514話 「西方の現状」
演習開始、十二日目。
アンシュラオンとロゼ姉妹の三人は、マスカリオンに乗ってガンプドルフと共に魔獣の狩場から北西に向かっていた。
その目的は、戦艦に会いに行くためだ。
戦艦は魔獣の狩場にあるのではなく、もっと北西、アンシュラオンが翠清山で戦っていた頃にDBDが蜘蛛型魔獣の襲撃を受けていたポイントにある。
戦いによって戦艦自体が一部損壊していることもそうだが、その場を『新たな軍事基地』に改造するためにも必要だからだ。
それらに関する諸々の事情に関しては、隣のグレートタングルに乗っているガンプドルフが一緒くたに説明してくれる予定だ。
話はDBDが東大陸の調査に乗り出した四年前にまで遡る。
「まずは最初から説明しよう。中継地であるダマスカス共和国にたどり着いた我々は、準備を整え、海を渡って東大陸に上陸しようと試みた。ここから西の海がどうなっているか知っているか?」
「ううん、海の情報はまったく知らないや」
「西の海、それも火怨山に近い海流は非常に激しく、通常の船では航行すらできない状況にあった。強烈な嵐も発生するため、軍艦を使っても場合によっては沈没する可能性があるほどだ。だから我々は当初、潜水艇を使って上陸を試みた。が、海中に生息していた大型魔獣に攻撃されて撤退を余儀なくされた」
ハピ・クジュネから湾を伝ってずっと西に進むと『海洋』に出るが、そこは『中央大洋』と『北大洋』の海流がぶつかり合う場所で、非常に荒れた海域になっている。
荒れた海流にはそれに相応しい大型水棲魔獣が生息しており、撃滅級魔獣と遭遇する確率も高い危険なエリアだ。
とても人が通れる場所ではなく、だからこそ西方の地には西側から漂流してくる者がいないのである。
だが、ガンプドルフたちは諦めなかった。
「何度も調査しているうちに、海流が緩やかになる時期があることがわかった。その時は海の魔獣も繁殖期を迎えるようで、餌が豊富な場所に狩りに行くようなのだ。その隙を狙ってかろうじて上陸に成功した」
「具体的に、どこに上陸したの?」
「結局海流の影響で流されてしまい、西海岸の中央あたりにたどり着いた。そして上陸して数時間後、さっそく偵察隊が強力な魔獣の群れに遭遇した。すべてが大型の魔獣で、なすすべなく蹂躙された。地図の白黒で表示されている部分がそれだ」
「ちらほら見える…というか、海岸沿いから中心に近づこうとすると全部だよね」
「そうだ。このあたりで遭遇する魔獣とはレベルが違う。最低でも第三級の討滅級魔獣から、強いものは第二級の殲滅級魔獣まで跋扈している。まさに魔獣の巣窟だ」
殲滅級魔獣はハローワークの規定では、軍隊でさえ対応が難しいとされている魔獣全般を指す。
ガンプドルフも二体くらいならば対応は可能なのだろうが、それが何十という群れを成していれば逃げるしかない。(この当時のガンプドルフは、まだ本国で軟禁されている)
「調査隊はそこで二ヶ月の足止めを受けた。どのルートを通っても魔獣と遭遇するからだ。しかも執拗に追ってくるので視認した瞬間には撤退するしかなかった。だが、我々も遊びで来ているわけではない。時間がないため損害を覚悟で強行突破を目論んだ」
「必死に逃げながら先に進んだんだね」
「身も蓋もないが、その通りだ。地図の西側に突破した形跡があるだろう。ここだ」
「相当進んだね。かなり犠牲が出たでしょ」
「ああ、本当にな。私が信頼していた部下も大勢死んだ。…当時の我々は、まだ東大陸の怖ろしさを理解していなかったのだ。その結果、ここが一番大きな犠牲が出た局面だった」
聖剣長全員が国内にいる時は他の者への監視は緩くなり、百光長レベルの騎士ならば比較的容易に外に出られた。
そのため調査隊には一定数の強い部将も含まれていたのだが、そのほぼすべてが戦死する大惨事となってしまう。
この一報が届いた時、さすがのガンプドルフも強いショックを受けて自己を責めたものだ。
「それでも国の命運がかかっている。調査隊はさらに進んだ。しかし、その先にもさらなる悪夢が待っていた。地図の【水色の部分】が見えるか?」
彼らが魔獣たちを振り切り、その先で見たものは―――
「これは【氷山】だ」
「氷? 荒野で?」
「そうだ。そこはすべてが凍りついた大地だったのだ。険しい氷山が幾重にも連なり、人どころか魔獣さえも簡単には立ち入れぬ場所だったそうだ。ここでも実際に入った部下が死んだ。触れた瞬間にその者たちも凍り、粉々になってしまったという」
「明らかに普通の氷じゃないね。まさか術式?」
「あるいは特殊な氷を操っている魔獣がいるのかもしれない。どちらにせよ先には進めなかった。あまりに被害が出たため、ここで調査隊は一度ダマスカスにまで撤退することになった。その後に再度協議した結果、それ以後は外周の調査に専念することにしたのだ。これ以上の犠牲は払えなかったからだ」
「ただでさえ貴重な人員だもんね。不慣れな土地だし無理はできない」
「その通りだ。翌年、再び上陸した調査隊は大型魔獣を避けて、比較的安全なルートを探しながら北上したが、そこには【巨大な谷】が広がっていた。底も見通せないほどの極めて深い谷が、長さ何百キロにもわたって存在していたのだ」
「この灰色は穴なんだね。亀裂みたいな感じ?」
「そのほうが適切かもしれない。私も直接見たが、強大な力で無理やり地面を引き裂いたようだったよ。かつての『大災厄』で生まれたものかもしれんな」
「戦気術で強引に空中を駆けても無理?」
「戦艦の高感度ソナーでも観測したが、一番幅が狭いところでも五十キロメートル以上はありそうだった。このように空でも飛ばぬ限りは無理だろう。いや、仮に空を飛べても『毒素』でやられるかもしれんな。谷からは常に有害物質が放出されているらしく、虫を含めて生物は一匹たりともいなかった」
「毒まであるのか。最悪だね。毒が効かないオレなら突破もできそうだけど、独りで渡っても意味ないよね」
「開拓が目的なのだから一般人も通れるルートでなくてはならない。毒素の元凶を突き止めて浄化しない限り、あの場所に近寄るのは危険だろう。そして、それを避けるように移動した先、この【黄色の部分】が見えるか?」
「ああ、この上の部分ね。ちょうど氷の部分の北にあたるのかな?」
「そこも谷だが、底が見えて一見通れそうに思えた。毒素もかなり薄まっていたので期待したものの、実際は二十四時間【雷が轟く暗黒の谷】だった。凄まじい雷撃の嵐で近寄るだけで機器がダウンするほどだ。当然ながら立ち入れる場所ではないため、そのルートも断念することになった。また、そこで『バッデル・ギース〈雷谷の大猩亀〉』を発見した」
「四大悪獣の一体か。名前にも雷谷ってあるし、いてもおかしくはないよね。どんな魔獣だった? 倒せそう?」
「見た目は甲羅を身にまとった巨大な猿だ。一般の都市からすれば脅威ではあるのだろうが、我々の戦力ならば十分倒せるレベルではある。問題は魔獣単体ではなく環境条件だ。私個人は聖剣を使えば雷に絶対の耐性を得られるが、雷に弱い戦艦が入ることができないのは痛い。深手を負わせても奥に逃げられたら追うのが大変だ」
「デアンカ・ギースも地中に逃げたし、魔獣は常に自分に有利な場所を選ぶもんだ。倒すならおびき寄せてからだろうね。それにしても、なんだか思っていたより状況が酷くない?」
「ああ、酷い。酷すぎる」
「西大陸の自然もこんな感じ?」
「もしそうならば西大陸は発展していない。ここがあまりに異常なのだ」
「そりゃそうか。火怨山もこんなに変じゃなかったしね」
「だが、まだまだ困難は続く」
「聞いているだけでつらくなるよ。で、そこから右に行くと…これは森かな。ここなら通れそうじゃない?」
「地図ではそう見えるが、非常に濃い森林地帯が広がっていた。そこは亜熱帯に近い気候で、生えている植物もツタのようなものが多く、人が立ち入ることも難しい場所だった。調査に入った者が、ものの数秒で食虫植物…いや、食人植物に食われてしまったからな」
「今度は植物か。植物までも人間に敵対的なんだなぁ。でも、谷よりはましに聞こえるね。最悪焼き払って進むこともできそうだ」
「あまり現実的ではないが戦艦の主砲で森ごと破壊する手もある。大きな湖も確認しているので拠点候補の一つにはなっていた」
「そこを最初の拠点にしなかったのは安全面からかな?」
「うむ。周辺の地形を見てもわかると思うが、そこは火怨山の麓の森にも近い。そちらも調査したが南の森よりも魔獣の質が高かった。少年、本当に火怨山で暮らしていたのか?」
「うん、そうだよ。サナの魔石も麓の森の魔獣から奪ったんだ。ただ、あのあたりの魔獣はあまり強くなかった気がしたけどね。真後ろまで近寄っても気づかないレベルの雑魚ばかりだよ」
「君とは魔獣に対する認識がだいぶ違うようだな。しかし、一般人からすれば危険な魔獣たちには変わりない。我々はそこを無理に攻略するのではなく、さらに安全なルートを見つけるためにそのまま東に向かった。すると、ここでも強力な魔獣と遭遇した」
「うーん、局所的に氷山とか雷の谷とか変な場所があって、その隙間を魔獣が埋めている感じがするよね。まあ、特異な環境条件からあぶれた魔獣同士が、残った生息域をめぐって生存競争を繰り広げるのが自然の流れなんだけどね。どちらにしても、おっさんたちの戦力じゃ厳しいか」
「この段階で我らの戦力は半減しているからな。それだけでも多大な被害だ。仕方なく森や岩山を避けるように移動してグラス・ギースの真上にまで至った。私が昨年、戦艦でやってきた時もこのルートを使っている」
「なるほど、そこでオレと出会ったってことか。なんで戦艦があんな場所にいるのか不思議だったけど、これで謎が解けたよ。それで、次はどうしたの?」
「調査隊はここで一度、二手に分かれた。グラス・ギースと接触しながら西方を探る部隊と、もう一つはハピ・クジュネから海峡を移動して西方の南海岸を探る部隊だ」
「この頃からハピ・クジュネも探っていたのか。情勢に詳しいわけだ」
「先にハピ・クジュネ側の調査隊の話をしよう。交通ルートが確立されていたため都市には比較的安全に着けたようだ。着いたあとは漁業組合と交渉し、大きな船を借りて海岸沿いに調査を進めた。上陸はせず海上から偵察するレベルだがな」
「海峡に魔獣は出ないの? 船に乗ってて攻撃されない?」
「海中に水棲魔獣はいるが、海上にまで出没するものは少ないようだ。漁をしていて網が破られる程度の被害らしい。よほど沖に出なければ安全と聞いている」
「西の海との落差がすごくない? 平和すぎでしょ」
「西に近づけば近づくほど魔獣が凶暴になるようだ。実際に海峡を南下して西に向かったが、その先の陸地では明らかに危険な魔獣の存在が確認されている。もし迂闊に上陸していたら蹂躙されていただろう」
「地図を見ると、そのまま海岸沿いに西に向かったみたいだね。この緑色のは何? どうせまた危ない場所なんじゃないの?」
「それは【嵐の台地】だ。地形は山脈ほど険しくはないが、人など簡単に吹き飛ぶほどの強風でまったく進めない。強引に進めば細切れになるレベルだと聞いている。たとえるのならば、風鎌牙が常時渦巻いているような場所だ」
「氷の山脈、毒と雷の谷、食人植物の森、嵐の台地。踏んだり蹴ったりだ」
「もう一つオマケに『底無し砂漠』もある。魔獣の狩場から南に移動すればすぐに見えてくるさ」
「流砂みたいな感じ?」
「ああ、砂で足が取られるうえに、どこまでも沈み込む厄介な地形だ。流砂の中には落ちてきた獲物を喰らうワーム型の魔獣も大量にいるから最悪だ。そこは私も見てきたから危険性は重々理解している」
こうしてガンプドルフから散々な結果を聞かされる。
これにはさすがのアンシュラオンも表情が沈んでいた。
(思っていたより酷いな。そりゃ誰もいないわけだよ。だが、クルルザンバードが西から来たことは間違いない事実だ。そうした特殊な環境下にまだ残党が残っているだけなのか?)
西方の地形に頭を抱えていた、その時。
空を飛んでいたマスカリオンが『あるライン』を超えた瞬間に、ゾワリとアンシュラオンの肌が粟立つ。
(なんだ…今の感覚は? 肌がざわつく)
今さっき過ぎ去った地点から完全に世界が分かれた。
見た目は同じ荒れ果てた荒野にもかかわらず、まるで薄紫のフィルターを通したような異様に暗い世界になったのだ。
周りを見るがセノアもラノアも、ガンプドルフでさえも特に気にした様子はない。
(気づいていない? こんなに異様なのにか? …違う。見えないんだ。これは―――【術式】だ!!)
アンシュラオンは普段は色彩によって術式を見るようにしている。そのほうが綺麗だし感覚で理解できるからだ。
であれば、今見えるドス黒い色彩は何なのだろう。
息苦しく首を締め付けるような激しい負の思念や怨嗟が、あちこちに満ちているではないか。
誰がどう見ても明らかに異常。霊的な視点からすれば、ここが地獄であると言われても納得しそうだ。
(まさか術式攻撃? だが、こちらに攻撃している様子はない。どこだ…どこにある? …下? 大地全体か!?)
術式の発生源を探すと、自分たちの真下からもっとも強い波動を感じる。
しかしながら、その場所にあるのではなく、大地全体がドス黒い色彩、【超広域術式】によって干渉されていることがわかった。
(嘘だろう!! どこまで続いているんだ!? まさか、この荒野全部を覆っているのか? ありえない、こんな術式は人間には使えないって! 誰がいったい何のためにこんなものを!)
アンシュラオンにそう言わしめるほどの超高等術式が展開されている。
おそらくエメラーダが千人いても絶対に不可能。姉でさえ単独では不可能かもしれない。そんなものが現実に荒野にあるのだから驚くのも仕方ない。
幸いながら人間に対して直接作用する類のものではないようで、苦しんで倒れるような者はいない。
しかし、人間には作用しなくても『彼ら』には作用する。




