532話 「カーリス教の伝来 その1」
十八歳の頃。
ファビオの街、ユアネスの発展は続いていた。
交通ルートを作ったことで商人たちの出入りが増え、木材もよく売れた。それを元手にして工事用の機械を増やし、さらに交通ルートを拡大。
網の目状に張られたルートは襲撃者から逃れやすくするだけではなく、素早く発見してからの排除も容易にした。
ルートを通って多くの労働者たちがユアネスにやってくると、それを目当てにたくさんの民宿や酒場が生まれる。
そこで消費する酒や備品は商人から買い付けるため、行商人たちも足しげく通うようになり、ますます交易は活性化。
その資金で再び街の拡充や交通ルートの整備をすることで、どんどん人がやってくる。
人々は旅路の際に渡り狼や傭兵を雇うため、結果的にユアネスにも荒事が得意な人種が増えていくことになる。
たしかに荒くれ者は多くの騒動も起こすが、すでに衛士隊を配備していたおかげで大きな争いも未然に防ぐことができ、街を気に入った傭兵が居付くことで防衛力の増強にもなった。
これを繰り返すことで、目標だった『住人が三万人以上』の条件をクリア。
まだハローワークを呼ぶには足りないが、急速に街は発展しており、その陰にファビオの尽力があったことは間違いない。
この頃になるとファビオは正式に村長となり、街を治める合同会議で議長を務めるほどになっていた。
すべてが順調。誰もがそう思っていた時である。
街に『とある五人の集団』がやってきた。
彼らが着ていたのは白いローブで、どれも同じ様式によって作られたものだった。
こうしたものはユニフォームでもあり、同じ組織に属する者が意思統一を図る目的で着られることが多い。アンシュラオンにしてもアーパム財団での共通意識を与えるためにユニフォームを用意している。
では、彼らがどんな組織かといえば、今までこの街にいなかったタイプのものだった。
「お訊ねしてもよろしいですか。ここに『教会』はありますか?」
一人の中年男性が、街の入り口で門番をしていた衛士に話しかける。
年齢は五十過ぎくらいだろうか。同じ白いローブを着ているが、彼のものだけは少しデザインが立派で服の仕立ても良いことから、他の者たちよりも地位が高いと思われる。
話し方も丁寧で、柔和な表情が印象的な紳士といった様相だ。
しかし、いきなり問われた衛士は首を傾げる。
「教会?」
「ご存じありませんか。このようなデザインの建物です」
男性が、白い色調の建造物が映った一枚の写真を見せる。
いわゆる西洋風の変哲もない建物だが、特徴的な『十字架』が屋根の上に載せられていることで『独特の珍妙さ』を醸し出していた。
「いや、見たことはないな。というか、なんだこれ?」
「これが教会です」
「この紙のほうだよ」
「ああ、これは写真といいまして、目の前の景色を紙に記録する機械があるのです」
「へー、そんなものがあるんだな。初めて見たぞ」
「なるほどなるほど、だいたいのことはわかりました。それで、この街に滞在したいのですが許可は必要ですか?」
「目的は何だ?」
「ひとまず観光ということで」
「旅人ならば普通に宿に泊まればいいんじゃないのか。向こうにあるから好きなところを選びな」
「延長する場合、許可は必要ですか?」
「盗人対策で出入りの際に最低限のチェックはするが、延長の許可は特に必要ないな。だが、面倒は起こすなよ」
「心得ております。では、通らせていただきます」
男を先頭に、若い女性、中年の女性、若い男が中に入る。
この四人は同じ色のローブを着ていることと、明らかに一般人であることから衛士も普通に通す。
だが、最後の五人目である『壮年の男』は明らかに雰囲気が違った。
百九十センチを超えるすらっとした長身に、白いローブとはまったく異なる真っ黒なライダースーツを身にまとい、目深に被るのも黒いウエスタンハット。
やや垂れ目だがキレのある鋭い瞳は、愛嬌と威圧感が入り混じった複雑な色合い。
少し縮れたアッシュブラウンの長髪も、土埃を受けて絶妙に色褪せ、同色の無精ヒゲが並ぶ口元には常にニヒルな笑みが浮かぶ。
容姿に頓着しないラフな様子と、鍛えるべきところはしっかりと鍛えて洗練されている独特のバランス感覚は、見ている者に危うさと安心感の相反する二つの感情を与えてしまう。
それらの風貌全体から【無頼者】の気配がビンビンに漂っており、これでもかといわんばかりに荒野が似合う男だった。
もしハーレーダビッドソンにでも乗っていれば、ここがアメリカだと錯覚しそうになるほどだ。
そんな男が目の前を通れば、衛士も一度は止めざるをえない。
「ちょっと待った。あんたは? 彼らとは違うようだが」
「オレ? オレは付き添い。いわゆる護衛の傭兵ってやつさ」
「なるほどな。で、その腰のは何だ?」
「銃だよ。リボルバー、知ってる? 回転式の拳銃さ」
「ライフルや猟銃は見たことがあるが、それは初めてだな」
「こいつはいいぜ。弾詰まりもなく一番信頼できる銃だ。六発しか入らないが、それがまたいい味を出している」
「そうなのか? 口径は小さいみたいだが…」
「カカッ! それもまた一興、腕次第ってね。あんたも一度使ってみるといい。病みつきになるぜ」
銃自体は珍しいものではないが、言われてみるとリボルバーは少ない。
というのも、武人や魔獣がいる世界においては、基本的にライフルでないと性能として見劣りするからだ。
また、弾数という側面からもハンドガンのほうが有用性は高く、いちいちシリンダーに込める必要があるリボルバーは流行らない傾向にある。
がしかし、男がリボルバーを扱う様子は手慣れており、この銃一つでここまで生き残ってきたことが容易にうかがえた。
「護衛はあんた一人なのか? よくここまで来られたな。野盗とかもいただろう」
「ほかにもいたけどな、襲撃に遭った時に死んじまったよ」
「それは災難だったな」
「まあ、しょうがねえ。それが荒野のルールだからな。つーかよ、もっと警戒したほうがいいぜ」
「何にだ?」
「あいつらって胡散臭いだろう? ああいうやつらは最初から入れないほうがいい」
男が衛士の肩に腕を回しながら呟く。
おそらく口元をローブの一団から隠すことが目的だろう。
「どういう意味だ? あんたは彼らの護衛だろう?」
「護衛だからこそ、近いところでいろいろと見てきているんじゃねえか」
「何かヤバいのか? まさか犯罪者じゃないだろうな?」
「あいつらはそういった類の連中じゃない。が、じわじわと蝕んで必ず害悪となるやつらだ。オレは街に入れないことを強くお勧めするね」
「うーむ、そうは言われてもな。この街は誰でも入れる自由さが売りなんだ。まだ何もしていないのに入れないってのは主義に反する」
「そうかい。あんたらの街だ、それもいいさ。しかし、あんたがそう言うくらいだ。いい街なんだな」
「ああ、ここは最高の街だぜ。出来たばかりだが活気がある」
「へー、いいねぇ。そういう街はリーダーが優秀なのが相場だ。違うかい?」
「俺より年下だが、すごいやつがいるぜ。あいつのおかげで街が大きくなったんだ」
「そいつは興味深い。もう少し詳しく教えて―――」
「クロスライルさん、行きますよ」
「おっと、雇い主が呼んでるんでね、そろそろ行くぜ。で、入ってもいいよな?」
「暴れたりしてくれるなよ。その時は捕まえないといけないからな」
「はは、安心しろって。金にもならないことはしない主義でね。オレ、こう見えても平和主義なのよ。じゃあ、またな」
クロスライルと呼ばれた男は、しけたタバコに火を付けながらローブの一団と合流。
しかし、すぐさま中年の男から注意が飛んできた。
「余計なことは言わないように願いますよ」
「聴こえたのかい?」
「あいにくと地獄耳なのでね」
「坊さんが地獄耳とは、こりゃ笑えるぜ。まっ、あんたは地獄のほうがお似合いだがな」
「ふん、相変わらず口の悪い男だ」
中年の男は、クロスライルの無礼な態度に鼻を鳴らす。
そこにさきほどまでの柔和さはなく、他人を見下す横柄な様子が見て取れた。
しかし、まだ周囲に人の目があることを気にしてか、すぐに丁寧な口調に戻る。
「どうやらこの街では、まだ『カーリス様』の御威光が及んでいない様子。そうした無知な人々を導くのが我らの務めです。その際に余計なデマを吹聴されては困ります。わかりますね?」
「はいはい、邪魔をするなってことね。安心しろって。あんたらのやることに口出しはしないさ」
「だとよいのですがね。残念ながら、あなたには信仰心が足りないようです」
「オレは『信者』じゃないからな。当然だわな」
「聖女様はすべての人々を導きます。あなたのような人でも受け入れますよ」
「カカッ、遠慮しとくわ。冗談は顔だけにしとけって」
「…まあいいでしょう。我々にはやらねばならないことが山ほどあります。あなたにかまっている暇はありません。ですが、護衛の仕事だけは怠らないように。こちらは高い金を払っているのですから」
「へいへい、わかりましたよ雇い主様ってね」
一団は街の中に消えていく。
ユアネスは若い街がゆえに、分け隔てなくさまざまなものを受ける。
それはエネルギーと発展をもたらす一方で、悪いものすら受け入れてしまう欠点があった。マテオも言っていたが、他者との交流が進むということは、そういうマイナスの側面もあるのだ。
彼らが本格的に動き出したのは、それから二週間後。
最初に街の合同議会に対し、『アンリ・イノール』という人物から面会の申し出があった。
合同議会は何か議題がある時だけ招集をかける仕組みなので、普段は受付くらいしかいない。(いないことすらある)
ゆえに、その時は一度帰ってもらい、そういう人物が来たということだけが各村長に伝わることになった。
もちろんこの情報はファビオにも伝わっている。
「アンリ・イノール、『カーリス教』の司祭長?」
夜、交通ルートの拡張工事から戻ったファビオの手には、さきほど合同議会の役員から渡された『名刺』と『一冊の分厚い本』があった。
街に戻った瞬間にいきなり手渡されたので、よくわからないまま家に持ち帰ってきて、今ようやく目を通しているところだ。
それをユーナが珍しそうに覗き込む。
「カーリス? 聞いたことないわね」
「カーリス教はこの世界の『主流宗教』で、西大陸では二割から三割の人が信仰しているものらしいです。カーリスと呼ばれる『初代聖女』が興した宗教組織のようです」
「詳しいわね」
「タイスケさんの本で読みました。それと、家にあった信仰の本にも名前が載っていましたね」
「ふーん、ところで宗教って何?」
「端的にいえば思想形態の一つです。特定の思想を信じる者たちが一定数いれば、それは宗教となります。ただし、その根底に『神』がいなければなりません」
たとえば科学を信奉して霊的な要素を一切信じない者は、『科学宗教』または『科学信教』に入っていることになる。
科学によって解明された範囲だけを信じるのが信条なので、科学の発展具合によって大きく認識が異なるのが特徴だ。
それ以外にも特定の情報源だけを信じる者も同種の存在といえる。
政府の言うことだけを信じる者、ニュースだけを信じる者、あるいは裏の情報だけを信じる者、それらの度が過ぎれば宗教にまで発展する。
しかし、おそらくはそれを宗教とは認識していないだろう。なぜならば宗教という名称になる場合は、必ず『神』が関わるからだ。
この『神』の解釈については、それぞれの宗教において譲れない点であり、そのことで醜い争いを繰り広げるのは地球でも見慣れた光景である。
「神様って女神様のこと?」
ただし、この世界には『本物の女神』が存在する。
ユーナも多分に漏れず、神と聞けば最初に女神を思い浮かべるようだ。カーリス教徒も当然ながら、この点に関しては同じ認識と思っていいだろう。
ファビオもその分厚い本、『聖典』を流し読みしながら確認してみる。
「ざっと見た感じでは、そのようです。しかし、『聖女』という言葉もそれ以上に多く見られます。たぶんこの二つは違う意味合いだと思いますが…」
「へー、そうなんだ」
「ユーナは興味なさそうですね」
「あるわけないじゃない。そういうのがあるんだなーって程度の感想よ」
「そうですね。僕たちには関係のないものです。実際に女神様がいるのですから、他の者にしても過不足はないはずなのですが…」
ファビオは聖典を閉じて、凝り固まった眉根を指でぐりぐりとほぐす。
「しかしまあ、なんとも読みづらい。言い回しが堅苦しいうえに同じことをしつこく何度も書いてあります。学生が書いた大学のレポートを見ている気分ですね。論拠はともかく、僕が教授だったら十五点しか付けませんよ」
「大学? レポート?」
「ああ…いえ、そういうものがあるのです」
主に文系での話になるが、大学でのレポートはなぜか長さが求められる。
要点だけを述べれば数行で終わるのだから、なんとも無駄で無益なものだ。あれのせいで世の中が面倒なことになっていると思えば、なおさら馬鹿らしくもなる。
また、大学ではレポートをリポートと呼ぶ場合も多く、使い慣れていないと困惑するまでがセットだろうか。(意味は同じ。発音の違い)
ファビオも前世では『そっち系』の大学を出ているので、なんとなく当時のことを思い出してしまった。
しかも、かつて自身が滅ぼした宗教組織に似た『香ばしさ』すら感じる。
(書いてあることは多少違うけれど、『アレ』とかなり似通っている。もしかして、これも地球から伝わったものが由来なのだろうか。何か嫌な予感がするな…)
「で、そのカーリスの人が何の用なの?」
「どうやら布教の許可が欲しいらしいのです」
「布教?」
「宗教を教え広めることです。さて、どうしたものか…」
「わざわざ広める必要なんてあるのかしら? それ以前に許可が必要なものなの?」
「普通は許可が必要ですね。他の宗教があると揉める原因になりますので。事が事ですから、おそらくは合同会議で話し合って決めると思います」
「ふーん、大変なのね。がんばってね」
ユーナはすでに興味を失ったようで、趣味の編み物に戻ってしまった。
この地域の人々ならばこれが普通の反応だろう。さして珍しいわけではない。
しかし、ファビオの表情は依然として優れないままだ。
(迂闊だった。この事態はまったく想定していなかった。しかし、一度入った者を追い出すわけにもいかない。それではせっかく生まれた街の理念を否定することになる。どちらにせよ注意深く監視しておくべきか)
カーリス教の存在自体は本で知っていたのだから、これは明らかにファビオの油断である。
しかしながら街を発展させることに必死だったことを思えば、致し方のない落ち度ともいえた。
この段階では、せいぜい許可の保留を他の村長に打診し、注意を促す程度の対策しかできない。
思想に関するものは表面的には非難しづらいため、どうしてもひっそりと中に入ってしまう。これが非常に怖ろしいのである。




