536話 「抵抗と敗北」
賄賂と詭弁に流されて合同議会はイノールの提案を支持。
教会建設に向けて事が動き出してしまう。
「はぁ、止められなかった…」
「仕方ないわよ。はい、コーヒー」
落胆して家で突っ伏しているファビオに、ユーナがコーヒーを淹れてくれた。
それをファビオはじっと見つめる。
「これも西側からの輸入品なんですよね。いわばカーリスからの賄賂です」
「そんなに珍しいものではないでしょ。コーヒー豆くらいはこっちにもあるわよ」
「それはそうですが、物流の観点からも西から来たもののほうが多いです。カーリスは西側の入植地にも顔が利きます。西にあるヴェルトという地方でもカーリス教が盛んだと聞きますし、これもそこから来たものと推測されます」
イノールの金の出所は、もちろん彼自身が今まで得たものも含まれているが、半分は他のカーリス教会からの援助によって成り立っている。
中南部においてはヴェルトにあるカーリス教会が一番大きく、すでに教会の上位である『神殿』の建設まで始まっていると聞く。そこを経由して資金や物が流れ込んでいると思っていいだろう。
カーリスは着々と荒野を浸食していた。未開拓エリアのほうが宗教を浸透させやすいからだ。
「だからってコーヒーに罪はないわ。物は物でしょ」
「憎い、コーヒーが憎い。これを飲んだら負けを意味するかもしれません」
「そこまでいったら病気よ。それで、次は何に悩んでいるの?」
「建築のために大量の木材を必要とするらしいのです。それで森での伐採を増やすとか」
「収益が増えるのはありがたいけど、今でさえギリギリの生産ラインなのよ。これ以上は無理じゃない?」
「ええ、僕も同じ意見です。ですが、僕が反対したとしても権利を与えてしまった以上、彼らは他の地域から輸入してでも強引に推し進める可能性が高いのです」
「それならそれでいいじゃない」
「僕たちはよくても議会が黙っていません。木材の売り上げがなければ街にメリットはないのですから、議会主導で強引に伐採を始める可能性があります。しかも浅部はだいぶ伐採してしまったので、どんどん奥に進むはずです」
「そんなことをしたら村同士で揉めるわよ。何よりも狼が黙っていないわ」
「ええ、魔獣は人間の都合では動きません。必要以上に刺激すれば、父さんたち木こりも危険に晒されます。街にも亀裂が生まれますし、良いことは何もないのです」
森林の伐採に関してはファビオ率いる旧北の村が利権を握っているが、広大な森のすべてを管理しているわけではない。
やろうと思えば街の外から入り、そこから深部に向かうこともできる。森自体は独立した存在で誰のものでもないからだ。
しかし、そうなると狼が反発するのは必至。これは街での利権争い以上に危険なことである。
「ほんと、カーリスって厄介ね。さっさと帰ってくれないかしら。いっそのこと勝手にやらせて狼に襲ってもらったら?」
「それは駄目です」
「どうして? すっきりするじゃない」
「今回は教会の建設だけで止められましたが、彼らの本当の目的は武装した人員を街の中に配置することなのです」
「衛士隊がいるのに?」
「彼ら独自の戦力を街に置く。この段階で極めて危険な状態といえます。下手をしたら武力行使によって街が乗っ取られます」
「そんなの認めるわけがないじゃない。ここは私たちの街なのよ」
「むろん、それはそうです。しかし、宗教というカテゴリーを力ずくで抑制はできません。思想は自由。それを制限することは女神様の無限の可能性を否定することになります」
以前ダビアも言っていたことだが、この世界では人種や民族よりも思想が大事にされる。
それゆえに地球以上に宗教はデリケートな存在であり、だからこそカーリスがここまでの力をつけた要因にもなっていた。
「先日の事件のように宗教を攻撃する者がいれば、自衛力を強化する流れになるのは当然のことです」
「それを口実にクーデターを起こすってこと?」
「我々からしたら、その認識でかまいません。まあ、あれはカーリス側の自作自演だと思っていますが…追及しようにも証拠がありません」
「どうせ西の村長あたりが関わっているわよ。やりそうな顔をしているわ」
「…彼のことはそれなりに知っています。悪人ではありませんが上手く動かされている印象は受けますね。ともあれ、あれのせいで迂闊にカーリス側を糾弾することができなくなりました。それを理由に部隊を呼ばれては困ります」
「だからといって伐採の許可は出せないわよ」
「ですから板挟みで悩んでいるのです」
「困ったわね。なんとかならないかしら」
(調べてみたところ、この世界にも『共産主義』があるようだけれど、カーリスみたいな存在がいるとなれば反発してしかるべきか)
共産主義とは、端的にいえば『霊魂といった一切の神仏を認めない全体主義による独裁(富の独占)』を指し、それを暴力革命によって成し遂げる思想である。
自分の意見に反対する者を暴力で排除することは、世の中ではままあるが、この『唯物主義』こそが他の主義とは決定的に異なる点だ。
それゆえに生粋の共産主義者は神社や寺にさえお参りをしない。祈ること自体が神や霊魂を認める行為になるからだ。それだけ宗教の団結力を警戒しているともいえる。
ソブカとライザックとの話でも出てきたが、入植している勢力では『ザ・シャグ人民共和国』が共産国家として有名だ。もちろん女神信仰も禁止している徹底ぶりである。
彼らにメリットがある場合はダブルスタンダードで認める場合もあるが、それも監視付きのものとなっていた。いざとなれば強制排除および全財産の没収もできるのが強みだ。
といっても、この世界において女神は実在する。
ファビオ自身は実際に出会っているので断言できるし、これだけ信奉されているのだから否定するのは、いくらなんでも苦しい言い訳である。
だが、一方では女神の名を利用したカーリスという宗教利益組織も存在する。イノールを見てもわかるように、こちらもかなり悪質だ。
その対抗手段として共産主義は特効薬になりえる。最初から女神はいないと断定しておけば、カーリスが入り込む余地がないわけだ。
ただし、毒は毒。共産主義はカーリス以上の劇薬でもある。
(いくら有効でも、ここでやるには無理な話だ。それ以外のデメリットが大きすぎるし、そもそもユアネスの精神とは真逆のものだ。こうなると対抗策は一つしかない)
ファビオが妻をじっと見つめる。
その視線に気づいたユーナは、なぜか自身の大きな胸を両手で持ち上げた。
「その顔、私に何かお願いがあるのね? わかっているわ。もうっ、ファビオったらむっつりなんだから。おっぱいなら好きなだけ吸っていいわよ。これはあなたのものだもの。はい、いつでもどうぞ」
「お願いはありますが、おっぱいではありませんよ」
「じゃあ、いらないの?」
「…いらないとは言っていません」
「ふふ、ファビオは可愛いわね。で、何?」
「仕方なく、本当に仕方なくお願いするのですが、『祭り』をまたやってほしいのです。一年に一度の決まりを破ることになりますが…」
「浅部の木々が復活すれば、それで建築分が賄えるのね」
「それだけではありません。宗教の勢力拡大を防ぐ方法として『他の宗教を流行らせる』ことが有用なのです。そして、すでにそれは存在しています」
キリスト教が日本にやってきた時、当時の為政者は仏教を使って妨害した。最初から違う宗教に入っていれば新しいものに対する抵抗力になるからだ。
これはギアス同様、先にアンシュラオンが支配していれば他の支配を受けないのと同じことである。
そして、ユアネスにはもともと『土着の神』を信仰する習慣があった。
「カーリスが根付く前に、改めて祭りの重要性を思い出させるのです。でも、本当はやりたくないです。本物の信仰とは精神的なもので、各々の心の中にあるべきものだからです」
「ファビオが嫌がっているのは、森の神様への信仰もカーリスと同じようになってしまうからなのね」
「…その通りです。信仰とは漠然とした感覚でよいのです。それで十分生活に根付いているといえます。が、対抗するためにあえて具体化してしまえば、それ自体が形式や利権になってしまう。それでは彼らと同じだ」
「ファビオって、信仰に対してすごいこだわりがあるわよね。型にはめるのを異様に嫌うわ。どうしてかしら?」
「まあ…そうですね。それだけ自由を愛しているのです。ユアネスは僕の希望でもありますから。誰もが自由を満喫してほしいのです」
「いいわ、あなたの好きなようにして。私は全力で尽くすだけだもの」
「申し訳ありません」
「夫婦でしょ。遠慮なんてしないで。ただ、世界樹が応えてくれるかはわからないわよ。あの現象はいつも勝手に起こるもの」
「それでかまいません。むしろ失敗することを望んでいます」
ファビオとしては失敗したら、それはそれでかまわなかった。
ユーナを矢面に出すことが嫌だったし、人は安易に超常的なものに頼るべきではないという信念があるからだ。
地上を耕すのはあくまで人間の仕事だ。神様にねだり、あまつさえ自ら要求するものではない。
ただ上手くいくように祈り、人事を尽くして天命を待つべき。そうファビオは信じている。
しかしながら、人生とはかくもままならないものか。
臨時で開いた祭りでユーナは力を発揮。
すでに伐採されていた切り株から芽が生まれ、急激に生長して瞬く間に立派な木々となる。
ここで異常なのが、相変わらず種類や季節を問わず無制限に生育することだ。何度見てもこれはおかしい。
しかし、人々はその実りに酔いしれる。
「こりゃいい。どんどん祭りをやれば無限に木材が手に入る」
「切るほうが大変だぜ。機械を入れないと間に合わない」
「やっぱりユーナだよな。森の神様、万々歳だ」
「カーリスは私たちに利益を与えてくれないものねぇ」
カーリスの賄賂は村長といった上の者に限られ、子供への教育も布教のためなので大人にとってのメリットは少ない。
こうして実際に現世利益を与えてくれる森の神のほうが、カーリスよりも良い。そう思うのは人間である以上は当然だ。
(本当にこれでよかったのか。守るべきものを貶めただけじゃないのか)
一方、ファビオの心情は複雑だった。
霊界の仕組みを見ればわかるが、宗教の本来の役割とは人々の物質依存を弱め、より霊的なものに意識を向かわせることにある。
霊体として持っていけるのは自身の意思や能力だけだ。どんな人間でもいつかは死ぬのだから、私財を貯め込む必要性はない。
いくらカーリスを抑えるためとはいえ、現世利益をぶら下げて人を集めたことに罪悪感を抱いてしまうのだ。
苦悩する夫の手をユーナが握る。
彼女は何も言わなかったが、ただそれだけで少しだけ救われた気がした。
その後、教会の建設が始まり、半年ほどで完成。
工事費をカーリス側が捻出したことで街にも雇用が生まれ、新たな労働者も増えていく。
それ以外にもカーリスの影響力が強いヴェルト地方から西側の物品を輸入することで、それを目当てに商人たちも増えていった。
対カーリスとして行った祭りも森の恵みを増やすきっかけになり、皮肉にも両者が協力した形で経済効果が倍増。
そして三年後、ファビオが二十二歳の頃。
念願のハローワークが街にやってくることになったのであった。
∞†∞†∞
さらに二年後。
ファビオが二十四歳になった頃。
ユアネスが誘致条件を満たし、ニューロード初のハローワークが来たことで経済が劇的に活性化する。
ハローワークは通貨を製造・流通させる組織でもあるため、口座を作るにせよ素材を換金するにせよ、その利便性の高さゆえに嫌でも人が集まってくる。
一時は大量の人が押し寄せてパニックになったほどだ。この荒野にこれほどの人がいたのかと驚くレベルである。
それに伴って交通ルートもさらに拡大。
北はまだ荒れているので自由貿易郡との繋がりは薄いが、ユアネスを拠点としてニューロード全体に血管が通るようにルートが広がっていく。
心臓と血管が生まれれば血流も巡り、ルートに沿うように村や街が自然と生まれていくものだ。
その好循環によってユアネスは引き続き発展を続け、一気に『都市』に昇格することになった。
「アケミさん、おはようございます」
「ファビオ議員、いつもご苦労様です」
「議員なんて付けなくていいですよ。そんなに偉くないですから」
「いえいえ、優秀な議員がいてこその発展です。ご活躍はいつも伺っております」
ファビオがハローワークの前にいた女性と挨拶を交わす。
彼女はアケミ・レコスタ、ハローワークの職員である。
艶やかなセミロングの黒髪と、つぶらな瞳が印象的な二十代半ばの女性で、小百合に若干似た雰囲気を持つ美人だ。
ファビオは都市の視察がてらハローワークの前を通るので、毎朝掃除をしている彼女と出会うのだ。
「何か困ったことはありませんか。警備面は大丈夫です?」
「今のところは衛士さんもいらっしゃるので問題ありませんね。ミスター・ハローが決まれば、もっと安心ではありますけれど」
ハローワークが出来たとはいえ、まだまだ小さい支部だ。
規模としてはハビナ・ザマ支店程度で職員の数も少なく、アケミ自らが掃除を担当するほど人手が足りない状況である(掃除は自発的にやっている)
また、グラス・ギースやハピ・クジュネでもそうだったが、ハローワークの安全は基本的に都市や街側が担保しなければならない。
ハローワーク側でも独自にミスター・ハローのような警備員を雇うものの、大規模な戦力を駐留させるわけにもいかないので、どうしても都市側に頼るしかない。
では、もしもハローワークが襲われたらどうなるのか、という疑問が生まれるだろう。
たしかに内部の端末には貴重なデータがたくさん入っているが、これらはネットワークで段階的に管理されているので、異変があれば即座にブロックが可能となっている。
もともと支部や支店にデータがあるわけではなく、すべてはハペルモン共和国にある本店で管理されている。
ハローワーク支部はあくまで窓口にすぎず、銀行口座情報もダマスカスで管理してため、漏れるとすれば氏名くらいだが利用価値は低いだろう。
現金も数十億程度は金庫にあるので奪うことも可能だが、紙幣番号はすべて記録されているため追跡することが容易かつ、世界的大組織の報復に怯えなければならないとなればリスクのほうが大きい。
このように物品や情報に関してはなんら問題はない。が、その反面、職員の身は都市側が是が非でも守らねばならない。
もし都市側の過失によって職員が死亡する事態に陥れば、もう二度とハローワークがやってくることはないだろう。
これが意味するところは『経済的な死』である。
ギャングが仕切っていたハピナ・ラッソは最初から誘致していないが、ハローワークがなければ金を稼ぐことが難しくなり、どうしても賭博といった闇の商売に手を染めるしかなくなる。
ユアネスに関しては、幸いなことに今のところ安全面において問題らしい問題はなく、衛士がいない時でもハローワークを利用している傭兵やハンターが自発的に守ってくれるので安心だ。
ここが無くなって一番困るのは、当然ながら利用者たちだからである。
「カーリスはどうです? 何かトラブルはありませんか?」
「教会ですか? 何もありませんよ。カーリス信者は礼儀正しくておとなしいですからね」
「そう…ですか」
「ふふ、ファビオ議員はいつも同じことを訊きますね。そんなに教会が苦手なんですか?」
「苦手といいますか大嫌いといいますか、言葉にできない拒絶反応があるわけで…」
「それはそれで信仰の自由ですものね。実際に苦手な人もたくさんいますよ。私も好きではありませんし」
「そうなのです?」
「うーん、立場上あまり言えませんが、ずばり怪しいですよね!」
「はは…正直ですね」
「根拠がないわけじゃないですしね。資金回りが胡散臭いのはいつものことです。ハローワーク本部は意図的に見過ごしていますけれど、国や地域によってはトラブルも多いですよ。それを地元の有力者への賄賂で揉み消すのも常套手段です」
アケミは本部経由で派遣されてきた人材なので西大陸の情勢にも精通している。
カーリスが賄賂をもちいて権力者に取り入り、強引な布教をすることも周知の事実で、それが原因で宗教アレルギーを発症している者も多いという。
しかし組織が大きいがゆえに、その知名度が利用できることも事実。
ユアネスにカーリス教会があったことが、二年前のハローワーク誘致の決め手にもなったからだ。
(誘致に協力してくれたことは感謝しているが、教会勢力は日に日に力を増している。もう僕では止められない)
さきほどアケミは、ファビオを「議員」と呼んだ。
以前までは四人の村長による合議制が採用されていたが、規模が大きくなるにつれて、それだけでは意見の集約が困難になった。
それを改善するために『議員制度』が生まれ、政治に参加できる人数も大幅に増えることになる。
それはよいのだが、相対的にファビオの発言力も低下。今では一議員にすぎず、何かを決めるにも他の議員との折衝が必要になっていた。
これは都市経済の多様化によって、ファビオに頼る必要性が薄れたせいでもある。
彼のクラフト能力は便利だが、商人だけではなく傭兵やハンターが数多く集まり、西側の技術が部分的に導入されたことで絶対的な価値を失ってしまっていた。
言い換えればこの五年間、カーリスを抑制するための有効的な手を打てていないことになる。
「何かあったらいつでも言ってください」
「はい、議員も無理をしないでくださいね」
アケミと別れて、歩くこと数分。
気づけばカーリス教会の前に来ていた。
(建物は立派だ。建物だけは…だが)
教会は学校の体育館くらいの大きさで、五百人は軽く入れるなかなか立派な建造物である。使われている木材もファビオが加工しているので、当人としては複雑な心境だ。
しかし、大嫌いなカーリスとはいえ客は客。下手なものを渡すわけにはいかない。マテオ組も建設には携わっているので仕方なく建物の出来だけは褒めることにしている。
ただし、あえてマテオに依頼すること自体がファビオへの当てつけであり、イノールの勝利宣言であるともいえた。
そして、さらに不愉快なことがある。
「ファビオ、何か悩み事ですか? 懺悔でもしていきます?」
声がした方向、教会の入口に視線を移すと、そこには白いローブを着た笑顔のキリポがいた。
ファビオは無言で立ち去ろうとするが、追いかけてきたので辛辣な言葉で迎撃する。
「『裏切者さん』、おはようさようなら。半径十メートル以内に近寄らないでくださいね。カーリス臭いので」
「まだ恨んでいるのですか?」
「恨んでいないと思います?」
「仕方ないでしょう。そうするように言われたのですから」
「それで友達を売るような人物は、やはり裏切者ですよ」
キリポの姿を見てもわかるように、すっかりカーリス教徒になっていた。今では洗礼を受けて司祭になるための修行をしているらしい。
彼の裏切りは今に始まったことではないが、決定的だったのが前回の議会。
ファビオの反対を押しきってカーリス側が決議を通してしまったのだが、その助力をしたのが、ほかならぬ『キリポ議員』であった。
外からやってきた人物が議員になれば軋轢が生まれるため、丸め込んだ村出身者を議員に仕立て上げて裏から操ろうという魂胆である。
これが今のところ成功してしまっていて、議会ではカーリスの息がかかった議員が過半数を占めている状況だ。
その裏切り者筆頭がこのキリポなのだ。嫌われて当然だろう。
「キリポこそ悩みがあるのでは? シスターキャサリンとは上手くいっていないようですが?」
キリポがカーリス教徒になったのは、一目惚れしたシスターキャサリンが目的なのは明白だ。
女のために親友を売る。なんとも卑しい男である。それもまたファビオが怒っている理由だった。
しかも、もともと奥手がゆえに満足にデートに誘うこともできず、上手くあしらわれているのが現状らしい。まさに因果応報。親友を裏切った罰である。
ただ、キリポはまだ諦めていないようだ。
「愛とはゆっくり育むものなのです。かつての村のように、年頃になったら強制的に結婚ということはありえないのです。これが先進国のマナーですよ」
「先進国かぶれのキリポ議員は、そのまま一生童貞で地獄に落ちるといいですね」
「発言が厳しすぎます!? そろそろ許してくださいよ」
「外から来た女は裏切りますよ。注意してください」
「キャサリンさんを馬鹿にするなー! 彼女は売女じゃない!! ファビオも噂を鵜呑みにするような馬鹿なのですか!!」
「誰もそんなことは言っていないでしょう。被害妄想、お疲れ様です」
「訂正しろ! 身体なんて売ってない! 彼女はおしっこもしないんだ! う〇こもしない! 永遠に美しい天使のままなんだ!」
「はいはい、さようなら。二度と気安く話しかけないでくださいね。病気が移るので」
敵側に寝返った者を相手にしても仕方ない。怒り狂うキリポをかわし、さっさと退散する。
だが、シスターたちに悪い噂があるのも事実だ。
(火のないところに煙は立たない。彼女たちが裏工作に関わっている可能性は高い)
ここ数年、カーリスに反対していた者、特に独身男性のところにシスターが通い、その後に親カーリスに転じる者が増えていた。
カーリスいわく「信仰の賜物」「布教の勝利」などと吹聴しているが、確実に工作の一部、ハニートラップである。
金品の賄賂よりも女性をあてがったほうが安上がりだ。長年の裏工作で資金的にもやや苦しくなったことで、やり方を変えてきたと思われる。
そこにキャサリンが関わっていることも目撃証言から判明していた。たとえ一夜でもあの美貌と豊満な身体を好きにできるのならば、寝返る男がいても不思議ではない。
もちろんシスター全員が関わっているとは言わないが、あとからやってきた布教隊のシスターも工作員ではないかと疑っていた。
これはすでに街の噂にさえなっているほど有名な出来事であるが、問題は事が公になってもファビオには何もできないことだ。
不正の証拠はあるにはあるが決定的なものはなく、仮にあったとしても議会で処罰決議が通らねば意味がない。
(シスターだけならばいい。所詮は外からやってきた者たちだ。しかし、この都市で信者に引き入れた者に『売り』をやらせているのならば大問題だ)
社会が腐る原因には、過剰な利権や職権の濫用(横領や中抜き)、麻薬、売春などがあり、それを斡旋する者たちまで出てくれば一気に腐敗が進む。
その元締めが宗教勢力というのは皮肉すぎるが、前世の経験からすればいつものことである。
意気消沈したファビオは、一度実家に戻る。
家の扉を開くと何かがぶつかってきた。
「お兄ちゃん、お帰りなさい!」
「エファニ、元気でしたか?」
「うん、元気だよ。もっとお兄ちゃんが来てくれると嬉しいな」
「ごめんなさい、今までは忙しかったので。でも、これからはもっと来られると思いますよ」
「本当? やったー!」
ファビオが十歳になった妹を抱き上げる。
もう随分と大きくなったが、まだまだ甘え盛りの女の子だ。
エファニの髪の色は父親と同じ栗色で、触るとふわふわして心地よい。顔も母親に似てとても愛らしかった。
マテオも歳の離れた娘は可愛いらしく、誰にも嫁にはやらんと言い張っているので、おそらくは十二歳になっても結婚を急かされることはないだろう。
これも都市になって生活の選択肢が増えた結果である。何事も悪いことばかりではない。
「お母さん、可愛い息子が帰りましたよ」
「聞こえているわよ。エファニったら気配だけで誰かわかるのね。だいぶ前から玄関にいたわ」
「すごいものです。もしかしたら天才かも。いえ、天才に違いありません。確実に天才ですね」
「マテオみたいなことは言わないでちょうだい。普通でいいのよ。天才は二人もいらないわ。ストレスで胃に穴があいちゃうもの」
「誉め言葉のはずなのに罵倒されている気もしますが…」
ファビオとは異なり、エファニは普通の可愛い女の子だった。その分だけ育てやすいのだろう。
テーブルまで移動し、エファニを椅子に下ろして自分も隣に座る。
「はー、実家は落ち着きますね」
「議員なんてやめて戻ってきたら? ユーナちゃんもそう言っているのでしょう?」
「息子が無職になってしまいますよ?」
「今までの蓄えで十分よ。また発明でもやりながら静かに暮らせばいいじゃない」
「この歳で隠居生活はちょっと…」
「じゃあ、子作りにでも専念しなさい。そろそろ孫が見たいわ」
「それはハラスメントですよ」
「孕ますめんと? 種付けするってこと?」
「さすがにアウトな表現では?」
「やることは同じでしょ。でも、ここまで出来ないなら、あなたの種に問題があるのかしら」
「淡泊なのは自覚していますが…エファニもいるのです。そういう話は自重してください」
結婚して十年以上になるが、まだユーナとの間に子供はいない。
べつにしていないというわけではなく、年齢相応にしているのだが、なかなか出来ないのは事実だ。
(子供か。僕もそんな歳なんだな。子供を作って隠居、悪くないかもしれない。家族が一番大事なんだから)
カーリスとの諍いにも疲れてきた頃だ。
どのみち止められないのならば、もう諦めてしまうのも手だろう。相手は世界的な宗教。最初から勝ち目はなかったのだ。
横から抱きついてくるエファニを撫でながらそんなことを考えていると、ふと『神棚』が目に入った。
特に偶像などはなく、枝葉とお神酒だけを飾った簡素なものである。
「祀ってくれているのですね」
「そりゃそうよ。私たちの生活があるのも森の神様のおかげだもの」
「ですが、街のほうではだいぶ減りました。寂しいものです」
森はいまだに重要な資金源だが、都市になって多様化した結果、それ以外の収入も増えている。
それによって一時は盛り返していた『森の神信仰』も衰退しつつあり、結局はカーリスのほうが力を増している状況だ。
実りだけは享受するくせに祭りに参加する人も年々減っている。
(人間は利益で動く。誰もが崇高な理念や理想を追い求めることはできない。いつの時代も、一部の人間にしか真理は理解できないものなんだ。これも現実か)
前世の出来事から嫌というほど痛感しているが、転生した先でも同じ思いをするとは皮肉なものだ。
もう自分の役割は終わったのかもしれないと、最近ではある種の達観にすら至っている。
(そういえば、タイスケさんとしばらく会っていないな)
議員生活で忙しかったことで森に入る機会自体が失われていた。
せいぜいが祭りの時や伐採状況を確認する時だけで、森の奥に入ることもない。
それはそれで森が平和であることを示しているが、あそこにはタイスケがいるはずだ。
(まだ午前中だし、たまには行ってみるか。生存確認もしたいし、今は誰かと話したい気分だ)
「僕は少し出かけてきます」
「エファニもいく!」
「危ないですから駄目です」
「いくいくいくー!」
「それは連呼しないように」
まだ十歳なので他意はないが、世の中には連続して言葉に出してはいけない語句があるものだ。
それを教えるのも兄の務めである。
「戻ったら勉強を教えてあげますから。ユーナもこちらに来るように連絡しておきます」
糸電話は家にも設置したので直通でユーナにも連絡が可能だ。
ただ、街ではもう交番以外では見かけないため、カーリス側がファビオの発明品を嫌がっていることがわかる。
それは単に毛嫌いしているだけではなく、自分たちが認めたもの以外は普及を許可しない、という閉鎖的な考えに基づくものだ。
彼らはファビオの特殊道具への対抗策として術具も仕入れてくる。どんなに便利な発明であっても、さすがに西側には代用品があるので数で対抗されたら勝ち目はない。
この点に関してもカーリスに敗北しているわけだ。心が折れて当然である。




