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『覇王アンシュラオンの異世界スレイブサーガ』(新版)  作者: 園島義船(ぷるっと企画)
群雄回顧編 「思創の章」
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538話 「異端審問官」


 その後の一年間は、特筆すべきこともなく過ぎていった。


 ただし、その間もカーリスの浸食は続き、都市における影響力を増していく。


 術を学んで術士の才能が開花したせいか、その頃になるとファビオは『ドグマ』が視えるようになっていた。


 ドグマとは本来、特定の宗教が提唱する絶対に守るべき教義や原理を指すが、大半の場合は『教義的束縛』や『教義の妄信』といったマイナスの用語として使われることが多い。


 ここでも意味合いは後者のものであり、カーリスの因習や歪んだ教義に染まった者たちはドグマに侵され、次第に精神を汚染されていった。


 カーリスという名の悪性ウィルスが都市内で蔓延しているのだ。


 ドグマは凝り固まった思想となり、かつて転生前に見た『地獄的境涯』と同じく、一つの閉ざされた世界を生み出す。


 人間には女神から与えられた無限の可能性がある。それを一つに縛ることは自らの可能性を捨てることと同義だ。


 彼らは生きているのに死んでいる状態。生き地獄とは、まさにこのことだろう。それがファビオにはありありと『視える』。


 しかし、唯一の幸いというべきなのか皮肉というべきなのか、当のアンリ・イノールにはドグマによる汚染が見られなかった。



(なぜ司祭長という身分であるにもかかわらず、彼はそのままなのだろう? もしかして本当は信じていないのか? 司祭長にもなった人が? たしかに教祖自体が教義を信じていないことは往々にしてあるけれど…)



 というファビオの疑念はまさに真実を言い当てているのだが、まさか司祭長たる人物がカーリスに批判的だとは思わないため、この件はスルーされることになる。


 実際問題として、イノールがカーリスを信じていないことによって、ギリギリのバランスが保たれていたといえるだろう。


 彼が求めるのはあくまで利権であり、金や女といった物理的な欲求を満たすことだけに注力されていた。


 よって、儀式も簡易的で寄付やお布施をねだる以外の意味を持たない。それが他者からも透けて見えるので、お互いに深入りしない絶妙な関係が築かれていたのだ。


 がしかし、そんな奇妙な均衡を保っていたユアネスに、とんでもない事態が起こる。


 その異変は、『とある者』たちの来訪によって引き起こされることになった。


 ある日の午後。


 ユアネスの正門に、赤い装束に身を包んだ二十名の集団が現れた。


 その赤はソブカの法衣ような気高い臙脂色でもなく、火乃呼の焔紅のように鮮烈でもなく、静かな血を表現した沈んだ色をしていた。


 彼らが普通の集団でないことは、装束の隙間から覗く甲冑を見れば一目瞭然。大半が腰から剣を下げており、中には槍や大きな戦斧を持っている者もいる。


 当然ながらその者たちは、衛士によってすぐさま止められた。



「待て。都市に入る前に身元と目的を明らかにしてもらう。武器の携帯も禁止だ」


「これは自衛のためです。けっして誰かを意図的に傷つける目的ではありません」



 集団の先頭にいた甲冑の男が譲歩を求める。


 声音はとても静かで、いますぐに暴れるような輩ではなさそうだが、衛士は首を横に振る。



「それでも都市内への武器の持ち込みは制限されている。ここは警備態勢がしっかりしている都市だからな。武器はいらないだろう」


「都市ですか? 十三番区と呼ばれる自治区があっただけと記憶していますが」


「ははん、それは古い情報だな。ユアネスは、ここ十年で爆発的に成長して都市にまでなったんだ。住人は十万人を軽く超えている。もう中規模の都市といっても差し支えないだろうさ」


「それは素晴らしい成長ですね。驚きました」


「まあ、おかげでカーリスなんていう輩も入り込んじまったが、都市が成長するためには仕方のないことかな」


「カーリスですか。ここには誰がおられるのですか?」


「誰? 責任者のことか? アンリ・イノールとかいう胡散臭い司祭長がいるが…」


「司祭長…。なるほど」


「で、あんたらは何者だ? 傭兵団って感じでもなさそうだが」


「我々は―――」


「待て待て待て待て!! 何をしておるかーーー!」



 甲冑の男が名乗る前に、都市の中から誰かが叫びながら走ってきた。


 豪華な司祭服に身を包み、さまざまな宝石の類を身に付けた様子から、それが誰かをわざわざ説明する必要はないだろう。


 今しがた話題に出たばかりのアンリ・イノール、その人である。


 普段は何があっても人前では平静を装う彼であったが、その表情はひどく焦っており、不格好にドタバタ走る様子からも余裕がまったく見られない。


 しかも外出の際は必ずお供を連れているが、今回はそれも見当たらない。よほど急いで出てきたと思われる。


 それを示すように、イノールは来るや否や衛士に詰め寄る。



「ええい、さっさと門を開けんか! この馬鹿者が!」


「ああ? あんたにそんなことを言われる筋合いはないぞ。俺たち衛士隊はカーリス信者でもなんでもないからな。都市のルールは守ってもらう」


「いいから今すぐに開けろ! 死にたいのか!」


「都市の安全に関わることだ。簡単には開けられない。そんなに言うなら、あんたがお得意の議会を通すんだな」


「そんな時間があるものか! 頼む! 開けてくれ! すべての責任は私が負う! だから早くしてくれ!」


「なんだ? いつもとは態度が違うな」



 イノールは権力を増すごとに本性が少しずつ露わになっていき、最近では尊大な態度を隠そうともしなくなっていた。


 議員にも多くのカーリス教徒を送り込んでいるため、できないことのほうが少ないからだ。


 この衛士もイノールのことは嫌っており、意地悪で言っただけなのだが、そんなことにすら気づいていない有様だ。



「しょうがねえな。本当に責任は自分で取れよ。だが、武器の携帯は禁止だ。これだけは譲れない」


「わかった! わかったから早くしてくれ!」



 違和感を覚えつつも言質は取ったので、衛士は仕方なく門を開ける。


 イノールは、開く時間すら惜しむように門にぶち当たりながら飛び出ると、集団に向かっていきなりひざまずく。


 それは膝をつくレベルを超えて、もはや土下座に近かった。



「大変失礼をいたしました! もっと早く報せが来ていれば、このような不手際を起こさずに済んだのですが! 担当の者には罰を与えますので、どうかお許しください!!」


「あなたが司祭長ですね」



 一人の男が、集団の中央から歩み寄ってきた。


 その間、周囲の者たちは二列に分かれて道を作り、その人物に害が及ばぬように守護に就く。それらの様子から『彼』が集団の長であることがうかがえた。



「お名前を伺っても?」


「は、はい…。アンリ・イノール…と申します。神殿より司祭長の位を…授かっております」



 イノールは震える声で答える。


 いつもの尊大さは鳴りを潜め、ただただ恐怖に支配されているようであった。


 一方の男は、イノールの肩に手を置いて笑顔を浮かべる。


 

「ここでは目立ちますし、もしよろしかったら落ち着ける場所に案内していただけますか。いろいろと伺いたいこともありますので」


「か、かしこまりました…。どうぞこちらへ」


「皆も武器は置いていくように。すでにイノール司祭長がおられるのならば問題ないでしょう。あとで取り戻してはくれるのですよね?」


「も、もちろんでございます…」


「よろしい。では、参りましょう」



 甲冑の者たちは衛士の指示に従って武器を置いていく。


 が、どう見ても武人の集団である。戦士がいれば武器を持たずとも脅威になることから、どこまで抑止力になるかはわからない。


 とはいえ、ここで重要なのは都市の威厳を示せたことだ。


 かつてのアンシュラオンが、グラス・ギースに訪れた際にリングの着用を受け入れたように、ルールを守らせることが都市側にとっては大切なのである。


 しかしながら、それ以上にイノールの態度が不審すぎる。


 従者のごとく集団を案内する彼の姿には、衛士たちも一同に首を傾げていた。



「なんだいありゃ? どうなってんだ?」


「さあな。見たところカーリスの関係者みたいだが、イノールのやつの知り合いか?」


「知り合いっつーか、完全に上司に対する態度だったけどな。それよりも、あんな連中が堂々と中に入ったのはまずい。あの様子だと、どうせ議会を通して武器も携帯可能にするに違いない。とりあえずファビオに連絡だけは入れておこうぜ」


「そうだな。ほかの議員は役に立たないしな」



 衛士隊がカーリスに汚染されていないのは、抗体を持っているファビオと距離が近く、その影響力を受けているせいだ。


 カーリスが悪玉菌とすれば、こちらは善玉菌といったところだろうか。


 どちらも他人に感染する点は同じだが、互いが正反対の性質を持っているので常にせめぎ合うことになる。



 都市の中に入ったイノールたちは、奇異の視線に晒されながら移動。


 この視線もイノールの態度の違いによるところが大きいが、案内されている者たちは気にとめた様子もなく街を観察していた。


 イノールが教会に到着すると、即座に侍従の司祭である若い男を呼び寄せる。



「歓待の席は用意できているか?」


「それが…いきなりでしたので予約が取れず…」


「先日オープンしたばかりのホテルがあっただろう! あそこはどうした!」


「あそこもすでに予約が一杯でして…」


「そんなものはキャンセルさせろ! こちらのほうが優先だ! 議員を使ってもいい! 早くするのだ!」


「は、はい!」


「司祭長、我々はここでかまいませんよ」


「で、ですが…! このようなこじんまりとした場所では…」


「神聖なる教会が、こじんまりとしていて何が悪いのですか?」


「うっ…」



 イノールは鋭い眼光に晒されて硬直。


 男の瞳に宿った異様な圧力の前に指一本動かせなくなる。


 が、男は再び笑顔になると教会を見上げた。



「良い教会ではありませんか。簡素かつ雄大。祈りを捧げるのに最適な素晴らしい場所です。このような地にまで導きの光が差し込むとは、聖女様も喜ばれることでしょう」



 フードを外して露わになった男の顔は、眼鏡をかけた四十代半ばの壮年のものだが、浅黒い肌にシワは一つもなく実年齢よりも若く見えた。


 しかしながら、その赤い瞳はやはり鋭い。


 顔立ちの良さからも、すらっとしたイケメンなのは間違いないが、口元は笑っていても目が笑っていないので薄気味悪さのほうが目立つ。



「新しい教会に来た時は祈りを捧げるのが決まりです。よろしいですね?」


「は、はい。ど、どうぞ…中へ」



 彼らは教会に入ると装束を脱ぎ、本来の姿を現す。


 着ている甲冑は実戦的でありながらも美麗で、胸には聖女を象った紋様が刻まれ、肩には『赤い十字架』が描かれていた。


 カーリスの紋章には、聖女の自己犠牲を表現した十字架、その力を示す血の赤、女神の愛と正義を象徴する『光』の三つのデザインが採用されている。


 この黄色いふちの赤い十字架こそ、まさに彼らがカーリス教団である何よりの証明であった。


 ただし、リーダーの男は甲冑ではなく普通の牧師服を身に付けている。


 これはいわゆる『キャソック』と呼ばれる立襟長袖のチュニック状のものであるが、旅仕様なので通常のものより厚手で色もくすんでいる。


 彼はイノールいわく『こじんまりとした教会』の祭壇に向かうと、両手を合わせてひざまずき、祈りを捧げる。


 他の者たちもそれに倣い、同じように熱心に祈りを捧げていた。


 それはあまりに厳粛で敬虔。見ている者に感動すら与えるものであった。


 現に教会にいた司祭たちも彼らの祈りの強さに気圧されて、ただただ呆然と立ち竦んでいるではないか。同じく祈りにやってきていた信者も、その敬虔な姿に見惚れている。


 その一方で、イノールだけは顔面蒼白。ずっと死人かのように青ざめて震えていた。


 それを心配したのか、侍従の司祭が訊ねる。



「あ、あの…彼らは何者ですか?」


「ば、馬鹿者。指をさすでない! あの御方は『司教』であり【枢機卿すうききょう】でもあられるベルナルド・ジーギス卿だ」


「枢機卿? では、『教皇』の側近ですか?」


「ただの枢機卿ではない。あの格好を見ろ。全員が【神官騎士】の精鋭だ。ロイゼン軍の一個大隊にも匹敵する武闘派中の武闘派なのだぞ。怒らせれば、我らなど一分もかからず全滅だ」


「そ、そのような上位の方々が、どうしてこのような場所に!?」


「そんなことは私が知りたいくらいだ! くそっ! よいか、死ぬ気で歓待の準備をしろ! 何かあれば左遷どころでは済まぬぞ!」


「か、かしこまりました!」



 結局、ベルナルドたちの祈りが終わったのは、それから三時間以上経ってからだった。


 その後、夜になって祝いの席を設けたのち、ベルナルドらを宿舎に案内。


 ここは急遽用意した宿場でありながら、彼らが祈っていた三時間で『買い上げた』というのだから、現在のユアネスにおけるカーリスの影響力の強さがうかがい知れる。


 宿に入ったベルナルドは司教の正装である紫の祭服に着替え、改めてイノールを呼び寄せていた。


 それなりに大きな部屋の中には、椅子に座ったベルナルドと両脇に立っている二人の神官がおり、その前にイノールがひざまずく形となる。



「アンリ・イノール司祭長、よく使命を果たしておられますね。その献身に聖女と女神の祝福があらんことを祈っております」


「お褒めの言葉、ありがたき幸せでございます」



 ベルナルドがイノールに向けて祝福の言葉を授ける。


 これはある種の儀礼的なもので、上位の神官が下位の神官に初めて出会う際は、こう述べるのが礼儀である。


 イノールもそれがわかっているので、ここだけは淀まずに返事をすることができた。


 そう、ここまでは。



「私などに感謝する必要はありません。すべての祈りと感謝は聖女並びに女神に捧げられるものなのですから。それはおわかりですね?」


「も、もちろんでございます。わたくしも日々祈りと感謝を捧げております」


「それにしても、これほどの都市が出来ているとは思いませんでした。どうやら得ていた情報が古かったようですね。ヴェルトの教会に立ち寄らなかった我らにも落ち度はありますが」


「そ、それだけ我らの…いや、聖女様の御威光が急速に広がっている証拠ではないでしょうか」


「まさにその通りでしょう。弱き人々は常に救いを求めております。聖女の代行として弱者を救い、教え導く。それこそが我々の崇高な使命なのです」


「しかし、都市の規模のわりに教会が小さいですな」



 ベルナルドの左側に立っていた大きな男が、ぼそりと呟く。


 彼の名前は、ジャコブ・ポー、三十六歳。


 屈強な神官騎士の一人であり、今は牧師服を着ているが鎧を着込んで戦斧を持てば、単独で魔獣の群れや傭兵団を殲滅できるほどの猛者である。


 そんな彼が放つ言葉は、静かだが威圧的。


 イノールの胸がギュゥウと締め付けられて呼吸が苦しくなる。


 だが、それを戒めたのはベルナルドだった。



「ジャコブさん、さきほども申し上げましたが教会の大きさは関係ありません。祈りと信仰の強さこそが大事なのです」


「はっ、失言でした」


「彼はよくやっているではありませんか。聞けば街を都市に昇格させただけにとどまらず、ハローワークの誘致にすら成功している。実に見事な経営手腕です」


「は、はい。それはもう大変苦労しましたが、人々の生活を安定させるために必死で働きました。それもこれも聖女様の御心ではないかと―――」


「だがよ司教、街を見ていて思ったんだが、やっぱり信徒が少ないように見えるぜ。それはこいつの怠慢じゃないんですかね?」


「っ―――!!」



 ほっとしたのも束の間、今度は右側に立っていた若い男がイノールを睨みつける。


 男の名、ガジガ・ネイ。


 まだ二十八歳という若さであるが、ジャコブと共にベルナルドの片腕として働く有能な男である。


 ただ、目の下に濃いクマがあることと、大きな目がぎょろっとしていることから不健康に感じられ、ベルナルドのほうが若く見えるから不思議だ。


 体格は小柄であるが、もちろん彼も神官騎士であり、その戦闘力は凄腕の傭兵すら凌駕するほどである。


 ちなみにロイゼン神聖王国の騎士はすべて『神聖騎士』なのだが、特にカーリス神殿の勢力下にいる神聖騎士を【神官騎士】と呼んで区別している。



(ぐぬぬ、いきなり来たくせに偉そうにしおって! 司教はともかく、こんな若造にも好き勝手言われるとは!)



 イノールは表情にこそ出さないが、忌々しげに二人の男を心の中で罵倒する。


 カーリスの階級は最上位職を除き、『修道士(修道女)』、『司祭』、『司祭長』、『大司祭』、『司教』、『大司教』の順に上がっていく。


 修道士は見習い課程の状態であり、以前のキリポもここに該当する。特段の権限はなく、普通の信者よりは上といった程度だ。


 次の司祭は、メイディやキャサリンといった修道課程をクリアした者に与えられる位で、最低限の真言術の習得に加えて、一通りの祭事を理解しているので信者の勧誘も可能となっている。


 その次に司祭長がいるのだが、わかりやすくいえば『下位の司祭の管理をする教会の主』と思えばよい。民間でいえば各店舗の店長のようなものだ。


 この位になると自らの一団を作ることが許可され、イノールのように布教隊を率いて旅をすることができる。(他の街に布教に行っていた者もイノール隊の一部)


 そして、たどり着いた場所に居付くことで、新しい教会の主になるわけだ。


 次の大司祭は名誉職であり、普通の教徒がなれるものではないので割愛する。だいたいは司教にするには厄介な者かつ、功績を称えねば対外的に困る者に与えられることが多い。


 その上に位置する司教になるには特定のコネクションが必要であるうえ、数々の厳しい試練を超えねばならないので、ここで数が一気に減ることになる。


 司祭長から司教になった者の割合は全体の1パーセント未満であることから、いかに審査が厳しいかがわかるだろう。


 司教は小規模から中規模の神殿の長を任せられるほどの地位で、いわばハローワークでいうところの『支部長』に該当する。


 これくらいになると本国の第一神殿にも意見が通るようになり、かなりの権力を有することになる。


 次の大司教はさらに特別な職であり、第二神殿、第三神殿といった第一神殿に次ぐ大規模な神殿を任せられるほどの位である。大神殿の数にも左右されるため十人にも満たないのが現状だ。


 ベルナルドは司教なので司祭長であるイノールより遥かに格上といえる。彼に対して何も言い返せないのは仕方がない。


 一方のガジガとジャコブは、イノールと同じく司祭長なので同格のはずなのだが、司教付きの神官騎士は通常の司祭長よりも上の立場にある。


 これもわかりやすくいえば、イノールがノンキャリアで、ガジガやジャコブはキャリア組にあたるわけだ。この差は極めて大きい。


 イノールが言い返せないのを見て、ガジガは批判を続ける。



「司教はああ言ったが、教会が小さいのは事実だぜ。必死でやっているとは思えねえな」


「で、ですが、本国の第一神殿にはしっかりとノルマ分の『聖納せいのう』を果たしております」


「信仰は金の問題じゃねえだろう! てめぇは金で世界が救えるってのか!! ああ!」


「ひっ!」


「ガジガさん、おやめなさい。感情が揺らいでいますよ」



 ガジガがイノールを蹴ろうとしたところを、ベルナルドが止める。



「はぁはぁ! すんません。こいつの態度が気に入らなくて…」


「あなたは敬虔な教徒ですから、お金に対して嫌悪感があることは承知しております。元来、教会に金など不要。信仰や祈りは真なる魂の活動によって行われるべきだからです。ですが、現実問題として聖納によって我々の活動が支えられていることは事実なのです。わかりますね?」


「あ、ああ。わ、わかってる……わかりました」


「よろしい。以後気をつけるように」



 さきほどからガジガの言動がいろいろと危うい。しかもアピールでもフェイクでもなく、本気で蹴ろうとしたのだ。


 その証拠にベルナルドは、物理障壁である『無限盾』をイノールの前に展開していた。もしこれがなかったら顎が砕けていたかもしれない。


 それを理解したイノールが、さらに顔を青ざめる。


 それはそうと『聖納せいのう』とは、いわゆる総本山に対する上納金のことである。


 カーリスでいえばロイゼン神聖王国に存在する第一神殿に対するお布施であり、各地域で活動するカーリス教徒、主に司祭長以上が管理する教会は定期的に上納金を納める義務がある。


 その額は明確に提示されてはいないが、自発的にいくら出すかによって信仰が試され、結果的に評価に繋がっていく。


 しかし、敬虔な信徒であればあるほど、それを嫌う傾向にあった。



(ふん、青二才の若造が。貴様らがそうやって活動できているのも、すべて俺のような稼ぎ頭がいるからだろうが。無能が偉そうにしおって)



 と、再び心の中で罵声を浴びせるが、イノール自身が自覚しているように金を稼ぐのは下々の仕事だ。


 ベルナルドは司教でありながらも、そのことをよく理解しているため、ここでは賛同の意を示す。



「そ、それで、司教はどうしてこちらへ? ここは何もない田舎の都市でございます。あなた様が来られるような場所とは…」


「事前に連絡がいかなかったことは詫びましょう。ですが、機密ゆえに詳細を述べることはできません。納得できませんか?」


「い、いえ、滅相もございません。すべて受け入れます」


「しかしながら、司祭長は我々の到着を知っていたようです。なぜ知っていたのか、詳しい話を訊きたいものですな」



 再びジャコブがイノールを威圧的に見下ろす。


 たしかに話を聞いていると、お忍びにもかかわらずイノールは事前に情報を得ていたようだ。彼が疑問に思うのも自然なことである。



「そ、それは…信仰ゆえの奇跡かと」


「奇跡? それは興味深い。奇跡とは聖女もしくは、それに準ずる高位の者が引き起こす聖なる事象。司祭長の身でありながら奇跡が起こせるとは、随分と徳が高いものですな」


「ぐっ…」



 イノールが彼らの動きを知っていたのは、ユアネスへの『ルートを監視』していたからである。そのために各街に連絡員(通報者)を配置している。


 これは野盗を警戒するためではなく、ほかならぬ同じカーリス教徒の動向を注視してのことだ。


 なぜならば、イノールが一番怖れるのはファビオといった現地人ではなく、自身よりも上位のカーリス勢力だからだ。


 事実、都市で一番の権力者になった彼が、こうして突然やってきたベルナルドたちに平伏している。


 こうした事態を防ぐために方々へ金をばら撒いていたのだが、完全に事故とはいえ、結局は防ぐことができなかった。


 ジャコブもそのことには気づいているので、イノールへの圧力を弱めることはない。



「では、貴殿の奇跡でこれも捌いていただこう」



 ジャコブは大きな袋を持ってくると、イノールの前に置く。



「これは?」


「偉大なる聖女様の像だ。聖納が得意な貴殿のほうが相応しかろう。我らには奇跡の才覚がないゆえ、こんなに余ってしまったのだ」


「こ、これを売りさばけと?」


「売りさばく?」


「い、いえ、配れと?」


「何か不満でも? 貴殿の信仰が試されているのですぞ。喜ぶべきところではないかな?」


「ふ、不満など…けっして。喜んで布教の助けにさせていただきます。もちろん、その際のお布施は神殿に…」


「結構なことだ。さすがは奇跡の使い手。頼りになりますな」


「ぐううう」



 度が過ぎた皮肉に、さすがのイノールも我慢の限界。


 歯を食いしばりながらもベルナルドに物申す。



「一つだけよろしいでしょうか」


「何でしょう?」


「この都市は私が苦労して開拓し、布教を続けた末に発展しました。今の教会の立場があるのも多くの教徒たちの努力の賜物でございます」


「当然のことです。あなた方の信仰と奉仕がなければ不可能なことだったでしょう」


「わたくしめなどが『アモンズ〈懲断する者〉』に対して何の権限もないことはわかっております。しかしながら、ここの教会の責任者は私でもあります」


「何が言いたいのですか?」


「その…ですから、この都市における利益は神殿に寄与すべきものであると…」


「…?」


「ベルナルド卿、都市の利権に口を出すなという意味かと」



 ジャコブが耳元でイノールの言葉を翻訳する。


 それでようやくベルナルドも意味がわかったようだ。



「ああ、なるほど。あまりに俗的すぎて理解できませんでした。むろん、我々はそんなものに興味はありませんし、使命の中にも含まれておりません。安心して奉仕をお続けください」


「ほっ、それはよかっ―――」


「てめぇ! さっきから金の話ばかりしやがって! 教会をなんだと思ってやがる!!」


「ぐがっ! ぐるじい…!」



 またもやガジガが、狂犬のごとくイノールの胸元を捻り上げ、片手で宙に持ち上げる。


 凄まじい握力の前に常人である彼は何もできず、酸素が遮断されて顔が赤くなっていく。


 それでもガジガの手はまったく緩まない。



「いいか、クソ野郎が! 教会ってのは神聖なる場所なんだよ! 聖女様と女神様に祈りを捧げること以上に大切なことはねぇ! なにが金だ! てめぇは金を食って生きてんのか!」


「ごっ……がっ……は、はなぢ……で……」


「ガジガさん、二度目ですよ。それくらいにしておきなさい」


「でもよ、司教! こんなやつがいるから!」


「私の言うことが聞けないのですか?」


「っ……はい、すんません…でした」


「がはっ! ごひゅっ! こひゅーー! げほげほっ!」



 ガジガがベルナルドの強い圧力を受けて手を離す。


 床に落ちたイノールの顔は半ば紫になっており、もう少し遅ければ何かしらの障害が残った可能性すらあった。


 しかし、今回はベルナルドが止めるのに時間を要したことからも、あえて放置してイノールを痛めつけていたことがわかる。


 その理由は、とても単純明快だった。



「イノール司祭長、我々はあなたの功績を高く評価しております。いきなりやってきたのはこちらですので、この都市におけるやり方に口を挟むことはいたしません。ですが、あなたのあらゆる行動の結果は、我らの最高責任者である『法王猊下』と『教皇猊下』、ひいては初代カーリス様にまで及びます。この意味がわかりますね?」


「はぁはぁ、ぜーぜー! は、はい…御名を穢さぬよう尽力…いたします」


「よろしい。ますますの精進と奉仕に期待します。もう出ていってかまいませんよ」



 イノールは足元をふらつかせながら部屋を出ると、新たに作った自らの居城である豪華な屋敷に戻る。


 が、戻った瞬間に、ジャコブから渡された大きな袋を思いきり床に投げつけた。


 その衝撃で聖女像が入った大量の箱が飛び散る。



「くそが!! 俺の城に勝手にやってきて何様のつもりだ!! くそがくそがくそがっ!! あのゴミどもが!!」



 その荒れようは相当なもので、今宵ばかりは怒りが勝って性欲すら湧かないほどである。


 無理やり気持ちを抑えるために度数の高い酒を引っ張り出し、ストレートでかっこむ。


 灼熱が食道を何度か焼くうちに、まだ怒りは収まらないものの、少しずつ冷静になっていく。



(落ち着け、落ち着くのだ。所詮は流れ者。用事が終われば、そのうち出ていくはずだ。そうだ。司教ほどの者が、こんな田舎の都市にとどまる理由はない。清貧がお好みならば、それはむしろ好都合ではないか。あんな【狂信者】どもは放っておけばいい)



 両者の意見の食い違いを見てもわかると思うが、ベルナルドたちは生粋のカーリス教徒であり、教義を第一に考える【原理主義者】でもある。


 その段階で考え方が違うのは当たり前。


 彼らは日々祈っていればよいが、こちらは必死に駆けずり回って布教をした挙句、なけなしの金まで神殿に上納しなければならない。


 人が生きるのに物質は重要だ。食べなければ死ぬし、服や住居も必要になる。



(誰のおかげで旅ができていると思っている。…だが、そんなことを言っても意味がない。なにせあいつらは『異端審問官』なのだ。怒らせたら、それこそ本当に処刑されてしまう)



 イノールは、彼らを『アモンズ〈懲断する者〉』と呼んだ。


 アモンズとは『教皇派』に属する組織の一つで、主な役割は『異端審問』とされている。


 武闘派と称したように、彼らには武力によって異端を排斥する役割が与えられており、教義に背けば身内であっても処刑されるほどの厳しい罰が下される。


 それゆえに私情で動くことは厳禁とされていて、いくら俗的なイノールであっても簡単には裁けないはずだ。


 が、あの様子を見る限り、狂信者であることは事実らしい。


 迂闊な言動によって飛び火することだけは、なにがなんでも避けたいのが本音である。



(しかし、教皇直属のアモンズの連中がこんな場所に何の用だ? まさか『法王派』との権力闘争ではないだろうな。もしそうだったら最悪だが…)



 簡単に言うと、カーリスは『二つの派閥』に分かれていた。


 まずは教団の最高責任者である『法王』がいる。


 法王とは『聖女』そのものであり、その名の通り女性にしかなれない役職である。教団の表の顔かつ、すべてのカーリス教徒は法王に従う決まりがある。


 その法王を第一に考え、法王を中心に教団を動かしたいのが『法王派』だ。もともとの理念に沿うので正統派ともいえる。


 一方、法王と対になる役割として『教皇』が存在する。


 教皇は法王が女性であるデメリットを解消するための存在であり、逆に男にしかなれない役職である。


 聖女たる法王が思想面で教団を導き、教皇が実務面を担当すると考えるとわかりやすい。要するに教団を運営するための金を集め、具体的な人事や祭事といった実務を執り行うのが教皇の役割だ。


 しかし、本来ならば裏方であるはずの教皇も、運営資金を握っている以上はどうしても発言力が強くなる。


 それによって、表向きは法王をトップにしつつ、教皇を中心に教団を動かしたいと考える『教皇派』が生まれることとなる。


 神殿に金を送っているイノールも広義の意味では『教皇派』に属しているが、あえて教皇派と呼ぶ場合はもっと上の者を指す。それが今回やってきたベルナルドたちである。


 と、カーリスに興味がない人間からすればどうでもいい話題なのだが、当の信者の間では殺し合いに発展するほど重要な要素でもある。


 現に同じ派閥であってもイノールのように利権を求める者と、ベルナルドたちのような原理を重視する者との確執は明らかで、初対面にもかかわらずあのようなことが起きてしまうほどに苛烈だ。


 また、何度か『枢機卿すうききょう』という言葉が出てきたが、これはカーリス内部で実績ある司教以上の神官がなれる特殊な役職であり、全枢機卿が集まって『枢密院すうみついん』と呼ばれる教団の最高意思決定機関を形成している。


 枢密院は最高責任者である法王の諮問機関であり、いわゆる民主主義における『議会』に相当するものである。法王の言葉も強い力を持つが、枢密院の許可を得ずに独断で動くことはかなり難しい。


 ベルナルドも枢機卿であることを踏まえれば、その権力は相当なものといえる。その気になれば、イノール程度は容易に消し去ることも可能だ。



(聖女も女神も俺たちにとってみればどっちも変わらん。金にならないならどうでもいい。とはいえ、このまま放置も危険だ。やる気を見せねば利権ごと奪われるかもしれん。くそっ、せっかく順調だったのに! なんと運がないのだ!)



 イノールは賄賂を使って本国にいる上層部を誤魔化すことで、ユアネスの発展を第一神殿に伝えないまま維持してきた。


 ロイゼンは離れすぎているため、いくらハローワークが来るような都市であっても第一神殿の連中は興味があまりないのだ。金さえ払えば、そのあたりはどうとでもなる。


 ここに至るまで計画は順調だった。


 すでに自身の地位は安泰。金も女もそれなりに自由になる。自室に篭もって酒を浴びるように飲んでも誰からも文句は言われない。


 小物の彼にとっては、それだけで十分だったのだ。


 しかし、ベルナルドたちの出現によって尻に火を付けられてしまう。


 何よりもこの場所が知られてしまったことが一番痛い。もし今回は切り抜けられても、また次々と上位の寄生虫どもがやってくるだろう。


 これを防ぐためには、今よりも強い地盤を生み出す必要があった。


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