520話 「サナ VS ゼイヴァー」
早いもので三週間の月日が流れ、初めての合同演習も終わろうとしていた。
アンシュラオンもキャンプに戻って、最後となる『模擬戦』を見物。
サリータやベ・ヴェルもレベルがさらに上がり、魔石無しでも十分下級の騎士とやり合えるようになっていた。
しかし、本命の試合が控えているので、ここは割愛しよう。
「次! ゼイヴァー百光長、サナ百光長!!」
今回のスペシャルマッチにしてメインマッチこそ、この二人。
サナはガンプドルフに惨敗し、ゼイヴァーもアンシュラオンに秒もかからず倒されている。
あの時は対戦相手との間に圧倒的な力量差があったので、両陣営ともにショックのほうが大きかったに違いない。
では、その敗者同士が戦ったらどうなるのか。
ゼイヴァーは中堅の騎士として絶対に負けるわけにはいかず、サナとしてもぜひとも勝ちたい相手だ。
そんな白熱した戦いの予感が漂っているため、周りの者たちが興味津々なのも当然といえる。
装備に関しては、サナは革鎧を着込み、刃がない模擬刀を持っているが、それ以外の術具や銃といった副兵装はない。
今回は腕力を上げる篭手類もなく、刀のほかには魔石くらいである。
対するゼイヴァーは、インナーシャツ一枚に、手には一本の『棍』を持っていた。
シャツは単純に鎧の下に着ていたもので、何の効果もない普通の肌着だ。
持っている棍も一応は武器だが、言ってしまえばただの『長いだけの木の棒』である。
サナは刃が無いとはいえ金属製なので、武器の質の差は明白だった。
アンシュラオンも興味深そうに両者の様相を眺めている。
(たいした自信だ。これはつまり『サナの攻撃は受けない』という意思表示でもある。さぁ、美少女とイケメンの戦いはどうなるかな)
ちなみにグランハムは、仕事のために一足早く戻っているので不在だ。
彼もサナとゼイヴァーの模擬戦を見たがっていたので、代わりにしっかりと見届ける必要があるだろう。(あとで詳細を報告しろと言われている)
「模擬戦、開始!!」
開始の掛け声とともに、サナがダッシュ。
刀を構えたまま低い姿勢で間合いを詰める。
その際もしっかりとフェイントを入れて相手の軸をずらそうとする。
だが、ゼイヴァーはその場からまったく動かず棍を構えるだけだ。
構え方は槍と同じ。特におかしいところはない。
先に間合いに入ったのは、もちろんゼイヴァーのほう。
長い間合いを持つのが槍(棍)の特徴なので、まずは横薙ぎ一閃。
鋭い一撃がサナに迫る。
サナはタイミングよく刀を棍に擦り当てて防ぎ、そのまま潜り抜ける。
身体が小さく小回りの利く彼女だからこその動きだ。
だが、サナがさらに前に出ようとした瞬間、返す棍が襲いかかり、弾き飛ばす。
返す棍の威力はさほど高くはなかったため、サナが鎧を着ていたこともあってダメージは軽微。
即座に体勢を立て直し、再び突進を試みる。
それをゼイヴァーは薙ぎ払いを中心にいなしていく。
サナは掻い潜ろうとするも、一撃目は可能でも二撃目で必ず捉えられる。
その光景はまるで、野犬を軽く棒であしらう牧場主の姿であった。
アンシュラオンから見ても、その棍捌きは見事だ。
(棍の扱いにミスがない。正確に同じ動作を繰り返している。体力もあるから何度やってもブレがないんだ。しかもあえて一撃目をかわさせることで、二撃目を当てやすい場所に誘い込んでいる。完全に主導権を向こうに取られたな)
もしこれが本物の槍だったならば、すでにサナの身体は無事では済まなかっただろう。
だが逆にサナが突っ込むのも、棍が武器だと理解しているからこその戦い方だ。
どちらにせよ、技量ではゼイヴァーが上であることが、はっきりと示されている。
「…じー」
サナがゼイヴァーと周囲を観察。打開策を探る。
この模擬戦で認められているのは手持ちの武器だけ。
それが銃(模擬弾)でも斧でもかまわないが、一つだけ(盾は除く)に限られるため、現在は刀しか攻撃手段がない。
彼女が得意とするのは、すべての環境をフル活用した局地戦だ。それがない今、頼れるのは自らの剣技のみとなる。
じっくりと様子を見ていたサナが、ここで勢いよく前に出る。
そこに再びゼイヴァーの棍が迫るが、今度は逃げない。
鉄と木がぶつかる鈍い音が響き―――棍を弾く!
サナは棍の初撃が誘導するための弱い一撃だと気づいていた。
だからこそ同じことを繰り返すふりをして、刀の『芯』で思いきりぶっ叩いたのだ。
ガンプドルフには通じない攻撃も、格が落ちるゼイヴァーならば通じる。
サナはそのまま一気に間合いを詰めて剣撃。
ゼイヴァーは二撃目を放てず、棍を引いてガードを選択。
さすがに大人と子供の体格差だ。攻撃は完全に止められてしまう。
が、ここから刀は変化。
棍の表面を滑らせて、武器を持っているゼイヴァーの指を狙う。
これが鎧ならば篭手も付けているので防御可能だが、今は剥き出しの素手のままだ。
槍や棍はリーチの長さで優れている反面、こうして武器を持っている手を狙われやすいのが短所である。
サナがこの弱点を狙ったのはさすがといえる。少しでも相手の力を削ぐための戦術を考えた結果なのだろう。
だがしかし、この弱点を一番よく知っている者は誰だろう?
ゼイヴァーは狙われた片手を離して回避。
サナは片手持ちになって不安定になったところを攻め立てようとする。
が、手が伸びた。
伸ばされたのは、今しがた棍を離したゼイヴァーの手。
その手がサナの鎧を掴んで―――引っ張る!!
「…っ!!」
思った以上に強い力で引かれたため、サナが大きくバランスを崩す。
その間にゼイヴァーは、棍をサナに押しつけながら動きを封じつつ、今度は突き放して間合いを広げた。
再び棍の間合いを作られてしまうが、サナはまだバランスを崩したままで動けない。
そこに突きの連打。
トトトトンッ
非常に綺麗でリズミカルな音を立てて棍がサナに命中していく。
棍の先端は丸く整えられており、直接刺さることはない。
だが、当然ながら戦気をまとっているので、その一撃は強烈。
サナは次々と命中する棍の衝撃に押されて防御する暇もない。
ただし、そのすべての攻撃は鎧の一番硬い部分を狙って放たれており、致命傷を受けてはいなかった。
これはつまり【手加減】。
最初に述べたように、軽々と野良犬をあしらっているわけだ。
それを見ていたアンシュラオンもゼイヴァーの強さを評価する。
(技量の差は歴然。戦気の質も向こうが数段上だ。やはりこのレベル帯では明らかに抜きん出ている。純粋な武器での攻防では勝ち目がないな)
サナはゼイヴァーの突きに圧される。
痛みもなく裂傷もないが、衝撃だけは確実に中にまで伝わるので、次第に体力が奪われて身体がだるくなっていく。
彼は生粋のフェミニストなので、女性を傷つけることを好まない。こうやって動けなくして勝つことを想定しているのだろう。
しかし、サナにはまだ反撃の手段が残されている。
このままでは勝ち目がないと判断して魔石を発動。
今回のルールでは雷撃は反則になる可能性があるため、獣の身体能力だけを引き出す。
これでもう負けない。強引に押しきれる。
そう思ってサナも攻撃を仕掛けるが―――カカカカンッ
「―――っ!!」
鋭いゼイヴァーの棍撃が、サナの鎧をリズミカルに叩く。
どんなに速度を上げようが、左右に振ろうが、前後にフェイントをかけようが、ゼイヴァーはまったく動揺せずに淡々と攻撃を当ててきた。
さきほどと何も変わっていない。結果はまったく同じだ。
被弾覚悟で強引に接近して一撃を繰り出すも、再びゼイヴァーの手が伸びる。
またもやあっさりと押し離され、棍の間合いを作られて突きを受けてしまう。
中距離でも駄目。近づいても駄目。サナは何もできていない。
いったい何が起きているのかといえば、見たままである。
(さすがはおっさんの部下だ。体術も手馴れている。いつもこれを想定して鍛錬している証拠だな。しかも細い身体のわりに腕力も相当なものだ。この感じだと、もしかして『戦士型剣士』か?)
ガンプドルフ同様、それなりに戦士因子が覚醒している武人ならば、剣士であっても体術を使えるものだ。
ゼイヴァーにも戦士の因子があり、なおかつ修練によって才能を伸ばしていた。
その腕力も戦士並みで、覇王技無しならばマサゴロウと殴りあえるだけのパワーがある。
その理由は、彼が『戦士型剣士』だからだ。
これは剣士でありながらも戦士のようなパワーを持つ武人を指す言葉である。
もう少し詳細に述べれば、本物の『モザイク〈複合因子〉』ほどではないが、剣士なのに戦士因子の劣化が少ないため、その分だけパワーを引き出せる武人のことを指す。
元は剣士なので武器の扱いにも長けており、パワーもあるのならば強くて当然。百光長の中で抜きん出ていることにも納得だ。
もう一つ付け加えれば、彼はまだ『剣気』を出していない。普通の戦気で抑えている。
その状態でサナをあしらっているのだから、文句のつけようもない。
(いろいろな要素はあるが、ゼイヴァーの強さの本質は『安定感』にある。すべての能力が平均よりも高く、欠点がないから崩しにくい)
同じ槍使いでも、マタゾーは一点を貫く技術に長けていた。
だからこそ彼の長所は『突き』にこそある反面、どうしても槍の間合いが必要になる弱点があった。
一方のゼイヴァーの一撃一撃はマタゾーには及ばないものの、払う技術、突く技術、いなす技術、身体の使い方、どれも隙がない。
なぜならば、あらゆる戦場に出動する軍隊においては、『平均的な力』が求められるからだ。
軍隊式訓練法も平均的な成長を想定してメニューが組まれている。そのおかげでゼイヴァーは、実に穴のない武人に育ったというわけだ。
マタゾーとは違い、近距離に持ち込まれても対応できるのは大きなアドバンテージとなる。
(やはりDBDの騎士は強いな。完全武装時の術式武具を使えば、確実に今より強くなるんだからさ)
さすがはルシア帝国とガチで戦争をしていた連中だ。兵士の質も高いし、騎士はさらに上のレベルにある。
あくまで現段階ではあるが、圧倒的にゼイヴァーのほうが【完成度が高い】。
普通にやればサナが勝つことはありえないだろう。
当然、対戦しているゼイヴァーも実力差を感じていた。
(まさに大人と子供だ。まだまだ若い。若すぎる。こんな少女を戦わせるとは納得がいかない。女性は守らねばならないものなのだ。そうだ…私は強くなければいけない。すべての女性を守れるほどに、もっともっと強くならねばならないのだ)
ハンクスたちがそうであるように、ゼイヴァーの瞳にも強い『覚悟』が宿っていた。
彼の戦気は、静かに燃える闘志の如く。
猛々しくはないが、その奥底には芯のある強烈な熱量が見え隠れしている。
女性は弱い。だから守らねばならない。
そんな当たり前でありながらも若干偏屈的な感情が、彼をここまで強くしている。
たしかに彼の言う通りだ。女性は基本的には弱い。単純な戦闘能力ならば男のほうが有利である。
そう、普通の女性ならば。
防戦一方の何もできない状態であっても、サナの目には『知性』が宿っていた。
どんなに攻撃されても打開策を探り続ける意思の力が、今の彼女にはある。
棍に圧されながらも、刀の先端を地面に打ちつけると―――爆発
地面が大きく抉れたことで、土砂とも呼べる大量の土がゼイヴァーに降り注ぐ。
グレツキも使った『剣応打』を発動させ、土を斬るのではなくゴルフのバンカーのように一緒に巻き上げたのだ。
サナの得意な戦場は乱戦や局地戦だが、周囲に使える環境がないのならば自ら作り出してしまえばいい。
土砂によって、ゼイヴァーの視界が一時的に塞がる。
そこにサナの中距離攻撃、『剣衝』が襲いかかる。
(この程度の目くらましなど。技の軌道も容易に想像できる)
ゼイヴァーは剣衝を軽々と弾いて霧散。
なぜサナがあまり剣衝を使わないかといえば、現在の剣気量では威力が乏しいからである。
もともと戦気量が多いわけでもないので、それならば移動と直接斬撃に力を割いたほうが効率が良いのだ。(魔石の雷で補える)
では、あえてサナが非効率な真似をしたのならば、そこには意味があってしかるべき。
ゼイヴァーの周囲が―――【闇】に染まる
「なっ…!」
イカスミで一瞬にして海水が黒に染まるように、視界すべてが完全に闇に包まれた。
これは明らかに土によるものではない。
(『暗衝波』!! 今の土はこれを隠すためのものか!)
ヤキチが使っていた闇属性の剣衝であり、相手の視界を奪うための技だ。(そのまま直撃してもダメージは剣衝と同じ)
サナが土を使ったのは、自分の剣衝が暗衝波だと悟らせないためである。
熟練した武人ならば、太刀筋と戦気の色合いを見ただけで発動した瞬間に技を見破ってしまう。
ゼイヴァーも暗衝波を知っているため、もし見えていればかわすことを優先しただろう。
彼のミスは、女性だからと侮っていたこと。
その油断を、サナは見逃さない!!
素早い動きで接近すると因子レベル1の『剛斬』を繰り出す。
これは剣衝で放つ剣気を刀身にとどめて、両手で全力で斬る技だ。
ゼイヴァーは暗闇の中でも太刀筋を感じ、咄嗟に反応。棍でガードする。
虚をつかれた一撃であるが、それでも防ぐのはさすがである。風の流れや戦気の気配を掴んでいる証拠だ。
されど接近したサナの怖さは、こんなものではとどまらない。
そこに―――拳!!
刀と棍が密着した状態から片手だけを離し、サナが『虎破』を突き出す。
しかも狙ったのは股間。
べつに意図したわけではないが、身長差があったため角度的にそこが狙いやすかったにすぎない。
「っ!!」
ゼイヴァーも男だ。嫌な予感がしたのだろう。本能的にかわすことに成功する(一応肉体操作でブツはガードしているが、心情として理解できる)
女性が護身術を習う際、必ず金的攻撃を教えられるというが、フェミニストの急所を狙うとはなんとも皮肉である。
そして、大事な部分を守った代償として完全なる隙を晒す。
腰を引いて屈んだところに、再度サナの虎破が放たれてクリーンヒット!
「ぬぐっ!!」
拳は顔面に当たり、頬骨が軋む音が響く。
(これが子供のパワーなのか!? 信じられない!!)
まるで同体格の大人の武人に殴られたような衝撃が走る。
それもそのはず。
サナの戦士因子は3であり、そのうえ【劣化していない】。
いくら子供であっても純粋な戦士因子3のパワーは強烈。戦士型剣士のゼイヴァーにすら匹敵する。
(しまった! 完全に見失った!)
暗闇に加えて顔面への強打。
ショックとダメージで視界が遮断される。
ここが勝負所。
サナはゼイヴァーの真後ろに回り込むと、下からアッパーカットのように強引に刀を振り上げる。
暗殺剣、『卑転』。
これまたヤキチが使っていた技であるが、それを完全コピーして自分のものとして使いこなす。
一度見た技は忘れない。これもまたサナの特徴である。
視界を塞がれた状態から普通ならありえない角度からの一撃。
正道で敵わないのならば『詭道』で挑むしかない。これもまた武人の戦い方といえる。
されど、サナの刀がゼイヴァーに―――スカッ
当たらない。
たしかに防げない攻撃である。
しかし、かわせないとは言っていない。
その時、すでにゼイヴァーは【宙】にいた。
サナが卑転を放った瞬間には棍を使って跳躍し、暗衝波の空間から離脱。
宙高く飛びながら放たれた棍が、しなるような軌道を描いてサナの背中に激突!!
「かふっ―――!」
衝撃の強さにサナの呼吸が止まる。
剣王技、『撓芯打』。
棍をしならせて軌道を変化させつつ、剣応打と同じく打撃属性の剣気を叩きつける因子レベル1の技だ。
当たれば強い大きな振りも外れれば欠点となり、空気の流れで場所も特定されてしまう。
死線を潜り抜けてきたゼイヴァーには、視界のない状況でも対応できるだけの戦闘経験値があったのだ。
それでもサナはまだ動けた。
着地したゼイヴァーに『黒十斬』からの『黒矛葬』を放つ。
どちらも覚えたばかりの技にもかかわらず、斬撃からの突きの流れは見事なもの。完全にグレツキの動きをコピーしていた。
太刀筋も闇によって隠すことができるので、ゼイヴァーからは見えない巧妙な一撃といえるだろう。
がしかし、なぜ武人が技を安易に使わないのかといえば、発動に時間がかかるからだ。
それに対し、ゼイヴァーは身体能力の強化だけにすべての力を注ぎ、冷静に攻撃を見極めて棍で受け流すことに集中。
技を完全に見切ってかわしつつ、打ち終わりで動けないサナに左手を伸ばして再び鎧を掴むと―――大地にドスン!
腕力で強引に押し倒す!
「動かないでください。これ以上は無理です」
「…っ……っ!」
サナは話も聞かずにジタバタするが、この体勢ではどうやってもゼイヴァーの腕力のほうが上である。
体重もかけられてしまい、何度暴れても抜け出すことができない。
「そこまで。ゼイヴァーの勝利だ」
ここでガンプドルフが戦いを止めた。
結果はゼイヴァーの勝利で終わる。
裁定に文句はない。実際に実力差はかなりあったといえるし、雷撃無しでよくここまで戦ったと称えるべきだろう。
(順当な勝利、サナにとっては敗北か。だが、今の戦いを見ればわかるように、これがのちの糧になる。練習ではいくら負けてもいい。本番で勝てば問題ない)
武人にとって戦いの本質を見極めることも大事な資質である。
サリータやベ・ヴェルの場合は実力がまだ足りないので全力で挑んでもよいが、ユキネのように模擬戦では実力を見せず、逆に相手の手の内を探るやり方も効果的なのだ。
だがしかし、それをもっとも知る者から、やや変なクレームが入った。
「閣下、今の勝負は私の負けです」
勝者であるはずのゼイヴァーが、なぜかそんなことを言い出す。
「誰がどう見てもお前の勝ちだ。どこに不満がある?」
「こんなに幼い少女相手に最後は本気になってしまいました。大人の男として恥ずべき振る舞いです」
「戦場において大人も子供も男も女も関係ない。互いに戦い、結果が出た。それだけだ」
「いいえ、違います。私はこの勝負で一撃ももらうつもりはなかったのです。ですから、この頬が敗北の証です」
ゼイヴァーの頬は、サナのクリーンヒットを受けて赤く腫れていた。もしかしたら骨にヒビが入ったかもしれない。
これは完全に油断であるし、その一撃によって彼の本気を引き出したのだ。
だが、当然ながらガンプドルフは顔をしかめる。
「油断したのはお前のミスだ。反省すればいい。しかし、勝ったのはお前だ。結果は揺らがない」
「私は女性を殴ってしまったのです。やはり私の負けです」
「ゼイヴァー、いいかげんにしろ。全力を尽くしたサナに対しても無礼だ」
「いいえ! これは閣下であっても譲ることはできません!!」
「まったく…お前というやつは。まあいい、その代わり戦場では迷うなよ。何事も強いやつだけが選ぶことができる。負けたらすべてが終わりだ。わかっているな?」
「もちろんです。そして、罪は償わねばなりません」
何を思ったのか、サナに殴られて腫れている頬に対して、さらに自分で拳を叩き込む。
それによって怪我は悪化。かろうじて耐えていた骨も完璧に砕けた。
だが、当人はそれで満足したようで、すたすたと元の場所に戻ってニコニコしている。
(いやー、引くわぁー。フェミもそこまでいけばすごいよな。ラブヘイア並みにヤバイやつだったか!)
土下座の一件を知っているアンシュラオンでさえ、思わずドン引きである。
たしかに女性を大切にすることは重要だが、女だからといってすべてが正しいわけではない。
駄目なものは駄目。良いものは良い。そこに男女の区別はないのだ。
アンシュラオンも女性を守る理念を抱いているが、さすがにここまではいかないし、いきたくもない。
「ねぇ、ちょっとちょっと! あの人、本当に頭は大丈夫なの!?」
ガチのヤバイやつリストに入ってしまったため、素性をガンプドルフに確認。
「言いたいことはわかるが、当人の中に流儀があるのだから仕方がない」
「何か理由でもあるの? それとも最初からヤバイの?」
「最初からではない。…戦後からだ。あいつは戦争で家族を全員失っている。女性が多い家庭だったらしくてな。父親が死んでから男はあいつ一人だったらしい。それだけならばまだよかったのだろうが…」
戦後、ルシアの駐屯軍が町の女性に暴行を加えようとしたところ、それを目撃したゼイヴァーは彼らを殴り殺した。
普通に殴り殺すのではない。徹底的に存在を消すかのように叩き潰した。文字通り、ミンチにしたのだ。
現場検証をした者に訊いたところ、骨と皮が地面にかろうじて残っていたくらいだったというから壮絶である。
事件を起こしたのはルシア騎士ではなく、雑兵として雇っていた傭兵団だったらしいが、それでもルシアの兵だ。
捕まり、牢獄に入れられた。
強い武人はルシアにとっても貴重な存在である。たびたび不問にする代わりにルシア軍に入ることを勧められたが、彼が頷くことはなかった。
見せしめの意味もあったのだろう。
それによって『死刑』が決まった。
「処刑される前に私の部下が収容所を襲撃して助け出したのだ。だが、その頃にはすでにやつは、ああいった考えに染まっていた。間違ってはいないし悪いとは言わないが…困ったものだ」
「実戦で邪魔にならない?」
「自分より強い相手ならば女でも問題ないようだ。が、積極的に戦おうとはしないだろうな。そもそも女の武人は少ない。無理にあいつが戦う必要はないし、見た通り能力はかなり高い。少なくとも魔獣との戦いでは大丈夫だ。そこは保証しよう」
「まあ、強いのならいいか。こっちが使い場所を見定めればいいしね」
(ここにいる連中は、多かれ少なかれルシアに恨みを抱いている者たちなんだな。そりゃそうだよね。しかし、恨みの感情…か。サナはそれも吸い取るのかな? オレとしては冒険の楽しさを味わってほしいんだけど)
そして、これにて合同演習は終了。
「おっさん、今回はありがとう。いい経験になったよ」
「お互い様だ。蜘蛛の一件は助かった。今後ともよろしく頼む」
「次の合同演習は来年かな。その時はサナが勝つよ」
「楽しみにしている。ゼイヴァーにも精進させるとしよう」
「オレは定期的にこっちに来るから、また何かあったら連絡してね」
そう言い残して翌日、アンシュラオンたちはハピ・クジュネに帰っていった。
(本気…か。末怖ろしいな)
次はサナが勝つと宣言した言葉に嘘はない。本気でそう思っている様子が見て取れる。
サナは来年で十一歳。
逆にいえば、まだ十歳の少女だ。
それがゼイヴァーにここまで善戦し、なおかつ新しい剣王技も覚えてしまった。魔石もまだ半分の力しか引き出せていない。
加速度的に強くなっていく成長期のサナと、それを強力にバックアップするアンシュラオンに、ガンプドルフも思わず背筋が寒くなる。
それと同時に、アンシュラオンを味方につけられたことを安堵もしていた。
この大地には、彼のような『王』が必要なのだから。