535話 「本性」
(日に日に白いローブが増えていく。このままではまずい)
ファビオが街を毎日視察していると『白の割合』が増えているのがわかる。
街の住人数は短期滞在者を含めておよそ四万人であるが、すでに千人近くが信者になっていると思われた。
今のところは慈善活動を受けている貧困者、主に外からやってきた者が中心であるとはいえ、村出身者の中にも入信者が出てきたことは見過ごせない。
皮肉なことに賄賂を受け取っている西の村長はカーリス教徒ではない。実際に信者になるのは純真な者や困っている人々なのだ。
(一度でも中に入られると追い出すことは難しい。でも、ここで歯止めをかけておかないと手遅れになる。やれるだけのことはしよう)
ファビオは必死になってカーリスの抑制に奔走する。
しかしながら、彼の努力をあざ笑うかのように、ここでまた事件が起きた。
ある日の午前中。
数人の男たちが広場にやってくると、いきなりカーリスの若い司祭(男)を殴り飛ばした。
殴られたのは新しく街に来た布教隊の一人で、聖典を配っていたところを狙われた形となる。
「てめぇら、カーリスカーリスって気持ち悪いんだよ! さっさと街から消えやがれ!」
「わ、我々は聖女様の教えを伝えているだけです。人々が救われるには教えを守る必要が…」
「うるせぇ! 黙れ! ぶっ殺されてえのか!」
「ぼ、暴力はいけませ……や、やめ―――がはっ!」
「オラオラ、簡単にのびてんじゃねえぞ!」
男たちは倒れた司祭を囲むように、殴る蹴るの暴行を加えて大怪我を負わせてしまう。
彼らの容姿はあからさまなチンピラ風で、見た目からしてもガラの悪さが目立っていた。
そのせいもあってか周りの人々は見ていることしかできない。
「お前たち、何をしている!」
「ちっ、逃げるぞ!」
衛士が駆けつけると彼らは即座に逃亡。人込みを掻き分けて、すいすいと移動していったので逃がしてしまう。
暴行を受けた司祭は重傷。命に別状はないが打撲や骨折等々、痛々しい痕跡が残っていた。
その騒ぎを聞きつけたファビオも慌ててやってくる。
「いったい何事ですか!? 暴行を受けた司祭は!?」
「さきほど他の司祭の方が引き取っていきました」
「そうですか…。手当は?」
「彼らがするということでしたので、我々は何もしていません」
「たしかにカーリスには独自の癒しの術があると聞いたことがありますが…。それで、犯人はどうなりましたか?」
「申し訳ありません。取り逃がしました。現在も追ってはいますが…」
「では、犯人を街から出さないように門の監視強化をお願いいたします。捕まえたらすぐに議会に報告してください」
「わかりました」
(まさかこんなことが起きるとは…。外からやってきた異物に対する拒否反応なのだろうか?)
衛士から事情を訊いたあとも驚きを隠せない。
今まで暴力事件が起きたことはほとんどなかった。多くが村出身者ということもあり、それなりに顔馴染みでもあるので、言い合いにはなっても殴るまでには至らないのが普通なのだ。
だが、外からやってきた者は違う。
カーリス教徒たちはもちろん、新しく来た者たちは街の慣習にも疎いため荒野の法則をそのまま適用してしまう。
結局その日は、犯人たちを見つけることはできなかった。
だが、これは始まりにすぎない。
毎日ではなかったものの、それからも週に一度か二度の割合で同じような事件が起きた。
ファビオも見回りを強化したり、逃げた犯人を衛士と一緒に追跡するのだが、どうしても見つけられない。
それが何度も続いたことで強い疑念が浮かぶ。
(おかしい。どの事件にしても被害者はいつもカーリス教徒なのに、加害者のほうは毎回違った顔ぶれという話だ。こうも外からやってきた人間がカーリスに対して敵対行動を取るものなのだろうか? それ以前に犯人たちはどうやって街から出たんだ?)
ファビオの想像以上に外界ではカーリスが敵視されていることも考えられるが、逆にいえば世界でもっとも信者が多い宗教でもある。
こんなことが連日起きていれば、とっくの昔に社会は滅茶苦茶になっているはずだ。
だが、遠方から来た商人に訊いてみたところ、さすがにそのようなことにはなっていないという。
カーリス側にしても犯人の特定や逮捕には消極的で、衛士たちが被害者に話を訊きに行っても「彼らの罪を許します」と言うだけで詳細がわからないままで終わっている。
また、街は木製とはいえファビオが作った頑強で大きな柵で覆われており、監視も強めているため乗り越えようとすれば時間がかかるし目立つはずだ。
強力な武人ならば一足で飛び越えることは可能かもしれないが、その場合だと被害者は怪我どころでは済まないだろう。
となれば、犯人はそこらのゴロツキと考えるのが自然であり、門を通らずに街の外に逃げることは難しいと思われる。
では、なぜ犯人が捕まらないのか。
(現場で訊いたところ、その場にいた群衆がいつも衛士たちの邪魔をしているらしい。四万人もいるのだからそれなりに人が集まっていても不思議ではないが、こうも毎回都合よく群衆が生まれるものだろうか? そして、邪魔をしているのはいつも見慣れない者たち。つまりは外から来た人間だ)
元村人ならばファビオとも親しい間柄なので、誰がどう動いたかを詳細に知ることができるが、関わっているのは外部の者たちばかりだ。
しかも事件のたびに顔ぶれが全員違うとなれば、少なくともユアネスにおいて、そんな偶然は絶対に起きないと断言できる。
(我々が被害者に接触できない点も不審だ。やはり裏でカーリスが関わっていると考えるべきか? しかし、単独犯とも思えない。この街で動くためにはどこかしらの村長の手を借りる必要がある)
ユアネスは四つの村が合同で生み出した街だ。それゆえにファビオの権限が及ぶのは、あくまで元北の村のエリアだけとなる。
功労者ゆえに口利きくらいはできるが、他の三つのエリアに関しては地元の有力者ほどではない。もし村長の誰かが加担しているのならば犯人を匿うことも可能だ。
何よりもユアネスには『門が五つ』ある。
普段はメインの正門だけが開かれており、そこは常に衛士によって監視されているが、それ以外にも四つの出入り口が存在した。
たとえば旧北の村エリアの門は森林資源搬送用であり、出入りはマテオのような木こりや森林警護のハンターたちだけに限られていて、一般人の立ち入りはできない。
同様に他の三つの旧村エリアにも門が存在し、その鍵は各村長がそれぞれ持つことになっている。もし誰かがカーリスに手を貸していれば、外から来た者たちを正門以外から逃がすことも難しくはない。
当然、一番怪しいのは西の村長である。
(あの人ならばあるいは…。いや、証拠がない状態で詰問しても相手に反撃の口実を与えてしまう。今は再犯が起きないように尽力すべきだ。ディノにも相談して警備を増やそう)
さまざまな疑念が浮かぶが、勢いだけで動ける情勢ではない。やれることといえば警備を増やすことくらいである。
そんな彼の努力をあざ笑うかのように事件は起こり続け、結果的にこのことが、さらなるカーリス拡大のきっかけになってしまう。
最初に事件が起きてから三ヶ月後。
ファビオの予想通り、イノールは再び西の村長の家を訪れていた。
「このたびはご配慮、誠にありがとうございました」
「いえいえ、宗教家というのも存外大変なものですね。同情いたしますよ」
「ええ、いつの世も無理解による差別こそが最大の敵なのです。しかし、あなた様のような聡明で寛大な御方によって何度も助けられております。おかげで信者たちも安全に街に出入りすることができております。これはいつもの御礼です。どうぞ、お納めください」
「うむ、いただきましょう」
西の村長は最初の頃が嘘のように、机に置かれた札束を平然と受け取った。
それを見たイノールが心の中で笑っているとも知らずに。
「それで村長様、今日は新たなお願いがあって参りました」
「ほぉ、どのような?」
「わたくしどもの『教会の建設』に協力していただきたいのです」
「教会? ああ、祈りの場でしたか?」
「とても神聖な場です。信者にとっては必要不可欠といえるでしょう。今は宿場を間借りしておりますが、さすがに手狭になってまいりましたので」
「なるほど、それは大変ですな。しかし、改めて建設するとなると金がかかるのでは?」
「そこはご安心ください。出資金に関しましては本国にある第一神殿がすべて賄います。当然、使用する材料はこちらの街から購入させていただきます」
「本当ですか! それは助かる」
「街に利益を与えてこそのカーリス教です。わたくしどもがどれだけ街に寄与するか、その目でぜひごらんください」
「いやいや、信じていないわけではありませんよ。あなた方はすでに役立つことを証明している。『一部の者』を除いてですがね」
「そうした者すら許容するのが聖女様の御心です。しかし、たしかに心配ではあります。ですので『自衛のための人員を配備』したいのです。そちらの許可もいただければと…」
「自衛と言いますと?」
「昨今起きている事件はご承知でありましょう。我々の司祭が暴行を受けて大怪我を負っています。怪我は『真言術』で治せますが、もし女性であるシスターが暴行されれば甚大なる被害を受けてしまうことでしょう。シスターは神に仕える聖女様の代理でもあります。万一のことがあっては取り返しがつきません」
「それはそうですな。女性が被害に遭うのは我々としても懸念していたところです。ですが、街にはすでに衛士隊がおります。独自に配備されるのはちょっと…。一応は会議にかけてみますがね」
「なるほど、それも道理でございます。では、教会の件だけでも許可していただけますか? 自分たちの家が出来れば、ある程度の身の安全も保証されますゆえに」
「それは問題ありません。土地は余っておりますからな。その拡張工事でまた雇用が生まれます。逆にありがたいことですよ」
「それらの人件費もこちらが出させていただきます。もちろん、お口添えの謝礼に関しましても…」
イノールが宝石箱を机に置く。
この世界では能力のあるジュエルが高値で売買されるが、単純な鑑賞用としても宝石は人気がある。
箱の中にはそういった類の高価な宝石が複数入っており、これだけでも数千万以上の価値はあると思われた。
「ほー、これは珍しい! 妻も喜びます!」
西の村長は、特に西側の珍しい品々を喜ぶ傾向にある。
最初に見慣れた札束を渡しておいてから改めて興味をそそるものを渡せば、その効果はさらに高まるもの。
自衛の要請をあっさり引っ込めたのも、あくまで村長が上の立場だと『錯覚』させるためである。
こうしてイノールの裏工作により、カーリスは教会建設の許可を得た。これもすべて暴行事件という大義名分があったからにほかならない。
では、『事件の真相』はどのようなものだったのか。ここではその一例を見てみよう。
イノールが西の村長宅を訪れる三日前のこと。
新しく暴行事件を起こした三人組の男らは、人込みに紛れて衛士から逃げると一軒の家に入り込む。
事前に住人には話が伝わっているので、仮に衛士が訪問してきても知らぬ存ぜぬで通すことができる。
そのまま数日ほとぼりを冷まし、夜になると用意してあった司祭服に着替えて『西の門』に向かう。
すでに西の門は開け放たれており、彼らは闇に乗じて外に脱出。
そのまま荒野に出るのではなく、森に潜伏して時間を潰していた。
「ったく、おっせーな。まだかよ」
「いくら魔獣が少ないといっても森は怖いな」
「あと少しの我慢だ。金さえもらえれば、こんな場所とはおさらばだからな。どっかの都市に行って遊ぼうぜ」
「そうだな。あの街は女も田舎臭いやつばかりだし、都会でぱーっとやるか」
男たちは外から来た傭兵崩れだった。
本職の傭兵で生きるには実力が足りず、かといってマフィアやギャングに入るのも嫌なチンピラもどき。いわばこの世界における『半グレ連中』といった存在だ。
そんな半グレ連中は街に入ると、強盗や窃盗といった『裏の仕事』を探す。
だいたいは後腐れがないように一度限りの仕事として請け負い、それが終わったら違う街に向かい、また裏の仕事をして捕まる前に逃げて移動を繰り返す。
そして今は、あの街で請け負った裏の仕事が終わり、報酬を受け取るために待機しているところであった。
「おっと、来たようだぜ」
しばらく待っていると、茂みを掻き分けて歩いてきた人物がいた。
その男が闇と同化して見えたのは、彼の全身が真っ黒だったからだ。
「悪いな、遅くなった」
「あんたが来たのか。司祭はどうした?」
「クソ坊主が来るわけねーだろ。繋がりがバレたら終わりさ」
「それもそうか。金がもらえるなら誰でもいいさ。で、報酬は?」
「これが約束の金だそうだ。金額を確かめな」
その黒い男、クロスライルは男たちに向かって小袋を放る。
男は大事そうにキャッチしてから中身を確認。
そこには何十枚もの『金貨』が入っていた。
「現金じゃないのか?」
「現金は追跡されるからな。こっちのほうが裏では使いやすい。安心しな。ここじゃ珍しいかもしれないが、ちゃんと現金に換えられるからよ」
北部ではハローワークが発行する現金(紙幣)が主流だが、紙だと破れたり紛失する可能性もあるため、世界的には『金貨』も併用して使われることが多い。
こちらは地球の金塊と同じ扱いで、その時々の時価によって価値が変動するものの、ハローワークまたは換金屋で現金と交換することが可能だ。
※価格が変わらない金貨もある。レマールが独自に発行する『水竜金貨』は、価値を国が担保するため交換価格が固定されている。この場合、金貨に使われる鉱物は『金』である必要はないが、逆に交換できる場所は限られる。
カーリスは表向きは健全な宗教であるため、現金による収益は公開しなければならない。
たとえば西の村長に渡した現金は経費(寄付)として計上されている。調査が入ることはまずないが、あったとしてもカーリスのために使った綺麗な金といえる。それが賄賂であっても問題はない。政党への献金と同じ扱いである。
が、こちらの金貨ならば公開義務はなく、マネーロンダリングにも適しているので、宗教団体だけではなく犯罪組織にも好まれる傾向にあった。
男たちは金貨の枚数を数え終わると満足そうに笑う。
一人あたり三十万の報酬といったところだが、無抵抗の一般人を殴ってそれだけもらえるのならば十分な額だろう。
「へへ、たしかに金は受け取ったぜ」
「一つ訊いていいか? あんたらはそれで満足なのかい?」
「あ? なんだよいきなり。仕事をして金をもらうことが悪いのか? お前だってそうだろう」
「傭兵である以上はそうだな。仕事はするさ。だが、せっかく出来た新しい街が、カーリスなんぞに穢されるのは見ていて気持ちいいもんじゃない」
「んなことは俺らには関係ない。もう二度と来ないからな。同じ街では無理だが、違う場所ならまた依頼を受けるぜ。雇い主にはそう伝えてくんな。じゃ、俺らはこれで…」
「待ちな。追加報酬がある」
「おっ、気前がいい―――な?」
と振り向いた男の視点が、ぐるりと回転して空を見上げる。
次の瞬間には地面が映り、急速に近づいて―――ぐちゃり
手刀で撥ねられた『生首』が、ごろんと転がる。
その拍子に持っていた小袋が落ち、地面に散らばった金貨が、噴水のように飛び出た血液によって赤く染まった。
いきなりの惨状に、他の二人は呼吸すら忘れて立ち尽くす。
五秒後、ようやく状況を悟った男が搾り出すように声を吐き出した。
「な、なにを…」
「言っただろう? 雇い主はちゃんと見極めないとってよ」
「ん、んなこと言ったか!?」
「あれ? 言ってないか? んじゃ、単純にあんたらのミスさ。あんな俗物を信じた軽薄さが運の尽きだったな」
クロスライルが一瞬で男の前にまで移動し、拳を軽く身体に当てる。
たったそれだけで、いともたやすく粉砕。
上半身が粉々になって吹き飛び、生首だけがぼとりと落ちた。
「っ………っ…」
生首は何かを言いたそうだったが、肺どころか心臓もなくなっているので、すぐに目から光が消えて絶命。
ちなみに身体だけに衝撃を与えたので頭部は綺麗なままだ。
ここまで見事に殺せるのは、相手の能力を見極める観察眼に加え、自身の力を完璧に制御する高等技術があってこそである。
それはいいとして、二人の仲間が殺されたのを見た三人目が発狂。
後ずさった時に転んでしまい、涙を流しながら這いずる。
「ひ、ひぃいい! やめろ! なんでだよ! べつに悪いことはしていないだろう!」
「そうだな。あんたらは悪くない。ただ、雇い主が悪党だったってだけさ」
「頼む、見逃してくれ! 同じ傭兵だろう!」
「いやいや、正気? あんたらと同じにされるとかショックだわー。傭兵、辞めようかな」
「あんただって悪党の仕事を受けていたら、いつか同じ目に遭うぞ!」
「カカッ! そりゃいい。むしろそれを楽しみにしているのさ。ああいう連中と一緒にいれば、もっと強いやつと出会えるかもしれねぇ。そいつらを喰ってオレはさらに強くなる。な? 面白いだろう?」
「何言ってんだ…あんた、イカれてるよ!」
「そいつはどうも。アディオス、アミーゴ」
クロスライルが放った足先が触れると、スパっと切れて首が飛ぶ。
それを空中でキャッチすれば、生首三つの出来上がりだ。
「そう恨めしそうに見るもんじゃない。これも荒野のルールさ。見誤ったあんたらが悪い。おっと、金貨は没収な。死人に金は必要ないだろう? タダ働き、お疲れさん」
クロスライルは金貨を拾いつつ生首を袋に入れると、肩に担いで街に戻る。
向かうのは、まだ教会を持たないカーリスが貸し切りで借りている大きめの宿場だ。そこは司祭以上しか泊まれない場所かつ、ほぼイノール専属の宿であった。
クロスライルが陽気にノックすると、シスターメイディが扉を開けてくれる。
「よぉ、夜分遅くに悪いね」
「あら、クロスライルさん、ごきげんよう」
「司祭長はいるかい?」
「さきほど戻ってこられたわよ。ささ、どうぞどうぞ。ご案内しましょうか?」
「部屋は知っているから独りで行くさ。にしても美人だねぇ、姉さんは。ナンパされるだろう?」
「あらま、おだてても何も出ませんよ」
「カカッ、そりゃ残念」
クロスライルは中に入り、階段を上がって二階の一番奥の部屋へと進む。
そこでもドアをノックしようとするが、部屋の中の気配は一つではなかった。
(やれやれ、お盛んなことで)
波動円を使えば、中の状況は手に取るようにわかる。
イノールのほかに女性が一人、部屋にいるようだ。
クロスライルの波動円は相手も特定できるほどに優れているが、あえてここでその名を出す必要はない。
これは珍しいことではなく、何度かその現場に遭遇しているからだ。
「コンコン、入りますよー」
ドアノブを回す手には鍵の感触があったが、武人であるクロスライルには通用しない。あっさりと鍵を壊して無遠慮に入る。
最初の部屋には誰もいなかったが、隣の寝室から声が聴こえてきた。
「あっ、あんっ! あはああ! いい! いいです!!」
肉と肉がぶつかる音とともに女性の艶めかしい嬌声が響く。
今は秋口なので室内は多少肌寒いが、その見えない熱気によって幾分か暖かく感じられるほどだ。
二人はクロスライルが入ってきたことにも気づかないほど熱中。
「このこの! 俺の精神棒をくらえ! どうだこの! 雌豚が!」
「あー! だめだめだめ! い、いくううっ!!」
盛り上がりは最高潮。
精神棒という言葉のチョイスに思わず吹き出しそうになるが、そこは個人のプライバシーの問題なので放っておく。
クロスライルは気配を殺して近づくと、生首が入った袋を寝室に放り投げた。
ゴトンと大きな音が響き、ベッドにいた両者が大きくのけぞる。
「きゃっ!!」
「どわ、なんだ!?」
「あはぁあ……はぁはぁ……あ、熱い…ぃい」
男は激しく驚いたようだが腰だけは振り続けており、見事に『精神液』の注入には成功したらしい。
まったくもって男とは…と言いたくもなるが、生殖本能なので仕方がない。女のほうもちょうど達したようで、力なくベッドの上に崩れ落ちてしまう。
男は慌てて下着だけをはいて、こちらにやってきた。
もちろん激怒であるが。
「なんだ! 勝手に入るな! 鍵はどうした!」
「鍵は開いてたぜ」
「嘘をつけ! また壊したのか! この馬鹿者が!」
「お楽しみのところ悪かったねぇ。報告をするまでが仕事だからさ。にしても、帰ってそうそうハッスルとは元気すぎるんじゃね? 相手はキャサリンちゃん? メイディちゃんがかまってくれないって泣いてるぜ」
ベッドにいたのは、シスターキャサリンだった。
紅潮した白い肌と美しいブロンドの髪を汗まみれにし、荒い呼吸を繰り返しながらうなだれている姿は実に官能的だ。
クロスライルは強力な武人なので闘争本能の充足を優先するが、普通の男だったならば興味を引かれるほどの美人である。
イノールはタバコを取り出すと、火を付けて椅子に座る。
「ふん、若いほうがいいに決まっておるだろう。あいつも若い頃は良かったが、最近は張りがなくなってつまらん」
「かわいそうに。メイディちゃんだって十分美人だぜ。というか避妊くらいしたら? 妊娠したら困るでしょ?」
「あれは神聖なる儀式なのだ。俺を通じて聖女様が顕現しておられる。シスターが受け入れるのは当然の奉仕だ」
「あっ、そう。聖女様も大変だ。あんたの汚い汁にまで宿るなんてトラウマもんなのによ。それとも『性女』の間違いか?」
「いちいち嫌味な男だ。向こうの部屋に移るぞ」
キャサリンがいるので一応は配慮したのだろう。
向かい側の部屋に移って話を進める。
「はいよ、確認してね」
「雇ったやつらの首か。律儀なことだが顔など知らん。だから見せる意味はない」
「そっちはそうでも、こっちは仕事なんでねぇ」
「金が欲しいなら最初からそう言え! ほら! 拾え!」
バスローブを羽織ったイノールが金庫から金貨を取り出すと、無造作に床に放り投げる。
だが、半裸なのにその姿が妙に凛々しくて、これまた思わず笑いそうになる。
「金は大切にしようぜ。一枚に三人の女神様が宿っているって言うからな。あっ、それは米粒だったか?」
「訳のわからんことを。そんな教義はカーリスにはない」
「カーリスだけがすべてじゃないさ。むしろ七割以上が違うだろう?」
「当たり前だ。俺だってこんな辺境になど来たくはなかった」
「じゃあ、なんで来たのよ」
「中央は魔窟だ。あんな場所にいたら俺などゴミのように扱われるだけだ。だが、ここなら好きにできる。監視の目がないからな」
「部下の司祭も好き勝手できるってわけか」
「あいつらは俺が目をかけて育ててやったのだ。子が親に奉仕するのは当然ではないか」
カーリスはさまざまな場所から保護の名目で孤児を集めている。
キャサリンもメイディもそんな孤児の一人であり、幼い頃から特定の司祭の管理下に置かれて教育を受けていた。
全員がイノールのように性的な目的で育てるわけではないが、上の命令は絶対という刷り込みがなされているので、奉仕の一環としてこのようなことが常態化することも珍しくはない。
もし妊娠したとしても、その子供もカーリスの教育を受けるので、どんどん勢力が拡大されていくだけのこと。
そういったプラスの側面もあるので、こうした性的な関係も組織内では黙認されることになる(実態を知らない者もいる)
また、同性愛者もそれなりにおり、いたいけな児童が犠牲になっているというのだから、たしかに魔窟である。
「さっきから本性丸出しだけどよ、いいのかい?」
「いまさらお前に繕ったところで無意味だ。外では偽らねばならぬからストレスが溜まる。女を抱かねばやっていられん」
「そんなに嫌なら、なんで宗教家になったんだ?」
「金と女が簡単に手に入るからに決まっているだろうが。教義に染まったやつは何でも言うことを聞く。調教も楽なものだ。簡単すぎてつまらないこともあるくらいだ」
「清々しい答えだこって。その潔い点だけは尊敬できるねぇ」
「金と女で動かないやつはいない。それが世の中の道理だからな」
イノールが誰かに似ていると思ったら、まさにアンシュラオンである!
言い分の半分くらいは合致しているので、ある種似た者同士といえるかもしれない。
ただし、あの男は実力と実績のある英雄であり、この男は単なる『俗物』という決定的な違いはあるが。また、女性を大切に扱わないという点においてもアンシュラオンとは相容れないだろう。
「あんたの目的はカーリス教の布教。それに伴う利権ってところか」
「悪いか? ノルマを課される身にもなってみろ。神殿は金をよこせ、信者を増やせと要求ばかりしてくる。そのくせたいした支度金も渡さず、こんな危険な地域にまで派遣する。賄賂に使っている金の半分は俺が集めたものだ。文句を言われる筋合いはない」
「でもよ、シスターたちは本気で慈善をやってんだろ? そこはどうなのよ?」
「そうらしいな。宗教など金稼ぎと性欲を満たす道具でしかない。本気で信じているやつがいるなど頭がおかしいとしか思えん。まあ、身体は平等だ。頭がおかしくても豊満なら問題ない」
「カカッ、俗物だねぇ。おっと、馬鹿にしているわけじゃねえぜ。それを貫けるあんたは悪くない。けっこう気に入っているのさ。だが、金や女で動かないやつにはどうするよ?」
クロスライルは、床に落ちていた金貨を踏みつける。
ぐりぐりと武人の脚力で圧したので、床の中にめり込んでしまった。
「こんなもん、所詮は金属だ。金だって紙切れにすぎない。オレがもし今ここであんたに弾丸を撃ち込めば、それで全部終わりだ。違うか?」
「それだけで物事が進むほど甘くはない。神殿の力を侮るなよ」
「神殿は嫌いでも信頼はしているようだねぇ」
「価値がないものはここまで大きくはならん。虚像であれカーリスには力がある。それを利用しない手はない」
「宗教も人間の感情の一つだからな。それは理解できるぜ。この世界では想ったことが現実になる。多くの人間が信じれば、それが一つの力になるってこった。女神様のようにな」
「女神がカーリスを放置しているのならば、それは世界から認められたと同じことだ。それよりも、お前が積極的に手伝うとは何が目的だ?」
イノールといえども裏側の人間と簡単に接触はできない。そもそもカーリスの関係者が交渉に出向いたら怪しいことこの上ないだろう。
そこで仲介者となったのがクロスライルだった。
彼は傭兵であるが、暗殺といった闇の仕事もこなす裏側の人間だ。そうした人種が集まる場所にも詳しく、どこからか人材を集めてくる。
外からの人間を受け入れている以上、ユアネスも清廉潔白のままではいられない。嫌でも闇の部分が生まれてくるのは仕方がなく、ファビオの知らないところで裏の溜まり場が出来ていると思われる。
だが、やはりクロスライルがいなければ、これらの工作は実現できなかったはずだ。
当然、彼は彼なりの目的がある。
「荒れたほうが面白いかなと思っているだけさ。あんたみたいな俗物が、清純な青年たちをどう染めていくのか興味があるねぇ。見どころのある兄さんもいることだしな」
「オルシーネの小僧のことか?」
「よくわかったね」
「珍しくお前が興味を持っていたからな。だが、お前の享楽のためにやっているわけではないぞ」
「オレもあんたの出世のためにやっているわけじゃないぜ」
「ふん、あんな世間知らずの小僧に何ができる。このまま潰してくれるわ」
「それならそれでかまわんよ。その程度の男だったってことだからな」
「…どうせお前は飼い慣らせぬ狂犬だ。役に立つ間は使ってやる。だが、邪魔だけはするなよ! 鍵ももう壊すな!」
「カカッ、りょーかい。でも、一応金は必要だからもらっておくぜ。あーあ、踏むんじゃなかったな。もったいね」
クロスライルは踏み潰した金貨を拾うと部屋から出ていく。
波動円で確認してみると、イノールはさっそく『二回戦』に向かったようだ。
(五十も半ばを過ぎて、あれだけ元気なのは羨ましいねぇ。さて、ファビオの兄さん、この俗物にどう対抗するよ。このまま手をこまねいていると本当に食われちまうぜ。こいつらの欲望に限界なんてないからな)
ファビオの弱点は、アンシュラオンのように武力を第一の解決方法にしないことだ。
かわいそうだからと害虫を踏むのを躊躇っている間に、街は汚染されていってしまう。