537話 「カーリスの罪」
ファビオは装備を整えて森の中に入る。
森の浅部は以前よりも整備されており、人が入りやすい環境になっていた。
ハローワークが出来たことで多くのハンターが来るようになり、彼らを森の維持のために雇っているのだ。
ハンターは魔獣を狩るだけが仕事ではない。北部が特殊なだけで、本来は生態系を守るために腐った木々の撤去や歩道の整備を行ったり、魔獣が人に近寄らないように警告を発するのも重要な役割である。
雇ったハンターの働きぶりに感心しながら進んでいると、そこでレンジャー姿のディノと遭遇。
「よお、ファビオ。森の視察か?」
「ディノ、衛士はクビですか?」
「なんだよいきなり。議員を辞めたいのか?」
「あなたにはわかってしまうのですね」
「そりゃ親友だからな。お前は十分にがんばった。もう引き際なのかもしれないな」
「さすがディノ、裏切者のキリポさんとは違います」
「あいつは不器用なのさ。そう悪く言ってやるな。女絡みは昔から荒れる原因だ」
サークルクラッシャーという言葉があるように、小さなコミュニティを破壊する原因はいつも同じだ。
今回の場合は外からやってきた美女によって引き起こされたが、その前からも結婚問題では女性の取り合いが起きていたものだ。
そもそもディノがファビオのところに来たのも、最初は人気者のユーナが入り浸っていたのがきっかけである。
しかし、そんな彼も今や立派な一児のパパだ。
「今日は非番さ。こいつにレンジャーの技術を仕込んでいたんだ」
「こ、こんにちは、ファビオおじさん」
「こんにちは、アティノ。元気そうで何よりです」
ディノが隣にいた子供の頭を押すと、恥ずかしそうに挨拶をする。
彼はアティノ・ジェンロ。
ディノの息子であり、エファニの一つ下の九歳の男の子である。
「こいつ、恥ずかしがりやがって。家じゃそんなことないのにな」
「相変わらず利発そうですね。お母さんに似てよかったです。本当にディノの子ですか?」
「やめろよ! 家庭内不和を招くだろう!」
アティノは父親に似ず繊細な子供で、体格や顔立ちからしても母親似である。
当然ファビオの言葉は冗談であり、年齢を考えても不義はないはずだ。(ノンデリ発言ではあるが)
「衛士隊のほうはどうです?」
「けっこう忙しいな。人が増えれば争いも増える。喧嘩や盗みは日常茶飯事だ。冗談じゃなく、そろそろ入れる牢屋がなくなってきたぞ」
「犯罪者も更生できればよいのですが、まだそのあたりまで手が回っていませんね」
「なにせ教会のやつらがいるからな。あいつら、犯罪者を勝手に匿って懺悔させようとしやがる。反省して入信すれば罪が許されるってよ。まったくふざけてやがるぜ。ほとんどが口だけじゃねえか。まずは被害者に謝れってんだ」
彼らいわく、どんな罪を犯しても懺悔してカーリス教徒になれば、その罪は浄化されるという。これもカーリスの教義の納得のいかない点である。
もちろんすべてがすぐに赦されるわけではない。その後にカーリスに尽くすことで消えていくと考えている。
が、ディノが言ったように、まずは被害者への謝罪が先である。これもまた勢力拡大のための詭弁なのだ。
そのせいか最近ではカーリス教徒の素行の悪さも目立つ。アケミの話は一般人には当てはまっても、こうした犯罪者上がりの信者は非常に迷惑な存在といえた。
(こうなるとカーリスの教義そのものが怪しい。まともな神経なら嘘だとわかるのに、どうしてこんなにも求心力があるのだろう)
人間は誰しも潔白ではない。何かしらの負い目や罪があるものだ。自分が犯罪者ならば、なおさら入信したいと思うだろう。
がしかし、こんなものが世界的に普及しているとは想像しづらい。
そう思うのもファビオが宗教に強い耐性を持っているからであるが、カーリスの浸食を間近で見てきたからこその感想でもある。
「しけた話ばかりじゃ気が滅入るな。で、ファビオはどこに行くんだ?」
「久々にタイスケさんのところに行こうかと」
「あのじいさんか。そういえば俺も一度だけ行ったきりだったな。俺らも一緒に行こうか?」
「アティノはまだ子供です。連れていくのは危険では?」
「『護符』があれば大丈夫だろう。そのためのものだしな」
ディノがジュエルが付いた星型のストラップを見せる。これはタイスケからもらった結界内に入るための護符である。
結界内ならば狼と遭遇することもないため、いわば安全に森の奥に入るための『通行手形』といえた。
以前タイスケの家に行った時に、ファビオとユーナとキリポ、あとから一度だけ行ったディノの四人のみに渡されたものだ。
ディノは狼のトラウマもあってか、森に入る際は常に持ち歩くようにしているようだ。ファビオもいざという場合にそなえて常に身に付けている大切なものだった。
「そうですね。狼にさえ出会わなければ、僕とディノがいればなんとかなりますか」
「男は常に広い世界を見ないとな。こいつにもいい勉強になる」
ということで、三人は森の深部の入口にまで進む。
そこにはハローワーク経由で雇った立番のハンターがおり、うっかり人が奥に入らないように警備していた。
ファビオは議員証を見せてから視察と称して中に入る。
衛士隊のディノは有名人なので、彼が一緒にいることで危険はないと判断されて特に何も言われなかった。
深部は相変わらず暗くて湿気のある場所だったが、もう慣れたので気にせず進む。
アティノだけは初めて見る深部に恐れおののいていたが、これが普通の反応だろう。
「今のところ、奥に入った『違法ハンター』はいないようだな」
ディノが周囲の木々を調べて人の痕跡がないかを確認する。
ファビオが雇った者たちは許可を受けているが、最近はルールを守らずに森に入るハンターも出てきた。
この近辺で森はここしかなく、ハンターにとっては生活の糧でもあるのだが、均衡が守られている場所で狩りは不要である。
一番怖いのが狼を刺激することだ。
あれからほとんど見ていないものの、刃狼がいなくなったとも思えない。依然として奥地で生息していると思われる。
もし違法な狩りを行う者たちがいれば、それこそ狼の反撃を受けるだろう。彼らが死ぬだけならばよいが、それが人間全体に向くと非常に危険である。
(街は徐々に変化していく。何も起こらねばいいけど…)
不安を押し込めながら進むと、視界が開けて世界樹が見えてきた。
街は変わっても世界樹だけは何も変わらず、周囲に生命力を振り撒いている。
その幻想的な光景にアティノが感嘆の声を漏らす。
「うわぁ…きれい」
「アティノ、森は大事にしないといけないよ。僕たちに恵みを与えてくれる大切なお母さんだからね。何かあったら守ってあげてほしい」
「うん! ぼく、強くなって守るよ!」
「いい子だ」
「どうだ、子供が欲しくなっただろう?」
「それもいいと思っていたところです」
「でも、アティノがエファニと結婚したら俺たちの間柄はどうなるんだ? アティノが俺の息子で、エファニがお前の妹だから…」
「安心してください。結婚しませんから」
「でも、年齢も近いし可能性はあるよな?」
「絶対に無いですから大丈夫ですよ」
「笑顔がこえぇ!」
ファビオもマテオ同様、エファニ絶対結婚させないマンになりつつある。
もしエファニが結婚したいと言ってきても、兄よりも強くて稼げる男でないと駄目だと突っぱねる予定だ。もはや完全なる老害である。
気を取り直し、三人は世界樹の根元にある家に向かう。
家の外観は十年前と何も変わっていない。ここだけ時の流れが止まっているかのようだ。
「タイスケさん、います?」
ノックをしてみたが反応はない。
乾いた音が響くだけだ。
「死んだか? 孤独死ってやつかな?」
「それこそ怖いですよ。腐乱死体が見つかったらどうします?」
「中を確認してみようぜ」
「仕方ないですね」
本当に死んでいたら困るので勝手に家に入るが、中には誰もいない。
生活していた様子は見受けられるので、少なくともここ最近までは暮らしていたはずだ。
(引っ越し? いや、隠居生活にここほど適している場所もない。しかし、思えば彼がなぜここに来たのかは知らないままだ)
タイスケは頑なに口を閉ざしていたので、実際のところ詳細な素性も目的もわかっていない。
村が街になろうが都市になろうが下りてくることもなく、ここから出ようとしない彼は考えれば考えるほど不審だ。
「少し外を捜してきます。入れ違いになるかもしれませんので、ディノたちはここで待っていてください」
ディノ親子を残してファビオはタイスケを捜す。
まずは外に出て、改めて世界樹を眺めてみる。
結界があるので世界樹は外からは見えない。だが、これはタイスケが張ったものではなく昔からあるものらしい。彼はあくまで結界を補強して維持しているだけだ。
では、最初の結界は誰が張ったのか。なぜタイスケはここを知っていたのか。
(害がないから気にしないだけで、けっこう重要な話なのかもしれない。捜して訊いてみよう)
ファビオは世界樹をぐるっと回ってみる。
陸上の四百メートルトラックよりも大きいので、一周するだけでも時間がかかる。やはり大きな樹だ。
また、世界樹だけが生えているわけではなく、その影響を受けた木々も大量に茂っているので視界が良いとはいえない。
なんとか掻き分けて裏側にまで到達。
ここまでは過去に遊びに来た際に見たことはあるが、それ以上の探索はしたことがない。タイスケからも不用意に動くと結界の外に出てしまうと脅されていたからだ。
だが、こうして時間を持て余したことで興味が湧く。
どんどん進んでいくと空間が少しずつ狭まっていき、次第に木々が密集して行き場がなくなってきた。
(このあたりが結界の終わりなのか? でも、それにしては小さい。この森の大きさを考えれば合わないな)
外から見る森はかなり大きくて深部も相当な広さだ。結界があるのでわかりにくいが、世界樹周辺がこの狭さであることには違和感を抱く。
丹念に探っていると藪の中に『台座』を発見。
その上部には何やら紋様が描かれていて、中央に大きなジュエルがはめられていた。
(これは何かの装置か?)
危ないものという感覚はなかったので、なんとなしに手を触れる。
だが、何も起きない。
(術具だとしたら発動のための条件があるはずだ。おや、ここに窪みがあるな。この形はどこかで…)
台座の脇に小さな窪みがあった。
しばらく触ってみたところ、それがちょうど『護符』の形と同じであることに気づく。
(この護符が結界の通行許可証ならば、ここにはめたら何か起こるかな?)
興味本位で護符をはめてみると台座のジュエルが輝く。
咄嗟に周囲を警戒するも特に何かが起きたわけではない。しばらく様子をうかがったが、同様に特段の変化はなかった。
首を傾げながら世界樹に戻ろうと木々を抜けると―――
「え?」
ファビオの視界には、まったく違う光景が広がっていた。
岩や何かの金属の残骸が散らばった空虚な空間。
だが、明らかに意図的に配置したであろう壁や柱が散在している様子は、そこに何かがあったことを如実に示していた。
「遺跡…?」
最初に脳裏に浮かんだのが、遺跡。
地球でもたまに見かける、かつての建造物の成れの果てだ。
(世界樹はどこにいったんだ? 道を間違えた? いやしかし、あそこは結界で覆われているから間違えようもない。だとすれば、ここも結界内なのか?)
世界樹のあるエリアが狭すぎると思っていた矢先である。
許可証の護符を使って違う場所に出たのならば、ここも結界内であり、さらには違う場所であると想像できる。
おそらくはあの台座によって、結界内の複数のエリアを行き来できるようになっているのだろう。このことから結界は一つではなく、多重結界であることがわかる。
(なんて厳重な。それほどのものがあるのだろうか? …無性に惹かれる。先に進んでみよう)
いつものファビオならば、まず行かなかっただろう。
だが、枷が外れて好奇心が刺激された状態では止めるすべがない。
歩きながら遺跡の残骸を『解析』してみると、まったく未知のものであることがわかった。
(なんだこの金属は? 鉄でも鋼鉄でもなく、むしろ軽いのに異様に強固だ。壁の素材もただの岩じゃない。改良しようにも、すでに完成されていて強化できるイメージが湧かない)
ここは西の先進国でも東の大国でもない。流通する素材は低レベルのものばかりだ。いまだファビオが知らないものは多いだろう。
しかし、それを差し引いても異質。
遺跡なのだから今の文明と異なっていて当然だが、解析ができるファビオだからこそ技術体系がまったく違うことに気づく。
しばらく探索を続けると地下に続く階段を発見。
地球の子供時代に憧れた探検番組を思い出し、ワクワクしながら先に進む。
通路は大きく、地下に向かうにつれてより広さが増していった。幅も軽く二十メートル以上はあり、高さなどは四十メートルはありそうな巨大な様相だ。
このことから上の崩れた建物は飾りで、本命は地下ではないかと推測できる。
(わざわざ地下に空間を作るなんて隠したいものでもあるのか? それとも当時は地上の環境が悪かったのだろうか?)
もともと空想は大好きだ。当時の情景を想像しながら進む。
だが、ここで重大なことに気づいた。
地下なのに明るいのだ。ここが遺跡であるのならば壁に光が灯っているのはおかしい。
これでこの先にタイスケがいることを確信。
そのまま道なりに進み、扉が開いている部屋を発見する。その扉もかなり大きく、まるで巨人が通るために作られたかのようだ。
中を覗くと、こちらに背中を向けて立っている老人を見つけた。
足音を立てないように忍び寄り、背後からタッチ。
「タイスケさん」
「どっひゃーーー!!?!」
猫の後ろにキュウリを置くドッキリが一時期流行ったが、あれと同じく驚いたタイスケが大きく跳ねる。
老人なのにすごい身体能力だと感心したのも束の間。
宙に飛んだタイスケが綺麗な放物線を描き、部屋の隅にあった穴に落ちていった。
地下にも崩れている場所があるようだ。それにしても吸い込まれるように落ちるとは、なんと運が悪いのか。
「ぎゃーーー! 足を挫いたー!」
「た、タイスケさん! 無事ですか!」
「なんじゃ! 誰じゃ!? 足首がぁあああ!」
と、大パニックに陥ったタイスケであったが、怪我は自分で治して自力で這い上がってきた。
もちろん、激おこである。
「突然なんじゃ! どうして穴に落とした!」
「落ちたのは、タイスケさんが自分で飛び込んだからです」
嘘は言っていない。事実である。
が、事実だからといって怒られないわけではない。
「おぬしが後ろから話しかけるからじゃろう!」
「後ろを向いていたのですから、どうあってもそうするしかないでしょう。前に回り込んだら、それはそれで驚くでしょうし」
「ええい、ああ言えばこう言う! これだから最近の若いもんは!」
(よかった、変わっていない)
すでに齢九十を超えるはずだが、十年経っても以前のタイスケのままだ。
大きく変化した街と比べてしまい、変わらぬ彼にどこか安堵する。
「つーか、どうやってここに来た?」
「台座をいじったせいだと思います。タイスケさんが家にいなかったので捜していたのです」
「そういえば護符を渡しておったな。忘れておったわ。しかしまあ、よく気づきおるわ。相変わらず察しの良い男じゃよ」
「それで、ここは何です?」
「わしの書庫じゃな。うん、書庫じゃ。それだけじゃよ。ほれ、もうええじゃろう? さっさと戻るのじゃ」
「今は二人きりです。秘密にしますから隠さなくてもいいのでは?」
「な、何のことじゃ?」
「隠し事が下手すぎますよ。もう見つかったのですから白状しましょう」
どうやらここはタイスケにとっても秘密の場所らしい。
これもいつもならば深追いしないのだが、好奇心が刺激されているファビオは止まらない。
「では、僕の秘密から言いましょう。僕は違う星から来た転生者です。そう言ったら信じます?」
「転生…もしや『異邦人』か?」
「異邦人?」
「外部から来た魂をそう呼ぶのじゃ。なるほど、そうか。だからか。お前さんから感じる波動が他と違うのは、そもそもの系統が違うからか」
「今まで秘密にしてきたのですが、意外と知られているのですね」
「いや、このまま秘密にしておいたほうがいいじゃろう。異邦人自体は一般には知られておらぬし、知っている者からすれば警戒の対象にもなる。異邦人がこの世界に与える影響は大きいのじゃよ。特にこうして『生身の人間』に転生する場合はの」
「誰もが生身に転生するのでは?」
「そうでもない。たいていは『影』になる。お前さんたちの世界とは環境条件が違いすぎるからの。魂が順応しきれんのじゃ」
「怖いですね。成功してよかった」
「じゃが、逆にそれだけ重い使命を背負っていることになるがの」
「たいしたことはできません。村を都市にまで昇格させましたが、もうこれで僕の役割は終わりでしょう。カーリスに浸食されるのは悔しいですけど」
「なに!? カーリスじゃと!? カーリスがどうした!」
「い、いえ、街にカーリスがやってきて、いろいろと面倒なことになっているのですが…知りませんか?」
「知らん! 俗世から離れた独居老人を侮るでないぞ! ええい、詳しく話せい! 早く話せーーい!」
「首を絞めないでください! は、話しますから! もうっ、なんなんですか!」
興奮したタイスケに急かされ、ファビオは今までのことを一気に話す。
やはり何も知らなかったらしく、かなり驚いていたが、しばらくして平静を取り戻す。
「ふむ、やつらは寄生虫のようなものじゃ。お前さんが街を発展させたがゆえに、その噂を聞いてやってきたのじゃろう。いつもの手じゃな」
「タイスケさんもカーリスが嫌いなのです?」
「嫌いも嫌い、最悪じゃ。じゃが、話を聞いてる限り、やってきたのは司祭長なのじゃな?」
「はい、アンリ・イノールという人物です。悪い意味でやり手というか、しつこい人です。黒い噂もたくさんありますし、少なくとも尊敬できる人物ではありません」
「そやつの名は知らぬが、司祭長ならばまだよい。所詮は下っ端じゃ」
「その下っ端に散々やられていますが?」
「それくらいは問題ない。そんな輩に影響されるモラルの無い人間のほうが悪かろう。いかにお前さんが良識人であろうが、周りが愚鈍ならば何もできぬよ」
「耳が痛いですね…。ですが、下っ端にしては影響力が強すぎませんか? 信者が増えるペースが早すぎますし、あんなものを信じるほうがおかしいです。何か薬でも使っているのでは?」
「ほぉ、気づいたか。カーリスは病原菌のようなものじゃ。抗体がなければ伝染していく」
「え? 本当に何かあるのです? 冗談半分だったのですが…」
「おぬしは『精神汚染』を知っておるか?」
「いろいろな意味で使われますけど…どういう話です?」
「植え付けられた精神術式が触れた対象を通じて拡散していくのじゃ。だから長く触れていると次第に感化されていく。そういう者たちに覚えはないか?」
「まさかそんな…。でも、たしかにいますね」
キリポにしてもキャサリンに一目惚れしたとはいえ、どんどんカーリスにはまっていった。
森の神を信仰していた人々も、気づけばカーリス側になっていて驚いたことがある。
教義にさまざまな欠陥があるにもかかわらず、少しずつではあるが確実にカーリスは増え続けている。それがずっと不思議だったのだ。
だが、タイスケの言葉を信じるのならば、すべてに合点がいく。
「それはもはや悪性のウィルスなのでは?」
「似たようなものじゃ。もともと人間の魂は互いに影響し合う性質を持っておる。その間を行き来して増えていく病原菌、それがカーリスなのじゃよ」
「どうしてそんなものがあるのです?」
「原因はある。それもまた【原罪】によって引き起こされた災いといえような」
「その原罪とは?」
「それは…ううむ」
「無理に言わなくてもよいですが、随分とカーリスに詳しいですね。あなたは何者なのですか? どうしてここにいるのです?」
「………」
「お願いします。教えてください。このままでは街が大変なことになります。なんとかしたいのです」
「わしの正体を知ったところで何も変わらぬよ。何もできぬからここにおるのじゃ。じゃが、自らの素性を明かしたおぬしに隠し立てをする理由もないか。ならば言おう。わしは【元カーリスの神官】じゃ」
「カーリスの関係者なのですか!?」
「元じゃ、元。若い頃はわしもカーリスに汚染されておった。何も疑ってはおらんかったよ。じゃが、ある時に気づいた。これは間違っておるとな。思えばその時に抗体が出来たのじゃろう」
「それで辞めたのですか」
「辞めた? …やつらは辞めることなど認めんよ。だから逃げてきたのじゃ。死ぬか逃げるか、どちらかしか選択肢はなかった。あらがうには敵は強大すぎる」
「タイスケさんでも駄目なのですね…」
「しかし、ただでは転ばぬ。数多くの【禁書】を盗んできた!」
タイスケは大きな本棚にぎっしりと詰まった本を指さす。
これらはカーリスの第一神殿から盗んできた禁書の類である。
「カーリスは重要な技術を秘匿して独占しておる。わしらが使う『真言術』は本来、術の素養が低い人間でも発動できるように改良されたものなのじゃ」
たびたび名前だけは出てきたが、術式の中に『真言術』という系統がある。
通常の術式はエメラーダやアンシュラオン、あるいはロゼ姉妹のような術士因子がなければ発動しないものだ。
しかし、術士自体が少ないことから、それでは突発的な怪我に対応することは難しい。
当時はまだ人類全体における医療技術が低く、小さな怪我でも感染症を引き起こして死亡する事例が多かった。
それを改善するために、聖女カーリスは発動のための条件を緩和した真言術を生み出した。
これは【元素術式と情報術式のハイブリッド】であり、聖女カーリスの能力であった『融合』という特殊な技法をもちいて生成した異質な術式である。
この『カーリスの大契約』に基づいて精霊が力を貸すことで、術の素養が完全にゼロではない限りは一定の力を出すように設計されている。
これはまさに偉業であり、術式における大改革とも呼べる技術だ。
カーリスの修道院では、まず最初に初歩的な真言術を習う。それゆえに司祭の多くが癒しの術を扱える。
すでに述べたように、それは多くの弱き人々を救うために初代聖女が身を削って作ったものだ。
がしかし、今のカーリスはそれを信者にしか教えず、他者を癒す際には金を取って勢力を拡大する力にしている。
それにタイスケは憤慨していた。
「やつらがカーリスという御名を使うのもおこがましい! 本当のカーリス様は、今の神殿連中が崇めている聖女などとはまったく違う、れっきとした『偉大なる者の直系』なのじゃよ! それをやつらは売り物にしておる! ほんにけしからん連中じゃ! あまつさえ教義として利用するなど、もってのほかよ!」
初代カーリスは紛れもなく偉大なる者の子供であり、肉の身体をまとって地上に降臨した本物の聖女だ。
かつてマグリアーナの子である『光の子マリス』(同名だが光の女神とは別人)もまた、生身の人間としてアヴェロンの地に舞い降り、人々を導いたという。
こうした者たちを【偉大なる者の直系】と呼び、新しい人類の先達者として地上の人間たちは崇めていた。
が、それを利用しているのが今のカーリス教である。
「やはり教義自体が別物なのですね。僕もずっと違和感を抱いていました。これは何者かが『捏造』したものではないかと」
「それに気づくとは、さすが異邦人じゃな。始祖はいつでも純真で尊い。しかし、周囲の者たちまで清廉潔白であるとは限らん。今のカーリスの教義は、すでに改竄されて捏造されたものじゃ」
ファビオがずっとカーリスに抱いてきた違和感と不信感。
女神や聖女自体は偉大であるのに、やっていることは俗物そのもので彼らに都合が良すぎる教義が多い。
それも当然。あの聖典はカーリスが書いたものではないからだ。
カーリスの死後に弟子たちが書いたものを、何千年という歴史の中で神殿関係者が少しずつ改竄していったものである。違和感があってしかるべきだろう。
「じゃが、それを知る者をやつらは許さん。少しでも真実を語ろうものならば全力で潰しにかかる。ここにある書物も真実を告発しようとして、禁書あるいは焚書にされたものの原本なのじゃよ」
「なるほど。タイスケさんの事情はわかりましたが、どうしてここに来たのです?」
「逃げる際に協力してもらった『知者』と呼ばれる連中に頼まれたからじゃ。ここはすでに管理者がいなくなってしもうた『古代遺跡』なのじゃよ。結界を維持するための人材が必要ということじゃな」
「なぜタイスケさんを選んだのです?」
「こっちの世界も人手不足じゃからな。年々管理する者がいなくなって困っていたようじゃ。利害の一致というやつじゃな」
「では、この古代遺跡については? いつの時代のものなのですか?」
「これは『前文明』という一万年以上も前の時代のものじゃ。おぬしは知らぬかもしれぬが当時の文明はとても優れておった。世界樹に関しても当時の者たちが植えた可能性が高い。まだ機能を残しておる遺跡は危険なのじゃよ。以前も言ったように他者に知られるわけにはいかん」
多くの遺跡は廃墟同然ではあるが、中には希少な遺物が現存していることもある。
この遺跡の場合は世界樹がそれに該当する。以前も述べたが、存在が知られてしまえば人々が殺到して大パニックになるに違いない。
「なんにせよ、ここに人が立ち入ることは避けたい。知らぬほうがよいこともあろう」
「カーリスはどうします?」
「考えようによっては使える。木を隠すのならば森の中。すでにカーリスが伝来した土地ならば、あえて探る者も少ないじゃろうて。おぬしが秘密にしておけば危険は少なかろう」
「わかりました。家族にも言いません」
「しかし万一のこともある。もしわしに何かあったら、代わりにここを守ってくれぬか?」
「僕の力ではたいしたことはできませんよ?」
「それでも後継者がいるといないとでは話が違う。その報酬として禁書の類は自由に読んでいいぞ。術も教えてやろう」
「術ですか? でも、あれは素養がないと…それとも真言術を?」
「普通の術でええじゃろう。おぬしには素養がありそうじゃ。そうでなければ偶然とはいえ結界を壊すことなどできぬよ」
「まあ、知識が増えるのはありがたいですが…」
「よし、決まりじゃ! これよりお前さんは、わしの弟子じゃ! わかったな!」
その後、自由に遺跡に入る許可をもらったファビオは、暇を見てタイスケが持ち込んだ禁書の数々を読み耽った。
そこで術に関しても学び、この世界の深淵にも触れることになる。




