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『覇王アンシュラオンの異世界スレイブサーガ』(新版)  作者: 園島義船(ぷるっと企画)
群雄回顧編 「思創の章」
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526話 「赤刃狼と不審者」


「逃げましょう!」


「入口には戻れねえぞ! 回られてる!」


「それでも戦うよりはましです!」



 深部は非常に入り組んでいて、目印無しで戻ることは難しい。逃げるには森の奥に進むしかない。


 この湿毛羆は単独で狩りを行うゆえに、相手のことをじっと観察する習性がある。


 狩りに対する知能だけは高く、相手が迷い込んだ幼体であることがわかったので意図的に退路を塞ぐように迫ってきたのだ。


 当然、戦う選択肢はない。


 荒い息遣いのヒグマに追われながら、二人は必死に逃げる。


 しかし、相手のほうが速い。


 ここは翠清山の中腹とは違って比較的平坦な場所だ。熊が本気で走れば一般人では勝ち目がない。


 ついに追いつかれたディノが腕を噛まれてしまう。



「いてて! この野郎!」



 ディノがショートソードで抵抗すると、刃はヒグマの首を切り裂き、湿気た毛に赤い血が滲む。


 思わぬ反撃に一瞬怯んだのか、相手は口を離し、軽く肉を抉られる程度で済んだ。


 あのまま引っ張られていたら肉の大部分が削げていたはずだ。まさに間一髪であった。


 普通の剣ならば大人の腕力でも厳しかったことから、助かったのはファビオが渡した武器のおかげといえる。



「くそっ! 剣だけじゃ駄目だ! このままじゃやられる!」


「少し待ってください! 防具を作ります!」



 矢を放ってヒグマを牽制しつつ樹木に触れ、クラフト能力を発動。


 大きな木が消失すると同時に、ファビオの手には『木の大盾』が生まれていた。


 それをディノに放り投げて渡す。



「おい、何をやったんだ! なんで木が消えた!?」


「その話は後回しです! 今はそれで防いでください! 強化していますから少しは防げるはずです!」


「お、おう!」


「来ますよ! パワーが違います! 正面からは受けないでください!」



 盾は彼の体格に合わせて作ったので、ぴったりと腕に合う。


 ディノは迫ってくるヒグマの顔に当てるように大盾を押し出した。


 表面がわずかに削れたものの、通常の木よりも強固になった盾は爪や牙を見事に防ぎきる。


 周りは樹木だらけで材料には困らない。盾はいつでも作り直すことができるのも強みだ。


 また、ディノが森での動きに精通しているおかげで、木を壁にしながら上手く立ち回っていることも善戦している要因だろう。


 だが、防戦一方なのは変わらない。



「はぁはぁ! これからどうするんだ!」


「足を止めないで! なんとかします!」



(接近するのは危険だ。ディノの体格が良いとはいっても、まだ子供。ヒグマの圧力もあって、もう疲れてきている。…しょうがない。こうなったらもっと強い武器を作るしかない!)



 ディノが必死になってヒグマを防いでいる間に、ショルダーバッグからいくつかの材料を取り出してクラフト能力を発動。


 緊迫した状況がファビオの能力を後押ししたのか、ほぼ一瞬で『ソレ』が完成する。



「ディノ、そのまま盾で顔を押さえて! 僕が合図したら飛び退いてください!」


「押さえろって…!! こいつ、すごい力だぞ!」


「大丈夫! ディノならやれますよ! 僕を信じて!」


「ちくしょう! わかったよ!」



 続いて周りの樹木を使って『入れ物』を用意する。


 こちらもすべて自前で作るのでサイズはぴったり。両者は完全に噛み合い、最後に自家製ジュエルをはめ込めば完成だ。


 いくらクラフト能力があるといっても、これだけ素早く作れるということは最初から構想の中にあったことを意味する。


 完成した武器を構え、ディノの背中に照準を合わせてから―――



「今です!」


「っ―――!」



 合図とともにディノが弾かれるように横に飛び退く。


 ヒグマは勢いを止めないまま、ファビオに向かって突っ込んできた。


 その表情は、ただ獲物を狩るだけが目的ではなく、どこか相手をなぶってやろうという残忍さすら感じさせる。


 地球の熊も怖ろしいが、この星の魔獣と呼ばれる生物が、なぜここまで怖れられているかがよくわかる光景だ。


 本で読んだ情報によれば、魔獣は人間が増長しないために用意されたストッパーという説もある。


 もし彼らがいなければ、人は好き放題に自然を荒らして星の環境を滅茶苦茶にしてしまうだろう。その説も一理あると頷ける怖さだった。


 しかし、今は生き残るために全力を尽くさねばならない。


 ヒグマの注意を完全にこちらに引き付けながら、ファビオが『引き金』に力を込める。



「いっけぇえええ!」



 ディノの大盾で視界が隠されていたことで、相手はまったくこちらを警戒していない。


 ファビオを噛み殺そうと大きな口を開けた瞬間を狙って、『木製の砲筒』から【砲弾】を発射!


 砲弾は牙をへし折りながら喉にぶつかり、衝撃で―――ドカン!


 そこそこの爆発音が響くと同時に、ファビオの頭にどす黒い血と、いくつかの肉片が空から降り注ぐ。



(今まで作っていたのは対人用の武器だ。でも、こちらは対魔獣用の強力な武装。威力が違うのは当然だ)



 ファビオが作ったのは、簡易式のグレネードランチャー。


 DBDのような軍隊が使うものほど立派ではないが、風と雷の属性反発を使って撃ち出すため速度自体は大差ない。


 砲弾も事前に作っておいた火薬玉を十個全部まとめたものなので、威力も実物と同程度だろう。それが口内で爆発すれば、いくら湿気羆でも防ぎようがない。


 頭部を失った身体は何度か空中を泳ぎながら、前のめりにバターンと倒れ込む。


 その爪先がファビオの足に掠ったことから、発射が一瞬でも遅れていたら倒れていたのは自分だったのかもしれない。


 それを自覚した瞬間、一気に疲労が襲いかかってきた。



「はぁはぁ…! はぁはぁ!!」



 転生して初めての命のやり取りは、思った以上に精神的な消耗が激しかったようだ。


 助かったことを実感したファビオが、がくんと膝をつく。



「ファビオ、無事か!」


「僕は…大丈夫です。危ないところでしたね」


「何がどうなったんだよ。全然わからねえよ」


「命は助かった、ということですよ。ふぅ、服が血だらけだ」



 改めてヒグマの死を確認すると、ファビオはゆっくりと立ち上がる。


 その時にはもう心拍数は安定していた。血を見て逆に冷静になるパターンだ。


 その様子にディノも舌を巻く。



「お前、意外と肝が据わってんな」


「これでも『元革命家』ですしね」


「は?」


「あっ…いや、なんでもないです。僕だって戦うことくらいはします。でも、本当は殺したくなかったですけど」


「こいつのテリトリーに入った俺らも悪かった。でも、生きるか死ぬかだもんな。こいつが死ななかったら俺たちは死んでいた。しょうがないさ」


「そうです…ね」



(生きるか死ぬか…か。それで死んだ僕のほうが間抜けだったということだろうか)



 かつての自分の死を思い出す。


 宗教家、遊説家、そして革命家。


 多少の成果を挙げたとはいえ、結果的にそのどれもで敗北した自分は、この世界で何を成すのだろう。


 しかし、少なくとも目の前の『友達』を助けることができた。ならば、それで満足するべきだ。



「さすがに戻りましょ―――」



 と、ファビオたちが戻ろうとした時だった。


 周囲の茂みがガサガサと音を立てる。


 二人はびくっと身体を震わせて動けない。


 なぜならば、明らかに今までとは違う異様な圧力が襲いかかっていたからだ。


 そして、ガサッと揺れた茂みから【狼】が出てきた。


 体長はおよそ二メートル半。体高は成人男性の肩ほどに高く、頭に刃状の角が生えている。


 顎は頑強で、口元から飛び出ている牙の鋭さはヒグマ以上。爪も大きく、獲物を切り裂くことも、がっしりと捕まえておくことも容易。


 それだけでも怖ろしいが、さらに周囲の茂みから一頭、また一頭と新たな狼が出てきて、あっという間に数十頭となった『群れ』が二人を囲んでしまう。


 狼たちは二人を軽く一瞥してから、頭部が吹き飛んだヒグマの死骸に視線を移す。


 一頭が合図すると複数頭の狼が噛みつき、瞬く間に死骸をバラバラに解体。前脚、後脚、胸、はらわたをそれぞれ咥えた狼が茂みに消えていく。


 だが、他の狼はその場に残ったまま、二人をじっと見つめていた。



「―――」



 これにはファビオも言葉が出ない。


 この狼たちは『湿気羆を【捕食】する側の存在』であることが判明したからだ。


 あのヒグマは生態系の頂点ではなかった。あくまでピラミッドの真ん中に位置するだけの脇役にすぎない。


 本当の森の支配者こそ、目の前の狼たちなのである。



「ううっ…ぁああ……」



 体格が良く気丈なディノも、これには泣き声が混じった嗚咽を洩らす。


 彼も年相応なのだと安堵する余裕はない。どう見ても絶体絶命だ。



(ここで食い殺されて死ぬ。それではあまりにむごい)



 今見たヒグマのようになってしまう。生物として、それだけは御免こうむる死にざまである。


 だが、やはり勝ち目はゼロ。


 個体としても強いうえ、数が多すぎるのでクラフト能力を使っても対抗は不可能だ。



(こんなところで死んでたまるか。僕は、僕は、もう二度と強い力に潰されたりはしない! 耐えて耐えて、最期まであらがってやる!)



 続けざまに死を強く意識したことで前世の悔しさが蘇った。


 どんな主張も力がなくては通らない。負けては意味がない。たとえ絶体絶命でも諦めた者から先に死んでいく。


 それを何度も見てきた。自分で体験してきた。


 だから許せない!



「やってみろ、このやろうがああああ! まとめてぶち殺してやる!」



 普段の敬語とは違う素で出た言葉。


 本気の覚悟が伝播したのか、狼たちの動きが一瞬だけ止まった。


 その隙に手に意識を集中させる。



(普通の武器や道具じゃ駄目だ! 一撃ですべてを破壊するようなものでないと! 何か、何かないのか!)



 クラフト能力は、それがより高性能であればあるほど優れた材料も必要になり、さらに精度を増すには機構も理解していなければならない。


 されど、ぱっと思いつくものは爆弾くらい。


 それはさきほどの戦いで使ってしまったので、もうアイデアがなかった。



(相手を殺す力があればいいんだ! 何でもいいから出来ろ!)



 激しい感情のうねりによって、掌が今までの何倍も強く光り輝く。


 が、何も生まれない。イメージが無いので当然だ。


 しかしながら、その光は消えることなくとどまり続け、次第に黒く変色していった。



「なんだ…これ? う、うあああっ!!」



 右手が真っ黒に染まり、そこから黒い湯気が滲み出ているではないか。


 それは凄まじい圧力となって空間を歪め、周辺の景色がぐにゃりぐにゃりと変容していく。


 同時に周囲の物質が次々と『消失』。


 細かな砂や土石から始まり、樹木が消えていき、環境を維持する微生物や虫が消えていく。


 さらには人間の目には見えない原始精霊までもが消失を始め、その『対価』として右手に尋常ならざる力が集まっていく。


 その異様な光景に狼たちが警戒を強めて少し下がる。


 と思ったが、興奮した一頭が襲いかかってきた。



「うわあああああ!」



 反射的に狼に向かって黒くなった手を向ける。


 それは相手の頭を押さえて、喉が噛み砕かれるまでの時間を一秒くらい縮めるだけの無意味な行為にすぎない―――


 はずだった。


 がしかし、その『黒い御手』に触れた狼は、ゲームのトランジションで場面転換したかのように一瞬で黒に塗り潰され―――消失


 跡形もなく消え去り、その場所にはいまだ黒い圧力がひしめいて空間を歪めている。それはまるでアンシュラオンが使う『覇王・滅忌濠狛掌』のようだった。


 しかも、まだ黒い手は消えていない。


 それどころかますます強さを増していき、周囲の環境消滅もとどまることを知らずに被害が拡大していく。



(なんだ…何が起きている! 僕の右手はどうなったんだ! いや、もうどうでもいい! 今は助かるためになんでも使う!)



 この手で思わず自分の顔を掻いたらどうなるのか、などと考えている余裕はない。


 狼たちに黒い手を向けて牽制。



「近寄るな! 近寄るなよ!! お前らも死にたくないだろう!」



 それは精一杯の虚勢。恐怖への抵抗。


 そうしていなければ怖くて倒れてしまいそうだったからだ。


 相手が人間ならばいざ知らず、獣であることから話し合いは通じない。頼れるのは力だけである。



「ふぁ、ファビオ…」


「ディノ、立つんだ! 逃げよう!」


「だ、大丈夫なのか! 汗がすごいぞ!」


「わからない、わからないけど―――うぐっ!!」



 今度は頭痛までしてきた。


 キンキンと脳内で乱反射する衝撃に思考がまとまらない。



(この症状…僕の生命力まで吸っているのか!)



 おそらくは、これもファビオのクラフト能力だと思われる。


 二番目の力である『再構築』は、何かを材料にして新しいものを生み出す能力だ。


 今は破壊の力を生み出すために『手当たり次第に使えるものを吸収』している状態なのだろう。


 狼を一撃で消し去るだけの力である。対価が想像以上になるのは当然。


 たかが木々や石程度ではまかなえず、ファビオの生命力にまで手を付け始める。だからこそ急速にBPが失われていき、激しい頭痛が起きているのだ。


 たとえばサナが『黒雷』を出せるのは、アンシュラオンの魔人の力を吸収しているからだ。それを自前で用意することがいかに大変かが、これを見ればよくわかる。


 逆説的にいえば、ファビオの黒い手にはサナの黒雷並みの力が宿っているのだ。



(ぐっ…ううう!! 反動が…強すぎ―――る!!)



 ファビオには黒板を爪で引っ掻く不快な音にしか聴こえないが、それが強くなっていくごとに右手の圧力も増していくようだった。


 空間がひしゃげて地面が『死滅』し、それが徐々に広がって狼どころかディノすら巻き込もうとする。



(もう駄目だ!! 抑えきれない!! このままじゃ全員死ぬ!)



 と、暴発のイメージが浮かんだ瞬間。



「バ―――ウッ!!!」



 『遠吠え』が閃光となってファビオを貫く!


 髪の毛が逆立ち、背筋が凍りつき、震えた手が反射的に斜め上に向いた。


 それによって暴発した力は天に放射され、幾多の木々を死滅させながら消えていく。


 力が過ぎ去ったあとには、上空から雲がすべて消え去っていた。



「がっ…はっ……はぁはぁ!! げほっ! ごぼっ!」


「おい、しっかりしろ! 血を吐いてるぞ!」



 身体がバラバラになりそうなほど痛い。


 もう指一本すら動かせず、ファビオは地面に倒れ込む。



「ごめん…ディノ……死ぬかも。一緒に死ぬから…許して…」


「なに言ってんだよ! よくわからねぇけど、俺はお前を守るぞ! 死んでも守ってやる!」


「むり…だと……思うけど……ありが…とう」



 薄れゆく意識の中で最後に見たのは、全長が六メートル以上もある『巨大な狼』だった。


 額に刃状の角があるところまでは他の狼と同じだが、刃は三つほどせり出しており、形状も規模も明らかに大きい。


 見た目も他の狼が灰色だけなのに対して、顔から背中が燃えるように赤く、毛皮が硬質化したのか光沢質の鎧のようなものが生まれていた。


 そのいでたちから察するに、おそらくは希少種かつ群れのリーダーなのだろう。さきほどの咆哮も、あの魔獣のものだと推測できる。



(これは終わった。ごめんね、お父さん、お母さん…)



 狼の群れにリーダーの希少種まで加われば、何をやっても死は確実である。


 ファビオは、そこで完全に意識を失う。



「待ってろよ! すぐに助けてやるからな!」



 ディノはファビオを背負い、布で身体ごと縛りつける。


 しかし、周囲は狼だらけで逃げ場などはない。


 ディノもこの状況には絶望しているが、勇気を振り絞って剣と盾を構える。



「俺は『友達』を見捨てない! 見捨てるぐらいなら一緒に死ぬぞ!」



 ディノにとってもファビオは唯一仲良くできる相手だった。


 成長速度の違いもあって村の他の子供たちとは相容れない面が多かった彼が、ようやくにして出会った『親友』なのだ。


 恐怖で足を震わせながらも抵抗の意思を見せる。



「………」



 巨大な狼は、その様子をじっと眺めている。


 他の狼もリーダーの決断を待っているようで動かない。完全に群れが統率されている証拠だ。


 ただし、もし巨大な狼が決断すれば、一瞬にして命が奪われるだろう。


 そして、その緊張感が限界にまで達した時。



「なんじゃなんじゃ、これは。誠にけったいなことじゃな。どうなっておる?」



 茂みの中から一人の『老人』がやってきた。


 薄汚れたローブに身を包んだ男で、年齢は八十過ぎ。


 顔には深いシワが刻まれ、手の皮もしわくちゃであるが、その目だけは強く見開かれており、たしかな意思を感じさせるものであった。



「人…? なんで…?」



 ディノは、人がいたこともそうだが、老人が狼の群れの中に平然と入ってきたほうに驚いていた。


 だが、老人は特に気にした様子もなく狼に視線を向けると、突如怒鳴り始める。



「『結界』を壊したやつは誰じゃ! まったく、再構築するのにかなり苦労するんじゃぞ。そこの狼か、そっちの狼か、それともあっちの狼か!」



 老人の選択肢にディノたちは入っていないらしく、いろいろな狼を指さしては愚痴をこぼす。


 狼のほうも、うざったそうに首を振って老人に嫌悪感を示すが、攻撃するそぶりはない。



「じ、じいさん…あんた、誰だよ」


「あ? なんじゃお前は。お前こそ誰じゃ」


「この先にある村の子供だ」


「子供? 背負っているのは子供のようじゃが…お前はもう子供ではないように見えるぞ」


「そんなことはどうでもいいって! 俺たちを助けてくれ!」


「そうは言われてものぉ。この狼たちのほうが、ここでは先輩じゃしな」


「狼に命令できるんじゃないのか?」


「いんや、お互いに不干渉なだけじゃ。いわば赤の他人…いや、顔を知っているだけの隣人くらいかの。かといって争うことも無意味じゃから、互いに無視する関係にすぎん」


「じゃあ、じいさんが食われている間に逃げる!」


「かー、けしからんの。最近の若いもんはこれだからいかん。大切なことは道徳、ドウトク、知っとるか? ど・う・と・くじゃ!」


「道徳うんたら言うんだったら、まずは俺たちを助けてくれよ!」


「ふむ、それも一理ある。ここで子供が死ぬと親たちが騒いで人が来てしまうからな。『赤刃狼せきじんろう』や、おぬしもそれは望まぬじゃろう?」


「………」


「ほら、散った散った。こいつらを食っても、なんも良いことはないぞ。もうお開きにするといい」


「………」



 『赤刃狼せきじんろう』と呼ばれたリーダーの狼は、首をプイッと振って森の奥に歩き出す。


 帰り際にバウッと一声発すると、仲間の狼たちも一斉に後を追い始めて周囲から完全に気配が消えた。


 周りが静かになって安堵した瞬間、腰が抜けたディノが座り込む。



「はぁはぁ! 助かった……のか?」


「おぬしもさっさと帰れ。もうここには来るでないぞ」


「というかさ、あんたが『不審者』だろ。こんなところに人がいるわけないしな」


「不審者? いきなり失礼なやつじゃな。たしかに住所不定かつ無職じゃが、不審者ではないぞい!」


「それを不審者って言うんだよ」


「かー! 無知じゃの! こういう場合は『浮浪者』と呼ぶんじゃ!」



 もっと悪くなった気がしないでもないが、状況から鑑みて、この老人が件の不審者である可能性は高い。


 とはいえ、老人が何者かも気になるところだが、今はファビオが心配だ。



「仲間が死にそうなのか? 仕方あるまい。村の近くまで送ってやろう。怪我も治してやる」


「え? そんなことができるのか?」


「『真言術しんごんじゅつ』くらいは使えるからの。それと、わしのことは誰にも言うでないぞ。それが守れるのならば助けてやる」


「でも、不審者を野放しにしておくのはな…」


「おぬしだけで戻れるのか? それまでに魔獣と遭遇する確率のほうが高いぞい。もうすぐ夜じゃ。やつらも活性化する」


「…わかったよ。誰にも言わないから助けてくれ」


「約束じゃぞ」



 老人が手をかざすと、ディノとファビオの傷が癒えていく。



「すげぇ…本当に術なのか?」


「うむ、感謝するがよい」


「でも、ファビオは目を覚まさないぞ!」


「知らん。傷は治ったはずじゃ。そもそもどうして倒れたんじゃ?」


「さっき黒いものを手から出して倒れたんだ」


「黒いもの? …もしや結界を破壊したのは…いや、だがしかし…こんな子供が…。まあよい、とりあえず村に戻すのが先決じゃな」



 老人が再び手をかざすと、ディノの身体が光に包まれる。


 立ち上がる力が湧き上がり、今まで以上に足に力が入る。



「ほれ、立ってみよ」


「なんだこれ? 足が軽くなったのか?」


「『韋駄天速いだてんそく』という術じゃ。お前さんの脚力を一時的に向上させておる。ついてこい。遅れるでないぞ」


「ま、待ってくれよ!」



 不審者は老人とは思えない速度で走り出す。


 本来ならばファビオを背負っているディノでは追いつけない速さだが、強化された足腰は力強く大地を蹴り上げ、たやすく同じ速度を叩き出した。


 『韋駄天速』の術は、以前アンシュラオンがコッペパンで買った『韋駄天符』と同じもので、その効果はサナを見ても明らか。ディノの体格ならば時速五十キロくらいは出ているだろう。


 そして、ものの数分で深部の入口にまで到着。


 他の魔獣と遭遇しなかったのも老人が何かやったものと思われる。ますます得体の知れない不審者だ。



「うむ、ここからは自分で戻れるじゃろう。達者でな」


「助かったよ、じいさん―――あれ?」



 振り返ると、もう老人の姿はなかった。


 森の中はすでに日が落ちかけており、浅部でも薄暗く感じる。


 その暗さがさきほどの恐怖を思い出させ、身体がぶるっと震えた。



「っと、こうしちゃいられない! 早くファビオを家まで届けないと!」



 その後、ディノはファビオを家まで送り届けた。


 突然倒れたとだけ言って誤魔化したが、特に身体に異常は見られなかったことと、翌朝には目を覚ましたことで事無きを得た。


 だが、血まみれの服だけはどうにもできず、結局は二人そろって親に怒られる羽目になってしまう。


 普段は理解力のあるマテオも今回ばかりは強めに叱ったが、荒野に生きる以上は危険は付き物だ。


 説教の三十分後には、ヒグマを倒した話に大いに食いついて親子で盛り上がる。


 そして、今度は二人そろってクラリスに怒られるというお約束パターンになったものだ。


 母の説教が終わったあと、ファビオはマテオに森について訊ねてみた。



「お父さんは、その狼のことは知ってます?」


「俺は見たことはないが、狼がいるのは聞いたことがある。たしか『刃狼じんろう』という魔獣だったはずだ」


「なるほど、見た目通りでわかりやすいですね。赤い希少種のほうはどうです?」


「さぁな、聞いたことはないが…」


「今気づいたんですが、『お祭り』の時の祭壇に狼っぽい絵が描いてありますよね。あれって赤い狼のことじゃないですか? 角が三本ありましたし」


「そうなのか? 気づかなかった。あれは俺らが来た時からあるからな。まあ、あんまり森の奥には行くな。何かあったら母さんがショック死しちまう。それで一家離散なんて洒落にもならんぞ」


「はい、わかりました。今回ばかりは猛省しています」



 後日、老人のことをディノから聞いたファビオだが、深部は出入り禁止にされてしまったので彼のことは謎のままとなった。


 老人もそれ以後は目撃されることもなく、淡々と月日が過ぎていくのであった。



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老人は何者なのか。ますます気になりますね。
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