502話 「トイレの仕組みと一般公開実験」
「この下の部分はどうなっているのでしょう?」
引き続きホロロが訊ねる。
彼女も知的好奇心が刺激されているようで、興味深そうにトイレを眺める。
「気になるよね。少し中を見てみようか」
トイレ自体は箱の上部にあり、下部のおよそ三メートル部分は土台であるが、それにしても大きすぎる。
ガコンと板を外すと、中には複数のタンクや配管が見えた。
「まずは水だけど、吸水玉と水のジュエルの両方を使っている。吸水玉は三つ、ジュエルのほうは五つ常備してあるから、水を多く使っても最低五十回は使用できる計算だね。そして、用を足してからボタンを押すと勝手に流してくれる。みんなも体験したと思うけど、ボタンを押さずともブツを感知すれば一定時間後には流れる仕組みなんだ」
「自動で流れるのはすごいですね」
「うっかり流さない人もけっこう多いから、その対策でもあるね。難しいのは感知するセンサー類だけで、やっていること自体は単純なんだよ。このあたりは遠隔操作が得意なオレだからこそ、術の制御も得意なのかもしれないけどね」
要するに「スイッチ」と同じだ。
いくつかの条件を定めて、それらが合致する際に自動的に開放するように設定すればよい。
が、これもやはり一般の術者には難しいことである。
単純に排便すれば起動する、ということならば可能かもしれないが、出し終わりまで待つ条件まで設定するのは高等技術なのだ。
便座自体がセンサーの役割を果たしており、座った人間の体温や動きも察知して、最適な時間をその場で計算するのだから相当なものといえる。
ただそれ以前に、トイレに対してそこまでやろうと思えることが偉大である。
百円ショップに並ぶアイデア商品も、機構自体はたいしたことはなくとも、それを思いつくことがすごいのだ。
「面白いのはここからだよ。流れた汚水は下のタンクに溜められて、そこで『浄化処理』を行う。本来は微生物を使うけど、短時間で処理するために『命気水』で代用することにしたんだ」
タンクは合計四つあり、一つ一つの槽で浄化処理を行う段階式になっている。
そこで最初に活躍するのが、命気水だ。
命気は浄化力が極めて強く、汚物を入れれば一瞬で分解除去してしまうレベルにあり、悪臭も完全に防ぐことができる優れものである。
使用する命気水は1リットル程度と少ないが、これが混じるだけで浄化力が異様に高まるわけだ。
この命気水を使うところがミソで、他人には簡単に真似できないブラックボックスにもなる。
「ただし、オレの手を離れた命気水は完全なる性能を発揮しないから、これだけでは全部を取り除けないんだ。ただの汚れた水ならともかく、やはり排泄物だからね。紙も婦人用の最高級品を使っているが、そこまで水に溶けやすいわけではない。そのため途中で複数の浄水路を設けて順次濾過しつつ、最終的には電気分解で浄水処理を行って、出てきた『スカム』を取り出す仕組みとなっている」
「スカムとは何でしょうか?」
「ああ、なんというか…不純物を集めたものかな。濾過すると水以外のものが排出されて『スポンジ』みたいに固まるんだ。それで水と要らないものに分けられるのさ。で、スカムはここに溜まる」
箱の一番下にある引き出しを開くと、そこに白い塊のようなものが溜まっていた。
たしかにスポンジのようなもので、小さな穴が無数にあいたチーズにも似ている。
「これがみんなの『ブツの成れの果て』だ。セノアのものもここにあるぞ」
「―――っ!?」
「冗談だよ。君のはまだ分解している途中だろうし、これは実験でやった時のものだ。ああ、オレのじゃないよ。家畜の糞を実験用にもらってきたんだ」
「ううう…」
「ごめんごめん、からかうつもりはなかったんだ。でも、ここまで浄化除去されれば人体に有害ではないし、みんなには汚いっていう概念を捨ててほしいんだ。オレの国では糞尿を畑の肥やしにも使っていたくらいだから、すべてのものは自然の中で循環しているのさ。これも何かと混ぜれば肥料もしくは飼料になるかもしれないよ」
このスカムも、もともとは食材の一部だったものだ。
栄養素は人体に吸収されてほぼないが、何重にも洗浄されているので汚くはない。
もし今後家畜を養うことがあれば、飼料のかさ増しにも使えるはずだ。
すべてを無駄にしない。これも日本人が大切にしてきた美徳である。
「水がなくなった場合はどうなるのでしょう。その間は使用禁止になってしまうのですか?」
「いい質問だね。最初はジュエルから水を出すんだけど、その後に浄化された水は専用の吸水玉によって吸収されて、予備の流水として再度使えるんだ」
「では、半永久的に使えるというわけですか?」
「それが理想だけど、残念ながら何事にも耐久値があってね。水の放出、濾過、放電等々、合計で十個近いジュエルを使っている。命気水の浄化力も使うたびに弱まってくるから、それらの定期的な交換が必要だし、便器も自動洗浄機能が付いているけど衛生面を考えれば、やはり人の手による掃除は不可欠だ。配管も石を強引に加工したもので、術式で補強はしたけど水への耐久度が心配だね。一万回くらいで交換が必要になると試算しているかな」
仮に七人が一日八回前後行くとして、約六十回とする。
その場合、百六十日前後で消耗品の交換が必要となり、衛生環境を保つには『年間二回の交換が必要』だ。紙もその都度取り換える必要があるだろう。
消耗品に限らず、他の部品の耐久年度も未知数で、いつどんなふうに壊れるのか今のところは想像がつかない。
「本当に普及させるとしたら数十年単位の実験データが必要かな。壊れることを前提にして使うのならいいんだろうけどね」
「たとえそうでも、これは画期的な発明だと思われます。このようなものは世界中を見回しても存在していないのではないでしょうか」
「うーん、どうだろうね。西側のトイレ事情がわからないから、あまりおおっぴらには自慢できないかな。この知識もオレが独自で考えたわけじゃないし、誰かが先にやっていてもおかしくないよ」
「お世辞ではなく本当にすごいとは思うのですが…」
「そう言ってもらえるだけ嬉しいよ。ありがとう、ホロロさん」
(完全にT○T○のパクリだからな。今まで転生した日本人が作っている可能性もある。とはいえ、ひとまず実験は成功だ。あとはコストの問題があるけど、自前でジュエルが用意できるのは強みだな。岩だって自分で拾って加工するんだから、時間さえあればいくらでも生産できるぞ)
アンシュラオンは地球の技術を知っているので、自分がたいしたことをしたとは思っていない。
されど、実は大革命が起きていた。
今ここに【東大陸初の水洗トイレ】が誕生したのである。
遺跡の中には失われた文明のトイレもあるにはあるが、すでに『リセット』されているので、もはや残骸でしかない。
やはりこの瞬間こそが、荒野となった東大陸で初のトイレ誕生と考えるべきだろう。
しかも西側ですら満足に実現していない汚水浄化処理システムを単独で搭載している超技術の塊が、彗星の如く出現してしまったわけだ。
もっとも優れている点は、一般人にもメンテナンスが可能なことである。
術式が発達した世界なので、たいていのことは術でなんとかなるのだが、逆にいえば術の専門職でなければ対応できないことが多い。
それがジュエルの交換や専用の命気水の補充だけで済むのならば、雇われた人間でも簡単に作業が行えるのだ。
たしかに地球から多くの技術がこの世界に持ち込まれているものの、その大部分は『闘争』に向けられている。
闘うことに特化した反面、それ以外の生活レベルの進化が遅れているのが現状なのだ。
それがトイレならば、なおさらのこと。
この分野に地球技術を使おうとした異邦人は、ほぼいなかったのであった。(生存競争に必死で、その余裕がなかった)
のちに東大陸に生まれる大国シェイク・エターナルが超国家になりえたのも、彼が遺した数多くの技術があってこそだということを、後世の歴史家たちは思い知るはずだ。
「評価は上々だ! さっそく量産しよう!」
一度作ってしまえば、それ以後は簡単なものだ。
予備の部品を組み立てて、瞬く間に新たに四台ものトイレ箱を作ってしまう。
最初に作ったものは引き続き白詩宮のトイレとして使い、もう一つは食堂商会に置く。食事で水分を大量に摂るので使用頻度も高いからだ。
そして、残りの三つは『無料で一般公開』する予定である。
アーパム財団の名前は入っているが売り物ではない。まずは一般人に使ってもらい、その評判を広めようとしているわけだ。
もちろん慈善事業ではないので『目的』があってのことだ。
アンシュラオンは実験の翌日、大きな台車にトイレを載せて街に繰り出す。
「まずはあそこに置こう」
最初にやってきたのは都市の入り口だ。
外から来る人々が最初に訪れる場所であり、必ず人目に留まるところといえば、やはりここしかない。
おもむろにトイレを持ち上げ、ゲートの内側にある海兵詰め所の隣に置く。
「え? 何してんの? 何それ?」
すると、人々を誘導していた若い海兵がやってきた。
いきなりこんなものを置かれたら驚くに決まっている。
ちなみにこの海兵は若いせいか、目の前の少年が「あのアンシュラオン」であることには気づいていないようだ。(凱旋パレードをしたわけではないので顔を知らない者もいる)
もしここにカットゥがいたら慌てて駆け寄るところだろうが、遅いので置き去りにしてきたので、まだ道の途中を馬車で走っていることだろう。
むしろ何も知らないほうが好都合だ。あえて自分のことは明かさずに話を進める。
「これはトイレなんだよ」
「トイレ? こんなにでかいのに?」
「高性能トイレだからね。誰でも無料で使っていいから、ここに置いてもいいかな? できれば数ヶ月は置いておきたいんだけど」
「あとで回収に来るのか?」
「うん、部品の消耗具合も見たいし、定期的に掃除にも来るよ。大丈夫かな?」
「それならまあ、いいんじゃないか。トイレなんだろう? あって困るものじゃないしな」
「許可とかいらない?」
「こんなに広いんだ。箱一つで文句も言われないだろう。気にするなって」
「じゃあ、置いておくね。よかったらお兄さんも使ってよ。でも、入ってくる一般人が優先ね。それから女性が最優先。これは譲れないよ」
「男は駄目なのか?」
「駄目じゃないけど、男は専用のを作る予定だからね。これはあくまで女性のことを考えて作ってある特別性さ」
「へー、珍しいな」
「だから変なやつがイタズラしないように、たまに気を遣ってくれないかな。依頼料はこれで足りる?」
アンシュラオンが、そっと札束を握らせる。
「おお、こんなに悪いな。だが、仕事もあるから、ずっと見張ってはいられないぞ」
「それで十分だよ。それじゃ、よろしくね」
「おう、気をつけてな」
そう言うとアンシュラオンは、残りのトイレを引きずってまた行ってしまった。
その様子を見ていた、もう一人の海兵がやってくる。
「おい、今のは何だ?」
「さあ? トイレ屋じゃないのか? これ、トイレだってよ」
「トイレ? こんなに大きいのが?」
「そうらしいな。無料だから使ってもいいってさ」
「はー、奇妙なことをするやつもいるもんだね。どれ、ちょっと入ってみるか」
「女性が優先とか言っていたぞ」
「あくまで優先だろう? 今は誰も使っていないんだ。男でもいいだろう」
「それもそうだが…」
「よし、入るか」
トントントン ガコン
男の海兵が階段を途中まで上ったとき―――突如、真っ平ら
階段すべてが斜めに折りたたまれ、滑り台と化す。
「どわわわわ!!」
そのまま滑り落ちて見事に地面に転がる。
まさにドリフのワンシーンを見ているようだ。
「な、なんだぁ?」
「はははははは!! 何やってんだよ」
「わ、笑うなよ! …しかし、本当にトイレか!? 新手のドッキリじゃないのか?」
「かもしれないが、面白いから置いておこうぜ。誰か引っかかるかもしれないしな」
「そりゃいい。入ってくる連中に使わせてみよう。俺だけ滑ったのは納得がいかないしな」
それから海兵たちは、内部に入ってくる者たちに次々とトイレを宣伝していった。
「これは良いトイレだ。ぜひ使ってくれ」と。
害意があるわけではなく単純にドッキリくらいのノリだ。
そして、話を聞いた一人の中年女性がトイレに向かう。
その様子をじっと見守る二人。
「なぁ、落ちるかな?」
「女性はちょっとかわいそうだな。俺のかあちゃんくらいの年齢だし…怪我をしないように滑ったら止めてあげようぜ」
「でもよ、あれってトイレなんだろう?」
「そう聞いているな。金ももらったから嘘じゃないと思いたいが…」
二人がそう話している間に、女性はすたすた歩いて上り、普通にドアを開けて入っていってしまった。
さすが中年女性ともなると肝が据わっているようだ。
初めて見たものに何の躊躇もなく入るのは、ある意味ですごい。
だが、普通に入ったこと自体に二人は驚愕。
「あれ!? 落ちなかったぞ? どうなってんだ?」
「え? なんでだ?」
そうこうして疑問を抱きながら見守ること二十分。
ようやく女性が出てきた。
「あんなの…何十年ぶりかねぇ」
恍惚とした表情を浮かべて、何事もなく歩いていってしまう。
「どういうこと?」
「何があったんだ?」
「き、気になる…! ちょっくら、もう一度行ってみる!」
「お、俺にも見せろよ!」
ドンドンドン
がこっ、ズサーーー
「なんでだーーーーー!!!?」
実は、一般公開用のトイレの階段には『重量制限』が設けられていた。
一定以上の負荷がかかると階段が沈んで、こうやってずり落ちる仕組みである。
都市内部にいる海兵は最低でも革鎧や刀剣類を身に付けているので、重量的にはややオーバーだろうか。
制限を設けると男性並みに体重がある女性も使えないが、まだ試作品であり、便座へのダメージを減らすための措置でもあるので諦めてもらうしかない。
「おい、面白そうなことをやってるぞ」
「なんだなんだ? トイレだって?」
「女性優先って書いてあるじゃない。そんなものがあるのね」
海兵が身体を張って盛り上げたためか、もしくは恍惚とした様子が女性たちの興味をそそったのか、利用者は日に日に増えていったという。
続いて二つ目は、ハローワークの駐車場に設置。
ハローワークは人の出入りが激しく、人目にもつきやすいため外すことはできない場所だ。
このトイレに関しても日々利用者が増え続け、評判は上々。
いつも以上の人がやってきて施設も繁盛し、わざわざ外に出てトイレに行く人も増えたという。
最後の三つ目は、これまた人が集まる観光区に設置。
「よし、これでいい。あとは待つだけだな」
しばらくトイレは放置である。
そのうち成果が向こうからやってくるだろう。




