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『覇王アンシュラオンの異世界スレイブサーガ』(新版)  作者: 園島義船(ぷるっと企画)
群雄回顧編 「思創の章」
554/617

554話 「全滅 その2『決戦、ファビオの結末』」


「っ…」


「どうしたのファビオ?」


「い、いえ。なんでも…ありません」



(なんだ今の悪寒は? まさかディノたちが…。いや、今は振り向くな。先に進むんだ!)



 不意に脊髄を駆け巡る激しい悪寒と吐き気に襲われたが、今はその理由を考えたくなかった。少しでも立ち止まれば、もう歩けなくなりそうだったからだ。


 恐怖と不安を振り払うようにファビオは先に進む。


 そして、ディノが生命を燃やして足止めしてくれたおかげで、追いつかれることなく遺跡の最奥の間に到着。


 ここは最初に遺跡探索をした時に一度だけ入ったことがあったが、やはり何もない簡素な四十メートル四方の部屋だった。



「ここでいいのよね? 何もないけれど…」


「この宝珠があれば封印が解けるはずですが―――」



 ファビオがネックレスに触れると、淡い輝きとともに部屋全体が光に満ちた。


 光は次第に収束しつつ壁の一点に集まり、巨人が通れそうなほどの大きな扉を生み出す。



「よかった! ちゃんと起動したようです。それにしても、この扉も大きいですね」


「ここって前文明の遺跡なのよね? 昔の人って大きかったのかしら?」


「わかりませんが…扉は開いているので、まずは先に進みましょう」



 扉のサイズが大きいのは、前文明が支配していた魔獣や神機が入れるようになっているからだろう。


 この遺跡自体も全体的に規格が大きく、普通の人間が歩くとサイズの違いに遠近感が狂いそうになる。


 ともあれ、ファビオたちは急がねばならない。すぐさま扉の中に飛び込んでいく。


 扉の先は薄暗い一本道の通路で、緩やかな螺旋状の下り坂になっていた。


 他の通路と同じく人工的な灯りがあるが、相当古いもののようで至る所にガタがきており、不規則に明滅していたり、中には壊れて動かないものもあった。


 このことから普段使っていた遺跡上部はタイスケがメンテナンスをしていたことがわかるし、ここはそのタイスケでさえほとんど出入りしていない場所であることを示していた。


 ファビオとユーナは、互いの手を握りながら無言でその道を走って進む。


 ユーナの手が若干震えている。単なる遺跡探索であっても怖そうな場所なのに、今は追われているのだから怖くて当然だろう。



(この手は離さない。絶対に守ってみせる)



 自然豊かな場所で家族と静かに暮らすという、ごくごく平凡でありながらも自身がもっとも望んだ生活。


 その傍らには、常に彼女がいた。


 苦しい時は励ましてくれた。怖い時は背中を押してくれた。悩んでいる時はそっとしてくれた。楽しい時は一緒に笑ってくれた。


 今ではなくてはならない、かけがえのない半身だ。


 この手を握るから前に進める。怖くても立ち向かっていける。


 強い決意を胸に秘めながら突き進むと、一つの部屋に到着した。


 そこは部屋というより、大きな根がいくつも絡まって出来た『隙間』に近いものだった。


 天井や壁はすべて世界樹の根であり、隙間といっても東京ドームがすっぽり入ってしまうくらい大きい。


 どうやらここは世界樹の真下、その最深部のようだ。


 螺旋状に下ってきたので方向感覚が狂っていたが、世界樹の根は広範囲かつ地中深くまで張り巡らされているため、それを迂回するように移動してきたと想像できる。


 細かい根が絡まってよく見えないが、その空間の中央には『何か』があった。



「あれが遺産?」


「そう…みたいですね」


「よく見えないけれど、本当に価値があるものなのかしら?」


「ここに来るまでに多くの犠牲を払いました。そうでないと困ります。危険かもしれませんので、ユーナは少し離れていてください」


「ファビオも気をつけて」



 ファビオは中心部に近寄り、単身で根の隙間に潜り込んでいく。


 しばらく進んでいくと徐々に根が太く大きくなっていき、その分だけよく見えるようになった。



(なんだ…これは? 人?)



 視界に入ったのは、『人型の何か』。


 まるで赤子のように膝を抱いて丸まった形をしているが、その身体は肉ではなく機械的なもので構成されていた。


 そのうえ半分溶けているので、まるで幼虫がサナギになり、成虫になる途中で成長が止まったかのような印象を受ける。



(大きな人……巨人? これが文献で読んだ大昔に存在したというロボットなのだろうか?)



 ファビオもタイスケが所有していた文献で、この世には魔人機や神機という人型の機械があることを知っている。


 ここが前文明の遺跡なのだとしたら、おそらくは後者。神機と呼ばれる存在であると推察できた。


 ただし、まだ生きている。


 その頭部は根と合体していて、サナギから世界樹に向かってトクントクンと光が脈動していた。


 脈動の輝きは世界樹から発せられる生命力と同じものなので、おそらくはサナギ側が樹の本体だと思われる。



(もしや、これが世界樹の【たね】なのか?)



 すべての大樹は種から発芽して生まれる。今やジャングルとなっている場所でさえ始まりはあったのだ。


 この世界樹にしても同じ。ここに植えられた時、植林されたのでなければ種や苗があったと考えるのが自然である。


 それがこんな人型の何かであるとは意外であったが、前文明の遺跡である以上、常識を超えていても不思議ではない。



(どうすればいいんだ? 触ればいいのか?)



 種の大きさは、丸まっている状態で十五メートル程度。直立すれば三十メートルにはなろうかという巨体である。


 ひとまず触ってみるが、表面は樹脂で固められたようにカチコチした感触だった。それだけでは何も起こらなかったことから、ファビオはいろいろな場所を調べてみる。


 大部分は同様に固くなっていたが、胸の部分だけは柔らかい。


 ねちょりとした粘液の感触を我慢しつつ、ファビオがさらに手を伸ばし、指先に温かいものが触れた瞬間―――



「うわっ!!」



 ファビオが大声を発してサナギから離れる。


 それに心配してユーナが近寄ってきた。



「どうしたの!? 何かあった?」


「い、いえ、その……お、おっぱい!!」


「…は?」


「おおお……おっぱいが!!」


「ちょっとファビオ、さすがにこの状況でそれはどうかと思うわ。人間は危機的状況になると性欲が増すって聞くけれど」


「違うんです! 本当にそのイメージが―――あっ!」



 直後、その『漠然とした何か』が手を通じてファビオの中に入ってきた。


 目には見えないが、たしかに体内に浸透していくのがわかる。



「………」


「ファビオ?」


「どうやら遺産は手に入ったようです。でも、何も感じない。特に変化がないのです」


「遺産はこの変なものじゃないの?」


「これは世界樹の種です。これ自体は持っていけませんし、今感じた何かが遺産だと思うのですが…」



 明確な答えは出せないが、これが遺産であることだけはわかる。


 逆にいえば、その程度のものでしかない。



「タイスケさんは遺産があれば対抗できるって言っていたわよね。彼が嘘をつく必要もないし、これからどうすればいいのかしら?」


「詳細な説明がなかったということは、口には出せない理由があったのだと思います。今なら少し理解できます。これは形容しがたい何か…物質なのかすらよくわからない『力』なのです」


「ますますわからないわ。どういうこと? 使えるの?」


「使い方は…わかりません」


「それじゃ駄目じゃない」


「それはそうなのですが…」



(それでも知識では知っていたはずだ。どうして教えてくれなかったのだろうか?)



 タイスケ自身は知者ではないが、これはどう考えても『メラキの遺産』の一つである。


 エメラーダが管理しているものは現在では役立たずでも、スザクの武器のように使える遺物も数多くある。


 これもその一つであることを期待したいが、今のところ大きな変化はなく、ファビオも大きな焦りを感じていた。


 だが、逼迫ひっぱくした状況は思考錯誤する時間すら与えてくれない。



「ここが中心地のようですね」



 ついにベルナルドが遺産の間に現れる。


 現在は本を閉じており使徒は展開していないようだ。


 ベルナルドはゆっくりと周囲を見回してから、ファビオたちに近づいてくる。



「ジーギス司教! もう追いついてきたのか!」


「あなた方が遺跡に来ることはわかっていました。そのために探知の術をかけておいたわけですから」



 ファビオにかけた『視々眈々(ししたんたん)』だけではなく、遺跡自体にも探知の術をかけている。


 ベルナルド自身もキリポの護符を持っているので、ここにやってくることは容易であった。



「それが遺跡の遺物なのですか? なるほど、見たところ世界樹の種ですね。十分に立派な遺産ではありますが、私に対する切り札になるでしょうか」


「あなたに答える必要はありません」


「いけませんね。あなたは私との約束を破ってここにいる。そのことに対する罪悪感はないのですか?」


「まったくありません」


「そうですか。ならば私も罪悪感を抱く必要はないようです」


「…何のことです?」


「あなたの友人とご家族は、もう死にました」


「っ―――!!」


「すでに世界樹周辺は火の海です。あの状況で無事であるほうがおかしいでしょう。それに、あなたの友人のジェンロさんは私自身が葬りましたよ。最期は真っ二つになって火に呑まれましたので、罪状は簡易的な火刑となります」


「なんてことを…ジーギス! 貴様! 僕の家族をよくも! ディノをよくも殺したな! お前だけは絶対に許さない!」


「ようやく本気の怒りを露わにしましたか。いいですよ、相手になって差し上げましょう」


「ファビオ、挑発よ!」


「だからといって我慢の限界だ! あいつを殺す!!」



 本気中の本気でファビオが激怒!!


 その怒りの形相は鬼の如くである。


 しかし、ユーナの忠告通り、ベルナルドの言動は挑発以外の何物でもない。ディノたちを意図的に殺害したのもファビオの怒りを買うためだ。


 ベルナルドが遺産を押さえた場合は黙っていてもよかったが、先を越された以上は挑発して正体を確かめるのが優先と判断したのだ。



(この部屋にはほかに何もない。であれば、すでに彼が遺物を手に入れているはず。どうやら武器の類ではないようだが、戦えばそれもわかるか)



 ベルナルドは余裕をもって受けの構え。


 すでに幾多の戦闘をこなして身体が温まっている状態であれば、ファビオなど赤子の手を捻るようなものだ。


 と思っていたが、少しだけ誤算があった。


 ファビオが急加速。


 それは予想していたものより数段以上速く、対応が遅れて―――ドゴンッ!!


 拳で殴られた顔面が首ごと真横に伸びる。



「ぬっ…!」



 力任せに殴ってきたことも意外。一瞬だけ頭が真っ白になったことで動きが止まり、ファビオの怒りの拳が何度も炸裂。


 再び顔面を殴られて眼鏡が破壊され、破片ごと皮膚にめり込んでいく。


 その勢いのまま、腹、胸、脇腹と手当たり次第に殴りつけられ、ついにベルナルドがよろめいた。



「ジーギス! 死ね!」


「甘い!」



 怒りで大振りになったところを見切り、ベルナルドがカウンターの掌底を叩き込む。


 それでファビオが怯んだところで一度後退。


 中距離から熱爆球を連射して牽制するが、ファビオはそれらを両手で受け止めて霧散させる。


 クラフト能力の解析と吸収の力を利用した強引な防御方法であり、対価として生み出された高温度の炎が周囲の根を焼き尽くす。


 さすがに撃ち返すことまではできなかったようだが、なにせ血を沸騰させたディノでさえ一方的にやられたのだから、ノーダメージで防げただけでも十二分にすごいことである。


 これにはベルナルドも称賛の言葉を贈る。



「驚きましたね。名崙めいろん級上位の戦士並みのスピードとパワーです。さらには術にも対応してくるとは。戦気も使わずにそこまでの力を引き出せるのは遺産の力か、あるいはあなたの能力の高さなのか。どちらにしてもお見事です」



 ベルナルドは口から出ていた血を腕で拭う。


 タイスケの猛攻でもほぼ無傷だった彼にダメージを与えた段階で、ファビオの戦闘力が相当向上していることがわかる。


 おそらくは全力のマキを超える力だろう。



「お前を殺す…! 殺すぞ、ジーギス! 絶対に許さない!」


「あなたの本質を見誤っていたことも謝罪いたしましょう。そのような凄まじい憎悪を秘めていたのですね。やはり強い感情こそが力を引き出すのです」



 ファビオは産まれてから基本的に冷静で、ユーナやディノに対しても敬語を使うといった慎重さと丁寧さを持っていた。


 しかしそれは、怒りと憎悪の裏返し。


 前世で抱いていた強烈な怒りと憎しみが、魂の奥底にまでこびりついているからこそ、彼はこの世界に転生してきた。


 アンシュラオンやジ・オウンのように、ちゃんとした個性として転生できているあたり、その激情が人並み以上であることは間違いない。


 それがベルナルドという存在によって正体を現したにすぎないのだ。



「しかし、今のが最後のチャンスでした。もう油断はしません」



 ベルナルドは左手で本を持ち、半身になって右手を前に差し出す構えを取る。


 これが本来の彼の戦闘スタイル。以前遺跡で対峙した際に見せた『強敵用の構え』だ。



「ファビオ、本に気をつけて!」


「ふーーふーー! わかって…います! 怒りを…抑えて…!!」



 ユーナの心配する声にかろうじて引き止められ、激情をコントロールする。


 アンシュラオン同様、前世で死んでから地球圏霊界でトレーニングした成果でもある。


 ファビオは頭だけは冷静にしてベルナルドを観察する。



(ジーギス自体も強いけれど使徒にも注意が必要だ。タイスケさんの言い方からしても相当に強力な武器のはず。でも、すぐに出さないということは、まだこちらを警戒している証拠だ)



 使徒を温存しているのは遺産が何かを突き止めるためと、万一の際の切り札としてだろう。もし遺産の力が想定以上だった場合、撤退するだけの余力を残すつもりなのだ。


 しかも踏んだ場数は相手のほうが遥かに上。単純な殴り合いと駆け引きだけで勝てる相手ではない。もしベルナルドが本格的に攻撃にシフトしたら止められる自信がない。


 だが、幸いなことにファビオの力をひどく警戒して防御の構えから入っている。


 つまりは無条件でこちらから先に動けるのだ。



(ならば今が出し抜く最大のチャンス! 全力でいくぞ!)



 ファビオが左手に雷、右手に水を展開。それを合わせて前方に放射する。


 魔王技、『水雷刃砲』。


 『水刃砲』と『雷貫惇』の複合術で、因子レベル3に該当するものだ。


 ただし、通常は互いの因子レベルを合わせて雷は『雷刺電らいしでん』を使うのだが、ここではあえて因子レベル2の『雷貫惇』を使用している。


 そのために雷の性質のほうが強く、直径一メートル半にも及ぶ太い雷のレーザーが生まれる。


 そこに水の性質が加わるが、圧力で負けて飛び散ることで周囲に雷を撒き散らす結果になる。わざとバランスを悪くすることで対処を難しくさせたのだ。


 ベルナルドは『破邪顕正』を使わずに体術で回避。多少の被弾を覚悟しながらも真横に飛び退く。


 これも力を温存しての判断であったが、飛び散った雷水に触れただけで防御の戦気が抉られ、服が燃え焦げて皮膚が火傷。


 その思わぬ威力にベルナルドも肝を冷やす。



(術の威力の桁が違う。全盛期のローランド以上の才能だ。彼が肩入れするだけのことはある)



 ベルナルドがタイスケの術をことごとく防げたのは、老衰と制約違反によって彼の能力が落ちていたせいでもある。


 その点、ファビオは青年期で一番活力に満ちている時であり、なおかつ身体を変質させているので火力が異様に高い。


 もし直撃していたら、いくらベルナルドでも大きなダメージを受けていただろう。



「ジーギス!! 報いを受けろ!」



 ベルナルドが回避を選択したことで動きが制限される。


 そこを狙って一気に懐に飛び込んできたファビオは、左手の『本』を狙う!



(ローランドから使徒の情報は得ているか。だが、動きが丸見えだ。才能はあっても戦闘経験値は低いようだな)



 ベルナルドは、さらに半身になって左手を上手く隠す。


 その代わりに右手をより前に突き出し、状況に応じて打撃も術も使い分けられる状態にする。


 本が遠のいたことでファビオが少しでも動揺すれば、そこから一気に切り崩すつもりでいた。このあたりでも彼の戦闘経験値の高さがうかがい知れる。


 がしかし、ファビオの狙いは本ではなく―――右手!


 ベルナルドが突き出した右手を素早く握ると、能力を発動!


 周囲に大量の術式陣が高速展開。禁忌の術式が発動する。



(狙いは右手! さきほどの情報を利用したか!)



 これの布石は、ユーナの『本に気をつけろ』というアドバイスにある。


 彼女自身は単純に警告しただけなのだろうが、その声にベルナルドも意識を持っていかれていた。


 だからこそ本を庇ったのだが、それを上手く利用したファビオの読み勝ちであった。


 そして、相手が相手なので、遠慮せずに力を全解放。



(どうにでもなれ! こんなやつ、ヒトでなくてもいい!)



 凄まじい演算処理が行われ、ベルナルドが変質を開始。


 自分でも制御できない力がゆえに、互いにどうなるかわからない怖さがある。


 されど直後、ベルナルドの右手に結び付けられていた『十字架』が爆散。


 ファビオは手を離さなかったものの、予想していなかった衝撃で一瞬だけ握りが甘くなった。


 その隙にベルナルドは本を投げ捨て、左手でファビオの右手を砕く!


 続けて蹴りを放ち、腹に強烈な打撃を叩き込んだ。



「ぐっ!」



 ファビオは吹き飛ばされて倒れ込む。


 戦士であるディノすら鎧ごと破壊した蹴りである。本来ならば即死級だが、強化されているのでダメージはそこまで大きくはない。


 とはいえ、起死回生になるはずだった一撃が防がれたのは痛い。


 ベルナルドも右手をさすりながら冷や汗を掻く。



「怖いものですね。完全に虚をつかれました。なかなかどうして面白いことを思いつく。身代わりがなければ、もっと酷いことになっていましたよ」



 あの十字架は、身代わり人形の術式版ともいえるものだ。


 物理攻撃に対しては効果を発揮しないが、自身が許容しきれない分の術式攻撃を身代わりで受けてくれる。


 それが粉々に砕け散った段階で、ファビオが展開した術式が恐るべきものだったことがわかる。


 その証拠に身代わりがあってもなお、ベルナルドの右手は外皮が溶けて剥き出しの筋肉と骨だけになっていた。


 白濁したブヨブヨも付着しているため、あのまま続けていたらモアジャーキンのように『ヒトでない何か』にされていた可能性が高い。


 一度でもこうなるとパミエルキの回復術式でも元には戻らない。ファビオが再度いじらない限り、一生このままであることも怖ろしい。


 実際に禁忌の力を自身で受けたことで、改めてベルナルドはファビオを危険視する。



「ファビオ・オルシーネ、あなたは危険です。脅威度は個人レベルとはいえ上級審問官すら倒す可能性を秘めている。その能力も未知数な部分が多く興味をそそられますが、手に入らないのならばここで消すしかありません」


「それが…カーリスのやり方か」


「誰だってそうでしょう。自身を脅かす存在が目の前にいるのに、わざわざ危険を放置する愚者はいない。それはカーリスの庇護下に入ってこそ存在が許される禁忌の力なのです。最後に訊きます。私の言うことを聞いておとなしく投降しなさい」


「絶対に…断る! 家族と親友を殺したお前には死んでも従わない!」


「ユーナイロハさんはどうです?」


「あなたは間違っている。いえ、カーリスは力の使い方を過っているわ。私も夫に従います」


「では、仕方がありません」



 ベルナルドが熱火線ねっかせんを発動。


 それが向かった先は―――



「あっ―――」



 ユーナの腹から灼熱の痛みが込み上げた。


 自分に攻撃が来るとは思っていなかったため、驚きの声と同時に血が溢れ出る。


 この術は焼き切るものなので出血自体は少なかったが、貫通した以上は無事では済まない。


 力を失い、ばたりと倒れる。



「ユーナ!!」



 ファビオは折れた手を押さえながら彼女のもとに駆け寄る。


 倒れたユーナは、虚ろな目をしながら夫の手を握る。



「ふぁ、ファビオ……ごめん…なさい。足手まといに…」


「そんなことはない! 君はいつだって僕の傍にいてくれた! 一緒にいないと駄目なんだ!」


「…ファビオ…負けないで。あなたは…特別な人……だから…」


「もうしゃべらないで! 傷を塞ぐ! 多少変質しても!」



 ユーナの腹に手を当てて物質を変容。


 強制的に傷を塞ぐが厳密な意味でいえば、これで彼女も百パーセント純粋な人間ではなくなってしまった。


 しかし、そこで【とある重大な事実】に気づく。



「ユーナ…まさか君は…」



 ユーナの身体には【もう一つの魂】が宿っていた。


 ずっと欲しくてたまらなかった愛の結晶が、確かにそこにあったのだ。幸いながら熱線は子宮まで焼いていない。新しい命はまだ生きている。


 おそらく当人も妊娠には気づいていたはずだが、目まぐるしく変化する状況になかなか言い出せなかったのだろう。


 この時、ファビオは初めて親の愛を知る。


 マテオとクラリスが無条件に与えてくれた温もり、その偉大なる愛を。


 だからこそ絶対に負けられない!!



「たとえもうヒトでなくなっても!! あいつを倒す力を! ユーナを守るために! 子供を守るためならば!」



 ファビオが自身の身体を抱きしめて能力を発動。


 脳裏に恐怖の感情がよぎるが、強い意思でリミッターを外して継続する。



「ううっ…うあぁああああああ!!」



 激しい痛みと強烈な違和感に魂が砕け散りそうだ。


 しかし、今戦えるのは自分だけ。残っているのは自分独りなのだ。愛する者を守るために彼は覚悟を決めた。


 いくつもの巨大な多重術式陣が生まれ、身体を急速に変質させていく。身体中の細胞が『何か』に変わっていく。


 人間の手は弱すぎる。だったらヒグマがいい。


 人間の足は遅すぎる。だったら狼がいい。


 人間の身体は脆すぎる。だったら鋼鉄がいい。


 ファビオの身体が、さまざまな生物や物質に入れ替えられていく。


 より強固に、より頑強に、より俊敏に、より狂暴に。


 新しく生まれた身体は魔獣と機械のごった煮。ほとんど人間としての部位を残していない何かになっていた。


 それを見たベルナルドが叫ぶ。



「なんという醜悪さ! なんという浅ましさ! それでこそカーリスが輝く! 悪を滅ぼすは正義の務めなのだ!」


「貴様に正義など、あるものかぁああああ!!」



 ファビオが人間であった頃の何倍もの速度で駆ける。それは狼の脚力。赤刃狼のものだった。


 それに対して、ベルナルドは大量の熱爆球で弾幕を張る。


 が、ファビオの背中から翼が生えて弾幕を乗り越え、一気に背後に回り込む。


 ベルナルドは即座に振り向いて対応しようとするが、ファビオの竜に似た頭部からブレスが放射。


 それは赤刃狼のファイヤー・ブラストエッジボイスに似ているが、威力は数倍に跳ね上がった炎の渦がベルナルドを焼く。


 彼の防御の戦気を突き破り、皮膚を爛れさせ、細かい刃の粒子で抉っていく。



「まだまだぁああ! みんなが受けた痛みは、こんなものじゃないぞ!」



 相手がショック状態に陥ったところで、ヒグマの爪で乱撃。


 真卍蛍と同等以上の爪の強度と威力に加え、破邪猿将の剣撃すら超える速度で何度も切り裂き、ベルナルドが身に付けていた術具類をすべて破壊。


 ベルナルドは反撃を試みようとするが、本を守るだけで精一杯。頬の肉と肩が抉れ、胸が破れて出血。


 だが、それで済むほど今のファビオの攻撃は生温くない。


 本を狙うふりをして生まれた隙をつき、骨盤部分から生えた尻尾が槍となってベルナルドの腹を突き刺す。



「ぐふっ…! 『ルキニド・ヴァキス〈聖火をくべる裁きの使徒〉』!」



 ベルナルドは、空間から新たな本を取り出すと使徒を具現化。


 どうやらさきほどから持っていたものはタイスケの本で、フェイクのために見せていたものらしい。



「ジーギス! お前らしい姑息な戦い方だな! だが、いまさら小細工など通用しない! ここからは全力の殺し合いだ!」



 迎撃に出たルキニド・ヴァキスとファビオが打ち合う!


 火剣がファビオを切り裂けば、お返しとばかりに剛爪で切り裂く。


 聖火を放ってくれば、今度はこちらも爆炎ブレスでお返し。


 相手が盾で防ぐのならば、こちらも鋼鉄の身体で防ぎ返す。



「なんと! 使徒ルキニドと互角に戦うとは! これが邪悪の力! おぞましいにも程がある!」


「僕をこうまで歪めるカーリスのほうが邪悪だろうに! その使徒もお前たちが穢したのだろう! 本に描かれている本物の使徒はそんな醜悪ではないぞ!」



 人間であった頃の第三使徒ルキニドは本来、死者を聖火で焼いて天に召す聖者として崇められていた。


 第六使徒バルヴァハも人々に説法で道徳を教え、悪事には罰が下ると戒める聖者であった。


 そもそもすべての使徒は、初代聖女カーリスの弟子だった者たちだ。彼ら自身は聖女が殺されたことに勘づき、抵抗してその場で殺されたか、一部は逃げ出して真実を伝える旅に出ている。


 それを自己の欲望のために戦いの道具として顕現させ、あまつさえ正義を説くなど、それこそ悪の成れの果て。


 すべて偽物、贋物がんぶつ、紛い物。


 イノールのように物欲や性欲を満たし、ジーギスのように自己陶酔と権力欲のために平然と他者を踏みにじる悪党。


 それがカーリスの皮を被った怪物の正体だ。そんな怪物を倒すためには自身も悪魔になるしかない。



「消え去れ!」



 ファビオはルキニド・ヴァキスを抱きつくように捕縛すると、能力を発動。


 使徒そのものを変質させて消し去ろうとする。



「使徒を堕落させるわけには!」



 ベルナルドは使徒を自ら消滅させて対応。


 しかし、それによって大きな隙が生まれる。


 ファビオが空中を駆けて爪を突き出し―――ドスンッ!


 鋭く太い爪がベルナルドの胸を貫通。


 ベルナルドは身体を捻って強引に脱出するも、その時に胸が抉れておびただしい量の出血とともに心臓が露わになる。



「汚い血を吐き出す源はそれか! 叩き潰してくれる!」


「げふっ…ごふっ……ふふふ、狂暴ですね。これはもう伝説級の悪魔といっても差し支えない。この状態では…厳しいですか」


「お前にはもう何も残っていない! このまま死ね!」


「あなたがまだ知らない本物のアモンズの力を…お見せしましょう! 魔を滅する聖なる力を!」



 ベルナルドが『アメンズ=メタナイア〈異端への懲罰〉』を開いたまま、血だらけの胸に押し付ける。


 すると、本が溶け出して肉体と融合。



「アモンズは聖女の成れの果て! 男がゆえに聖女になれなかった者! しかし、その力の一端は私にもあるのですよ!」



 ベルナルドの身体が変質を始めていく。


 顔は女性に近くなり、もう一つ生えてきた頭部は虎のもの。


 腕も三本に増えて剣と盾とトーチを持ち、四枚の翼が生えて身体が浮き上がる。


 鋭い目つきや黒い肌といった面影は残っているが、半分は完全にルキニド・ヴァキスのものになっていた。


 これまでと違うのは、彼の真っ黒なドグマごと融合したことで、ルキニド・ヴァキスから黒い炎が噴き出していることだろうか。



「聖女とは『神と合一』する者! さあ、見なさい! これが使徒と合体した神の代行者の真なる姿です!」


「どっちが醜悪だ。貴様こそ悪魔に相応しい」



 ファビオでさえ思わずそう呟いてしまう醜悪さである。


 だが、これが真のアモンズの力。


 タイスケはカーリスを見限った失敗作だったがゆえに、ここまで力を引き出せなかったが、ベルナルドは最高傑作の一人。


 もともと彼は『王竜級』の実力者であったが、今やその能力は第四級の『魔戯まぎ級』にまで上昇し、悪魔を打ち倒す力となる!



「切り刻め! 聖火の剣よ!」



 一万度まで上昇した聖火で熱せられた火剣の乱撃が、ファビオを襲う。


 咄嗟に爪でガードしたが、相手も性能が強化されているので受けた爪が抉り溶けていく。


 それを嫌って距離を取ると、今度は吐き出された煙がまとわりつく。


 黒い炎から漏れ出たすすは精神毒素を含んだ煙となり、吸った者の精神と身体を蝕んで破壊する。


 家族を苦しめた『聖火の香』というスキルだが、こちらもパワーアップしており、ファビオといえども吸い込んだらただでは済まない。


 さらには、ここには一般人もいる。



「よろしいのですか! ユーナイロハさんが死にますよ!」


「っ…!」



 煙がユーナに向かっている。


 ファビオが慌てて彼女を庇いにいくが、そこに聖火が襲いかかる。


 聖火は一度に四つ放てるようになっており、ブレスを放って一つ二つと掻き消すが、残り二つが襲来。


 ファビオは両手を広げてユーナを守ったがゆえに―――直撃!


 鋼鉄の肉体も溶け出し、顔が爛れ、腕が炭化する。


 だが、それでも死なない。


 身体を変質させ続けることで強引に復元してユーナを守っている。


 その姿を見てベルナルドが感嘆の声を上げる。



「あなたは怖ろしい! なんとも怖ろしい! 私にはあなたが未成熟であることがわかる。その状態でも私と戦えるのです! 今こそ確信しましたよ! あなたは滅ぼさねばならない! そうしなければ、きっとカーリスにとって厄介な敵となる!」


「なにをいまさら! お前の行動が僕を怒らせた! 自ら敵を作っておいてなんと言うか!」


「最初から従わないから、そうなる! さあ、火刑を始めましょう!」



 大量の聖火が『ベルナルド・ヴァキス』の周囲に展開され、次々に降り注ぐ。


 狙いがユーナであるためファビオは避けることができない。


 ブレスを吐いたり爪や尻尾で引き裂いたり、身代わりで受けても聖火は消えることなく燃え広がっていく。


 それに対抗するために自身を変質させ続けるが、ここでついに限界が訪れる。



(身体が…動か―――ない)



 ファビオの能力は物質を変質させる力ではあるが、元の素材を大きく超えて変化できない。


 モアジャーキンがブヨブヨの人ではない何かになったとしても、あれもまたもう一つの人の形態であるだけで、その能力を大きく超えてはいないのである。


 それと同じくファビオの変質も『個』としての限界に差し掛かっていた。


 アンシュラオンのような魔人の肉体を持っていれば、これ以上の変質も可能だったかもしれないが、元となったのは普通の人間の血肉である。


 マテオとクラリスという一般人から肉体をもらった以上、これが上限一杯。


 それでも魔戯級であるベルナルド・ヴァキスともやり合えることから十二分の強化とはいえる。


 ただ一歩、あと少し要素が足りなかっただけだ。



「それが限界のようですね。では、とどめは華やかに! 悪なる者に裁きを下せ、汝の聖なる灯火で!」



 ベルナルドの周囲に『十二聖火』がくべられ、一気に燃焼。


 これが『ルキニド・ヴァキス〈聖火をくべる裁きの使徒〉』の【神の試練】、「悪なる者に裁きを下せ、汝の聖なる灯火で!」であり、十二個の聖火を同時に放つことで敵を完全滅却する奥の手だ。


 聖火は連なり合って遺産の間を埋め尽くすほどの巨大な火球となり、ファビオとユーナの頭上から落ちてくる。


 逃げ場もなく、抵抗する力もない。今度こそ本当に終わりだ。



(届かなかった。これが現実なのか…。最期は、せめてユーナと一緒に)



 ファビオはユーナを抱きしめる。


 今生で出会った最愛の女性と一緒に死ねるのならば、それほど悪い死に方ではないとも思えた。


 わが子も親と一緒に死ねるのならば、多少はましであろうか。


 そして、火球に呑まれた二人は、その人生を終えた。



 結果は―――【全滅】



 ベルナルドによって全員が殺されてしまったのだ。



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