540話 「愚行、終わりの始まり」
三日後。
イノールは、執務室で侍従の司祭から報告を受けていた。
「なんだと? ジーギスたちが森の深部に?」
「はい。どうやらオルシーネ議員も帯同していたようです」
「森でコソコソ動いているのは知っていたが、どういうつもりだ。ここは俺の都市だぞ! こちらに通達もなく勝手に交渉しおって!」
「ですが、特に何かを得た様子もなく戻ってきたようです」
「ふん、手ぶらでお帰りとは随分と自分に甘い。無能な輩でも司教になれるとは羨ましい限りだな!」
ベルナルドたちは今のところ都市内部でおとなしくしているようだが、またいつ勝手に動くかはわからない。
立場が上だからと我が物顔で振る舞うこと自体が不愉快なのに、ファビオが関わっているとなれば、なおさら気に入らない。
地道に賄賂を贈り、ハニートラップも使って信者を増やして力を削いだが、ファビオは依然としてこちらの邪魔ばかりしてくる。
特に森に関しては巫女を有する彼の影響力が強いため、イノールも自由に立ち入ることができないでいた。信仰が衰えても現世利益という側面では向こうに分があるからだ。
また、都市防衛を一手に引き受ける衛士隊もファビオに味方しており、議会も独自戦力の保有は認めないため、なかなか最後のところが切り崩せなくて困っていたところであった。
そんな時に、よそから来たベルナルドとファビオが一緒になって森に入ったと報告が入れば、イノールの機嫌が悪くなるのも当然のことである。
要するに、自分抜きで裏取引が行われたのではないかと疑っているわけだ。あるいは二人が共謀して自分を排除しようとしている、とも考えられる。
(だが、ジーギスの目的は気になる。アモンズが動くほどのことだ。第一神殿にとってもかなりの大事である可能性が高い。上層部がこの地を重要視していることは事実だ)
アモンズという組織は、教皇直属の実行部隊でもある。
名前だけはイノールでも知っているほど有名だが、任務内容はすべて秘匿されるほど重要なものばかりだ。
それもあってしばらくはベルナルドを泳がせていたが、これだけ森に入り浸るとなれば何かあると考えるべきだろう。
(すでにジーギスによって俺の利権は浸食されつつある。このまま放置しておけば悪い方向に傾くばかりだ。ならば、先手を打つしか生き残る道はない)
イノールは、バンッと机を叩くと司祭に命令を下す。
「今すぐに森の調査を行え」
「は? 森…ですか?」
「ジーギスよりも先に何かを見つけるのだ。その手柄を横取りする!」
「何かと申されましても…何を?」
「ええい、うるさい! やつより先ならばなんでもよい! あそこには絶対何かがある!」
「そんな無茶な…。それに、深部に赴くためにはオルシーネ議員の許可が必要ですし…」
「やつが先に議会を無視したのだ。こちらが無視して何が悪い。どのみち『新たな神殿』を建造するためには大量の木材が必要になる。自ら伐採すれば連中から買い取る必要もない。森は都市の共有財産のはず。連中が独占することは最初からおかしいのだ」
(そうだ、俺自身がジーギスに負けぬほどの権力を持てばいい。ふん、実に簡単な話ではないか。教会で足りぬのならば神殿を建てればよいのだ)
現在、イノールは『神殿』の建設を目論んでいた。これは普通の教会とは次元が異なる大事業である。
前にも説明したが、司教は神殿の長にもなれるほどの位だ。
イノールが司教に昇格すれば、いくら枢機卿とはいえベルナルドに好き勝手されることも減るだろうし、他のカーリス勢力がやってきた時にも強い抑止力になる。
当然ながら勝手に司教にはなれないので、まずは神殿を先に建ててから、その実績を口実にして上手く取り入ろうと考えていた。
仮に自身が司教になれずとも傀儡の人材を送ってもらうか、多少裏技にはなるが『位の名義貸し』を使えば不可能ではない。
日本でもかつては薬剤師の名義貸しといった、かなり危ないことが平然と行われていた時代もある。腐敗が進んだ組織においては賄賂次第でなんとでもなってしまうわけだ。
ノンキャリアのイノールにとっては危うい計画ではあるものの、ベルナルドが来たことで強い危機意識を持ったがゆえの決断であった。
「更地にした森に新しい神殿を作れば一石二鳥ではないか。ついでにやつらの『森の神信仰』とやらも完全に潰してくれるわ! いいか! すぐに人を集めて行動に移せ! 金はいくら使ってもいい! わかったな!」
「は、はい…」
イノールの命令を受けた司祭は、ハローワークで人材を募集。
この一年で都市人口がグラス・ギースと同程度まで増加していたことから、あっという間に数百人の人材が集まった。
それから四日後。
集めた者たちが一斉に森に侵入を開始。
その中には森に詳しいハンターや伐採を得意とする木こりだけではなく、荒くれ者の傭兵も含まれていた。
彼らの大半は外部からやってきた者たちであり、この土地自体に愛着はない。神聖な森という認識そのものがないのだ。
むしろ森が立ち入り禁止になっていたことで仕事を請け負えなかった者が多く、資源を独占しているファビオたちに不満すら募らせている。
そんな連中が森に派遣されれば、争いが起きるのは至極当然。
いきなり森にやってきて伐採を始める者たちと、木こりの仕事をしていたマテオ組とが衝突してしまう。
「なんだお前らは! 勝手に木を切るな! 誰の許可を受けている!」
「今日から俺らもここで仕事をさせてもらうぜ! 森は市民全員の資源だからな! 独占は許されない!」
「ここは俺たちの森だ! お前たちにそんな権利はない! 早く出ていけ!」
「うるせぇ! こっちも命がけなんだよ! 食い扶持を稼がないと家族だって養えねえ! 邪魔すんな!」
男がマテオを突き飛ばす。
それをきっかけにして両者の衝突は激化。殴り合いに発展する。
「やりやがったな! このやろう!」
「マテオさんに加勢しろ!」
「数はこっちのほうが多いんだ! なめんじゃねえぞ!」
マテオたちも普段から森で働いているので腕っぷしが強いが、なにぶん相手は大人数。
最初は押していたものの数で圧されたうえに、続いてやってきた戦闘が本職の傭兵たちも加勢。
逆に叩きのめされ、打撲や骨折の怪我を負ったマテオたちが縄で縛られる結果に終わる。
「お前たち木こりはここで作業を続けろ。俺らは森の奥に行く」
普通の労働者である木こりは浅部に残し、傭兵たちは深部に詰めかける。
深部の入口で番をしていたハンターも大挙する傭兵を防ぐことはできず、否応なく逃げ帰ることしかできない。
こうして深部に百人超の傭兵が堂々と侵入。
「つーか、何を探せばいいんだ?」
「何でもいいさ。金になりそうなものがあったら持って帰ればいい。好き勝手やろうぜ」
「奥には珍しい魔獣もいそうだしな。討伐報酬もあるし、素材は高く売れるぜ」
「よーし、いくぞ! この森は俺らのもんだ!」
傭兵たちは、手当たり次第に木々を破壊して突き進む。
もともと彼らに与えられた役割は、今まで未開発だった深部を掻き回すことだ。
イノールからしてみればファビオが勝手に禁足地に設定したという認識なので、ただ利益を独占しているようにしか見えない。
とりあえず破壊しながら珍しいものがあれば奪って持ち帰れ、くらいの命令しか出されていないのが実情であった。
これが今までの村の状態ならば、途中で出会うヒグマだけでも脅威になっていたのだろうが、ユアネスはすでに小規模以上の都市である。
傭兵の中には術式弾が込められた銃を持ち、低レベルではあるが術符や術式武具を持つ者もいる。
遭遇したヒグマは投げつけられた大納魔射津で大打撃を受け、続いて大人数から発射された銃弾で蜂の巣にされる。
ハンターは死骸を解体して素材を奪い、残った肉片は無造作に放置といった有様だ。当然、生態系などは無視して見境なく殺しまくる。
これも外部の人間ゆえに森への畏敬はまったく存在せず、単なる資源としか見ていないことが最大の要因だろう。
翠清山の森林部でも同様のことが起きたが、彼らにとって森は金になる場所でしかないのだ。
しかし、なぜファビオが森を禁足地にしたのか。
その最大の理由を彼らは知らない。
森の深部に侵攻していた傭兵が、突然現れた魔獣に押し倒され、喉笛を噛み千切られる。
「ごぼっ…がっ…」
「グルルルッ!!」
「狼だと! 気をつけろ! まだいるぞ!」
「このやろう! ぶっ殺してや―――ぐぇっ!」
刃狼の群れが現れると、次々と傭兵たちを噛み殺していく。
彼らの額には鋭い刃があるので、単なる突撃を受けただけでも鎧が突き破られ、腹に刺さって致命傷になってしまう。
引き剥がそうと頭を押すも、相手は刃を振り回してくるので指も切断される。
「このワンコロ風情が!」
「慌てるな! 距離を取って撃ち殺せばいい!」
ただし、彼らも雇われるほどの傭兵だ。
銃で弾幕を張りながら態勢を整え、それでも近づく個体には近接武器で牽制して狼に反撃を加えていく。
刃狼も群れでは強いが、一体一体はヒグマよりも弱い個体である。剣で斬れば肉が裂けるし、銃で撃てば貫通もする。
しかしながら、そうやって狼を傷つけてしまえば、さらなる脅威が襲ってくることを彼らは理解していない。
森の奥からひときわ大きな刃狼がやってくると、口を開いて―――
―――「バォオオオオオオオーーーーーンッ!」
咆哮とともに放たれた炎の衝撃波が傭兵たちを襲う!
『ファイヤー・ブラストエッジボイス』。
サナの青雷狼が放つ『サンダー・マインドショックボイス』の炎版とも呼べるものだ。
広範囲に衝撃波を放つまでは同じだが、青雷狼が雷属性の精神感応波なのに対し、こちらは細かい刃の粒子が加わった物理炎属性であることが最大の違いとなる。
まずは炎で焼かれた段階で、弱い者ならば即座に燃え尽きるか、強い者でも重度の火傷を負って身体が麻痺。
それで生き残っても刃の粒子によって全身を切り刻まれ、咆哮が突き抜けた時には、細切れになった肉片が周囲に飛び散ることになる。
大盾やフルプレートを装備していても意味がない。強力な戦気で強化していなければ簡単に貫通してしまう。
事実この一撃で、五十人もの傭兵が一瞬で肉塊と化した。
「ひ、ひぃい! なんだあいつは! 化け物か!」
「に、逃げろ! 殺されるぞ!」
「バウッ!!」
「ひーー! 追いかけてくる!」
群れのボスであり森の聖獣でもある赤刃狼の号令で、刃狼たちが追撃を開始。
逃げ惑う傭兵たちの全身を噛み砕き、四肢をバラバラにするといった容赦のない徹底的な殺戮を行い、深部に入った者たちを瞬く間に全滅させる。
だが、赤刃狼の怒りは収まらない。
刃狼の群れは浅部にまで出てくると、木こりたち労働者も全員噛み殺してしまう。
ただし、縛られていたマテオたちには攻撃を仕掛けない。
特に助けるわけでもないが、匂いを嗅ぐと狼は立ち去ってしまった。おそらくは森の神を信仰するファビオやユーナと近しい匂いがしたせいだろう。
刃狼は侵略者をあらかた殺し終えると、再び森の深部に消えていった。
まさに自業自得。因果応報。
森の脅威を忘れた人間に対する罰が下されたといえる。
だがしかし、この事件がさらに大きな事件を呼び起こすことになる。
「ふざけるな! 狼ごときに何を手間取っている! もっと大勢の傭兵どもを集めろ! 物量で叩き潰せ!」
この報告を聞いたイノールは激怒。
まともな神経をしていれば自らの愚かさを悔やむところであるが、彼はそんなことは考えない。
面子を潰されたとしてさらに大きな力を集め出し、一度目の数倍、七百人に及ぶ武装集団が結成される。
「なんて馬鹿なことを! 止めないと! 彼らは狼の怖ろしさを理解していない!」
人集めに時間がかかったことから、これらの計画はファビオの耳にも入ることになった。
それ以前に父親のマテオが暴行を受けたことで、ファビオも激怒していた。
イノールに対して激しい抗議をしようと準備を進めていたところだったのだが、それ以上の愚行の前に開いた口が塞がらない。
こういうときは頼りになる親友のもとに駆け込むしかない。
衛士の詰め所に飛び込むと、大声でディノを呼ぶ。
「ディノ、できる限り多くの衛士を集めてください!」
「議会はいいのか?」
「報告だけはしましたが、たいしたアクションは起こせないでしょう。もともとカーリスの行動に口を挟める情勢ではありませんからね」
「わかった。こっちも独断で動く。おい、出動準備だ! 場合によっちゃ傭兵どもとやり合うかもしれないぞ! 装備の確認を急げ!」
ディノたちも事件のことは知っていたようで、いつでも動けるように準備はしていたらしい。
衛士隊も議会から承認を受けて警察権を行使しているため、カーリスの息がかかった者もいるが、ディノのように村時代から暮らしている者も一定数いるので、思った以上の衛士が呼びかけに応じてくれた。
結果、この短時間でも五十人の衛士が集まる。
数こそ少ないが装備の観点からいえば、最低でも単独で傭兵二人分の働きはしてくれるだろう。
だが、状況はかなり悪い。
こちらが戦力を集めている間に、すでに傭兵部隊が森に侵攻を開始したという報告が入り、ディノも怒りで机を叩き壊す。
「ったく、いつかこうなるってわかっていただろうによ! カーリスに味方していたやつらには本当にムカつくぜ! だが、どれだけやれるかわからねえぞ!」
「何もしないよりはましです。本格的に刃狼と戦いになったら、とんでもない被害が出ます。街だって無事で済むかわかりません。僕もハローワークで人を集めてみます」
「おう、先に行っているぞ!」
ファビオはハローワークに赴くとアケミに事情を説明。
普段からコミュニケーションを図っていたことと、カーリスの強引な動きに反発して、こちらも有志で多くの人が集まった。
そのことが嬉しかった半面、衝突が起これば問題が悪化する可能性も孕んでいることが懸念点だった。
そして、この騒動に『もう一つの勢力』が加わるとなれば、ますます混迷が深まるのは必至。
あまりに大っぴらにやったことで、これらの情報はベルナルドたちにも入ることになる。
「ベルナルド卿、どうやらイノール司祭長側に動きがあったようです」
ジャコブが、仕入れてきた詳細な情報を上司に伝える。
彼ら自身も優秀な諜報員であるうえ、司教という立場もあって信者からの密告は多い。イノールの動きなど容易に把握できるのだ。
「オルシーネも動いているようですが、おそらくは止められないでしょう。数が違いすぎますし、遅きに失しました」
「まさか司祭長がここまで愚かだとは思いませんでした。想像以上です。オルシーネ議員も難儀なことです。予測するのは難しかったでしょう」
ベルナルドも思わず首を振るほどの愚行である。
表情は変わらないものの、カーリスの名を貶める行為に静かな怒りを燃やしていた。
がしかし、思った以上の馬鹿であることは、彼らにとって好都合でもある。
「オルシーネ議員には申し訳ありませんが、混乱に乗じて我らも森に入りましょう」
「前回は調査しても何もありませんでしたが?」
「たしかに何もありませんでした。不自然なほどにね。しかも我々が森に入った時には狼とは遭遇しませんでした。いくら傭兵たちが森を穢したからだとしても、前回との対比が激しすぎます。このことには大きな意味があってしかるべきでしょう」
「オルシーネが何か隠していると?」
「可能性は高いでしょう」
「ってことは、『グル』じゃねーのか?」
ガジガが、両手の人差し指同士を重ねる。
「情報だと、あいつの親父たちは襲われなかったって話だ。どう考えても狼と仲間じゃねえか」
「オルシーネが魔獣を操っていると言いたいのか?」
「そこまではわからねえよ。でも、何もないところを禁足地にする理由もないよな」
「ふむ、ガジガの言葉にも説得力はありますな。しかし、表立って部隊を動かすと、さすがに問題になりかねません。司祭長ごときに口実を与えるのは癪です」
「では、我々三人だけの隠密行動で参りましょう。そのほうがこちらも動きやすい。さっそく準備に取り掛かってください」
「はっ!」
(待った甲斐があった。それもこんなに早く動き出すとは、まさに天は我々の味方だということだ)
イノールの愚かさが、ベルナルドに口実と機運を与えてしまう。
いつの世も愚者だけは制御できない。それがファビオにとって最大の不運であった。




