547話 「謀略」
ユーナからの了承も得てカイロナウテの救出は断念。口惜しいが、こればかりは致し方ない。
引き続きディノと作戦を練る。
「逃げるといってもどこに行く?」
「街はじきに完全に封鎖されるでしょうから、その前に森に潜みましょう。彼らの注意が街に集中すれば脱出するチャンスも出てきます」
「家に戻るのか?」
「いえ、実家は監視対象になっているはずです。かといって森に潜み続けるのも難しい。となれば、僕たちが行ける場所は一つしかありません」
「あそこか。たしかに隠れるなら一番だな」
森だけは都市と隣接していながらも他者が入ることが難しい土地だ。刃狼もいることからカーリスといえども兵の配備はできていないはずだ。
その中でも結界に守られた『世界樹』ならば隠れるのに最適といえる。
(タイスケさんはどうしているだろうか? 厄介事を持ち込むようで申し訳ないが、今は頼るしかない)
「となると、問題は『門の鍵』か」
「ええ、議会に返してしまいましたからね…」
ファビオは一週間前、議員を辞めた際に北の門の鍵を議会に預けてしまっていた。
これは森の利権を旧北の村が独占せず、街全体に還元することを約束させるものである。判決内容が軽かった一面には、こうした裏取引もあったわけだ。
少々わかりづらいので説明を加えておくが、ファビオの実家は森の浅部の入り口付近にあるが、人が完全に管理しているという意味で街の一部である。
唯一の違いは柵に囲まれていないので、街に入る際は衛士隊の門番がいる専用の門から入らねばならない点だ。
一方、マテオたちのような林業で生計を立てている者が物資搬送用として使うのが北の門である。
あそこは旧北の村が完全に管理していたので衛士隊もおらず、ファビオたちの自由にすることができていた。
「しかし、仮に鍵があったとしても、この状況では北の門自体が監視されている可能性が高いです。僕たちがわざわざ街に入ってから脱出を試みたのも行動を監視されていたからですし」
「そうだな。監視対象としては比較的緩かった村長のおじさんまで簡単に拘束するくらいだ。俺らだったら絶対に通してくれないよな。じゃあ、どうする? 他の門を狙うか? それとも柵を乗り越えるか?」
「柵の外側は平地で目立ちます。彼らも目を配っているでしょう。唯一の可能性があるとすれば、森に隣接している『西の門』です」
「たしかにあそこならば…。だが、あっちはカーリスの縄張りだぜ。簡単に通れるとは思えないな」
西門は、かつて西の村長が密かに暴漢たちを逃がしていた門である。(形式的にはカーリス教徒扱い)
あそこは東と南の門とは異なり、森が一部隣接している場所でもあるので人目に付きにくく、あの時も暴漢たちをあっさりと逃がした要因になっていた。
今現在も西の村長はカーリス側と認知されているがゆえに、ファビオたちも普段ならば絶対に立ち入らない場所である。
が、だからこそ敵の目を盗むことができる。
「西の村長と交渉してみましょう。駄目ならば違う手を考えます」
「あいつを信用しろってか? ジーギスに報告されたら終わりだぜ」
「どのみちこのままでは手詰まりです。この際、賄賂を贈ることもやむをえません」
「ちっ、仕方ないか。最悪はふん縛ってやるさ。だが、交渉するにしろ、こっちがぞろぞろ出向いていったら丸見えだぜ」
「僕独りで向かいます。そのほうが目立たないでしょう」
「大丈夫か?」
「ええ、今の僕ならば。ディノは皆を守ってください」
「わかった。任せる」
ファビオたちは街の喧騒から逃げるように都市の北側に移動。
隠れる場所ならばいくらでも知っているため、ディノと家族たちにはそこで待機していてもらう。
その間にファビオは、単身で西の村長宅に向かう。
今までならば走る速度も武人には及ばなかったが、クラフト能力で自身を強化したことで一流の暗殺者並みの動きが可能になった。
監視系の術式にも警戒しつつ、陰に隠れながら移動すること数分。村長の邸宅に到着する。
(正面からは入れない。裏から行かせてもらおう)
裏庭に回り、死角部分の壁をクラフト能力で扉に変質させて中に入る。
勝手口が勝手に一つ増えてしまったが、帰る際に戻しておけばよいだろう。(クラフト能力で変化させたものは元には戻せないので、バッグに入っている木材を変化させて補修する)
(村長は…在宅しているみたいだ)
波動円は使えないものの感覚が鋭敏になっているため、周囲の気配が手に取るようにわかる。
どうやら西の村長は火刑の見学には出向いていないらしく、家にいるようだ。
その気配を辿りながら部屋の前に着くと、軽くノック。
返事はなかったが、かまわずにファビオが中に入る。
「君は…」
西の村長が、赤く染まった顔をこちらに向ける。
テーブルには酒瓶とコップが置かれていたことから、昼間から酒を飲んでいたことがわかる。
「ご無沙汰しております。勝手に入って申し訳ありません」
「ファビオ…か。珍しいな。君から来るなんて何年ぶりだろう」
「村長になりたての頃に挨拶に向かった時以来です。本日はお願いがあって参りました」
「お願い…何かね?」
「僕は都市から出ます。その脱出の手伝いをしていただきたいのです」
「脱出? 妙な言い方だな」
「実は―――」
ファビオは都市がカーリス兵に囲まれていることを説明。
西の村長はわずかに驚いたものの、どこか納得したように事態を受け入れていた。
「村長はご存じだったのですか?」
「…いや、知らなかった。だが、そうか…。君が都市を見限った理由もわかるというものだ。西側の文化に浮かれていた我々が間違っていたのだ」
「………」
「私を非難しないのかね?」
「間違えたのは僕も同じです。彼らを甘く見ていた。害虫を素早く排除できなかったユアネスが弱かったのです」
「君がそう言うとこたえるな。…すまなかった、ファビオ。すべては私の弱さが原因だ。イノールが粛清されれば、次は私も同じ道を辿るだろう。それで少しは腹の虫を収めてくれ」
「責めませんよ。全員の失態です。『仲間』の不幸を喜ぶような人間にはなりたくありませんから」
「君は…変わらないな。いつも強くて清廉潔白だ。だからこそ生き延びねばならない。門の鍵は持っていきなさい。使い終わったらそのままでかまわないよ。都市のことも気にすることはない。あとは我々が責任を負うさ」
「今までありがとうございました」
「ああ、気をつけてな。無事を祈っているよ」
村長は机から門の鍵を取り出すとファビオに手渡す。
彼にはいろいろと思うこともあるが、彼自身は新しい刺激に少し浮かれてしまっただけの普通の人間にすぎない。
根は純朴であり、一緒に都市を作り上げた仲間であることは変わらない事実である。その温かい記憶を血で穢したくはなかったのだ。
ファビオは急いでディノのところに戻り、上手く鍵が手に入ったことを伝える。
「本当かよ!? まさか、あの西の村長がな…」
「村出身者は純粋な人ばかりです。根から悪い人はいませんよ」
「そうだな…。じゃあ、もう行くか」
「そうしましょう」
(不思議なことに区切りがついた気がする。これで都市に対して思い残すことは何もない)
いまだ火刑は始まらないらしく、カーリス信者たちも教会付近に集まっていたことで、西の門までは誰にも見つからないで到着することができた。
もともと普段は使っていない門ゆえに、誰も意識を向けていなかったことが幸いしたといえる。
一行はそっと門を出て、浅部を歩き続けて森の深部の入口に差し掛かる。
されど、見張りのハンターたちがいない。
(彼らも野次馬に行ったのか? 珍しいから仕方ないか。でも、むしろこれは幸運だ。目撃されないで奥に入ることができる)
「お兄ちゃん…」
「大丈夫だよ、エファニ。もうすぐだからね」
まだ幼く疲れが目立ってきた妹の手を引き、先を急ぐファビオ。
深部に至るとファビオとユーナとディノの三人が持つ護符が光を発し、結界の中に入り込む。
あと少し、もう少し。
それだけを考えて歩みを進める。
そして、ついに世界樹にまで到着。
(ここまで来れば安全だ。結界の中には誰も入れない)
ここでファビオはようやく緊張の糸を緩める。
一方、マテオとクラリスは初めて見る世界樹に感銘を受けていた。
「こんなものがあるとは…。まさに森の守り神だ」
「ええ、そうね。ファビオったら秘密にしておくなんてずるいわ」
それほどまでにこの場所は生命力に溢れており、疲れた心身を癒してくれる。
家族が世界樹に見惚れている間に、ファビオとディノはタイスケの家に赴く。
が、そこで異変を察知。
タイスケの家が破壊されていたからだ。
慌ててディノが中を捜すが、タイスケの姿は見当たらない。
「ファビオ! 中にもいないぞ! まさかここも安全じゃないのか!?」
「破壊の痕跡は少し前のもののようです。今ここに敵がいるとは限りませんが…」
「だが、誰かに見つかったことは間違いないぜ。それでじいさんは逃げたんだろう。なら、これからどうする? 森の中を移動して北に抜けるか?」
「刃狼は襲わないでしょうが他の魔獣もいるので危険です。それに、森の北側はまったく整備されていないので交通ルートに出るまでかなり距離があります。多少安全にはなったものの、子供連れで行くような場所ではありません」
「うーむ、さすがに護衛が俺とお前だけじゃ心もとないか…」
森の北側は、ファビオたちですら立ち寄らない危険なエリアである。
荒れていた北からの侵入を森が防いでいたからこそ、ユアネスは比較的安全だったのだ。あえてそこを通るとなれば、魔獣に盗賊にと面倒な連中と出くわす可能性が高まる。
さらに北側に出る盗賊は東の騒動から逃げてきた者たちが大半であり、その中にはシダラのような上級軍人崩れも多い。そんな連中と戦うことはカーリスとやり合う並みに危険なことである。
それゆえにファビオも、多少手間がかかってもクルマを使って交通ルートに出る方法を選んでいたのだ。
「まだ望みはあります。みんな、こっちへ」
ファビオは皆を世界樹の裏側にまで連れていき、結界の切り替え装置を探す。
装置は以前と同じままの状態で発見。特に荒らされた様子はない。
(よかった。これは無事だ)
タイスケがいないのならば例の遺跡に行ったか、あるいは違う場所に逃げたかだろう。
敵がこれを見つけたかは不明だが、どちらにせよこの装置は護符がなければ操作できない仕組みになっている。無理やり動かそうとしても不可能だ。
(壁を壊したわりに家の中はそのまま放置されている。タイスケさんがいなかったから撤退した可能性が高い。となれば、遺跡のほうは無事のはずだ。数日やり過ごすだけならば問題はない)
ファビオは自身の護符を使って装置を起動。
家族たちを遺跡があるエリアに導く。
「あっちに遺跡があります。そこに隠れましょう」
「こんな場所があったのか…知らなかったぜ」
「私も知らなかったわ」
ここはディノとユーナすら知らない場所。知っているのはタイスケと、その後継者になったファビオだけだ。
遺跡も特に変化はなく、前に訪れた時と何ら変わっていない。
ファビオたちは、ようやく落ち着けることに安堵しつつ遺跡の中に入る。
こちらも以前同様、壁には火が灯り、奥の部屋の扉も開いたままだった。
そして、中からは人の気配がした。
「タイスケさん、いますか! 僕です! 助けてください! 今困ったことになっていて!」
ファビオは切羽詰まった声を出しながら中に入る。
しかしながら、そこで見た人影は明らかにタイスケのものではなかった。
なぜならば、そこにいたのは―――
「お待ちしておりましたよ、オルシーネさん」
「っ―――!!」
「どうされましたか? 私がここにいてはおかしいですか?」
「な…ぜ……ここ…に」
「ふふ、そんなに驚かれると、こちらも困惑してしまいます」
そこにいたのは―――ベルナルド・ジーギス
浅黒い肌に眼鏡に牧師服。最近ではそれを見るだけでも嫌気が差していたところに、改めて突きつけられる残酷な現実。
彼は唖然としているファビオの前で、棚に並べられた本を手に取る。
「これが何かご存じですね?」
「………」
「おや、驚きすぎて声も出なくなりましたか。困りますね。あなたにはこれからいろいろと証言してもらう必要があるのに」
「証言…?」
「ええ、【咎人】として法廷で、ね」
「なぜ僕が! あなたは釈放を言い渡したはずだ!」
「イノール元司祭長に対する罪はそうです。すでに判決は出ました。それを覆すことはできません。しかし、次はそれ以外の罪についてです」
「それ以外…とは?」
「あなたは、ここにカーリスの禁書があることを知っていましたね?」
「っ…」
「ここまで状況証拠がそろっていては言い逃れはできません」
「だから…ここにいたのですね」
「はい。あなたならばきっとここまで来てくれると信じていました。不思議な信頼関係だとは思いませんか? 私はあなたを高く評価している。だからこそ嬉しくもあり残念でもあります」
(はめられた! すべてこの男の思惑通りだったんだ!)
ファビオの知能が高いがゆえに、同じく知能の高い人間からすれば行動も読みやすい。
都市を封鎖すれば必ずやここに来るという確信。意図的に監視を緩めたのも誘い込むための罠だった。
それはファビオが都市を脱出することもわかっていたことになる。
これに関してはディノや家族の動向を注視していれば、そこまで難しい予測ではないだろう。一番の親友と妻が裁判に来なかったのだから疑うのは自然だ。
タイスケの壊れた家をそのままにしておいたのも、ファビオがその先を予測して動くと考えたからだ。
ただし、遺跡まで来るかは賭けだった。こればかりは確率の問題である。
もっとも、カーリスの監視網は交通ルートにも及んでいるので、来なければ来ないで違う場所で捕縛すればよいだけだ。
が、やはり直接的な証拠を押さえられたのは痛い。
「さきほど『タイスケ』と言いましたね。彼のことも知っていますね?」
「………」
「黙秘は意味を成しません。ここに禁書があることを知っていたのですから彼の正体についても知っていたはずです。彼自身がカーリスのお尋ね者。禁忌を犯した特級犯罪者なのです」
「僕には関係ありません。彼は彼。僕は僕です」
「詭弁も通じません。咎人と関わって禁書にまで触れた。これだけでも極刑は免れません」
「くっ…! 最初から知っていましたね! そうでなければ、ここまで用意周到にはできない!」
「そこまで評価してくださるのは光栄ですが、私とて万能な人間ではありません。禁書の存在を知ったのは、つい先日です。あとは、あなたの過去の行動をすべて繋げればよかっただけです」
「では、そもそもどうやってここに入ったのですか? あの装置には壊された様子もなかった」
「ああ、そのことですか。とても簡単ですよ」
ベルナルドが懐からストラップを取り出す。
それを見たファビオが目を見開く。
「それは…『護符』! どうしてあなたが!」
「あなたのお友達のキリポ・コスタさんからお預かりしたものです」
「そんな! キリポが!! 嘘だ!」
「嘘ではありません。さすがの私も鍵がなくては装置は操作できません。結界をすべて壊すこともできますが、かなりの労力ですし、できればスマートなやり方をしたほうがいいでしょう」
「僕はキリポを信じます!」
「信じることは尊いことです。私も日々、聖女と女神に祈りを捧げております。ですが、結果は我々の意思にかかわらず出ます。それが地上という哀しい世界の在りようなのですから」
すべての状況が、キリポが関わっていることを示していた。タイスケに関しても彼から聞けばすべてわかるだろう。
だが、ファビオにはどうしても彼が裏切ったとは思えなかった。
「…僕たちをどうするつもりですか?」
「当然、拘束いたします」
「その後は? 火刑にしますか?」
「それはまだわかりません。あなた次第としか」
「あなたは何が目的なのです? あれだけの兵を僕のためだけに動かしたとは思えません。ほかの理由があるのでは?」
「それを教える必要はありません。が、私は聖なる使命のために動いています。そのためならばあらゆる手段をもちいます。たとえ何万の人々が犠牲になったとしても【原罪】の再来だけは防がねばなりません」
「原罪? カーリスが唱える『原初の罪』のことですか?」
ここでいう原罪は、タイスケが言っていたものとは違うはずだ。
いきなりベルナルドがそんな機密を打ち明けるわけがないので、一般的な原罪の話だと判断。
事実、それは当たっていた。
「さすがオルシーネさんは博識だ。よく勉強されています。我々カーリスの目的の一つは原罪を受け入れ、再び人が禁忌に手を染めぬようにすることなのです」
カーリスの聖典には、かつて人は大罪を犯したとされ、産まれた瞬間から罪を背負っていると書かれている。
それを償うために聖女が天より遣わされ、人々が再び過ちを犯さぬように戒律を教えたという。
イノールのような俗物はともかくとして、敬虔な信者はこれを信じているし、ベルナルドに至っては妄信を超えて狂信の領域にまで到達していた。
「原罪論、僕はそれを否定します。人は罪を背負って産まれたりはしない。愛を抱いて産まれてくるのです」
「詩人ですね。そうであればどれだけよかったか。ですが、女神が規制を施しているように、愚かな我々人類が罪を背負っていることは事実です。この遺跡とて、その名残りといえるでしょう。正しくなかったから滅びたのです」
「人間の進化は一辺倒なものではありません。常に揺れ動いて成功と失敗を続けることで新しい道を切り開きます。たしかに滅びたのは事実でしょうが、それが失敗だとは思えません。過去があったからこそ未来があるのです。原罪が何かは僕にはわかりませんが、その失敗を乗り越えてこそ人は進化するはずです」
「やはりあなたは興味深い。この状況でも堂々としている。そんなオルシーネさんに一つ提案があるのですが」
「…どのような?」
「その力をカーリスに預けてほしいのです。あなたが持つ能力は極めて危険な代物です。放置しておくことはできません」
「僕に力などありません。ただの弱い人間です」
「嘘はいけませんね。あなたには特別な力がある。モアジャーキンという者が、あなたによって『何か』にされてしまったことをお忘れですか?」
「………」
「すでに『物証』は押さえています。言い逃れはできません」
「…それゆえに僕を消すと?」
「ですから提案をしているのです。その力は危険なれど、カーリスの管理下に置くのならば話は別です。禁忌の力も正しく制御できれば有用なものとなるでしょう」
「それが禁書を処分せずに隠し持っている理由なのですね」
「隠し持つのではありません。正しく管理しているのです」
「では、あなたは禁書の中身もカーリスの傲慢さも知っているはずだ。恥とは思いませんか? それが増長を招く原因になっているのですよ」
「思いません。聖女カーリスの戒律を守る我々だけが、唯一力を持つ資格があるのですから」
(やはり駄目だ。ドグマに支配されている)
ベルナルドは自身が正義であることを一ミリも疑っていない。ゆえに彼の行動は常に肯定され、何をやっても許されると思い込んでいる。
これ自体はドグマが視えるファビオにはわかっていたことだ。いまさら説得するつもりはない。
だが、ここで一つの大きな違和感に気づく。
「僕の力についてはどこで知ったのです? 僕は一度も能力について外部に口外したことはありません」
「発明家だったのでしょう?」
「だとしても、せいぜい道具を加工する程度です。それが禁忌とは思えません」
「………」
「それにイノール司祭長の態度には、ずっと疑問を抱いていました。彼はたしかに僕を嫌っていましたが、あそこまでするとは思えない」
「彼が誘拐を目論んだことは事実です。間違いありません」
「誘拐はそうでしょう。しかし、殺し屋は? 彼が僕を殺したいのならば、もっと前にもそれができました。それだけ我慢できた人物が、今になっていきなり殺害に及ぶのでしょうか?」
「侍従の司祭からの証言もあります。それほど切羽詰まっていたということです」
「皮肉なことに僕はイノール司祭長のことがよくわかります。自分とは正反対だからこそ理解できるのです。裁判でも彼は殺し屋に関してだけはずっと否定していたと聞いています。ならば、それを信じてもいいと思います」
「何が言いたいのですか?」
「あの二人に殺しを依頼をしたのはイノール司祭長ではない、ということです」
「これは異なことを。彼以外に誰が依頼するのです。それほど他者に恨まれているのですか?」
「僕はあなたを疑っています」
「ほぉ、理由を訊いても?」
「イノール司祭長よりも、あなたのほうが僕を邪魔に思っていたはずです。僕がいなければ森に自由に入れます」
「しかし、殺すほどではないでしょう」
「そうです。そこが引っかかる。ですから、あなたにとってはどちらでもよかったのでは? もし僕に特別な力があるのならば、それがどれだけのものかを測ることができるし、仮に殺してしまっても問題はない。どちらに転んでもイノール司祭長に罪を押し付けられますからね」
「想像としては面白いですが、怖ろしいことを言うものです。司教の私がそんな依頼を出すでしょうか?」
「あなたは手段を選ばないと言いました。それくらいはするでしょう。また、すでに特別な力を持っていたユーナには最初から目を付けていた。彼女は都市内では有名ですからね。そして、僕が死ねば御しやすくなることも想定していたはずです」
ユーナのことは祭りを見れば一目瞭然だ。ベルナルドが来てからも力を使っている。
ならば、特殊な力を制御したいと考えるベルナルドが狙ってもおかしくはないだろう。
また、モアジャーキンがユーナを見逃したことから、最初から星飼いと殺し屋の二人は別の目的で動いていたことがわかる。都合がよいから一緒に行動していただけにすぎない。
ただし、ここでベルナルドにも想定外のことが起きた。ファビオの能力が『本来の力』を発揮してしまったからだ。
「僕の力が予想以上だったことで拘束に切り替えた。それが今回の筋書きでしょう。その場合でも都市の包囲はやりすぎだと思いますが」
「ふむ、面白い仮説です。あなたの中では、私は相当に極悪非道な人物になっているのですね」
「そのうえ司教は『目』も良いようです。なぜモアジャーキンを僕が倒したと考えたのですか?」
「ユーナイロハさんの証言と状況証拠からです」
「あの場にはクロスライルさんもいました。彼がやったと思ったほうが現実的だ。実際にエングリシュという人物は彼が倒したと聞いています。それに、僕が彼を『何か』にしたと言いましたね。どうしてそう思うのですか? 常識的に考えてそんなことはできませんし、他の力によってそうなったのかもしれません」
「………」
いきなり発見した白いブヨブヨのものを「ファビオがやったに違いない」と断定することは難しいはずだ。
たしかにベルナルドは狂信者だが、そこまで突飛な考えを抱く人物ではない。
であれば、彼はその場を『視ていた』のだ。
「あなたは何らかの方法で現場を見ていた。おそらくは…そう。何かしらの術式で。僕も『追眼』くらいは使えますし、術式の中には視力を強化したり、特定の相手を遠くから監視するものがあります。それを使えば十分可能でしょう。そして、それはあなたが殺し屋に依頼していなければ、時間的にも場所的にも難しいことです」
ユーナたちが拉致されてから、そこまで時間が経たない段階でファビオは凶行に及んでいる。
何よりもイノールの館に神官騎士が即座に駆けつけたことも不思議だった。彼らは他のカーリス教徒よりも先にやってきたのだ。
誰かが司教を頼ったという可能性もあるが、あまりに迅速すぎる。最初からこうなることを予想していないと難しい。
あの時からファビオには違和感が残っており、ベルナルドへの漠然とした不信感が湧き上がっていた。
それがもっとも高まった瞬間が、ついさきほど。
「異端審問官にとって火刑を見届けることは、非常に重要な使命と聞きます。あなた自らが下した罰なのですから当然です。しかし、あなたは火刑よりも僕を優先した。ということは、イノール元司祭長の火刑を囮にしたことになります。判決の時に簡単に釈放したことも、僕が自発的に動くように仕向けるための計略の一つだったのでしょう」
「………」
「黙秘は意味を成しませんよ。状況証拠がそろいすぎていますから」
「ふふ、やはり面白い。この都市を発展させただけのことはありますね。イノールさんのような俗物とは器が違う」
「認めるのですね?」
「肯定も否定もいたしません。ただそれだけです。それにきっと、依頼は私自身が出す必要はなかったのではないでしょうか。責任を追及したとて違う者が吊るし上げられるだけです」
「俗物はあなたでしょう、ジーギス司教! イノールまで利用したあなたこそ悪だ!」
「私はすでに申し上げたはず。使命のためならば手段は問わないと。再び人間が過ちを繰り返さぬように、すべての力は我々が管理せねばならないのです」
ベルナルドの気配が変わった。
これ以上の対話はもう必要ないと判断したのだろう。
非常に威圧的で抑圧的なプレッシャーが周囲に満ちる。
(勝てるのか!? この男に!)
少なくともモアジャーキンなどより遥かに格上の相手である。戦ってみなくてはわからないが、正直に言って勝てる確率はかなり低い。
唯一勝機があるとすれば、あの時の能力をもう一度発動させることだ。
が、もしあの戦いを見ていたとすれば、相手も力のことを知っている。間違いなく対策をしてくるだろう。
「私と対峙しても怖れぬ胆力、見事です。しかし、愚かでもあります」
ベルナルドは隙なく構えつつ、すっと一冊の『本』を取り出した。
半身の姿勢になり、身体の後ろに置いた左手で本を胸の前に持ち上げ、前に突き出した右腕はいつでも動かせるように自由にしている。
ここでアンシュラオンならば即座に敵の戦闘スタイルを分析するのだが、経験が浅いファビオは困惑するだけだ。
(なんだ、あの本は? まさかここで裁判でもするつもりか? だが、それにしては不自然だ)
ファビオは、あの本が『アメンズ=メタナイア〈異端への懲罰〉』であることを知らないため、敵の行動がまったく予想できない。
わかったことといえば、ベルナルドにこちらを見逃すつもりはない、という当たり前の事実だけである。
そして、対峙してみて初めてわかる怖さがある。
(なんというプレッシャーだ。睨まれているだけで汗が噴き出してくる。まるでクロスライルさんと対峙しているみたいだ…。せめてみんなだけでも逃がせれば…)
「家族と仲間だけは助けたい。そう考えていますね? ですが、逃げ場などはありません。どのみち都市は我々によって占領されることになります」
「やはりそれが目的ですか。まるで盗賊ですね」
「どう捉えられてもかまいませんが、あなたが無駄な抵抗をしなければ穏便に済むかもしれません」
「僕はもう都市に未練はありません」
「他の者が犠牲になってもですか? 知り合いも大勢いるのでは?」
「脅しとは司教がやることとは思えません。僕が大切なものは家族と親友だけです」
「なるほど、優先順位を決めてそれ以外には惑わされない。強い意思をお持ちだ。しかし、あなたは大切なことを忘れている」
「何をですか?」
「私が『独り』だと、どうして思ったのですか?」
「っ―――!」
「きゃっ!!」
部屋の外でエファニの叫び声が聴こえた。
それと複数の人間が争う音も響く。
「ディノ!」
ベルナルドに視線を向けながら外に呼びかける。
おそらくディノは、こちらの様子をうかがいながら逃げ出そうとしてくれていたはずだ。彼はいつだってファビオの気持ちを汲んで動いてくれる。
だが、通路には武装した二人の異端審問官、ジャコブとガジガが隠れていた。
ベルナルドのインパクトが強すぎて失念していたが、慎重な彼が単独でやってくるはずもない。
ジャコブが左手でエファニの腕を掴み、吊るし上げてディノを牽制。
「エファニを放せ!」
「衛士隊の隊長か。無駄な抵抗はやめておけ。どうせ勝てぬ。抵抗すれば、ユーナイロハとファビオ・オルシーネ以外の者は殺す」
「私も? なんでよ!」
「あんたには第一神殿に行ってもらうぜ。そこで『聖女』に認定されれば、今より良い暮らしができるかもな」
ガジガが少しだけ皮肉っぽく笑う。
なぜ彼がそうした態度を取ったのかユーナにはわからなかったが、ひどく不愉快なことだけは確かだ。
「私はそんなところには行かないわ! ファビオたちと離れるつもりもない!」
「てめぇに選択権なんて無いんだよ。俺らにだって無いんだからな」
「そんなのただの犬じゃない! 虚しくないの!?」
「んだと!! 殴られないとわからねえのか!」
「やれるものならやってみなさいよ!」
「なめてんじゃねえよ!」
「あぐっ!!」
ガジガの蹴りが襲うが、それに当たったのはユーナではなく、ディノの息子であるアティノだった。
彼は腹を蹴られて飛ばされただけではなく、あまりの痛みでうずくまって動けなくなる。
「子供になんてことを!」
「お前、殺してやる!!」
それにユーナが青ざめるが、一番激怒したのはもちろんディノだ。
凄まじい怒りの戦気を発し、ガジガに対して剥き出しの殺意を向ける。
「はっ、その女以外は殺してもいいって話なんだ。かかってこいよ!」
「ガジガ、やめろ。無駄なことはするなとベルナルド卿からも言われているだろう」
「ああ!? 俺はこういうやつらを見るとイライラすんだよ。どうあがいても無駄なのに抵抗しやがって!」
「自分が弱虫だからって他人に八つ当たりしないでよね。最低だわ!」
「この女!」
「二人とも、おやめなさい」
「司教!」
一触即発の空気の中、ベルナルドが部屋の外に出てきた。
隣にはおとなしく従うファビオの姿がある。
「オルシーネさんは賢い決断をなさいました。これ以上の乱暴は私が許しません。少しでも手を出せば懲罰を加えます。わかりましたね、ガジガさん」
「ちっ…」
「あなたは強化の反動が出すぎです。もっと感情の抑制に努めなさい」
アモンズのメンバーには特殊な強化が施されている。
ベルナルドのように強靭な精神力を持つ者ならば反動も少ないが、ガジガといった才能が乏しい人間には無視できないほどの悪影響が出る。
薬物中毒者に似て精神が過敏な状態になり、それによって常にイライラしているので睡眠もほとんど取れない。
目の下の大きなクマもそのせいで生まれたものである。彼の言動に波があるのもそのせいだ。
一方、ジャコブもさほど才能があったわけではないが、反動の出方がガジガとは逆で、感情の起伏がほとんどなくなってしまった。
常に冷静なのは心を制御しているわけではなく、それ以外の感情が乏しいからだ。
「ディノ、ごめん。僕には家族を犠牲にすることなんてできない」
「…お前が悪いわけじゃない。こいつらがクズなだけさ」
ディノもファビオの決断に理解を示す。
どうせ現状では逃げるすべがない。彼らと遭遇した段階で勝負はついていたといえる。
こうしてベルナルドはファビオたちを連行。教会に戻ると火刑の一時中止を宣言する。
それと同時に都市の外にいたカーリスの神官騎士たちが街に侵入し、議会を制圧。西の村長を含む要人たちを軟禁する。
ファビオが大切に守ってきた都市が、本当の意味でカーリスの手に落ちることになってしまうのであった。




