはできるさ。それ以外にも多くの準備をしてきたんだ。怖れることは何もないか」
ルシファシアがいればたいていのことは問題ないが、広く活動するには他の人手も必要で、できれば強力な武人や能力者が欲しい。
そこで教団の実働部隊を新たに編成。
理念に賛同して集まってきた者に力を与えたり、あるいはクロスライルが集めてきた傭兵やハンターを洗脳して戦うための集団を作った。
同時に、新たな力を得るため『遺跡の発掘』にも積極的だった。
発掘といえば聴こえはよいが実際は盗掘であり、場合によってはそこにいる管理者すらも排除して無理やり古代の遺物を集めていた。説得しても彼らが素直に渡すわけがないからだ。
かなり強引な手法だが、神樹自体がメラキの遺産だったこともあり、その重要性をよく知っていたことも大きく影響している。
賢者の石といった重要かつ危険なものはファルネシオが管理するが、それ以外の遺物は奇跡によって強化して実働部隊に提供することで、さらに戦力を増していった。
このように百年間、カーリスや西側諸国と戦うための準備を整えてきたのである。
そして、次に向かうのは自由貿易郡だ。
「自由貿易郡…懐かしいですね」
「ああ、最初はそこに行くのが目的だったからな。ようやくそれが叶う」
「自由貿易郡は、この地域最大の東側の勢力地ではありますが、昨今では西側国家の影響力も強まっています」
「あそこは貿易で富を得ている連中だ。金しか見ていないのだろう」
「しかし、カーリスを含めた数々の毒素が入り込んでいる。それを見過ごしてはおけません。説得が通じない時は強硬手段を取る必要があります」
「案ずるな。すべては星の意思のままにある。そろそろ行こう。お前を信じて待っている者たちがいる。留守はエルネシアに任せておけばいいさ」
「ええ、行きましょう。ボクたちは歩みを止めるわけにはいかないのですから」
ファルネシオは歩く。
どんなにその道が悪路だろうが、自らの意思と力で切り拓く。
なぜならば、彼の後ろには愛する者たちがいるからだ。
―――〈ファビオ、がんばって!〉
かつてユーナであったものの声が聴こえる。
―――〈ファビオ、ありがとう。愛しているわ〉
母や父、愛する妹たち。
―――〈ネイジア、我らが希望よ〉
自分を信じてくれる人々。力を貸してくれる者たち。
その期待を背負って救済者は進む。
向かう先は自由貿易郡。
そこで彼がアンシュラオンと出会う日、この星の歴史は激動によって急速に歩みを進めるだろう。
『宿命の螺旋』は、英雄たちの魂の燃焼によって輝くのだから。




