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『覇王アンシュラオンの異世界スレイブサーガ』(新版)  作者: 園島義船(ぷるっと企画)
群雄回顧編 「思創の章」
542/618

542話 「ファビオの怒り」


 衝突が発生して五時間余り。


 太陽が半分ほど落ちて夜に差し掛かる手前で、争いは終結。


 森の中には戦いによる傷跡が色濃く残り、噛み千切られた人間の肉片や狼の死骸、焼け焦げた木々が痛々しく佇んでいた。


 結果は、イノール側の敗北。


 ベルナルドたち以外では刃狼にたいした反撃もできず、赤刃狼が縦横無尽に戦場を駆け抜けてからは、ほぼ一方的な殺戮で終わっている。


 ファビオたちにも被害は出たが、傭兵の大半が深部に入っていたこともあって犠牲は少なく済んだ。


 また、今回の戦いによって刃狼の群れが千頭程度であることがわかった。推定で二百頭以上の被害が出たはずなので、残りは七百頭強といったところだろう。


 そして、イノールの森に対する傍若無人な態度に加えて衛士隊にも犠牲が出たことで、都市内部における『反カーリス』の動きが活発になっていく。


 従来からもファビオたち北の村出身者が反カーリス勢力として認識されていたが、イノールの言動を快く思わない人々もついに決起。


 その大半はカーリスの登場によって仕事が減ったり、または奪われた人々の鬱憤から成り立つものであったが、カーリスと敵対しているという意味では同じであった。


 しかしながら、ここで一つ厄介な流れが生まれてしまう。


 これ以上刃狼を刺激しないために森を癒そうと急遽行われた祭りで、ユーナの力を再認識した人々が『彼女を担ぐ』動きを見せ始める。



「彼女こそ森の神の代行者だ!」


「カーリスの聖女がなんだ! こっちのほうが凄いじゃねえか!」


「巫女様、カーリスを追い出してくんろ!」



 と、人々がユーナに詰めかけて、半ば狂乱状態に陥ってしまった。


 たしかにファビオもカーリスに対抗するためにユーナを利用したことがあったが、今回は意味合いがだいぶ異なる。


 彼らの目的が単純な信仰心ではなく、物的な現世利益が動機となった卑しいものに成り下がった以上、浅ましさばかりが目立ってしまう。


 これにはファビオも我慢できず、強引に彼らを追い払ったものだ。



「ユーナ、大丈夫でしたか?」



 家の敷地から人々を追い払ったファビオが塩を撒く。


 ちなみに塩には霊的な力はまったくない。塩漬けのように水分を出すことで殺菌作用があることと、一部の神話でそういう描写があることから広まった迷信にすぎない。


 冷静に考えれば塩化ナトリウムにそんな力があったら、それこそ空前の大ブームになっているだろう。ファビオも単に昔の習慣でやっただけだ。



「もうっ、なんなのよ! 私は生き神様じゃないのよ! 失礼しちゃうわ! 争いを収めるための祭りなのに、これが理由で争いが生まれたら本末転倒よ」


「そうですね。このまま諦めてくれるとよいのですが…」



 というファビオの願いはあっさりと打ち砕かれ、カーリスに不満を持つ者たちが自然と彼ら夫婦の周囲に集まる結果となってしまう。


 いやらしいことに議員に対する苦情や陳情という体で会いに来るので、無下に追い返すこともできないのだ。


 こうして都市内部で二つの勢力の対立が顕在化することで、時には暴力事件にまで発展することも珍しくはなくなった。


 今やユアネスは揺れに揺れ、都市としての機能も麻痺しつつある。


 では、騒動の張本人ともいえるイノールがどうしているかといえば、彼は相変わらず自らの言動を顧みることもなく激怒中だった。



「くそっ! 何をやっても裏目に出ているではないか! 今度は反カーリス運動だと! オルシーネの小僧が、ふざけおって!」


「いやいや、どう見てもあんたの失態だろう?」



 執務室でゴミ箱を蹴り飛ばしたイノールを、壁に寄りかかったクロスライルが嘲笑。


 その態度にさらに腹が立ったのか、顔を真っ赤にして不満をまくし立てる。



「うるさい! 失敗した傭兵どもが悪いのだ! てんで使えんではないか!」


「そりゃそうさ。森は動きづらいし、荒野の傭兵にとっちゃ分が悪い戦場だ。相手が狼ならハンターが適任だな」


「ハンターも派遣したぞ!」


「傭兵と違ってハンターは単独活動も多い。まとめる者がいなけりゃ、各人が好き勝手やって烏合の衆になる。これも常識だぜ」



 翠清山ではハンター隊もかなり活躍したが、あれはホワイトハンターのアンシュラオンがいたからこそだ。


 デアンカ・ギースを倒した英雄がトップに立ち、傭兵のトップであったグランハムと上手く折衝していたことで、彼らも指示に従うことに納得していたのだ。


 しかし、今回派遣した者たちはほとんどが個人で活動している者ばかりで、傭兵たちとの連携も満足にしておらず、森の地形も熟知していない。結局は森をホームにしている狼の餌食になってしまった。


 もしベルナルドが場を掻き回さねば、もっと簡単に敗北していただろう。



「だからオレは、やめとけって忠告したじゃねえか。それを聞かなかったあんたが悪い」


「なんだと! 強くは止めなかったではないか!」


「最後に決めるのはあんただからな。オレが口を出すことじゃない」


「そもそもお前が出ていれば、狼の群れくらいは倒せたであろうが! なぜ出なかった!」


「あんたとの契約内容には、狼を倒すことまでは含まれちゃいないからな。つーかよ、だいぶ前にシベリアンハスキーを飼っていたんだよ」


「シベリ…? なんだそれは?」


「犬の一種さ。狼に似ているが、野性を忘れたように馬鹿で甘えん坊の犬でな。それがもう可愛いんだよ。馬鹿ほど可愛いってのは本当だな」


「何の話だ?」


「オレが出たら群れのボスの赤刃狼? まあ、そいつも倒せるだろうが、動物愛護団体さんに怒られちまうからなぁ。しかも狼ってなると愛犬がちらついて殺すに殺せねぇ。情が出ちまうのさ」


「そんなどうでもいい理由か! 利権のほうが大事だぞ!」


「オレはしがない傭兵だ。あんたの身辺警護は続けているんだから文句はないだろう? だが、そろそろヤバいんじゃねえの? あの眼鏡の黒い旦那、かなりご立腹って話だぜ」


「ぐぬっ…!」


「同じカーリスでも…いや、だからこそか。ただでさえ相手のほうが上の立場なんだ。口実を与えちまうと何をされるかわからねえぜ? 悪いことは言わねえ。このへんでやめときな」


「うるさいうるさい!! 貴様に何がわかる! この俺がどれだけ汚い手を使ってのし上がってきたのか! その苦労がわかるか!」


「カカッ! 汚い手ってのは否定しないんだな。潔くて好きだぜ。じゃあ、司教の旦那を暗殺するってのはどうよ?」


「なっ…」


「それなら請け負ってやる。連中全員、消しちまえばいい。それで安泰だ」


「ば、馬鹿を抜かすな…あの男はカーリスの武闘派だぞ」


「だから? オレならやれるぜ。邪魔なやつは早めに排除したほうがいい。さぁ、どうする?」


「………」



 イノールはクロスライルの提案に動揺。


 目が泳いだので一瞬だけ逡巡したようだが、すぐに現実に戻ってきた。



「馬鹿な! 無理だ! どうせまた次の連中がやってくる! 組織の規模が違うのだ!」


「さすがに司教をる勇気はないか。残念だねぇ。まあ、気が向いたら言ってくれや。オレはいつでもいいぜ」



 そう言うと、手を振りながらクロスライルは部屋を出ていく。


 まだ文句を言い足りなかったが、それよりもイノールの頭の中は自身の進退のことで一杯だった。



(このままでは、せっかく作り上げた俺の利権が崩れてしまう。ジーギスのようなハイエナに渡してたまるか。急いでこの騒ぎを鎮圧せねば。となれば、やはりあの小僧が邪魔だ。それと、やつの女もだ)



 森での一件から一ヶ月も経たず、ユーナの下に反カーリス勢力が集まっている。


 愚者や愚民は一人では何もできないが、『象徴』があるところに群がる習性がある。


 やはり数こそ力。


 有象無象の民衆とて集まれば脅威になる。事実、彼らが邪魔をするせいで教会の収益も減る一方だ。


 イノールは侍従の司祭を呼び、『命令』を伝える。


 次は絶対に失敗できない。そう心に誓って。





  ∞†∞†∞





 二週間後。


 街にいると人々が詰めかけるので、ファビオとユーナはオルシーネの実家でしばらく暮らすことになった。


 もう治ってはいるが、マテオが怪我をしたこともあって家族が心配になったことも大きな理由だった。


 議員の仕事は、ユーナの父親でありファビオの義父でもあるカイロナウテが代理でやるという申し出があったため、その厚意に甘えることにした。


 彼は彼で娘のユーナが心配なのである。オルシーネ家にいたほうが安全と判断したのだろう。



(カーリスも問題だけど、家族に危険が及ばないようにしないと。それが僕の役目なんだ)



 しばらくは静かな時間が過ぎ、久々の家族との団らんで気持ちも落ち着いてた。


 だが、それが油断に繋がってしまう。


 その日、買い出しに行ったユーナと妹のエファニが、夕方になっても戻ってこなかった。


 心配したファビオとマテオが捜したが、やはり見つからない。



「父さん、どうでした!?」


「駄目だ。店からは出たそうだが…」


「寄り道をしないように言っていたのです。すぐに家のほうに戻ったはずです」



 エファニも十一歳半ばで、もう成人間近だ。


 最近は聞き分けもよくなっており、特にユーナには懐いているので駄々をこねるとも思えない。


 しかも今は変に注目を浴びている最中だ。こうなると、どうしても事件性を感じてしまう。



「ディノにも協力を仰いでみます!」



 嫌な予感がしたファビオは、ディノたち衛士隊にも協力を要請。ファビオからの要請ということもあって彼らはすぐに動いてくれた。


 しかし、それでも二人は見つからない。


 夜の森でも捜索が続けられたが結果は変わらなかった。



「これだけ捜しても見つからないなんて…」



 ファビオの顔色がどんどん青白くなっていく。


 最愛の妻と妹が消えたのだ。至極当然の反応だろう。



「諦めるな、ファビオ! まだ捜し始めたばかりだろう! やることはたくさんあるぜ!」


「…そうです…ね。僕がしっかりしないと」



 ディノに励まされ、自身の両頬を手の平で叩いて気合を入れる。


 そうすることで少しだけ冷静になれた。



「可能性は四つ。一つ目は単純な迷子。でも、土地勘のある二人にはまずありえない。二つ目は事故。こちらも昼間だったことと歩き慣れた道であったことから考えにくい。三つ目は魔獣による襲撃。無くはないですが、このあたりの魔獣は弱く、仮に狼が出てきたとしてもユーナたちを襲う理由がありません」



 ユーナは森を復元できる貴重な巫女である。


 そのことは狼もわかっているらしくユーナに対しては何もしないし、マテオを襲わなかったことからも関係者であるファビオたちについては不干渉という立場だ。


 森での戦いでもファビオたちには一切関わってこなかったので、赤刃狼によって命令が徹底されていることがわかる。いまさらこれを破るとも思えない。


 となれば、最後の四つ目が濃厚だ。



「四つ目は、人間の手による仕業。誘拐か…殺人か」


「殺人の線は薄いな」


「なぜです?」


「帰り道には争った形跡もないし、血痕の一つもない。ならば誘拐のほうが妥当だろうぜ」


「しかし、その後に殺害されている可能性も…」


「このタイミングでユーナが狙われたんだぞ。目的があるに決まっている。問題は、誰が何のためにさらったかだ。違うか?」


「…そうですね。ありがとう、ディノ」


「お前は冷静なんだか悲観的なんだかわからんな。どっちにしろ生きていることを前提で動くべきだ。助けを待っているかもしれないしな」



 持つべきものは親友だ。ディノの言葉に勇気づけられる。


 一度深呼吸をしてから状況をさらに考えてみる。



「ユーナも最低限の護身術は使えます。それが一切の抵抗もなく連れ去られたのだとすれば、エファニを人質に取られたか、あるいは抵抗する暇もなくさらわれたかでしょう」


「大胆だし手際が良すぎる。痕跡も消したはずだ。俺も衛士として事件をいろいろと見てきたが、こりゃ単独犯じゃないな。たぶん複数犯かつプロだぞ」


「ハローワークに問い合わせてみますか?」


「それもやったほうがいいが、あまり期待できないな。最近はハローワークに登録できないような裏の連中も都市に入ってきているんだ。いわゆる重犯罪者どもだな」



 ハローワークは重度の規約違反や犯罪行為を行った者に対しては、一切の取引を停止する処分を下す。


 これはかなり厳しい対応であり、よほどの功績を挙げねば復帰は不可能とされている。


 そうした者たちは、ハピ・クジュネにもあったようなハローワーク以外の闇市場を経由して取引をする。


 ユアネスは出来たばかりなので明確な闇市場は存在しないが、少しずつ裏の人間も入り込んできたので、いずれは生まれてしまう可能性を内包していた。


 そして、それは主にイノール主導によって行われたことだ。


 ファビオはあずかり知らぬことだが、かつてクロスライルが手を貸したことで味を占めたイノールが、密かに裏の人間を集めたことで溜まり場が生まれてしまった。


 裏の人間は報酬次第で何でもやる。カーリスが勢力を拡大するにあたって彼らも裏で暗躍していたのである。



「イノールのやつは宗教特権を利用して裏でも商売をしているって噂だ。いくつか証拠も出てきたが、議会の力で揉み消されちまった」


「では、今回もイノール司祭長の仕業だと?」


「黒確だろう。逆にそうでないパターンが想像できねえよ」


「信者の独断かもしれません。『双方の』ですが」



 カーリスが一番怪しいものの、今は『森の神の信者』なる存在が出てきたので、彼らがユーナを祭り上げるためにさらった可能性も否めない。



「かもしれないが根幹の原因は同じだ。あとはどこまで考えているかだな。さらったならすぐに殺すことはしないと思うが、これも相手の目的次第だ」



 もう少し経って相手から何かしらの要求があれば誘拐は確定だ。その内容によって目的がわかるだろう。


 だが、どんな目的にせよ、少しでも選択を間違えれば最悪の結果に陥る可能性がある。


 大切な者たちを奪われて、思わずファビオが弱音を吐く。



「僕は…こんなことのためにがんばってきたわけじゃない。家族のためを思って…ただそれだけだったのです」


「俺だって同じだ。だったら最後まで戦うしかない。俺たちの都市は俺たちが守るんだ。やられっぱなしじゃいられない! そうだろう!」


「ディノの言う通りです。実はずっと…さっきから……僕の中に黒いものが渦巻いているんです…おかしいです…かね?」



 淀んだドス黒い沈殿した感情が、ぞわぞわと心の底から這い上がってくるのを感じる。


 自分で抑えようとしてもどうしても止められない、『かつての自分』が目覚めてしまったかのようだ。


 まだ自分の中にそんな感情が宿っていることに驚きつつも、人はすぐに変われないと悟る。



「もしイノールの仕業だったら…彼を殺すかもしれません」


「それが普通の感覚だよ。今までのお前は優しすぎた。俺はいつだってお前の味方だ。何があっても助けるぜ」


「ありがとう…ディノ。僕は直接、司祭長を問い詰めてみます」


「敵陣に突っ込むようなものだぞ。大丈夫か?」


「今は時間が惜しいです。手段を選んではいられません。ディノは裏の方面から調べてみてください」


「…わかった。強引にでも調べてやる。だから無理はするなよ」


「…ええ、努力はしてみます」



 現在は都市内の勢力が完全に二分された結果、衛士隊であってもカーリスが所有する土地や物件には簡単に査察に入れない。通行しようとするだけで一般人のカーリス教徒も邪魔をしてくる始末だ。


 すでに都市は暴走の一歩手前。何かのきっかけで抗争に突入する恐れさえあった。


 だが、今はそんなことはどうでもいい。


 ファビオは、抑えきれないほど肥大化した黒い感情に促されるまま歩き続ける。


 森から補装されていない土道に出て、そこから街に向かって移動。


 一歩進むたびに胸の奥底から、あるいは背中から熱いものが込み上げてきて、自身が歯軋りしていることにも気づかない。


 そんな彼とすれ違った者は、あまりの人相の違いに人違いかと振り返ったり、怒気にあてられて震え上がったりしていた。


 市街地に入ったファビオは、迷わずに一つの建物を目指す。


 すでにカーリスが占有している土地に入っているので、見回りのカーリス教徒たちが咎めようとしてきたが、睨みつけると硬直して黙ってしまった。



「こ、殺されるかと…思った…」


「あ、あれってオルシーネ…議員だよな? し、司祭様に伝えたほうがいいんじゃ…」


「さすがに変なことはしないと…思うけど。ちょっと関わりたくない…よな」



 カーリスの信者でさえ今のファビオに近寄ることはできない。


 そして、ファビオはイノールの館の扉を叩く。


 すでに夜中だが、何度も強く叩くと侍従の司祭が出た。



「こんな夜分遅くに何用ですか?」


「イノール司祭長はいますか?」


「お、オルシーネ…議員? ど、どうされました?」



 ものすごい形相に侍従の司祭も驚く。


 だが、ファビオはかまわず同じ質問を続ける。



「イノール司祭長はいますか?」


「すでにお休みになっておられます。また明日お越しください。その前にアポイントを取るのが礼儀ではないかと―――」



 そう言いかけた司祭の視界が真っ暗になる。


 ファビオがいきなり彼の顔面を鷲掴みにしたからだ。


 二人とも体格は中肉中背で、たいした差はない。


 だが、頭蓋骨が軋む音が体内で響き、こめかみに強い痛みが走る。



「ひぎっ! な、な゛にを…!」


「いるならいい。時間がないんだ。邪魔をするな」



 ファビオが司祭の頭を玄関の扉に思いきり打ちつける。


 その衝撃でドアが半分外れてしまったので、いかに強く叩きつけたかがわかるだろう。


 司祭は頭部を激しく裂傷。血を流しながら脳震盪も起こして意識を失う。


 だが、それによってドアに仕掛けられていた防犯用の術式が発動。アラームが館内に響き渡り、中にいた警備員が二人と就寝準備をしていた司祭が一人やってきた。


 その司祭は、最近少し老け込んできたシスターメイディだった。


 ファビオが来た時にはすでに四十後半だったのだから、今はもう六十歳間近である。老けるのも当然だろうか。



「これは何事ですか!?」



 メイディは、目の前の惨状に悲鳴に近い声を上げる。


 しかし、ファビオはそんな声も無視して中に入る。


 警備員が反射的に侵入者を押さえ込もうとするが、ファビオが手を向けると『風』が発生。


 二人は風圧で壁に叩きつけられてうずくまる。メイディも廊下の端にまで飛ばされてしまった。


 因子レベル1の基礎術である『風玉』だ。


 術者によっては扇風機程度にしかならない術ではあるが、ファビオが威力を強めに設定したので人を吹き飛ばせるほどの威力になった。


 まだ昏倒している二人の警備員の顔面を蹴り上げて、完全に気絶させると、ファビオは倒れたメイディに詰め寄る。



「イノール司祭長はどこですか?」


「はぁはぁっ! た、たすけて…!」


「今の僕は冷静ではありません。どうか危害を加えさせないでください」


「ひぃっ…!」



 そう言いながら腰のショートソードを抜く。


 本当に刺すつもりはないが、視覚的に刺激がある得物を見れば強い危機感を抱くものだ。


 メイディは声を震わせながら階段を指さす。



「さ、三階の……一番奥……」


「ありがとうございます」



 司祭でありながら司祭長をあっさりと売る姿に侮蔑の嘲笑を浮かべながら、ファビオは階段を上っていく。


 館には他の司祭たちもいたが、剣を持ったファビオの形相に恐れおののき、遠巻きから眺めることしかできない。


 しかし、あまり猶予はないだろう。


 こうしている間にも襲撃の情報が伝達され、本格的に応援が駆けつければ取り押さえられる可能性も高くなる。


 ディノも動いているとはいえ、捕まってしまえば肝心のユーナたちを助けることも難しくなる。その前になんとしてもイノールを吐かせねばならない。


 ファビオは早足で三階に向かうと、階段側の部屋から順番にドアを強く叩いていく。


 これは中の人間の反応を確認すると同時に、出てきたら安全は保証しないという警告でもあった。


 いきなりドアを強く叩かれても出ていける者など、それなりの戦闘経験がないと難しい。


 予想通り、三階はほとんど『若い女性』ばかりが住んでいるらしく、怯えた感情が室内から伝わってくる。



(最近はよく『視える』な。術の素養が強化されたからだろうか)



 ファビオの目はすでに術士のものとして機能しており、周囲の感情すら読み取ることが可能になっていた。


 また、因子レベル2の魔王技である『追眼ついがん』も使っているので、肉眼では見えない館内の足跡も綺麗に視認できる。


 足跡からは体型や年齢まで幅広い情報がわかるものだ。その中で男性のものは数えるほどしかなく、いろいろな部屋に足を運んでいるのは一つしかない。おそらくはこれがイノールのものだろう。



(わかるぞ、わかる。今ならばお前の感情がすべて手に取るように。くだらない。そんなもののためにユアネスを穢してきたのか)



 ファビオは一番新しい足跡を確認しつつ、目に見えて醜悪な感情が宿る部屋の前に立つ。


 ノックはいらない。


 蹴破るようにドアを開けると、中にはすでに武器を構えたイノールが立っていた。これだけ派手に音を立てていれば警戒するのも当然である。


 ただし慌てていたのか、寝巻がはだけて半裸なのがなさけない。肥えて大きくなった腹が、だらしなく飛び出ている。



「っ…貴様! オルシーネか!? 何のつもりだ!」



 ファビオの様子に一瞬怯んだようだが、そこはさすが司祭長。こちらに負けじと睨み返してくる。


 しかし、それ以上の圧力をもってイノールの前に立ち塞がる。



「ユーナたちはどこです?」


「な、何の話だ!? そんなことは知らん! 知るわけがなかろう!」


「だったらすぐに調べてください。あなたならばわかるはずです」


「ふざけるな! どうしてお前のために俺が動かねばならん! それより、こんな真似をしてただで済むと思っているのか!」


「ただで済まないのは、あなただって同じですよ」



 ファビオの掌に炎が宿る。


 こちらも術で生み出したものだが、さきほど使った風とは別に、平然と二種類の属性を使っていることの異常性には当人すら気づいていない。


 その炎を見せつつバッグから大きな瓶を取り出して、中身の液体を床にぶちまける。


 バッグはファビオ手製のもので、大きいポケット倉庫と同等の能力を有したものだった。


 引き続きバッグから何十個もの同じ瓶を取り出し、どんどんぶちまけていくと床がびしょ濡れになった。


 当然、ただの液体ではない。


 ファビオの意図を察してイノールの顔がこわばる。



「この臭い…油か!」


「しかも僕が作ったよく燃える油です。こんな館なんて数秒で火の海にできますよ。逃げ出す暇もなく火達磨でしょうね」


「ま、待て! 早まるな! 落ち着け!」


「僕は落ち着いていますよ。ひどく、とても、極めてね」


「据わった目で言うことか! 俺を殺す気なのだな!? やはりお前は危険なやつだ! いつかやると思っていたぞ!」


「先に滅茶苦茶にしたのは、あなたのほうでしょう。ここはもともと僕たちの街です。よそ者のあなたに言われたくはない」


「お前さえいなければ! すべては上手くいったのだ! 邪魔ばかりしおって! 死ぬのならば独りで死ね!」


「相変わらず見苦しい人ですね。不愉快極まりない。で、ユーナとエファニはどこです? もし少しでも傷つけていれば、僕はあなたを許さない」


「し、知らん! お前の勝手な妄想だ! 何の証拠があって…」


「仕方ありません。四肢を切断してでも吐いてもらいます」


「や、やめろ!!」



 剣と炎を持って迫るファビオ。


 これはけっして脅しではないし、やけを起こしたわけでもない。


 単純に相手側がファビオの『ラインを超えてしまった』だけのことだ。


 ファビオはおもむろに近寄ると、いきなりイノールの太ももに剣を突き立てる。



「ぎゃっ!!」



 武器を構えてはいたものの、こちらの迷いのない行動に虚をつかれたイノールは、痛みに驚いて床に転がる。


 その時に油がたっぷりと身体に付着してしまった。もしファビオの掌の火が少しでも触れれば、館ごと火達磨確定だ。



「き、貴様…! ぐうう…本当にやりおったな!」


「ユーナとエファニはどこです?」


「ふんっ! 知っていても…言うものか! 絶対に言わん!」


「ユーナとエファニはどこです?」


「ぐぁっ! ぎゃっ!! や、やめろ!! がっ!!」



 ファビオは剣でイノールを突き刺し続ける。


 死なないように場所は選んでいるが、かなり深く刺さった場所もあるので出血で床が血まみれになる。それが油と混じって嫌な臭いを発していた。


 それでもファビオの表情は一切変わらない。


 これでもかなり加減をしているほうなのだ。むしろ反撃すらできないイノールに、さらなる怒りすら感じる。



「お前のようなクズが僕の家族を傷つけた。父さんだけでも許せないのに、ユーナやエファニにまで何かあったら…僕は絶対に許さない!! 許さない!! 許さないいい!!!」



 ファビオの右手から黒い波動が迸り、握っていた剣が蒸発。


 それは以前、初めて刃狼と出会った時に発せられたものと同じく、周囲の空間が歪むほどの負の波動だった。


 その死滅の力をイノールの腕に押し付ける。


 服の袖が消滅し、肌が弾け飛んで筋肉が削がれていく。あと一センチでも近づければ、おそらくは一瞬で腕が消し飛ぶだろう。



「教えなければ本当に四肢を消し去る。質問に答えろ」


「…ぐううっ! 言うもの…か! 貴様などにはな! 一生…後悔しろ! それが俺に逆らった…罰だ!」


「お前というやつは!!」


「それ以上やると本当に死ぬぜ」



 ファビオが怒りをイノールにぶつけようとした時だった。


 背後に強い気配が生まれる。


 振り向くとそこには、いつの間にかクロスライルが立っていた。


 イノールに集中していたとはいえ、まったく気づかなかったのは驚きだ。


 床が油まみれなのを理解しながらも、クロスライルは平然とタバコを取り出して火を付ける。相変わらずの胆力である。



「あなたも邪魔をするつもりですか?」


「いいや。殺したいなら殺して鬱憤を晴らすのもいいさ。好きにすればいい。だが、兄さんの大切なものは戻ってこなくなるぜ。それでもかまわないなら、やっちまってもいいけどよ。後悔するんじゃねえのか? それこそイノールの思惑通りだぜ」


「でも…!」


「こいつは死んでも口を割らねえよ。クソ坊主のくせに中身はプライドの塊だからな。ムカつくだろうが偏屈な連中には多いぜ」


「…イノールが主犯なんですね?」


「そこはもうどうだっていいだろう? あんたは妻と妹を取り戻したい。違うかい? 優先順位ははっきり決めるべきだ」


「………」



 ファビオは怒り狂った自身の心と向き合い、高ぶる感情に苦しみながらも、かろうじて沈静化する。


 もし前世での経験がなければ、このままイノールを殺していただろう。その後はクロスライルの言う通り、後悔だけが残ることになったはずだ。


 しかし、怒りを収めたのは、クロスライルが含みのある言い方をしたからでもある。



「居場所を知っているのですか?」


「蛇の道は蛇。だいたいのルートは掴んでるよ。兄さんの相棒も動いているようだが、あれじゃ間に合わないな。裏の連中は初見さんには愛想が悪いからよ」


「クロスライル…! 裏切る…のか!」


「あんたの命は救ってやっただろう? 契約には違反していないぜ。術符もくれてやるから怒んなって」



 クロスライルが若癒の術符をイノールに発動。


 傷口が塞がって出血は止まったが、ダメージは残っているので動くことはできないようだ。



「どうするよ兄さん、イノールを見逃すなら協力するぜ。一応は雇われの身なんでね。そこは譲れない点さ」


「…どういう腹積もりです?」


「まあ、そういう話は外でしようぜ。早く決断しないと、もっと怖いお兄さんたちがやってきちまう。兄さんもそれは困るだろう?」


「…わかりました。行きましょう」



 ファビオは即決。クロスライルと一緒に外に出る。


 そのすれ違いざま、館にベルナルド配下の神官騎士が入っていくのが見えた。少しでも遅れていれば拘束されていたに違いない。



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