534話 「カーリス教の伝来 その3『浸食』」
それから三ヶ月。
ファビオとイノールによる裏側の戦いは続き、膠着状態に突入する。
ギリギリで防げたのは、ファビオが前世で宗教家だったがゆえに、相手の手口を知っていたことも大きかった。
だが、敵もさるもの。
議会が四人の村長とその補佐から成り立っていることに着目すると、ターゲットをファビオ以外に切り替えた。(合同会議の都合上、街に統合されても便宜的に村長という肩書は残っている)
狙ったのは、西の村の村長。
まずは壺や絵画といった西大陸の珍しい名品の贈呈に始まり、次第に菓子折りの底に現金を紛れ込ます等の露骨な賄賂を行うようになる。
当初は世間体を気にして断っていた村長も、イノールの「受け取るのも相手を思いやる慈善」という「いつもの謎理論」をもって籠絡。もとが純真な村人であるがゆえに簡単に騙されてしまう。
だが、欲望とは怖ろしいものだ。
一度受け取ったら最後、どんどん物や金が手に入ることに嬉しくなってしまい、積極的にイノールを迎え入れるようになる。
さらにはイノールが買収した街の人間から、それらの物品を褒められれば、なおさら欲求を止めることができない。
当然、こうなると相手からの要求も受け入れるしかない。
「ぜひ我々の布教活動を認めていただきたいのです。村長様から議会で提案していただけませんか?」
「そうですね…見たところ悪い内容でもないみたいです。善処してみましょう」
「オルシーネ議長が反対しても通せるのですか?」
「ファビオですか? たしかに彼は議長ではありますが形式的な代表にすぎません。最終的には四人の意見によって決まるものです。もし彼が反対しても他の二人の同意があれば問題ありませんよ」
「それは安心いたしました。彼はどうにも我々を敵視しているようで、事あるたびに怒鳴ってくるのです。シスターたちも怯えています」
「彼もまだ若い。突然来た皆さんに驚いて、思わず反発してしまっているのでしょう。どうか許してあげてください」
「それと比べてあなた様は経験豊かで頼りになります。話がわかる御方がいて助かりました」
「まあ、それなりに長く生きておりますからね。人生経験は彼よりも上ですよ」
「ご厚意に甘えてしまうようで申し訳ないのですが、もう一つお願いがございます。ほかの仲間たちが街に入ることを許していただきたいのです」
「まだいらっしゃるのですか?」
「ええ、我々は世界的な組織です。最近ではこの周辺の布教活動にも力を入れておりまして、各街を回っている細かなグループがたくさんあるのです。ここで布教が叶うのならば合流したほうがよいと思いまして。彼らもきっと慣れない土地で心細いでしょうから」
「なるほど、さすがは先進国たるロイゼン神聖王国の国教ですね。規模が違う。わかりました。私の権限で許可しましょう」
「ありがとうございます。我々は引き続き、あなた様を全面的に支援いたします。これからもよろしくお願いいたします」
「いえいえ、こちらこそ」
帰り際もイノールは「街のために使ってください」と、さりげなく札束の山を置いていく。
しかし、それが街に還元されないことも知っていた。
なぜならば、すでに西の村長の目と心は今までとは異なり、薄汚れてしまっているからだ。
(たいていの人間は金で動く。どうあがいても金の魔力には勝てんのだ。あの生意気な小僧が悔しがる顔が目に浮かぶわ)
イノールは、ほくそ笑みながら夜の街に消えていった。
そんなファビオが手遅れだと気づいたのは、次の合同会議の場。
新たな議題があると呼び出された時には、すでに嫌な予感がしていたが、それが現実のものになってしまう。
「ちょっと待ってください! 布教は許可しないと決めたではありませんか!」
ファビオが机を強く叩いて叫ぶ。
席についた途端、カーリス教の布教を積極的に推進したいと言われれば、彼でなくとも大声を出すだろう。
しかし、西の村長は抗議を受けても落ち着いていた。ファビオが反対することはわかっていたし、すでに根回しは終わっているからだ。
「あくまで保留していただけだ。そろそろ良い頃合いだろう。反対しているのは、今や君だけだしな」
他の二人の村長も、その言葉に頷いている。
この段階でファビオは自身の不利と不覚を悟った。
が、簡単に受け入れるわけにはいかない。
「彼らは危険です! 今のうちに追い出したほうが街のためになります!」
「ファビオ、この街は『ユアネス』だ。君自身が提案したことを忘れたのか?」
「忘れるわけがありません。この街はそれぞれの住人の考えを尊重します。だからこそ特定の思想だけを優遇することに反対なのです」
「しかし、彼らにも自由がある。違うかね?」
「彼らは街の住人ではありません。一時的に滞在しているだけの旅人です」
「そのことだが、彼らは街の住人になりたいと言ってきた。それならば問題はあるまい」
「なっ…まさか認めるおつもりですか!?」
「この街は移住者を積極的に受け入れる方針だ。断る理由はない」
「僕は反対します」
「君だってハローワークの誘致のために、どんどん人を入れることに賛成していたじゃないか」
「目標だった三万人の壁は超えました。そろそろ規制していくべきでは?」
「それでは以前に入った者たちと差を作ることになる。平等を求めるのならば、これからも受け入れるべきだろう」
「段階によって政策が異なるのは当然のことです。あとからの規制が悪いわけではありません。最近は街での犯罪も増えています。最初から悪さをするために侵入してくる者までいるのです。この状況下における規制には正当性があります」
「では、彼らのあとに規制すればいい」
「これ以上は本格的な害悪になります。今が追い出す最後のチャンスなのです!」
「ファビオ、どうしてそんなに彼らを憎む? 何もしていないではないか。それどころか西側の技術を輸入しようとしてくれている。それは教育にしてもそうだ。我々が発展していくのに彼らの協力は非常に有用だと思うがね」
「憎んでいるのではありません。西側の文化もすべてが悪いものではないです。ですが、僕たちが自らの手で培ってきた文化が、すでにここに根付いています。それを育むほうが輸入された知識や文化よりも遥かに立派なはずです」
「私にはそうは思えないが。やはり西側のものは立派だよ」
西の村長が、ちらりと会議室に飾ってある絵画に視線を移す。
ファビオも突然飾られていた絵に違和感を覚えていたが、その様子から『彼ら』からもらったものだと確信する。
(賄賂か。汚いやり方をする)
賄賂は籠絡の常套手段だ。それ自体はけっして珍しいものではなく、昔の日本では賄賂込みで給料が計算されていたくらい普通の存在だった。
がしかし、これを許してしまうと非常に面倒な『既得権益』が生まれてしまう。
この悪癖によって歴史上の大国家が次々と滅亡していったことから、それだけは許すわけにはいかない。
「僕たちは各村出身者の代表であり、街の意思決定機関でもあります。それが外来者の思惑によって左右されるのは極めて危険です。贈収賄に関しても禁ずる決まりを作るべきではないでしょうか」
「君は私が物で釣られているとでも言いたいのか?」
「そう見えます。現金も受け取っているのでしょう?」
「あれは寄付だよ」
「街のために使わない個人への寄付を『収賄』と呼ぶのです。あの美術品が街に役立っているとは思えません」
「我々の美意識を磨いてくれるではないか」
「あの下劣な絵がですか? 不埒な目的のために贈られた物品に気高い魂は宿りません。そんなこともわからないから簡単に買収されるのです」
「なんだと! 人を馬鹿にするのもいいかげんにしてくれ! たしかに君は街を作った最大の功労者ではあるが、自分独りですべてやってきたつもりかね!」
「そんなことは言っていません。あなたが賄賂で籠絡された事実だけに言及しています」
「年長者に向かってなんて言い草だ! 礼節をわきまえろ!」
「わきまえています。ですから信義にもとる者に対して、こうして節度を問うているのではありませんか。我々は街の代表者なのです。賄賂で態度を変えるのは住人の信頼に対する背任行為でしょう」
「貴様!」
「おいおい、二人ともそんなに熱くならないでくれ。これは平和的な話し合いだ。怒鳴ってばかりいたら話にならない」
「そうだな。お互いを尊重するのが決まりのはずだ」
ここで東と南の村長が口を挟む。
その様子からこの二人は、まだ完全に籠絡されていないことがうかがえる。
しかし、ファビオよりも二回りは年上であるうえ、実力で劣る者たちゆえに嫉妬心がある点は同じだった。
今度は東の村長が苦言を呈する。
「ファビオ、前から思っていたが、お前は少々独りで突っ走るきらいがある。彼らの活動に対しても独断で注意して回っているそうだな」
「彼らがルールを守らないからです」
「布教活動はしていないじゃないか。あれくらいは大目に見てもいいだろう」
「あれを布教と呼ばず、なんと呼ぶのですか。その段階で彼らが約束を守らない者たちであることは明白です」
「お前だって約束をすべて守れているわけじゃないだろう。北の村が管理している木材の売上だって目標額に届いていない」
「出荷量を制限しているのは森の生態系を維持するためです。必要以上の伐採は逆にマイナスになります」
「お前の嫁さんが祭りでがんばればいいことじゃないか。いくらでも生えてくるんだよな?」
「そう都合の良い話ではありません。年に一度しかできませんし、そもそもこちらでは制御できない不可思議な力です。安易に頼るのは危険です」
「ならば祭りの回数を増やせば解決だな」
「自らの欲求のために祭事を利用すべきではありません。それでは祭りの本質が失われます」
「そんなことを言って本当は、自分がリーダーになりたいだけじゃないのか?」
「僕がユーナを利用していると言いたいのですか?」
「実際にそうだろう? 森も巫女もお前が管理しているんだからさ。好きに調整できるよな」
「………」
「お前たちもそのへんにしておけ。話が進まん」
ファビオの目に怒気が宿るのを察した南の村長が間に入る。
いくら温厚な彼とて妻のユーナを侮辱されれば怒るのも当然だ。しかも『管理』しているとまで言ったら殴られても仕方ない。
だが、ファビオは理性的な男だ。ギリギリのところで怒りを抑える。
とはいえ、それで一対三の状況が好転するわけでもない。結局は布教を段階的に認める方向で妥協するしかなかった。
なまじ合議制を採用しているがゆえに、どうしても数が多いほうが有利になってしまう。これもまた民主制の弱点の一つだ。
もし独裁上等のアンシュラオンならば即座に自分で決断を下せていたのだから、この差は極めて大きいといえる。
そして、イノールは許可が出た途端、街での本格的な布教活動を開始。
すでに行っていた紙芝居や読み書きを利用して、少しずつ子供たちの意識にカーリスを根付かせていく。
聖典を配布して細かい教義の普及に勤しむことも忘れない。無料で配ることで、とりあえずもらっておこうの精神でだいたいの人が受け取っていく。
このあたりも純朴な人々ゆえの行動であり、もらった人々も本当にカーリスに興味があるわけではない。
しかし、娯楽も少ないことから暇潰しに読んでいくだけでも、多少なりとも意識に刷り込まれてしまうものだ。
文字が読めない親がいても子供が習っているので、逆に親に読み聞かせることができる。彼らが読み書きを教えているのは、これが目的である。
こうした布教活動に伴ってイノールはすでに宣言していた通り、周辺地域にいた仲間を次々と街に呼び込んでいった。
布教隊はだいたい五人前後(+護衛)で動くが、その中のどれかが獲物に対してとっかかりを作ると一斉に集まる習性がある。まるで蟻だが、事実蟻のごとく数によって物事を推し進めようとしているのだ。
人数が増えたイノールたちは、今度は直接的に仲間を増やそうとする。
街の一般人に対して白いローブを無料で配り、形から人々を誘導。
興味本位でローブを着た者たちには手厚い施しを与え、大勢の信者が熱烈に歓迎することで「これも悪くないかな」という意識を与える。
そこから少しずつ儀式に参加させて、見込みがありそうな者にはさらに旨味を与えることで沼に引きずり込む。
これが他の宗教と異なる点は、『現段階』では彼らは一切の要求をしないことだ。祈りも強要しないし儀式の参加も任意である。
それどころか前述したように生活苦の者には金銭を工面し、真摯に悩みを聞いて友人のように接する。楽しいことには笑い、哀しいことにも共感して泣いてくれる。
外からの労働者が増えれば貧困も多少ながら顔を覗かせるものだ。どんなにユアネスの主義や主張が正しくても、自身の生活を楽にしてくれないのならば彼らにとっては価値がない。
よって、外から人がやってくればくるほど、必然的に街には白いローブの者が増えることになる。
いくらファビオがカーリスの危険性を説いて貧困者対策に励もうが、外部から金や物を持ち込んできて即座に困難を解決してくれる者のほうが、短期的には圧倒的に強い。
これも世界的な宗教であるカーリスの強みだった。
もう歯止めが利かない。
一度でも毒蛇に噛みつかれれば、血液を巡って身体全体が毒に侵されてしまうのだ。




