50話 「魔剣士、最悪の予感」
(散々だったな…)
傭兵姿のガンプドルフが、外仕事を終えて部屋に戻る。
砂に塗れた服を投げ捨て、軽く身体を拭いてから、いつも通りの格好になる。
戦闘用のフルプレートは置いてきたので、日常任務に使う軍用コート姿だ。当然、自国の国章や隊章は消してあるので見られても問題はない。
(どんな姿になっても、これだけは手放せないな)
その腰には一本の剣がある。黄金の装飾が施された金色の柄のもので、刀身まで金色という非常に珍しいものだ。
これは手放せない。傭兵姿だろうがフルプレートだろうが、これを離すわけにはいかない。いや、手離せないのだ。
(最悪はこいつに助けてもらうしかない。その後が怖いが、『聖剣』があるとないとでは心の余裕がだいぶ違うからな)
ガンプドルフが持っている剣は、自国では『聖剣』と呼ばれている希少なものだ。
しかし、他国からは『魔剣』と評され、彼自身も『魔剣士』と呼ばれている。
もし本当に性能が良いだけのものならば魔剣とは呼ばれないだろう。魔剣には魔剣と呼ばれるだけの所以、大きなデメリットが存在するのである。
そんな頼りになりながらも使い勝手の悪い相棒に触れながら、一度ソファーに座って心を落ち着ける。
(領主城か。その名から察するに、ここの領主は一国の主のつもりのようだな。まあ、それは家を持った男と同じ。自分が主人となった世界において、人は誰しも権威を保ちたいと思うものだ。それがどんなに小さな枠組みでも…な)
ここは領主城、その尖塔に用意された彼の部屋である。
室内はバスケができるくらい広く、一人で過ごすには大きすぎるくらいだ。
普段は貴族などがやってきたときに使用される部屋のようで、調度品もそれなりに立派なものがそろっている。
むろん本場である西側からやってきたガンプドルフには、それらは珍しいものではないが、もともと武人であり軍人である彼には興味のないものばかりだ。
それより重要なのは、このグラス・ギースが都市として最低限の機能を有していること、領主が為政者として支配権を維持していることである。
(今のところ相手に怪しい動きはない。領主としてもメリットがある話だから、このまま上手くいけばよいのだが…)
グラス・ギースの領主、アニル・ディングラス。
五十を過ぎた小太りの男で、一見すると冴えない人物だが、このあたり一帯を代々治めてきた豪族の長である。
西側からの入植が進む中、他の地域ではこういった豪族たちとの争いが激化しているところもある。先祖代々守ってきた土地であるので、彼らが譲らないのは当然だ。
上手く買収した国もあるが、多くは争いの火種を蒔き続けている。それにてこずって入植の速度は遅くなっているようだ。
このグラス・ギース一帯は魔獣が多いという関係上、西側国家からは敬遠されてきた土地である。
開拓に時間がかかるし、リスクも大きい。デアンカ・ギースのような存在に出会えば全滅もありうるので、現在は調査団すら派遣されなくなっていた。
だからこそ、ここは自由である。
どこから来た人間であれ受け入れる土壌がある。それは偉大な風土である。
もともと人種という存在に無頓着な世界であるが、西側から来た人間を簡単に受け入れることは難しい。入植の件もあり、警戒するのが普通だからだ。
だが、アニル・ディングラスは、少なくとも一度はガンプドルフたちを受け入れた。その事実は大きく、ありがたいとも思う。
当然、互いにメリットがあってのことである。
(彼にとっては戦力強化の意味合いは強い。自国防衛のほかに、我々の存在が他の西側国家への楔にもなるだろう。むろん我々にどこまで期待しているかは未知数だが、彼らにとっても土地の開拓停滞は頭の痛い問題だ。これだけ魔獣がいれば当然だな)
領主もまた、この大地にてこずっているのだ。
アンシュラオンが見た通り、この地域には未来がない。発展の兆しがまるで見られない。その閉塞感は領主も感じているところだろう。
だからこそガンプドルフを受け入れた。新しい領土を開拓するのならば必然的に魔獣を討伐することになり、それだけグラス・ギースにも恩恵が生まれる。
新しい都市が生まれ、新しい人がやってくる。それは物の流れを生み、発展を促すことになる。
資源はそこらじゅうにある。力さえあればもぎ取れる。その力の一端をガンプドルフが与えるのだ。
(何よりも人と争うことなく得ることができる。人間と血みどろになって殺しあうことなく土地が手に入るのならば、傭兵まがいのことも喜んでやるさ)
ここに【国家を樹立】させるのは、思っているよりも難しいことだろう。
されど不可能ではない。
領主の積極的協力があれば可能なのだ。そのためにもガンプドルフにとって領主は重要な存在である。
商談への覚悟を決めると、再び今日の出来事を思い出す。
(散々な日だったが、設営の目星は付いた。あの付近に前哨基地を作れれば、だいぶ楽になりそうだ。問題は資材と物資の搬入だが、地道にやれば数ヶ月で物にはなる。それもこれも、あの大型魔獣がいなくなったおかげと見るべきだろうな)
警戒区域には大型の魔獣が出ると聞いていたので、それだけが心配だった。
戦艦とはいえ万能ではない。地中から攻撃されれば撃沈する可能性がある。
それを思えば、唯一の懸念だった大型の魔獣が、あの場からいなくなっていたのは助かった。
どんな相手でも自分と魔人機ならば対応できると思われるが、無駄な消耗は避けたいのが本音だ。
ミーゼイアの修理用の部品も最低限しかないので、無駄に損耗してWGにオーバーホールに出すともなれば、もう目も当てられない大損害である。
その点において【謎の存在】には感謝している。
(結局、その人物とは出会えなかったな。いや、それでよかったのだ。相手が温厚で理知的な人間とは限らない。血に飢えたような人間ならば危険だった。どちらにせよ、この件については調べてみる必要がありそうだ。それだけの武人を野放しにはしておけない)
密偵からの情報も期待したいが、すでに傭兵としてハローワークには登録してある。その伝手を使って調べてみるのもよいだろう。
案外、傭兵というものも便利である。同僚の魔剣士の一人が、よく傭兵に成りすまして諜報活動をしていたものだが、その意味がようやくわかった気がした。
ちなみにガンプドルフの評価は、第三階級の『黒爪級狩人』であった。ホワイトの一つ下のブラックハンターだ。
しかし剣士にとっての強さとは、武器や防具の質を含めた力である。それを含めれば彼もホワイトハンターのレベルにあるのは間違いない。
ここ最近でホワイトハンターとブラックハンターが一気に加入したハローワークでは、その話題で持ちきりである。
と言いたいが、アンシュラオンがデアンカ・ギースを倒してしまったので、ばら撒いた金の件も含めて、すでにガンプドルフは話題にもされていない。
ただ、当人にとってはそのほうが好都合であるし、任務に出ていたので噂になっていたことすら知らないでいるが。
(さて、そろそろ行くか。今日の交渉で少しは具体的な方向性を示すことができれば、今後もやりやすく―――)
そうしてガンプドルフが領主のもとに向かおうとした時だ。
―――何かに触られた
(―――っ!)
それはガンプドルフだけではなく部屋全体を塗り潰し、さらに広がっていく。
害はない。
これは、敵を害するものではない。
だが、味方の人間が使うものではない。
(『波動円』…だと? どこから使っている? いや、何メートル展開している? 三百……五百……千メートルを超える!! 馬鹿な!? 何者だ!)
『波動円』は探知系の戦気術の一つで、自身の戦気を薄く伸ばして周囲の状況を確認する技である。
それ自体は非常に希薄になっているので無害であるが、戦気を遠くまで展開維持するだけの技量が求められる。
達人ともなれば範囲内にいる虫一匹ですら正確に探知でき、平均して二十メートルから数百メートルまで伸ばすことができるとされる。
ならば、それを超える者は何者か。
展開された波動円は千メートルを超え、さらに広がり続けているではないか。
もはやガンプドルフから血の気が引くほどに、領主城全体を巨大な気質が覆っている。
が、直後―――波動円は消えた
(私が感づいたことに気づいた? それで警戒して解いたのか? これだけの力を持ちながら、なんと慎重で図太いのだ! まずい、まずいぞ。これだけの気質を展開できる人間がいるとは、いったい何者だ! この都市の人物なのか!?)
メーネザーから渡されたリストには、要注意人物も記載されていた。
最初はその中の誰かかと思ったが、事前情報とは明らかに実力が食い違う。
今、この波動円を使っている人物は、【自分よりも強い】。
(肌が粟立つ! 悪寒がする! このような感覚は戦場でも数度しか味わったことがない。最強クラスの武人が放つ気配だ。ありえない。ルシアの筆頭騎士団長より強いなどと…あってはならない! 誰だ! いったい誰―――っ!)
その瞬間、脳裏に浮かぶ人物がいた。
巨大魔獣を圧倒的な力で破壊した謎の存在。その人物がどこの誰かは知らないが、少なくとも近くに存在するという事実を思い出す。
(もし、その人物が生身で倒していたら? そうだ。その可能性もあった。だが、私はそれを怖れて考えるのをやめていた。なんという運の悪さだ。昼間の状況など、まだ可愛いものではないか! …だが、なぜ波動円を使う? 私を狙っているのか?)
ここで一番気がかりなのが、その謎の存在の目的である。
波動円が触れた際、身長、体重、外的特徴を収集しているのがわかった。このことから、おそらく【誰か】を探しているのだろうと思われる。
普通に考えれば西側から来た自分を排除するためと想像できるが、それならば捕捉したままでいるはずだ。だが、すでに気配は消えている。
(私がターゲットではない? ならば何が目的なのだ? 誰を探している? …待てよ。ここは領主城だ。私でないとすれば、そこで探す人物など一人しかいないではないか!)
そのことに思い至った瞬間、ガンプドルフの顔色が一気に悪くなる。
今日はガンプドルフと領主の商談の日だ。そこで領主が殺されたらどうなるか。間違いなく自分が疑われるだろう。
(領主が死ねば、交渉が破談になるどころか全面対立もありうる。それだけでも最悪だが、場合によっては他の西側諸国の助力を得て報復に乗り出すかもしれん。となれば、相手は我々が協力することで不利益を被る勢力か? …落ち着け。落ち着くのだ。まだ相手は探している段階だ。まだ間に合うではないか!)
ガンプドルフは部屋を飛び出す。
このレベルの相手との戦闘になれば、自分が死ぬ可能性すらあることを知りながら、それでも動くしかない。
(早く捜し出さなければ最悪の事態になる。いけ好かない男でも、今は領主を殺させるわけにはいかんのだ!)
 




