517話 「超越者と守護者」
アンシュラオンは蜘蛛を刺激しないように注意しつつ、どんどん奥に進む。
(一本道ではあるが、一つ一つの階層はそこそこ広いな。細かい無数の横道もあるし、あれも全部蜘蛛の通り道だとすれば面倒な場所だ)
構造としては【蟻の巣】に近いだろうか。
随所に階層と名付けた千から二千メートルの巨大な空間が存在し、階層同士をやや細めの通路で繋いでいる構図だ。
通路も細めとはいえ軽く幅三百メートル以上はあるため、最低でも女王が獲物を抱えて通れるサイズにしているのだろう。
あの亀裂はあくまで入り口にすぎず、地下に巨大な空間が広がっていたというわけだ。
といっても、これは驚くべきことではない。荒野に生息する魔獣の多くは基本的に地下に巣穴を作っている。
この厳しい環境下では地表で堂々と暮らすほうが珍しいのである。
それに加え、巣穴の中にはいまだ激戦の傷跡が刻まれており、所々に蜘蛛の死骸が見受けられた。
(戦艦と魔人機があれだけ壊れるのも無理はない。相当な激戦だったんだろうな。おっさんにトラウマが残るわけだ。しかし、この蜘蛛の生態は面白い。特に『死骸が鉱物化』するところがね)
『石喰蜘蛛』と呼ばれるように、彼らの主食は鉱物である。
それ自体は土石に含まれている微量の鉄分でもよく、いたずらに鉱物を食い荒らすことはない。
逆に彼らは、死ぬと身体に蓄えた鉄分によって『死骸が鉄』に変化する。
蜘蛛も自身の性質を本能で知っているようで、仲間が死ぬと死骸を集めて埋める習性があり、結果としてこの一帯に巨大な鉄鉱床が生まれることになったようだ。
(もともとここに鉄鉱床があったから蜘蛛が住み着いたのか、それとも蜘蛛のおかげで鉄鉱床が出来たのか。どちらにせよ、亀裂が生まれていなければDBDと蜘蛛が出会うこともなかったんだから、すごい偶然だな)
その後、第八階層で女王蜘蛛の死骸を発見。周辺の岩盤も大きく壊れていた。
これは戦艦を追ってきた女王をガンプドルフが迎撃し、聖剣を発動させた魔人機で倒した話と合致する。
死骸も調べたが、すでに重要な部分は回収されていたので、特筆すべき素材は残っていなかった。
興味深い点といえば、たまに眷属の蜘蛛がやってきて死骸の一部を持ち去り、穴に埋めている光景が見られるくらいだ。女王の統制がなくとも本能に従って行動していることがわかる。
アンシュラオンはさらに地下に潜る。
階層が進むに伴って死骸の種類も増えていくことから、どんどん蜘蛛の形態が変化していったことがうかがえる。これも報告書の通りだ。
そして、最深部である第十五階層に到着。今まで以上に巨大な空間が広がっていた。
この場所こそ戦艦が引きずり込まれた『女王の間』であり、同時に産卵場所なので巣の中心部といえる。
隅には輸送船らしき残骸もあるため、やはり産卵のために大型の苗床を集める習性があったようだ。
ここでは女王蜘蛛に次ぐ大きさの『紅い蜘蛛』の死骸を発見するが、こちらも主要部分は回収されているので特筆すべき点はない。
報告書によれば、ガンプドルフの魔人機がこの紅蜘蛛に地中に引きずり込まれ、危うく全滅の危機に陥ったそうだ。
(しかしまあ、この状況でよく勝てたな。少しでもしくじっていたら全滅の可能性もあったはずだ。それが避けられたのも魔獣が術式の影響下になかったからだ。もし暴走していたら完全に負け確だった)
問題は、なぜここだけ術式から外れているかだ。
その答えは、目の前にある『巨大ジュエル』にあった。
大きさは百メートル以上の縦長で、上部三割が『喰われて』欠けているので完全な状態ではないものの、しっかりとカッティングされた形跡があるので【人工物】であることは間違いない。
(これがおっさんから提供されたジュエルの本体のようだな。しかも地層鉱物かな? カッティング前は最低でもこれ以上の大きさの原石であっただろうから、その段階で超希少な鉱物だ)
ガンプドルフからもらった紫のジュエルは、女王蜘蛛の体内から見つかったそうだが、それ自体に蜘蛛の能力は付与されていなかった。
巨大ジュエルにも喰われた形跡があることから、これを食した女王蜘蛛の体内で再結晶化したものと思われる。
ジュエルの存在は報告書にもあったので驚かないが、アンシュラオンの中で仮説が確信に変わる。
(こんなものが何の理由もなく地下にあるわけがない。やはりこれが【超広域術式の核の一つ】に違いない。これだけの巨大な精神術式を展開させるためには、それに見合った巨大な媒体が必要になるのは道理だからな)
この地域だけ術式の効果が発動していないのは、蜘蛛がかじったことで媒体が破損したのが原因だろう。
ただし、術式が正常に発動していれば蜘蛛も支配下にあったはずだ。その状態で媒体を破壊するような真似はできない。
であれば、おそらくは先に何か別の要因で術式が停止している間に、自由になった蜘蛛がかじって壊した、と考えたほうがスマートである。
(これはオレにとっても幸運だ。せっかく止まっているんだし、少し調べてみるか)
アンシュラオンは術糸をジュエルに接続。
解析を始めた瞬間には、刻まれた術式が凄まじいレベルと情報量であることが嫌でもわかってしまう。
(こいつはすごい。全体像がまったく見渡せないぞ。スパコンに触れている気分だ)
アンシュラオンがエメラーダからもらった術式の本は、初級から中級までで、たとえるのならば小学校から高校程度の内容だろうか。
それと比べて目の前の術式は、数学の専門家でさえ頭を悩ませるレベルのものだ。
それが大量に絡み合って複雑な術式を形成しているため、残念ながらこの男の才能をもってしても解析は難しい。最低でも数十年はかかってしまう。
がしかし、唯一の勝機があるとすれば実物が目の前にあることだ。
(通常のやり方では無理だが、『ダイブ』すればオレでも中身が見えるはずだ)
ダイブとは、物的次元を超えた精神領域を介して術式を構築、またはハッキングすることである。
このような膨大な術式は、普段表面化している人間の意識下だけでは対応できないことが多い。
そのため精神体を侵入させて『感覚で演算処理』を行う必要が出てくるのだ。
エメラーダがアンシュラオンに侵入した際も、このダイブを使ってハッキングを仕掛けていた。
人間の潜在意識も膨大な量の情報が詰まっているので、ダイブのほうが効率が良いのである。
そして、これを専門とする術士を『ダイバー〈深き者〉』と呼ぶ。
より深い場所に潜るためには専用の術具が必要らしいが、術式回線を上手く繋いでしまえば遠距離からでもハッキングが可能であり、腕利きのダイバーは世界各国の情報戦で引っ張りだこと聞く。
その代わり、これまたエメラーダが危険な状態に陥ったように、何かあれば精神に直接ダメージを受けるので安全な環境下で行うことが推奨されている。
(ダイブ中は肉体が無防備になってしまうな。防御は闘人に任せよう)
アンシュラオンは、万一にそなえてクシャマーベを生み出して防御結界を生み出すと、再び目の前の巨大なジュエルに術糸を接続。
精神体を術式の海に送り込む。
まずは表層のプロテクトを外して、内部に侵入。
(まるで剥き出しの感覚の中にいるようだ。まあ、精神体なんだから当たり前か。ほぼ幽体だからな)
術式の世界は言葉で表現するのが極めて難しい。
より生命の実相に近づくことを意味し、あらゆるものが地上とは違う。
人間が曖昧に感じている愛や勇気、希望といった要素も、言ってしまえば構築された情報の一つにすぎない。
この情報の空間は、そういった意思や感情でさえ現実のものとして実感できる世界ゆえに、無駄なものは何一つなく、同時にすべてが繋がっているがゆえに複雑である。
ただし、そうでいながら全体はシンプル。
複雑な配線を綺麗に整えたパソコンのように、見た目は美しくまとまっている。
今からやる作業は、中身を開いてそのコードを引きずり出し、内部のCPUを分析するのに似ている。
(浸っている場合じゃないな。意識が加速しているから外の世界より作業量は増やせるが、その分だけやることは山積みだ。さっさと行こう)
中に入ると、さらに膨大な量の術式が浮かんでいた。
なぜこれだけの量が必要なのかといえば、あらゆる精神構造をした魔獣に対応するためである。
知能が高い魔獣から何も考えていないアメーバのような魔獣まで、全種を網羅していることが最大の特徴だ。
たしかにこれならば、生理反応が鈍い植物系の魔獣すら操ることができるだろう。
(全種類の魔獣のデータが蓄積されているなんて、普通はありえない。『種』の起源を知らないとそんなことは不可能だ。やはり前文明の技術を転用した可能性は十分にあるな。おっと、排除プログラムに見つかったか)
これだけの術式だ。その中には侵入者を攻撃するアンチウィルスプログラムも存在し、アンシュラオンを排除しようと動く。
精神体は剥き出しの心と同じなので、受けたダメージは直接精神に損傷を与えることになる。
良くて廃人、悪くてショック死。もっと最悪な場合は潜在意識にダメージを受けて霊の昏睡状態に陥ってしまう。
(勝てば問題ない。こちらも術式で対抗すればいい)
アンシュラオンは、通常の戦いと同じように相手を拳でぶん殴って破壊。
これはあくまでイメージであるが、相手への破壊衝動がそのままプログラムの破壊に繋がるため、次々と免疫プログラムを壊していく。
しばらく進むと、ひときわ巨大な術式プログラムを発見。
(でかい。まるで宇宙空間だ。中央に浮かんでいるのがコアか?)
そこはまるで宇宙のような、なんとも美しく荘厳な光景が広がっていた。
真っ暗な空間に球体状のメイン術式核が存在し、その周囲を土星の環の如く大量の補助術式が覆っている。
規模を考えれば、これが中央プログラムのはずだ。
走っている術式の内容は凶悪そのものだが、技術的には最高峰のものばかりが並んでいる。
術式自体に罪はない。それを操る側の意思次第で善にも悪にもなる。
さらに解析しようとコアに触れた時である。
眩い光が発せられて、何かがアンシュラオンの精神に干渉してきた。
(なんだ!? これは…サナにスレイブ・ギアスをかけた時に似ている。だが、指向性が反対だ)
サナの時に起こった現象は、現在から未来への流れ。
一方のこの光は、『現在から過去』へ光が遡っていく。
産まれたばかりの白い蜘蛛の目の前に、【一人の女の子】が現れた。
全身が光り輝いているのは、その膨大な魔素が周囲に干渉しているからだろう。
彼女はまだ小さかった蜘蛛を抱き上げると優しく撫でた。
蜘蛛は虫なので撫でられることに特段の感情は抱かなかったが、彼女から溢れる愛情は理解できた。
女の子から『糸』が出てくる。
蜘蛛も糸を出して、絡み合う。
―――〈今日からあなたが、わたしを守るのよ。みんなはあなたのことを弱い魔獣だって言うけど、わたしはそうは思わない。きっと立派な『守護者』になるわ〉
蜘蛛は、その願いを受け入れた。
ほとんどの魔獣は強制的な支配を受けて、自我を失いながら淡々と役目を全うするが、彼女は違った。魔獣との共生を願っていた。
『彼ら』の中では、そうした考えを持つ者は多くはなかった。ただ、女の子の地位が高かったから好きなようにさせていただけだ。
この蜘蛛も、そんな戯れの中で選ばれた存在。しかし、少しだけ幸運な存在。
蜘蛛は女の子から力を与えられ、より強大な存在となり、この地の守護を命じられた。
すべては順調だった。
巨大な都市がたくさん生まれ、首都を頂点として完全な支配を成し遂げていた。そこには繁栄しかなかった。
蜘蛛は幸せだった。彼女を守れることが誇りだった。
光はそこで消えた。
幸せな記憶を守るように、まるで泡沫の如く儚く消える。
(今のビジョンは何だ? いきなり見せられても訳がわからないぞ。だが、あの子は『守護者』と言っていたな。西方の地、守護者、クルルザンバード。まさか、今の子が『超越者』なのか? そして、あの蜘蛛も守護者だった?)
映像の中の都市は、今まで見たどの文明よりも発展していた。まさにガンプドルフから聞いた前文明の情報そのものだ。
それを信じるのならば、ここにいた白い蜘蛛もクルルザンバードと同じく『守護者』だったことになる。
奇しくもアンシュラオンが守護者を倒していた時、ガンプドルフも同様に守護者を倒していたのだ。
(しかし、蜘蛛が守っていた場所はこんな穴倉じゃなかった。映像では大都市の一つを任せられていたはずだ。それに、あの都市はどこかで…。そうだ、大人になったサナがいた都市と似ているんだ)
当然ながら細かい建造物や人々は異なるのだが、都市の構造がかなり似通っていた。
『彼女』がいた部屋も大人になったサナがいた部屋と様式が似ている。
(この共通点は何だ? くそっ、まだ頭が混乱しているな。ただ、あれが超越者だとすれば、彼らは『思念で会話していた』ようだ。テレパシー能力が進化していたんだろうな)
超越者たちは言葉を話すこともあったようだが、ほとんどのことは『念糸』や『念話』を媒介して意思疎通を行っていたようだ。
そう、ロゼ姉妹とまったく同じように。
それに思い至った時、脳裏に一つの仮説が閃く。
(待てよ。こうした能力があるってことは、セノアたちは超越者と何かしらの関係があるのかもしれない。さすがに時間が経っているから直接的ではなく【遺伝的】にだ)
たとえばアンシュラオンも術糸を使って念話を再現できるが、スキルとして持っているわけではない。あくまで技術として使っている。
しかし、セノアたちは生まれ持った能力として、ごくごく当たり前に使うことができる。ここに大きな差があるのだ。
(前文明が滅びたのは間違いない事実だ。遺跡もあるし、それを証明できる遺物もある。火怨山を徘徊している野良神機もその一つといえるだろう。では、当時の人間はどこに行った? あれだけ大勢いた人間がすべて死に絶えたとは思えないし、支配層の超越者たちも全員が滅びたとは考えにくい。中には生き延びた連中がいたんじゃないのか? その末裔がセノアやラノアってことは十分に考えられる。遠いおとぎ話みたいなものだけどさ)
たとえば戦国武将や三国志の武将の末裔が今でも残っているように、文明が滅びても血が遺ることは大いにある。
彼女たちが超越者の末裔である可能性が無いとは言いきれない。
が、所詮は仮説の一つであり、さして意味はないものでもある。
今を生きている地球の現代人が、何万年も前の人間の子孫だと言われても「だからなんだ?」の一言で終わってしまうだろう。
そもそも人間が存在している以上、誰もが生き残ってきた血の末裔だからだ。
(それはいいとして、注目すべきは超越者が守護者や魔獣たちを操っていた方法が、この大地にある術式とは異なることだ。映像を見た限りでは、あんな暴走したものではなかった。となると最初に推察した通り、この術式を生み出した者は少なくとも超越者ではないことになる)
前文明の人間が超越者であり、蜘蛛がその支配下にあったとすれば、それを妨害し、違う理で支配する術式は前文明のものではないことを示す。
あるいはクーデターを企んだ裏切り者の超越者がいて、権力を奪うために魔獣たちをけしかけた可能性も十分あるが、暴走だけでは自身も殺される恐れがあるのでリスクが高すぎる。
作ったはいいものの自爆して全滅した線も残るが、いまだこうして術式が発動していることから、超越者以外の者が作ったと考えるべきだろう。
(ふーむ。まだ疑問は残るが、大地の術式がこういった巨大ジュエルを核にして作られていることと、ここが術式で汚染されていないことがわかっただけで十分な収穫かな。このジュエルも術式を解除してしまえば【スレイブ・ギアスとして再利用】できるってことだしね)
アンシュラオンが使っている紫のジュエルは、一度女王蜘蛛の中に取り込まれたことで術式がリセットされ、スレイブ・ギアスの媒体として再利用することができた。
ならば、あくまで設置型となるが、この巨大ジュエルもリセットすることで再利用できるはずだ。
他の場所にもこれと同じものがあるはずなので、それも回収すれば何百万といった人々を支配することもできるだろう。
ただ、やはり設置型にはデメリットもあるため、このまま【蜘蛛の支配に再利用】するほうが現実的といえる。




